
東雅夫『クトゥルー神話大事典』(新紀元社)。卓を囲む前に、扱われる神格・土地・書物の出自を確認できる。
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概要
オーストラリア・ビクトリア州の史跡保護団体National Trust of Australia (Victoria)は、メルボルンの観光施設「Old Melbourne Gaol(旧メルボルン監獄)」で、Call of Cthulhuのワンショットセッションを体験できるイベント「Cell of Cthulhu」を2026年9月23日(水)18時30分から21時30分まで開催すると、施設の公式サイトで告知している[1]。会場は施設内の「Former City Watch House(旧シティ・ウォッチハウス)」で、公式サイトはこの建物を「1909年から1994年までメルボルンの中央拘置施設として機能した」と説明している[1]。3時間の「協力的なストーリーテリング体験」として、参加者は本物の独房の中でCall of Cthulhuのワンショット・アドベンチャーに取り組む[1]。
進行はプロのゲームマスターが務め、1卓あたりの定員は最大5人[1]。料金は一般A$85、National Trust会員はA$76.50で、予約は必須、締切は開催48時間前とされている[1]。グループでの参加は1回の取引でまとめてチケットを購入する必要があると案内されている[1]。イベントは National Trust of Australia (Victoria) が主催し、Masters of Alchemyというメルボルン拠点の団体が運営に協力している[1]。同団体は自らを「メルボルン/ナームを拠点とする26名以上のゲームマスターを抱え、これまで1万人以上の顧客に数千回のセッションを提供してきた、国内最大級のTRPG進行役の集団」と説明している[2]。
検索エンジンの要約情報には、2026年4月29日や同年6月24日にも同名の「Cell of Cthulhu」が同会場で開催されたとする記載があった。しかし本稿で実際に開いた公式サイトの過去イベント一覧ページからは、個別の開催日を裏付ける記載を確認できなかった。この点は憶測で日付を決め打ちしない。
どんな体験か
このイベントの核は、専用に作り込まれたセットではなく、実際に使われていた建物そのものを会場にするという一点にある。公式サイトは会場選定の理由を「本物の独房と、威圧感のある雰囲気が完璧な舞台を提供する」と説明している[1]。旧シティ・ウォッチハウスは1909年に建てられ、公式サイトの別ページによれば「オリジナルの内装があらゆる点で完全な形で残っている」建物で、メルボルンで逮捕された人物を裁判までのあいだ拘束する保管所として、約85年間にわたって使われ続けた[3]。1日に50人以上が連行されてくることもあったという[3]。
プレイヤーが座る場所は、テーブルトークRPGでよくある会議室のテーブルではなく、かつて実在の被拘束者を収容していた石造りの独房の内部である。ゲームシステムはChaosium社のCall of Cthulhuで、進行役はプロのゲームマスターが務め、1卓の定員は5人までに絞られている[1]。3時間という尺は、探索者(プレイヤーキャラクター)が事件の発端から結末までを一区切りで体験する「ワンショット・アドベンチャー」の標準的な長さであり、複数回のセッションをまたぐキャンペーンではない[1]。
Old Melbourne Gaol自体は、City Watch Houseとは別の、より古い時期に建てられた施設である。公式サイトによれば、この旧監獄本体は19世紀半ばの建設で、1842年の開設から1929年の閉鎖までのあいだに133件の絞首刑が執行され、その中にはオーストラリアで最も悪名高い無法者ネッド・ケリーも含まれるという[4]。1909年築のCity Watch Houseは、この処刑の歴史を持つ旧監獄本体とは棟が異なる建物だが、同じ敷地・同じ運営団体のもとで一体の史跡として公開されている[3][4]。Cell of Cthulhuの会場は、処刑が行われた旧監獄本体ではなく、拘置・保管に使われたCity Watch Houseの独房である。この区別は公式サイト自身の記載から確認できる範囲であり、演出上どちらの建物のどんな逸話が意識されているのかまでは、公式の告知文からは読み取れない。
実在の拘置施設という舞台が変えるもの
Call of Cthulhu自体は、専用のホラー空間を必要としないゲームである。多くの卓は自宅のリビングやゲームショップの一室で、普通のテーブルを囲んで遊ばれる。当サイトのクトゥルフ神話TRPGとはの記事で確認した通り、このゲームの核心は正気度(SAN値)という数値システムにあり、プレイヤーが座る物理的な場所そのものは、本来ルール上の要件ではない。
その意味で、このイベントが行っているのは、ルール上は不要な要素を上乗せする作業である。ただしその上乗せの中身は、暗幕を張ったり作り物の鉄格子を置いたりする舞台美術ではなく、実際に人を拘束していた建物をそのまま使うという選択だ。石壁の冷たさ、独房一室あたりの狭さ、実際に半世紀以上前まで機能していた鍵と扉——これらはCall of Cthulhuというゲームのために作られたものではなく、City Watch Houseが1994年まで実際の拘置施設として稼働していたことの副産物である[3]。プレイヤーが体験するのは、フィクションの恐怖を強調するために設計された空間ではなく、まったく別の理由で存在していた実在の閉塞感に、フィクションの物語を後から重ねる体験だと言える。
このとき、独房という場所が持つ本来の意味とCall of Cthulhuという物語がどこまで結びついているかは、公式の告知文からは確認できない。1909年以降にこの独房へ実際に収容された人々の記録や事件と、当日プレイヤーが体験するシナリオの筋書きが関連しているのかどうかについて、公式サイトは明言していない。むしろ告知文が強調しているのは「本物であること」自体であり、独房の来歴そのものをシナリオの題材に組み込んでいるとまでは書かれていない。実在の歴史と虚構の物語が同じ空間で交差しながらも、両者がどこまで意図的に結びつけられているのかは未確認のまま、という状態にある。
原典との距離(神話の三層のどこに立つか)
当サイトのクトゥルフ神話TRPGの刊行史の記事で確認した通り、Call of Cthulhuは1981年にケイオシアム(Chaosium)社がサンディ・ピーターセン(Sandy Petersen)の設計で刊行したTRPGであり、当サイトの三層区分では第3層(TRPGによる拡張)に位置づけられる。ラヴクラフト自身の小説には、正気度という数値も、探索者という役割も、キーパー(進行役)という概念も一切登場しない。この点は当サイトの三層で読み解くクトゥルフ神話の記事が整理している通りである。
Cell of Cthulhuは、この第3層の体系そのものを使ったイベントだ。ただし、公式に刊行されている既存シナリオのタイトルを使っているのか、それとも今回の会場・企画のために書き下ろされたオリジナルの一本なのかは、公式サイトの告知文からは判別できない。告知文は「完結した独自の物語を紐解く」というワンショットの性質だけを説明しており、シナリオ名や舞台となる年代・地域までは明かしていない[1]。Call of Cthulhuの標準的な舞台は1920年代のアメリカだが、会場は2026年のオーストラリア・メルボルンにある実在の史跡であり、この現実の場所と、ゲームが本来想定する架空の時代設定がどう折り合いをつけられているのかも、確認できない部分として残る。
同じ「実在の場所でクトゥルフ神話に触れる」という発想を持つ企画は、日本国内にも存在する。当サイトのリアル脱出ゲーム×クトゥルフ神話『狂気の山脈からの脱出』の記事で確認した通り、SCRAPが手掛けるこの体験型イベントは、商業施設のフロアに設営された専用のテントの中で、50分の謎解きを行う。テントは南極の調査基地を模した美術セットであり、建物自体は現代の商業ビルである。参加者が体験するのは、作り込まれた虚構の空間の中に虚構の物語を重ねる体験だ。これに対しCell of Cthulhuは、美術セットではなく実在の史跡をそのまま使い、そこに虚構の物語を重ねる。両者はどちらも「実在の空間で神話的恐怖を体験する」という方向を向いているが、その空間自体が最初から虚構のために作られたものか、まったく別の目的で存在していた本物の建物かという点で、出発点が異なっている。
もう一つの違いは、運営主体の立ち位置である。SCRAPはケイオシアムとは無関係の興行会社であり、原典の地名だけを借りて怪物の正体は独自に設定するという、第2層・第3層のどちらの体系にも公式には属さない独立した翻案を行っている。これに対しCell of Cthulhuは、Chaosium社が刊行するCall of Cthulhuというルールそのものを使い、National Trustという史跡管理団体と、TRPG進行を専門とするMasters of Alchemyが共催する形をとっている。前者は虚構の物語を独自の体系として立てているのに対し、後者は既存の第3層の体系を、実在の史跡という新しい上演の場に持ち込んでいる。同じ「実在の場所×クトゥルフ神話」という切り口でも、依拠する体系の出どころがまったく異なる二つの試みが、2026年という同じ時期に並んで存在していることになる。
関連して読むなら
- リアル脱出ゲーム×クトゥルフ神話『狂気の山脈からの脱出』 — 日本国内で「実在の空間で神話的恐怖を体験する」という発想を採った体験型イベント。専用に美術セットを組む点が、実在の史跡をそのまま使うCell of Cthulhuとの違いになる
- クトゥルフ神話TRPGの刊行史 — Cell of Cthulhuが使用するCall of Cthulhuというルール自体の成立経緯を確認できる記事
- クトゥルフ神話TRPGとは — 正気度(SAN値)というルールの核心と、キーパー・探索者という役割分担を確認できる記事
- 原典/ダーレス系拡張/TRPG設定——三層で読み解くクトゥルフ神話 — 本記事が依拠する三層区分そのものを詳しく扱う記事
出典
- [1] Old Melbourne Gaol公式サイト イベントページ「Cell of Cthulhu」(2026年9月11日確認)。開催日時が2026年9月23日(水)18時30分から21時30分であること、会場がFormer City Watch Houseであること、同施設が「1909年から1994年までメルボルンの中央拘置施設として機能した」こと、料金が一般A$85・会員A$76.50であること、1卓最大5人であること、予約必須で締切は開催48時間前であること、グループ予約は1回の取引で購入する必要があること、進行がプロのゲームマスターによること、主催がNational Trust of Australia (Victoria)、協力がMasters of Alchemyであること、3時間の「一つの完結した独自の物語」を体験するワンショット形式であることを確認。同一内容のイベントページ(Melbourne International Games Week版)でも同じ日時・料金が記載されていることを重ねて確認した。https://www.oldmelbournegaol.com.au/event/cell-of-cthulhu/ ↩
- [2] Masters of Alchemy公式サイト「About」ページ(2026年9月11日確認)。「メルボルン/ナームを拠点とする26名以上のゲームマスターを抱え、これまで1万人以上の顧客に数千回のセッションを提供してきた、国内最大級のTRPG進行役の集団」という自己紹介文を確認。Old Melbourne Gaolとの協業についての記載は、このページ自体には見当たらなかった。https://www.mastersofalchemy.au/about ↩
- [3] Old Melbourne Gaol公式サイト「City Watch House」ページ(2026年9月11日確認)。同施設が1909年に建てられ、内装がオリジナルのまま完全な形で残っていること、1909年から1994年までメルボルンの中央拘置施設として機能し、逮捕された人物が裁判までのあいだ収容される保管所だったこと、1日に50人以上が連行されてくることもあったことを確認。https://www.oldmelbournegaol.com.au/city-watch-house/ ↩
- [4] Old Melbourne Gaol公式サイト「Old Melbourne Gaol」ページ(2026年9月11日確認)。所在地が377 Russell Street, Melbourne VIC 3000であること、National Trust of Australia (Victoria)が運営していること、施設が19世紀半ばの建設であること、1842年の開設から1929年の閉鎖までのあいだに133件の絞首刑が執行され、その中にネッド・ケリーが含まれることを確認。City Watch HouseとOld Melbourne Gaol本体が別の建物であることは、両ページの記載を突き合わせて確認した。https://www.oldmelbournegaol.com.au/old-melbourne-gaol/ ↩
