概要
ハスターは、単一の作者による一度の創造ではない。アンブローズ・ビアス、ロバート・W・チェンバース、H・P・ラヴクラフト、オーガスト・ダーレス、そしてリン・カーターやジョン・タインズら後続の作家・研究者の手を幾重にも経て積み重ねられてきた神格である。
その成立の複雑さゆえに、他の旧支配者と比べても一貫した実体に乏しい。系譜設定・封印場所・作品内での位置づけのいずれについても、複数の食い違う異説が並立したまま今日に至っている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 旧支配者(ケイオシアム社のTRPG設定による) |
| 欧文表記 | HASTUR |
| 名前の初出 | 「Haïta the Shepherd」(アンブローズ・ビアス、1891年)。牧人を見守る善神[1] |
| 神話への編入 | 「闇に囁くもの」(ラヴクラフト、1930年執筆)。教団と黄の印に結びつく短い言及のみ[2] |
| 神格としての確立 | 『潜伏するもの』(1932年)/『ハスターの帰還』(1939年、オーガスト・ダーレス) |
| 主な異名 | 名状しがたいもの、黄衣の王、アサトゥル、ザスター |
| 象徴 | 黄の印、戯曲『黄衣の王』、カルコサ、ハリ湖 |
初出作品
ハスターという名前は、クトゥルフ神話の外で生まれた。
最初に現れるのは、アンブローズ・ビアスが1891年に書いた短編「Haïta the Shepherd」である。そこでのハスターは恐ろしい存在ではない。牧人の神であり、祈りを聞き届けて喜ぶ善神として書かれている[1]。
次にこの名を用いたのが、ロバート・W・チェンバースの短編集『The King in Yellow』(1895年)である。ここでハスターは、人物とも地名とも正体不明の指示対象ともつかない形で、作品ごとに異なる用いられ方をする。同時にカルコサ[3]、黄の印[4]、戯曲『黄衣の王』といった、後に「ハスター神話」と呼ばれる意匠が出揃った。
チェンバースの時点では、これらは互いに緩やかに結びつく象徴にすぎなかった。統一的な体系として扱われるようになるのは、さらに後のことである。
原典での描写
ラヴクラフト自身がハスターに触れたのは、一度だけである。
「闇に囁くもの」(1930年執筆/1931年発表)の書簡の中に、次の一節がある。
“There is a whole secret cult of evil men (a man of your mystical erudition will understand me when I link them with Hastur and the Yellow Sign) devoted to the purpose of tracking them down and injuring them on behalf of monstrous powers from other dimensions.”(訳: 「邪悪な人間たちからなる秘密結社がまるごと存在する(あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう)。彼らを追跡し、他次元の怪物的な力に代わって傷つけることに捧げられた結社だ」)[2]
これだけである。ハスターが人物なのか、土地なのか、物品なのか、神格なのかすら判然としない。チェンバースを読んでいる読者に通じる符牒として、名前だけが置かれている。
原典に、ハスターの姿の描写は存在しない。権能も、封印場所も、他の神格との関係も書かれていない。現在流通しているハスター像のほぼすべては、ここから先の層で作られたものである。
ダーレス以降の変化
ハスターを「神」として明確に位置づけたのは、オーガスト・ダーレスである。『潜伏するもの』(1932年)と『ハスターの帰還』(1939年)で、ダーレスは次のような設定を導入した。
- クトゥルフとの対立。クトゥルフへの憎悪から、人類に力を貸すこともある存在として描かれる
- 四大元素への割り当て。神格を風・水・火・地に配する体系の中に置かれた
- 旧神に反逆して封印されたという位置づけ。封印場所はハリ湖とも、プレアデス星団メロペ近傍とも、ヒアデス星団アルデバラン付近とも書かれ、資料間で揺れている
- バイアクヘーを眷属に転用。原型はラヴクラフトが「魔宴」(1923年執筆/1925年発表)でハスターとは無関係に描いた、名を与えられない有翼の生物である。これに「バイアクヘー」の名を与え、乗騎・眷属としたのはダーレス以降である
原典に無かった対立構図が、ここで生まれた。経緯はハスターとクトゥルフはなぜ「敵同士」になったのかで詳しく扱っている。
さらに1976年、リン・カーターが『陳列室の恐怖』で、ハスター・クトゥルフ・ヴルトゥームの三神をヨグ=ソトースの異母兄弟とする系譜を示したという紹介が愛好家の間に流通している。ハスターをヨグ=ソトースの子孫かつシュブ=ニグラスの配偶者とする別系統の紹介もあるが、カーターの原文は当サイトでは確認していない。いずれの系譜もダーレスの設定とは噛み合っておらず、確定した一つの家系図として読めるものではない。
TRPGでの扱い
ケイオシアム社のクトゥルフ神話TRPGでは、ハスターは旧支配者に分類されている。
- 化身群 — 公式設定資料集『マレウス・モンストロルム』は、黄衣の王・彼方より来たる饗宴者・翡翠のラマ・琥珀の古老・貪り喰らうものなど複数の化身を列挙している。ただしこれらの間に明確な主題的つながりは薄いという指摘がある
- 崇拝組織 — 設定資料には「カルコサ財団」「黄の印の兄弟会」という二つの人間の教団が記録されている
- 「その名を口にすると災いを招く」 — この着想はTRPG『Deities & Demigods』のサイクロペディア項目に起源を持ち、後にクトゥルフ神話TRPGへも導入された。原典にこの設定は無い
- ジョン・タインズによる再解釈 — 黄の印やカルコサを、意志を持つ神の権能ではなく、接触を通じて狂気を伝播させるエントロピー的な原理の媒介装置として位置づけ直した
TRPG層が神話に何をしたのかという全体像は三層で読み解くクトゥルフ神話にまとめてある。
登場作品一覧
| 作品 | 年 | 作者 | この作品が足したもの |
|---|---|---|---|
| Haïta the Shepherd | 1891 | アンブローズ・ビアス | 名前そのもの。牧人の善神として[1] |
| The King in Yellow | 1895 | ロバート・W・チェンバース | カルコサ、黄の印、戯曲『黄衣の王』[3][4] |
| 闇に囁くもの | 1930執筆 | H・P・ラヴクラフト | 神話への編入。ただし言及は一箇所のみ[2] |
| 潜伏するもの | 1932 | オーガスト・ダーレス | 神格としての位置づけ |
| ハスターの帰還 | 1939 | オーガスト・ダーレス | クトゥルフとの対立、四大元素理論 |
| 陳列室の恐怖 | 1976 | リン・カーター | ヨグ=ソトースの異母兄弟という系譜(当サイトでは原文未確認) |
| The Hastur Cycle | 1993/2006 | ケイオシアム社(編) | ビアスからラムジー・キャンベルまでの変遷を収集した書誌的整理 |
この表がハスターという神格の性格を最もよく表している。足したものが作者ごとに違い、互いに整合していない。
関連神格・地域・書物
神格・種族
- クトゥルフ — ダーレスが設定した対立相手。原典に両者の関係の記述は無い
- ヨグ=ソトース — リン・カーターの系譜では異母兄弟の父とされる(当サイトでは原文未確認)
- シュブ=ニグラス — 配偶者とする説があるが裏が取れていない
- バイアクヘー — 眷属とされる乗騎。転用したのはダーレス
地域
- カルコサ — チェンバースが提示した都市。「黒い星々が天に懸かる」[3]
- ハリ湖 — 封印場所とされることがある。資料により星団の名も挙がる
書物・象徴
分類の考え方
参考文献
- [1] “He rose with the sun and went forth to pray at the shrine of Hastur, the god of shepherds, who heard and was pleased.”(訳: 「彼は日の出とともに起き、牧人の神ハスターの祠へ祈りを捧げに出向いた。神はそれを聞き届け、喜ばれた」) — Ambrose Bierce, “Haïta the Shepherd” (1891), 収録: *Can Such Things Be?* (1918年版), Project Gutenberg eBook #4366
- [2] “There is a whole secret cult of evil men (a man of your mystical erudition will understand me when I link them with Hastur and the Yellow Sign) devoted to the purpose of tracking them down and injuring them on behalf of monstrous powers from other dimensions.”(訳: 「邪悪な人間たちからなる秘密結社がまるごと存在する(あなたほど神秘学に通じた人物なら、私が彼らをハスターと黄の印に結びつけて言えば理解されるだろう)。彼ら(訳注: アウター・ワンズ)を追跡し、他次元の怪物的な力に代わって傷つけることに捧げられた結社だ」) — H. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness” (1930年執筆/1931年発表), hplovecraft.com
- [3] “I cannot forget Carcosa where black stars hang in the heavens.”(訳: 「黒い星々が天に懸かるカルコサを、私は忘れることができない」) — Robert W. Chambers, “The Repairer of Reputations”, The King in Yellow (1895), Project Gutenberg eBook #8492
- [4] “I unfolded a scroll marked with the Yellow Sign… the Yellow Sign which no living human being dared disregard.”(訳: 「私は黄の印が記された巻物を広げた……生ける人間で、その黄の印を無視して構わないと思う者は誰もいなかった」) — Robert W. Chambers, “The Repairer of Reputations”, The King in Yellow (1895), Project Gutenberg eBook #8492
FAQ
Q. ハスターはラヴクラフトが生み出した神格ですか。A. 違います。名前自体は1891年のアンブローズ・ビアスの短編に由来し[1]、それを怪奇小説の固有名として転用したのはロバート・W・チェンバースです[3][4]。ラヴクラフトは「闇に囁くもの」で簡単に言及したのみで[2]、「神」として明確に体系化したのはオーガスト・ダーレスです。
Q. ハスターとクトゥルフは敵同士ですか。A. 原典に両者の関係は書かれていません。対立させたのはダーレスです。詳しくはハスターとクトゥルフはなぜ「敵同士」になったのかを参照してください。
Q. バイアクヘーはハスター固有の眷属ですか。A. バイアクヘーの原型は、ラヴクラフトが「魔宴」でハスターとは無関係に描いた有翼の生物で、原典中にこの名は一度も出てきません。名を与え、ハスターの乗騎・眷属としたのはダーレス以降です。
Q. ハスターの姿や封印場所は決まっていますか。A. 決まっていません。化身の姿は『マレウス・モンストロルム』だけでも複数あり、研究者からは一貫した主題的つながりが乏しいと指摘されています。封印場所についても、プレアデス星団メロペ近傍とする資料とヒアデス星団アルデバラン付近とする資料があり、単一の確定した設定ではなく出典間の揺れとして扱うべきものです。
Q. 「黄衣の王」はハスターのことですか。A. 同一視されることが多いですが、原典で確定していません。チェンバースの作品において『黄衣の王』は戯曲の題名であり、その中に現れる存在の名でもあります。ハスターと同じものだとする読みは後世のものです。
⚠ 隣の書架(成人向け・R-18)
ハスターの名が公式資料に明記されている成人向け作品は、姉妹サイト「深淵禁書」で紹介しています(18歳未満の方は閲覧できません。リンク先の入口で年齢確認があります)。





