概要
ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft, 1890年8月20日 – 1937年3月15日)は、生前は主にパルプ雑誌「ウィアード・テイルズ」への寄稿作家として、ごく限られた読者層にしか知られていなかったアメリカの作家である。しかし没後、彼が築いた「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」の思想と、クトゥルフを頂点とする神話体系は、20世紀怪奇幻想文学において最も影響力の大きい遺産の一つとなった。本サイトが追跡する「ビアス→チェンバース→ラヴクラフト→ダーレス」という固有名詞借用の系譜において、ラヴクラフトは第三の環にあたる。彼はアンブローズ・ビアスが創り、ロバート・W・チェンバースが転生させた「ハスター」「ハリ湖」「黄の印」を1931年の中編「囁くもの」で自身の宇宙誌に取り込み、さらに自らの創造物――クトゥルフ、「ネクロノミコン」、架空の町アーカムやインスマス――を友人・後継作家たちに自由に使わせることで、一人の作家の空想を「共有される神話体系」へと開放した、まさに要となる人物である。
基本情報
- 氏名:ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)
- 生年月日:1890年8月20日
- 没年月日:1937年3月15日(享年46、腸の腫瘍(小腸癌)と栄養失調による衰弱が死因)
- 出生地:アメリカ合衆国ロードアイランド州プロヴィデンス
- 国籍:アメリカ合衆国
- 主要職業:小説家、代作者・校閲者、amateur journalism(アマチュア出版)活動家、書簡作家
生涯
ラヴクラフトはプロヴィデンスのエンジェル・ストリート454番地(当時の番地は194番)で、行商のセールスマンであった父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトと、名家フィリップス家の娘サラ・スーザン・フィリップス・ラヴクラフトの子として生まれた。父は彼が3歳の時に精神病院(バトラー病院)に入院し、1898年に死去する。以後ラヴクラフトは、裕福な祖父ウィップル・ヴァン・ビューレン・フィリップスの庇護のもとで育ち、祖父の広大な書庫から「千夜一夜物語」やギリシャ・ローマ神話に親しんだ早熟な少年時代を過ごした。5歳の頃には既に自ら物語を書き始めていたという。生来病弱であったことと、繰り返す神経衰弱のために高校を卒業できず、ブラウン大学への進学も断念せざるを得なかった。
1914年、ラヴクラフトはアマチュア出版連盟(United Amateur Press Association)に加入し、機関誌の編集や評論・書簡を通じて文筆の腕を磨いていく。1920年代に入ると本格的にパルプ雑誌への寄稿を開始し、1923年に創刊された「ウィアード・テイルズ」誌が彼の主要な発表の場となった。1924年、ラヴクラフトは文芸サークルで知り合った実業家ソニア・グリーンと結婚し、ニューヨーク・ブルックリンに転居する。しかしこの結婚生活は長続きせず、大都市での生活苦と孤立感(排他的な性向がしばしば指摘される)によって彼は精神的に疲弊し、1926年には妻を残して単身プロヴィデンスへ帰郷した。1929年からソニア側の意向で離婚手続きが進められたが、ラヴクラフト自身は最終的な離婚証書に署名せず、事実上未了のまま関係は解消されている。
プロヴィデンス帰郷後の1926年から1927年にかけての約1年間は、ラヴクラフトの創作にとって最も豊かな時期であった。この期間に彼は「クトゥルフの呼び声」(1926年執筆)、「宇宙からの色」(1927年)、「チャールズ・ウォードの症例」などの重要作を相次いで書き上げている。以後も「ダニッチの怪」(1928年)、「囁くもの」(1930年執筆)、「インスマスの影」(1931年執筆)、「狂気の山脈にて」(1931年執筆)、「時間からの影」(1934-35年執筆)など、代表作の大半をこの晩年10年間に集中して生み出した。
ラヴクラフトは生涯を通じて自作の売り込みに不熱心であり、原稿料も乏しかったため、祖父の遺産が尽きるにつれて生活は次第に苦しくなっていった。1937年3月15日、彼はプロヴィデンスの病院で腸の腫瘍と栄養失調により46歳で死去する。生前彼の名を知る者はごく少数であったが、彼が幾百通も書き送った書簡と、彼の周囲に育った若い作家たちのネットワークこそが、死後の再評価の土壌となった。
クトゥルフ神話への貢献
ラヴクラフトの神話史における最大の功績は、単に多くの怪物や神々を発明したことではなく、「借用と共有を前提とした架空世界」という発想そのものを打ち立てたことにある。彼はアーカム、インスマウス、ミスカトニック大学、そして「ネクロノミコン」という架空の禁書を繰り返し自作に登場させる一方、これらの意匠を友人の作家たち――クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・E・ハワード、そしてオーガスト・ダーレス――に自由に使うよう勧めた。この「開かれた神話体系」という態度こそが、後にダーレスらの手によって「クトゥルフ神話」として体系化される土台を作ったのである。
系譜の観点で特筆すべきは、1931年執筆の「囁くもの」である。ラヴクラフトは1927年前後にロバート・W・チェンバースの「黄衣の王」を読んで強く感化され、そこに登場するハスターの名、ハリ湖、そして「黄の印」への言及を、この作品の中で自らの宇宙誌の一部として引用した。ハスターはチェンバースの筆下では判然としない不気味な存在にすぎなかったが、ラヴクラフトの手によって、他の大いなる古きものたちと並び立つ名として神話年表に正式に書き込まれる。これによってビアスに始まり、チェンバースが変容させた固有名詞の系譜が、初めてラヴクラフト自身の宇宙的恐怖の体系と接続されたのである。
もっとも、ラヴクラフト自身は自作の神々を厳密な善悪二元論や元素論で分類することはなく、それらはあくまで人間の理解を超えた、無関心で冷淡な宇宙の象徴であった。「大いなる古きもの」と「旧神」を明確に対立させ、ハスターを風・大気に属する神格として体系内に固定するのは、彼の死後にオーガスト・ダーレスが行った再構築である。その意味でラヴクラフトは、体系の「素材」と「開放性」を用意した作家であり、体系化そのものは後継者の仕事であった。
主要作品と本サイトの関連記事
- クトゥルフの呼び声(The Call of Cthulhu, 1926年執筆)
- ダニッチの怪(The Dunwich Horror, 1928年)
- インスマスの影(The Shadow over Innsmouth, 1931年執筆)
- 囁くもの(The Whisperer in Darkness, 1930年執筆)
- 狂気の山脈にて(At the Mountains of Madness, 1931年執筆)
- 時間からの影(The Shadow Out of Time, 1934-35年執筆)
- 宇宙からの色(The Colour Out of Space, 1927年)
- 魔女の家の夢(The Dreams in the Witch House, 1932年執筆)
- アウトサイダー(The Outsider)
- 関連する神話項目:クトゥルフ、ハスター、ネクロノミコン、アーカム、インスマス、コズミック・ホラー
- 系譜の前後:名誉修理者(チェンバース)、ハスターの帰還(ダーレス)
後世への影響
ラヴクラフトの生前の知名度は極めて限られていたが、彼の死後、友人であったオーガスト・ダーレスとドナルド・ワンドレイが1939年に出版社アーカム・ハウスを設立し、散逸しかねなかった彼の作品群をハードカバーとして体系的に刊行した。この地道な作業がなければ、今日私たちが知る「クトゥルフ神話」は成立しなかった可能性が高い。ラヴクラフトが確立した「人類にとって理解も対抗もできない、無関心な宇宙」という恐怖の形式は、その後スティーヴン・キングやニール・ゲイマンをはじめとする多くの作家に霊感を与え、「ラヴクラフティアン」という形容詞そのものが一つのホラーの類型を指す言葉として定着している。彼が友人たちに開放した「共有神話」という発想は、単独作家の創造物が集団的な創作の場へと転化する先駆的モデルとなり、本サイトが扱う神話体系全体の骨格を形づくった。

