概要
『クトゥルフ神話ADV 海鳥野ガクの精神鑑定録』は、サークル「いもチャイ屋」が2024年6月に公開した短編ホラーアドベンチャーゲームです。Steamのほかノベルゲームコレクション(ブラウザ版あり)やBOOTHでも無料で配布されています。主人公は精神病院に勤務する精神科医の道島(どうじま)。ある日、院長から入院患者の担当を任されます。その患者とは、母親を包丁で襲撃する事件を起こして入院してきた15歳の少年・海鳥野(みどりの)ガク。事件の際には「母親を殺せ」という幻聴が聞こえていたといい、道島は日数をかけてガクの診察を進めながら、その幻聴の正体に迫っていくことになります。操作はクリックのみで進行し、クリア時間は1時間から1時間半程度。公式の説明にも「クトゥルフ神話要素のあるADVゲーム」「クトゥルフ神話を題材にしたホラーゲーム」と明記されており、神話の知識がなくてもプレイに支障はないとされています。
クトゥルフ神話との関係
「幻聴」を訴える患者を医師の側から診るという本作の枠組みは、クトゥルフ神話の伝統的な語りの構図を裏返したものです。原典では『クトゥルフの呼び声』の芸術家たちが見た悪夢のように、常人には妄想としか映らない知覚こそが真実への入口であり、精神の医学が「狂気」と分類するものの向こうに実在の恐怖が潜んでいました。本作もこの系譜に連なり、統合失調症の症状と診断された少年の幻聴の背後に神話生物の影がちらつき始めることで、「治療すべき症状」と「実在する脅威」の境界が崩れていきます。診察が進むほど道島自身が不可解な出来事に直面していく構造は、アーカムの精神病院をはじめ神話作品が繰り返し描いてきた「診る者が診られる者の世界に引きずり込まれる」転落の型を、短編ADVの密度で再演するものです。タイトルに「精神鑑定録」と掲げる通り、正気の判定そのものを物語の主戦場に据えた一本といえます。
独自の要素・原典との違い
本作の独自性は、探索や戦闘ではなく「診断」をゲームの中心行為に据えた点にあります。診察の進め方次第で状況は思わぬ方向に転び、時には最悪の事態を招くこともあるという緊張感が、クリックのみのシンプルな操作の中に凝縮されています。また、原典の恐怖が古文書や辺境の地を経由して訪れるのに対し、本作の入口は現代日本の病院という日常空間であり、家庭内の暴力や施設での生育歴といった生々しい社会的背景が物語に織り込まれている点も特徴的です。宇宙的恐怖と少年の個人的な苦しみが二重写しになる構成は、短編ながら読後に残るものが大きく、無料・短時間・ブラウザ対応という手軽さも相まって、クトゥルフ神話系フリーゲームの入門としても薦めやすい作品です。怖いものを直接見せる演出も含まれるため、ホラーが苦手な方は公式の注意書きを確認してからプレイするとよいでしょう。


