概要
クラーク・アシュトン・スミス『ヴルトゥーム』(Weird Tales 1935年9月号)に登場する、火星の地下都市ラヴォルモスに座す存在。原住民アイハイ族の伝承では千年ごとに目覚めては眠る「悪の神」とされるが、本人は地球人の主人公たちに「私は神でも悪魔でもない、別の宇宙からの亡命者だ」と名乗る[1]。信仰の対象としての顔と、地球侵略を企む異星の知性としての顔が同一存在の中に同居する、スミスらしい二重性を持つ人物。
基本プロフィール
- 分類: 旧支配者(後世の整理による位置づけ。本人は「神でも悪魔でもない」と否定する)
- 欧文表記: VULTHOOM
- 初出: 「ヴルトゥーム」Vulthoom(Weird Tales 1935年9月号)
- 作者: クラーク・アシュトン・スミス
- 座: 火星の地下都市ラヴォルモス(Ravormos、アイハイ族の言う「火星の地底世界」)
- 出自: 別の宇宙から火星へ逃れてきた亡命者。人類の祖先がまだ類人猿だった時代に到来したとされる[2]
別名/呼称
- 「悪の神(the evil god)」— アイハイ族の伝承・案内人チャンラーの言葉による呼称[3]
- 本人は神格化を明確に否定し、単に「ヴルトゥームという名の存在(the entity known as Vulthoom)」と自称する[4]
区分
後世の事典的整理では旧支配者に数えられることが多いが、原典を読む限りヴルトゥームは神話的存在というより、優れた科学力を持つ異星の亡命者である。周期的な仮死状態(千年の眠り)を伴う生理、地球侵略の計画、麻薬性植物による洗脳といった要素は、宇宙的恐怖というより高度な科学と陰謀のSF的恐怖に近い。土地の宗教がそれを「神」として受け止めているという二重構造こそが本作の要点であり、正体と信仰対象としての顔を区別して読む必要がある。
象徴・モチーフ
- 千年の眠り: アイハイ族の宗教暦を支配する周期。目覚めと眠りが交互に千年ずつ続くとされる[5]
- 眠りの壺: 巨大な硝子容器に満ちた気体で、眠りの時が来るとラヴォルモス全域に放たれる[6][7]
- 地底の庭: 火星に自生しない、異星由来と思しき奇怪な花々と木々が茂る地下の楽園
- 正体の二重性: 語りかける声・姿なき存在としてのヴルトゥームと、終盤で明かされる球茎状の巨大植物という異形の実体[8]
性質・権能
- アイハイ族の伝承では、千年ごとに目覚めては信奉者と共に千年眠る「悪の神」とされる[3]
- 本人の弁では、神でも悪魔でもなく別の宇宙から火星へ逃れてきた亡命者。不死ではないが、太陽系のいかなる生物よりはるかに長い寿命と、周期的な仮死を伴う異星の生理を持つ[1]
- 人類の祖先がまだ類人猿だった太古に、宿敵に追われてこの宇宙へ亡命した。火星人が「天から火の隕石のごとく落ちてきた」と語る伝承は、彼のエーテル船の降下を神話化したものだという[2]
- 声だけの存在として語りかけ[9]、幻惑的な香りの花で人を酩酊させる能力、遠隔から幻影を投影する力など、地球の科学を超えた術を操る
- 秘めた姿は球茎状の巨大な植物であり、頂の朱色の花のような器官から繊細な小人のごとき姿が生えている[8]
- 地球侵略と麻薬性植物の流布を計画し[10]、漂着した地球人二人を協力者に引き入れようとするが、最終的には目覚めを諦め千年の眠りへ戻ることを選ぶ[11]
関係図
原典に他神格との系譜は語られない。関係の軸は、ヴルトゥームと彼を神として崇めるアイハイ族の信徒たち(案内人タ=ヴォ=シャイら)、そして地球からの漂着者ヘインズとチャンラーの三者にある。チャンラーはヴルトゥームの誘惑に屈して協力者となり、ヘインズは最後まで抵抗して「眠りの壺」を砕くという実力行使に出る[12]。信仰・懐柔・対決という三つの向き合い方が、そのままこの存在の多面性を映す構図になっている。
主要登場作と読みどころ
- 「ヴルトゥーム」(1935) — 唯一の原典。地球人パイロット二人が火星の砂漠で遭難し、地底都市ラヴォルモスへ導かれるところから始まる冒険譚。声だけの存在との対話[9]、幻覚的な庭園の描写、そして正体が判明する終盤の転調まで、スミスらしい絢爛な描写が続く。「信仰の対象」と「科学的に説明可能な異星人」を同一存在として描き切る構成の妙が読みどころで、宗教的恐怖とSF的恐怖の境界線がどこにあるのかを問いかける一篇
よくある誤解
Q. ラヴクラフトの創造した神?
A. クラーク・アシュトン・スミスの創造。ラヴクラフトと書簡で交流した同時代サークルの作家であり、本サイトでは同時代サークル層として扱う。
Q. 本当に「神」なのか?
A. 原典中でヴルトゥーム自身が「神でも悪魔でもない」と明言している[1]。信仰対象として扱われているのはアイハイ族の宗教的解釈であり、本人の自己認識とは食い違う。
Q. 結末でヴルトゥームは滅びた?
A. 滅びてはいない。「眠りの壺」を破壊されたことで目覚め続ける選択肢を断たれ[12]、自ら千年の眠りへ戻ることを選ぶ形で幕を閉じる[11]。
Q. 地球侵略は実行された?
A. 原典の範囲では実行されない。エーテル船建造の計画が語られる段階で[10]、ヘインズらの行動により眠りへ戻ることになる。
出典
- [1] “I am neither god nor demon, but a being who came to Mars from another universe in former cycles. Though I am not immortal, my span of life is far longer than that of any creature evolved by the worlds of your solar system.”(訳: 「私は神でも悪魔でもない、過去のある周期に別の宇宙から火星へやって来た存在だ。不死ではないが、私の寿命はお前たちの太陽系の諸世界で進化したいかなる生物よりもはるかに長い」) — Clark Ashton Smith, “Vulthoom”, Weird Tales Vol.26 No.3(1935年9月号), Wikisource ↩
- [2] “At a time when your ancestors were still the blood-brothers of the ape, I fled from my own world to this intercosmic exile, banished by implacable foes. The Martians say that I fell from heaven like a fiery meteor; and the myth interprets the descent of my ether-ship.”(訳: 「お前たちの祖先がまだ類人猿の血を分けた兄弟であった頃、私は不倶戴天の敵によって追放され、この宇宙間の亡命へと自らの世界から逃れてきた。火星人は私が天から火の隕石のごとく墜ちてきたと言うが、その神話は私のエーテル船の降下を解釈したものだ」) — 同上, Wikisource ↩
- [3] “This place might be Ravormos, the Martian underworld, where Vulthoom, the evil god, is supposed to lie asleep for a thousand years amid his worshippers.”(訳: 「ここは火星の地底世界ラヴォルモスかもしれない。悪の神ヴルトゥームが、信奉者たちに囲まれて千年の眠りについているとされる場所だ」) — 同上, Wikisource ↩
- [4] “I, who speak, am the entity known as Vulthoom.”(訳: 「話しているこの私こそ、ヴルトゥームという名で知られる存在である」) — 同上, Wikisource ↩
- [5] “Vulthoom is awake, and will not sleep again for another thousand years.”(訳: 「ヴルトゥームは目覚めており、また千年の間は眠らないだろう」) — 同上, Wikisource ↩
- [6] “”They are the Bottles of Sleep,” said the Aihai, with the solemn and sententious air of a lecturer. “Each of them is filled with a rare, invisible gas.”(訳: 「『あれらは眠りの壺だ』とアイハイ族の男は、講師めいた厳かで格言的な口調で言った。『どの壺にも、稀少で目に見えない気体が満たされている』」) — 同上, Wikisource ↩
- [7] “and, mingling, they pervade the atmosphere of Ravormos, even to the lowest cavern, inducing sleep for a similar period in us who serve Vulthoom.”(訳: 「それらは混じり合い、最も低い洞窟に至るまでラヴォルモスの大気に行き渡り、ヴルトゥームに仕える我々にも同じ期間の眠りをもたらす」) — 同上, Wikisource ↩
- [8] “Somehow, the thing was like a gigantic plant, with innumerable roots, pale and swollen, that ramified from a bulbular bole. This bole, half hidden from view, was topped with a vermilion cup like a monstrous blossom; and from the cup there grew an elfin figure, pearly-hued, and formed with exquisite beauty and symmetry.”(訳: 「それはどこか、無数の根を持つ巨大な植物のようだった——蒼白く膨れた根が、球茎状の幹から四方に伸びている。半ば隠されたその幹の頂には、怪物じみた花のような朱色の杯があり、その杯からは真珠色の、精緻な美しさと均整を持つ小人めいた姿が生えていた」) — 同上, Wikisource ↩
- [9] “a voice appeared to issue from the blossom: a voice incredibly sweet, clear and sonorous”(訳: 「声はその花から発せられているように思われた——信じがたいほど甘美で、澄み渡り、朗々と響く声だった」) — 同上, Wikisource ↩
- [10] “the projected invasion of Earth, and the spread of the strange, subtle narcotic”(訳: 「地球への侵略計画と、あの奇妙で巧妙な麻薬性の花の流布」) — 同上, Wikisource ↩
- [11] “All my methods of persuasion have failed; but it matters little. I shall yield myself to slumber, though I could remain awake if I wished, defying the gases through my superior science and vital power.”(訳: 「私の説得の手立てはすべて失敗した。だが、大した問題ではない。望めば、優れた科学と生命力によってあの気体に抗い目覚め続けることもできるのだが、私は自ら眠りに身を委ねよう」) — 同上, Wikisource ↩
- [12] “He lifted the petrified fungus-mace, he swung it back in a swift arc, and struck with all his strength at the bellying glass. There was a gong-like clangor, sonorous and prolonged, and radiating cracks appeared from top to bottom of the huge receptacle. At the second blow, it broke inward.”(訳: 「彼は石化した菌類の棍棒を持ち上げ、素早い弧を描いて振りかぶり、膨らんだ硝子めがけて渾身の力で打ちつけた。銅鑼のような、朗々と尾を引く音が響き、巨大な容器の上から下まで亀裂が走った。二撃目で、それは内側へと砕けた」) — 同上, Wikisource ↩
次に読むなら
- 初出作品を読む → 「ヴルトゥーム」
- 創造者クラーク・アシュトン・スミスを知る → クラーク・アシュトン・スミスの生涯と創作
- ヴルトゥームが属する分類を見る → 旧支配者




