概要
神格ニャルラトホテプが初めて文章化された、ラヴクラフト自身の実体験の悪夢に基づく散文詩。物語的な筋書きよりも、文明の終焉を予感させる悪夢的なイメージの連なりで構成される。
作品情報
- 執筆・発表年: 1920年執筆/1920年11月発表(「The United Amateur」誌)
- 形式: 散文詩(プロズポエム)——通常の短編小説とは異なる形式
- 主題タグ: 文明の黄昏、悪夢、預言者を騙る何か
登場神格・用語
内容
物語は、ニャルラトホテプ自身と思しき語り手の「ニャルラトホテプ……這い寄る混沌……私は最後の者……私は聞く者なき虚空に語りかけよう……」という、呪文めいた独白から幕を開ける[1]。「緊張感はすさまじいものだった。政治的・社会的な激動の時代に加えて、恐ろしい物理的な危険を予感させる奇妙で重苦しい不安が社会を覆っていた」と語られる、そうした社会全体を漠然とした不安が覆っていたある時期[6]、ニャルラトホテプと名乗る人物が現れる。彼は「二十七世紀もの暗黒の中から立ち上がり、この惑星のものではない場所からの報せを聞いた」と語り[2]、異界との通信に関する知識を持つと主張する。彼は都市から都市へと渡り歩きながら、奇妙なガラスと金属の装置を用いた公開実演を行い、見る者を魅了すると同時に不安に陥れる。語り手はある実演に立ち会い、スクリーンに映し出される「廃墟の中に佇む頭巾姿の人影と、崩れた記念碑の陰から覗く邪悪な黄色い顔」を目撃する[3]。その後、語り手をはじめとする観客たちは、街路が生い茂り、目印となる建物が消え去るなど、都市そのものが悪夢的に変容していく様を体験する。語り手はやがて、「一方向にだけ切り開かれた、果てのない不可解な雪原——その先には、輝く氷壁ゆえに一層黒々と見える深淵が広がっていた」という光景に引き込まれ[4]、「死せる世界」や「究極の神々」にまつわる宇宙的な幻視を体験するに至る。
読みどころと注目テーマ
文明の崩壊を予感させる不穏な空気、預言者めいた不気味な来訪者ニャルラトホテプの正体不明な魅力、そして筋書きよりもイメージの奔流によって読者を追い詰めていく構成——この三点が本作最大の読みどころである。通常の短編小説のような起承転結を持たず、悪夢がそのまま文章化されたかのような散文詩(プロズポエム)という形式を採っていることも、ラヴクラフトの他の初期作品と一線を画す特色といえる。実演のたびに都市そのものが崩壊していくかのような描写は、後年の作品で繰り返される「人類の卑小さと文明の脆さ」という宇宙的恐怖の主題を、ごく初期の段階で先取りしたものと位置づけられる。
執筆背景と影響
本作は、友人サミュエル・ラヴマンから届いた手紙に着想を得たラヴクラフト自身の夢に基づいているとされる。その手紙の中でラヴマンは、これから紹介する何かを「恐ろしい――想像を絶するほど恐ろしいが、それでいて素晴らしい」と評していたと伝えられ[5]、冒頭の一段落は「半分眠ったまま」書かれたとされる。この執筆時の朦朧とした感覚が、作品全体を覆う悪夢的な文体に色濃く反映されている。1920年に執筆され、同年11月にアマチュア文芸誌「The United Amateur」に発表された本作は、人類文明の衰退を悲観的に見つめながらも、そこに漂う絶望と反抗が入り混じった感覚を描いている。そして何より、本作は後にクトゥルフ神話で最も重要な存在の一柱となる「這い寄る混沌」ニャルラトホテプの、フィクションにおける記念すべき最初の登場作である。
出典
- [1] “Nyarlathotep . . . the crawling chaos . . . I am the last . . . I will tell the audient void. . . .”(訳: 「ニャルラトホテプ……這い寄る混沌……私は最後の者……私は聞く者なき虚空に語りかけよう……」) — H. P. Lovecraft, “Nyarlathotep”(1920年執筆/1920年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “He said he had risen up out of the blackness of twenty-seven centuries, and that he had heard messages from places not on this planet.”(訳: 「彼は二十七世紀もの暗黒の中から立ち上がり、この惑星のものではない場所からの報せを聞いたと語った」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “And shadowed on a screen, I saw hooded forms amidst ruins, and yellow evil faces peering from behind fallen monuments.”(訳: 「スクリーンには影となって、廃墟の中に佇む頭巾姿の人影と、崩れた記念碑の陰から覗く邪悪な黄色い顔が映し出されていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “Trackless, inexplicable snows, swept asunder in one direction only, where lay a gulf all the blacker for its glittering walls.”(訳: 「一方向にだけ切り開かれた、果てのない不可解な雪原——その先には、輝く氷壁ゆえに一層黒々と見える深淵が広がっていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [5] 本作は友人サミュエル・ラヴマンからの手紙に着想を得た夢に基づき、ラヴマンはその中で何かを「horrible—horrible beyond anything you can imagine—but wonderful(恐ろしい――想像を絶するほど恐ろしいが、それでいて素晴らしい)」と評していたと伝わる。冒頭の一段落は「半分眠ったまま(still half-asleep)」書かれたとされる。— 出典: Wikipedia「Nyarlathotep (short story)」, 該当ページ ↩
- [6] “The general tension was horrible. To a season of political and social upheaval was added a strange and brooding apprehension of hideous physical danger.”(訳: 「緊張感はすさまじいものだった。政治的・社会的な激動の時代に加えて、恐ろしい物理的な危険を予感させる奇妙で重苦しい不安が社会を覆っていた」) — H. P. Lovecraft, “Nyarlathotep”, 公式アーカイブ ↩






