概要
神話作品の中では珍しく「邪悪な怪物に対抗する学者たち」という明確な勧善懲悪に近いアクション対決が描かれた娯楽作。ラヴクラフト作品の多くが、真実を知った語り手が絶望や狂気に呑まれて終わるのに対し、本作は人間側が積極的に調査・対抗し、最終的に脅威を退散させることに成功するという、数少ない「勝利する物語」でもある。荒廃した田園地帯に潜む土着の邪悪と、大学図書館に象徴される近代的な知が正面から衝突する構図が、物語全体を貫いている。
作品情報
- 執筆・発表年: 1928年執筆/1929年発表(「ウィアード・テイルズ」誌)
- 主題タグ: 田園の怪異、禁書と儀式、境界の突破
登場神格・用語
あらすじ
ダニッチの崩壊した家系であるウェイトリー家の娘ラヴィニアは、父親の不明な子供ウィルバーを産み落とす。ウィルバーは恐るべき速度で急成長し、祖父の老ウェイトリーから魔術の手ほどきを受ける。臨終の床で老ウェイトリーは孫に「もっと空間を、ウィリー、もっと空間をすぐにでも……全訳版の751ページにある長い呪文でヨグ=ソトースへの門を開け、そのあと監獄に火を放て。地上の火では奴を焼けはせんがな」と言い残して息絶える[1]。この「監獄に閉じ込められたもの」の正体こそ、ウィルバー自身の双子の片割れであった。成長したウィルバーは、時空の門を開くための欠落した呪文を求めてミスカトニック大学の図書館に所蔵される『ネクロノミコン』を求めるが、番犬に襲われ命を落とす。彼の死体は、腰から下が触手と鱗に覆われた非人間のものであった。
ウィルバーの死後まもなく、ウェイトリー家の納屋に隔離されていた「不可視の巨大な怪物」——すなわちウィルバーの双子の片割れ——が解き放たれ、ダニッチの家々や家畜を次々と襲撃し始める。図書館の司書であったアーミティッジ教授は、ウィルバーが読み解こうとしていた『ネクロノミコン』の一節から、「見えざるものども」が地球のあらゆる場所に潜んでおり、ヨグ=ソトースこそがその門であり鍵であるという記述を読み解く[2]。教授はこの世界には三次元に属さない存在が満ちているという確信を強めながら[3]、二人の同僚とともに対抗呪文と粉末を携えてセンチネル・ヒルに乗り込み、見えない怪物を退散させることに成功する。事件の後、教授はダニッチの人々に対し、この怪物がウィルバーの父ではなく、彼の双子の兄弟であり、より多くの「外なるもの」の血を引いていたために人間の姿を保てなかったのだと説明する[4]。
読みどころと注目テーマ
田舎の閉鎖性、悪の退散、科学とオカルトの融合という三つの軸が物語を支えている。前半はウィルバーという「異形の子供」の異常な成長が淡々とした村の年代記のように描かれ、後半は一転してアーミティッジ教授らによる文献調査と対抗呪術の準備、そしてセンチネル・ヒルでの対決という明快なアクションへと転じる。姿の見えない怪物の足跡や踏み荒らされた地面、逃げ惑う家畜の描写だけで恐怖を演出する手法は、直接描写しないことで恐怖を増幅させるラヴクラフトの常套手段のひとつの完成形といえる。また、双子の片割れという発想は、「同じ血を引きながら人間に近い姿を保てた者」と「保てなかった者」という対比を通じて、血統・遺伝というラヴクラフトが繰り返し扱うテーマを別角度から描き出している。
執筆背景と影響
ラヴクラフトがニューイングランドの丘陵地帯、とりわけマサチューセッツ州中西部を旅行した際の印象から書かれたとされる。閉ざされた谷間の集落という舞台設定は、彼が実際に目にした寂れた農村風景に着想を得たものだという。邪悪な存在に対して人間側が積極的に勝利を収める構成は、彼の他の作品とは一線を画しており、後にオーガスト・ダーレスが体系化した善悪二元論的なクトゥルフ神話観——旧支配者に対抗する「旧神」という構図——のインスピレーション源のひとつになったとされる。ヨグ=ソトースという神格と『ネクロノミコン』からの引用が本作を通じて広く知られるようになり、以後のクトゥルフ神話作品における定番の要素となった。
出典
- [1] “More space, Willy, more space soon. Yew grows—an’ that grows faster. It’ll be ready to sarve ye soon, boy. Open up the gates to Yog-Sothoth with the long chant that ye’ll find on page 751 of the complete edition, an’ then put a match to the prison. Fire from airth can’t burn it nohaow.”(訳: 「もっと空間を、ウィリー、もっと空間をすぐにでも。おまえは育つ――そしてあれはもっと速く育つ。もうすぐおまえに仕えられる頃合いじゃ。全訳版の751ページにある長い呪文でヨグ=ソトースへの門を開け、そのあと監獄に火を放て。地上の火では奴を焼けはせんがな」) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年執筆/1929年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “Yog-Sothoth knows the gate. Yog-Sothoth is the gate. Yog-Sothoth is the key and guardian of the gate.”(訳: 「ヨグ=ソトースは門を知る。ヨグ=ソトースは門である。ヨグ=ソトースは門の鍵にして番人である」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “Unseen things not of earth—or at least not of tri-dimensional earth—rushed foetid and horrible through New England’s glens, and brooded obscenely on the mountain-tops.”(訳: 「地球に属さない、少なくとも三次元の地球には属さない見えざるものどもが、悪臭を放ちながらニューイングランドの谷間を駆け抜け、山々の頂で忌まわしく蟠っていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “He didn’t call it out. It was his twin brother, but it looked more like the father than he did.”(訳: 「彼が呼び出したのではない。あれはウィルバーの双子の兄弟だったのだ。だが父親により似ていたのはあちらの方だった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩




