概要
『東方旧神狂』は、同人サークル「いずみ屋」が2022年12月に発売した、東方Projectの二次創作とクトゥルフ神話モチーフを掛け合わせた脱出アドベンチャーです。物語は、魔法使いパチュリー・ノーレッジがいつも通りの日常を過ごしていたところへ、アリス・マーガトロイドが「謎の本」を押し付けて立ち去るところから始まります。その本を開いてしまったことで異変が起こり、プレイヤーはパチュリーとして「正気を失わずに真実へたどり着けるか」を賭けた脱出劇に挑むことになります。公式には「少しクトゥルフ神話をモチーフとした脱出ゲーム」と控えめに紹介されていますが、書物・狂気・真実といった神話の中核的な道具立てが物語の駆動装置として使われています。低価格の小品ながらDLsite評価は★4.8前後(2026年7月時点)と高く、遊んだ人の満足度は良好です。
クトゥルフ神話との関係
本作の中心にあるのは「読む者を変質させる書物」というモチーフです。開いた者を異変へ引きずり込む謎の本は、クトゥルフ神話におけるネクロノミコンをはじめとする魔道書の系譜——知識それ自体が危険物であり、読むことが呪いの受領になるという発想——を明確に踏まえています。そして「正気を失わず真実へたどり着けるか」という本作のテーマ設定は、クトゥルフ神話TRPGが確立した正気度の概念をそのまま物語の賭け金にしたものです。タイトルの「旧神」も、クトゥルフ神話の神性の呼称(旧神・旧支配者)から取られた言葉であり、東方Projectの「幻想郷にはあらゆる神話や妖怪が集まる」という設定の懐の深さを利用して、ラヴクラフト由来の神話体系を違和感なく持ち込んでいます。
独自の要素・原典との違い
東方×クトゥルフというクロスオーバーは同人シーンで長く愛されてきた組み合わせですが、本作の面白さは主役にパチュリーを据えた配役の妙にあります。大図書館の主であり膨大な魔道書を読み慣れた彼女は、いわばラヴクラフト作品に登場する学者・司書型の探索者の幻想郷版であり、「本の専門家が、本によって窮地に陥る」という皮肉な構図が成立しています。原典の探索者が無力な一般人であるのに対し、本作の主人公は強力な魔法使いでありながら、それでも「正気」という土俵では原典と同じ危うさに立たされる——このバランス感覚が、二次創作としての巧さです。脱出ゲームとしては謎解き中心の落ち着いた作りで、ホラー演出は控えめ。東方ファンがクトゥルフ神話側の教養(魔道書、正気度、旧神といった概念)に触れる入口としても、逆に神話ファンが東方二次創作の文化に触れる入口としても機能する、クロスオーバーの見本のような小品です。


