概要
ロバート・アーヴィン・ハワード(Robert Ervin Howard, 1906年1月22日 – 1936年6月11日)は、剣と魔法(ソード・アンド・ソーサリー)というジャンルを切り拓いたことで知られるアメリカの作家である。SF百科事典(SFE)は、ハワードをH・P・ラヴクラフトと並んで1940年以前のアメリカ怪奇幻想文学(SFを除く)を形作った中心的作家と位置づけ、ラヴクラフトの領域が超自然的恐怖小説であるのに対し、ハワードの領域はソード・アンド・ソーサリーであるとする[2]。英雄コナンをはじめ数多くの人気キャラクターを生み出す一方、ラヴクラフトとの文通を通じて「ラヴクラフト・サークル」の一員となり、架空の魔道書『無名祭祀書』(Unaussprechlichen Kulten)とその著者フォン・ユンツトをクトゥルフ神話体系に持ち込んだ。30歳という若さで自ら命を絶っている。
基本情報
- 氏名:ロバート・アーヴィン・ハワード(Robert Ervin Howard)
- 生年月日:1906年1月22日(財団の伝記は1月24日の可能性も併記)[1][3]
- 没年月日:1936年6月11日(30歳没)※EBSCO Research Startersの記事は6月12日と記載しており、資料間で1日の食い違いがある[4]
- 出生地:アメリカ合衆国テキサス州パーカー郡ピースター[1][3]
- 国籍:アメリカ合衆国
- 主要職業:小説家(パルプマガジン作家)
生涯
ハワードはテキサス州パーカー郡ピースターで生まれた。フォートワースの西にある、財団の伝記が「色あせた元カウタウン」と呼ぶ小さな町である[1]。生年月日には注意が要る。1906年1月22日、あるいは1月24日という二説があり、食い違いはハワード自身が1月22日を誕生日として祝っていたことに由来する、と財団の伝記は説明している[1]。書誌データベースの著者記録は1月22日を採る[3]。
一家は転居を重ね、1917年にコールマン郡バーケット、そして1919年にキャラハン郡クロスプレインズへ移った。ハワード13歳の年である。以後、彼と母の生涯はこの町で終わることになる[1]。1920年代のクロスプレインズは人口およそ2,000人の小さな町だった[1]。
1930年8月、ハワードがウィアード・テイルズ誌へ、H・P・ラヴクラフト「壁のなかの鼠」の再掲載を称賛する投書を送ったことがきっかけとなり、編集者ファーンズワース・ライトがこの投書をラヴクラフト本人へ転送、ラヴクラフトが温かく応じたことで、以後ハワードの生涯にわたる活発な文通が始まったとされる。ハワードはラヴクラフトへ南西部の歴史について長広舌をふるったことにちなみ、「トゥー・ガン・ボブ(Two-Gun Bob)」の愛称で呼ばれた。こうしてハワードは、ラヴクラフトの膨大な文通ネットワーク「ラヴクラフト・サークル」の一員となり、作家仲間同士で設定や小道具を自由に貸し借りし合う関係に加わっていく。
1932年12月号のウィアード・テイルズ誌に掲載された「不死鳥の剣」で、ハワードは最も有名な英雄コナン・ザ・バーバリアンを世に出し、以後3年間で17編の物語に登場させたとされる(初登場年は当サイトの年表記事の1932年12月に合わせた。EBSCO Research Startersは1933年12月と記載しており食い違いがある[4])。コナンのほかにも、キング・カル、ブラン・マク・モーン、ソロモン・ケーン、スティーヴ・コスティガン、ブレッケンリッジ・エルキンズなど数多くの人気キャラクターを生み出し、ソード・アンド・ソーサリー(ヒロイック・ファンタジー)とウィアード・ウェスタンという2つのサブジャンルを創始したとされる。
1936年、母ヘスターの病状悪化による抑うつが重なり、母が手術後に昏睡状態に陥ったことを機に、ハワードは自らを撃って自殺した。没日は多数の資料が一致する6月11日を主とするが、EBSCO Research Startersの記事は6月12日と記載しており、要検証の食い違いとして残る[4]。書誌データベースの著者記録は6月11日である[3]。
財団の伝記は、ハワードを「アクションと冒険の物語の書き手として最上位に位置する」作家と評し、生み出した人物としてコナン・ザ・シンメリアン、アトランティスのカル、ソロモン・ケーン、ブラン・マク・モーン、エル・ボラック、水兵スティーヴ・コスティガンらの名を挙げている[1]。クトゥルフ神話はこの一覧に入っていない。ハワードの本領が剣戟と冒険にあり、神話への関与はその傍らで行われたものだったことは、公式の伝記の書きぶりからもうかがえる。
クトゥルフ神話への貢献
ハワードのクトゥルフ神話関連作品には、「黒の碑」を筆頭に「岬の上の石塚」「夜の末裔」「アッシュールバニパルの焔」などがある。「屋根の上の怪物」「黒の碑」において、ハワードは自身の独自の貢献として、ドイツの秘学者フォン・ユンツトとその魔道書『無名祭祀書』(のち『Unaussprechlichen Kulten』と改題)、そして狂気の詩人ジャスティン・ジョフリーを神話体系に導入した。
初期作「夜の末裔」は、ラヴクラフトとの交流の影響下で書かれた一編で、人種的記憶・人種間の対立、ケルトの戦士、原始的な地底種族といったハワード的要素を融合させている。『無名祭祀書』や邪神ゴル=ゴロスの初出がこの「夜の末裔」かどうかは、当サイトでは一次資料を確認していない。
キング・カルシリーズ第1作「影の王国」(ウィアード・テイルズ1929年8月号)は、ヴァルーシアの蛇人間の初出とされる。同号掲載の本文でも、王カルの評議会が蛇人間にすり替わっていたことが明かされる場面が描かれている。ラヴクラフトも自作「時間からの影」の中で「fabled Valusia」の爬虫類種族に触れており、ハワードのヴァルーシア設定を意識していたことがうかがえる。この「蛇人間」というモチーフは、ハワード・ラヴクラフト・クラーク・アシュトン・スミスの3作家をつなぐ中核を担い、ハワードとラヴクラフトの没後にこの流れが加速して「クトゥルフ神話」として統合されるに至った、と解説されている。なお、ハワードが生んだ語り手ジョン・キロワン教授を主人公とする一連の短編群も、クトゥルフ神話に分類されることがあるが、当サイトでは分類の典拠を確認していない。
もっともSFEは、ハワードのクトゥルフ神話への貢献作がSF的要素をほとんど前面に出しておらず、ハワード自身は本格的なSF作品を書かなかったと評している[2]。唯一の例外として挙げられるのが『Almuric』(ウィアード・テイルズ1939年5-8月号連載、単行本1964年)で、SFEはこれをエドガー・ライス・バローズ風の惑星冒険譚(Planetary Romance)と位置づける[2]。クトゥルフ神話はハワードの創作活動全体の中では周辺的な位置にとどまる。
主要作品と本サイトの関連記事
- バル=サゴスの神々(The Gods of Bal-Sagoth、Weird Tales 1931年10月号) ── 闇の神ゴル=ゴロスが登場する海洋冒険譚
- 影の王国(The Shadow Kingdom、Weird Tales 1929年8月号) ── キング・カルシリーズ第1作、蛇人間の初出とされる
- 関連する神話項目:ゴル=ゴロス、蛇人間、無名祭祀書
- 生涯の詳しい年表:ロバート・E・ハワードの生涯と創作
- ハワードのクトゥルフ神話関連作品にはこのほか「岬の上の石塚」があるとされるが、本サイトに個別記事は未整備(2026年8月時点)
後世への影響
SFEは、ハワードの再評価の道筋を書誌の側から説明している。彼の重要作のほとんどはウィアード・テイルズ誌に初出し、没後の1946年、アーカム・ハウスが同誌掲載作から丁寧に選んだ作品集『Skull-Face and Others』を刊行した。これが起点となり、ハワードはソード・アンド・ソーサリー(ヒロイック・ファンタジー)の実質的な祖と見なされていく[2]。このジャンルは1960年代後半にファンタジーが独立した商品区分になるまでSF市場の一区画として存在し、その後ハワードの作品は爆発的な死後の隆盛を迎えた[2]。ラヴクラフトを世に残した版元が、ハワードの再発見の起点にもなったことになる。
ハワードの作品は死後60年以上を経ても新たな読者を獲得し続け、他言語への翻訳のほか、コミック・映画・テレビなど他メディアへも展開されているという。日本語圏では、2025年9月1日にKADOKAWAより『無名祭祀 クトゥルー神話原典集成』(森瀬繚監訳・夏来健次訳、B6判600ページ)が刊行され、ハワードのクトゥルー神話関連作品ほぼ全21作品(商業未訳作品を含む)が収録された。同書には、ハイボリア時代と『無名祭祀書』を結ぶミッシングリンクとされる無名の小説断片や、格闘ゲームで知られる邪神シュマ・ゴラスの出典とされる「黄金髑髏の呪い」など、商業未訳作品も複数含まれているという[6]。
研究面では、ハワードの遺産管財人グレン・ロードによる『The Last Celt: A Bio-Bibliography of Robert Ervin Howard』(1976年)が代表的な伝記書誌として位置づけられているほか、2025年4月にはテキサス州立大学犯罪学教授ウィラード・M・オリバーによる新伝記『Robert E. Howard: The Life and Times of a Texas Author』がUNT Pressより刊行されるなど、研究は現在も続いている[5]。クトゥルフ神話への直接の貢献は「無名祭祀書」など限られたものであったが、ラヴクラフト・サークルの一員として設定を自由に貸し借りするという参加のあり方そのものが、単独作家の創造物が「共有される神話体系」へと開かれていく前例の一つとなった。
出典
- [1] Rusty Burke「A short biography of Robert E. Howard」ロバート・E・ハワード財団(REH Foundation)公式サイト(該当ページ)。生年を1906年、没年を1936年とし、出生地をテキサス州パーカー郡ピースター(フォートワースの西)と記す。生年月日について「1月22日(あるいは1月24日の可能性)」と併記し、食い違いの理由をハワード自身が1月22日を誕生日として祝っていたことに求めている。1917年コールマン郡バーケット、1919年キャラハン郡クロスプレインズへの転居、1920年代のクロスプレインズの人口がおよそ2,000人だったことも同ページで確認した(2026年9月15日確認)。 ↩
- [2] The Encyclopedia of Science Fiction(SFE)「Howard, Robert E」(該当ページ)。生没年(1906-1936)、ラヴクラフトと並ぶ位置づけ、クトゥルフ神話への貢献作がSF的要素を前面に出していないという評価、『Almuric』(1939年ウィアード・テイルズ連載/1964年単行本)を惑星冒険譚とする記述、アーカム・ハウス『Skull-Face and Others』(1946年)を起点とする再評価の経緯、1960年代後半以降の隆盛についての記述を確認した(2026年9月15日確認)。SFEは編集体制のある事典である。 ↩
- [3] 書誌データベースISFDB、著者記録「Robert E. Howard」Author Record #822(該当ページ)。法定名Howard, Robert Ervin、出生地テキサス州ピースター、生年月日1906年1月22日、没年月日1936年6月11日。ISFDBは利用者が編集する書誌データベースであり、当サイトでは生没年などの基礎データと刊行事実に限って用いる。 ↩
- [4] EBSCO Research Starters「Robert E. Howard」(該当ページ)。没日を6月12日、コナンの初登場を1933年12月と記載しており、他の資料と食い違う。当サイトは食い違いを解消できていないため、両論を併記している。 ↩
- [5] Willard M. Oliver『Robert E. Howard: The Life and Times of a Texas Author』UNT Press(該当ページ)。2025年4月刊。 ↩
- [6] 『無名祭祀 クトゥルー神話原典集成』(ロバート・E・ハワード著、森瀬繚監訳・夏来健次訳、KADOKAWA、2025年9月1日)。版元の商品ページで確認した(該当ページ)。収録作の内訳は同ページの記載による。 ↩




