概要
ロバート・アーヴィン・ハワード(Robert Ervin Howard, 1906-1936)は、「英雄コナン」(Conan the Barbarian)の創造者であり、剣と魔法(ソード&ソーサリー)というジャンルの父と称される作家です。テキサスの片田舎で生涯の大半を過ごしながら、Weird Tales誌を主な舞台に驚異的な多作ぶりを見せました。ラヴクラフトとの文通を通じてクトゥルフ神話にも参加し、「無名祭祀書」(Unaussprechlichen Kulten)などの要素を加えています。30歳での自死により、その創作活動は突然に断ち切られました。
生涯と創作の年表
1906年1月22日(1月24日説あり):誕生
- テキサス州パーカー郡ピースター(Peaster)に生まれる[1][3]
- ただし一家が暮らしていたのはパロ・ピント郡、ダーク・ヴァレー・クリークのほとりだった。父が出産にあたって、医療を受けやすい大きな町ピースターへ妻を一時的に移したためとされる[1]
- 生年月日には二説ある。財団の公式伝記は「1月22日、あるいは1月24日の可能性」と併記したうえで、ハワード自身が1月22日を誕生日として祝っていた以上、そちらが正しいと見てよいだろうとする[1]。書誌データベースの著者記録も1月22日を採る[3]
- 父はアイザック・モーデカイ・ハワード医師。田舎医者で、往診のため長く家を空けることが多かった[1]
- 母ヘスター・ジェーン・アーヴィン・ハワードは体が弱く、実家には結核の病歴があった。ロバートの生涯を通じて病がちだったという[1]
1917年・1919年:転居
- 1917年、コールマン郡バーケットへ[1]
- 1919年、キャラハン郡クロス・プレインズへ。ロバート13歳の年である。以後、彼と母の生涯はこの町で終わる[1]
- 1920年代のクロス・プレインズは人口およそ2,000人の小さな町だった[1]
少年期:学校嫌いと、書くことへの傾斜
- 兄弟や遊び相手に恵まれず、読書に没頭して育つ
- 度重なるいじめの経験から、肉体の鍛錬にも打ち込んだ
- 高校卒業後、父は進学を望み、自分と同じ医師の道を継がせたいと考えていたという。だがロバートは理科に適性も関心も持たなかった[1]
- 学校について、本人はのちにラヴクラフトへこう書いている——「私は学校が嫌いだった。学校の記憶を憎むのと同じくらいに」[1]。当サイトは書簡の原文を照合していない
1921年頃-1925年:作家デビュー
- 最初の投稿は15歳のとき[1]
- 初めてのプロとしての売却は18歳。作品は「Spear and Fang」で、クロマニヨン人がネアンデルタール人から伴侶を救い出すという短編である[1]
- 同作はWeird Tales誌1925年7月号に掲載され、以後同誌が主要な発表媒体となった
- SF百科事典(SFE)は、ハワードの重要作のほとんどが同誌に初出したと述べている[2]
1928年8月:ソロモン・ケイン登場
- Weird Tales誌に「Red Shadows」を発表し、復讐に生きる清教徒の剣士ソロモン・ケイン(Solomon Kane)を世に出す
1929年8月:カル王登場
- Weird Tales誌第14巻第2号に「The Shadow Kingdom」を発表。アトランティス出身の王カル(Kull)が主人公である[4]
- 同号の目次には「身の毛もよだつ蛇の姿が、王クルと槍殺しのブルールを描くこの物語を這い回る」という編集部の紹介文が添えられている[4]
- 同じ号に、翌月号の予告としてカル王もの第2作が告知されていた[4]
- この作品は、後の「剣と魔法」ジャンルの原型の一つとされる
1929年9月:カル王もの第2作
- 「The Mirrors of Tuzun Thune」がWeird Tales誌第14巻第3号の367ページに掲載[5]
- 剣戟を伴わない内省的な一編で、連作の中では異色にあたる
1930年11月:クルとブラン・マク・モーンの交差
- 「Kings of the Night」をWeird Tales誌第16巻第5号に発表[6]
- 目次の紹介文は「ヴァルーシアの王クルが、その影の王国の霧の中から現れ、ローマ軍団との戦いを率いる」と書く[6]。第1作の題が、主人公の世界を指す語として定着していた
1930年8月:ラヴクラフトとの文通開始
- ラヴクラフトとの書簡のやり取りが始まる
- 二人は歴史観・文明論などをめぐって活発に議論を交わし、最も密接な文通仲間の一人となった
1930年代前半:クトゥルフ神話への参加
- 「The Black Stone」「The Children of the Night」などの作品を通じて、神話的要素を自作に取り込む
- 架空の学者フリードリヒ・フォン・ユンツト(Friedrich von Junzt)と、その禁断の書物『無名祭祀書』(Unaussprechlichen Kulten)を創造し、ラヴクラフト・サークルの共有財産に加えた
- ラヴクラフトもこれらの要素を自作で参照し、作家間の相互借用が行われた
1932年12月:コナン登場
- Weird Tales誌に「The Phoenix on the Sword」を発表し、最も有名な英雄コナン(Conan the Cimmerian)が公の場にデビュー
- 以後およそ3年間で17編のコナン物語が発表され、「ハイボリア時代」という架空の太古世界が築かれた
多彩なキャラクター群
- コナン、カル、ソロモン・ケイン、ブラン・マク・モーンのほか、西部劇の主人公ブレッケンリッジ・エルキンズ、拳闘家スティーヴ・コスティガンなど、ジャンルを横断する多数のキャラクターを生み出した
1936年:最後の年
1936年6月11日:死
- 結核を患う母が昏睡から回復しないと知った朝、借りた拳銃で自らを撃つ
- 意識を回復することなく、同日午後に死去。30歳という若さだった
- この死は、親友として文通を続けていたラヴクラフトを深く打ちのめした
1930年代:同時代の誌面
- ハワードの作品は、当時の『Weird Tales』誌で他の書き手と同じ目次に並んでいた。1929年8月号には『オペラ座の怪人』の作者ガストン・ルルーの短編が、1930年11月号にはクラーク・アシュトン・スミスの「The Uncharted Isle」やエドモンド・ハミルトン、シーベリー・クインの作品が同居している[4][6]
- のちにクトゥルフ神話の主要な書き手と括られる面々が、当時は同じ雑誌の寄稿者どうしだったことが、目次から見て取れる
1946年:没後の再評価が始まる
- アーカム・ハウスが、Weird Tales掲載作から丁寧に選んだ作品集『Skull-Face and Others』を刊行[2]
- SFEは、これを起点にハワードが剣と魔法(ヒロイック・ファンタジー)の実質的な祖と見なされていったとする[2]
- このジャンルは1960年代後半にファンタジーが独立した商品区分になるまでSF市場の一区画にとどまり、その後ハワード作品は爆発的な死後の隆盛を迎えた[2]
- ラヴクラフトを世に残した版元が、ハワード再発見の起点にもなったことになる
年表を読むうえでの注意
日付が資料間で割れる箇所がある。本記事は次の三点で食い違いを抱えており、いずれも一方へ寄せずに併記している。
| 項目 | 資料A | 資料B |
|---|---|---|
| 生年月日 | 1906年1月22日[1][3] | 1月24日の可能性も(財団が併記)[1] |
| 没日 | 1936年6月11日[1][3] | 6月12日(EBSCO Research Starters) |
| コナン初登場 | 1932年12月[本記事] | 1933年12月(同上) |
見た目を整えるために片方を消すことはしない。割れている事実そのものが、資料の状態を示しているからである。同じ扱いはハワードの人物記事でも取っている。
本記事が扱っていないこと。ハワードの作品群は膨大で、本年表は神話とクル連作を軸に絞っている。西部劇、拳闘もの、東洋を舞台にした冒険譚といった系列には立ち入っていない。個々の作品の書誌はハワードの人物記事と各作品記事を参照されたい。
「テキサスの作家」という括りについて。ハワードは生涯の大半をクロス・プレインズで過ごし、その地を離れて暮らしたことはほとんどない。人口2,000人ほどの町から、アトランティスやハイボリア時代を書き続けたことになる[1]。旅の経験が作品を作ったのではなく、読書と手紙が世界を運んできた——ラヴクラフトとの文通が彼にとって何であったかも、この点から見ると分かりやすい。30歳で途切れるまで、その往復書簡は6年ほど続いた。
影響・意義
ロバート・E・ハワードは、ラヴクラフトの内向的な「宇宙恐怖」とは対照的に、行動と暴力に満ちた躍動的な物語世界を築きました。彼が確立した剣と魔法のジャンルは、後のファンタジー文学・映画・ゲームに計り知れない影響を与えています。クトゥルフ神話への直接の貢献は「無名祭祀書」など限られたものですが、彼が示した「別ジャンルの作家が神話の共有財産に自作の禁断の書を持ち寄る」という参加の形は、共有宇宙の開放性を体現するものでした。その早すぎる死は、ラヴクラフト・サークルにとって大きな喪失であり、ラヴクラフト自身の晩年にも暗い影を落としました。
なお、財団の公式伝記がハワードを紹介する一文には、コナン、アトランティスのカル、ソロモン・ケイン、ブラン・マク・モーン、エル・ボラック、水兵スティーヴ・コスティガンの名が並ぶ[1]。クトゥルフ神話はそこに入っていない。SFEも、ハワードの神話関連作はSF的要素をほとんど前面に出しておらず、本人は本格的なSFを書かなかったと評している[2]。神話への関与は、この作家の仕事全体から見れば周辺にとどまる——その前提で読むほうが、彼の作品の中心はつかみやすい。
出典
- [1] Rusty Burke「A short biography of Robert E. Howard」ロバート・E・ハワード財団(REH Foundation)公式サイト(該当ページ)。生没年、出生地と一家の居住地(パロ・ピント郡ダーク・ヴァレー・クリーク)、出産にあたるピースターへの一時転居、生年月日の二説と財団の判断、父アイザック・モーデカイ・ハワード医師と母ヘスター・ジェーン・アーヴィン・ハワードの人物像、1917年バーケット・1919年クロス・プレインズへの転居、1920年代のクロス・プレインズの人口、15歳での初投稿と18歳での初売却(「Spear and Fang」の内容を含む)、進学をめぐる父との齟齬、学校についての本人の言葉、代表的な登場人物の一覧を確認した(2026年9月15日確認)。書簡の原文は当サイトで照合していない。 ↩
- [2] The Encyclopedia of Science Fiction(SFE)「Howard, Robert E」(該当ページ)。重要作のほとんどがWeird Tales誌に初出したこと、アーカム・ハウス『Skull-Face and Others』(1946年)を起点とする再評価、1960年代後半以降の隆盛、クトゥルフ神話への貢献作についての評価を確認した(2026年9月15日確認)。SFEは編集体制のある事典である。 ↩
- [3] 書誌データベースISFDB、著者記録「Robert E. Howard」Author Record #822(該当ページ)。法定名Howard, Robert Ervin、生年月日1906年1月22日、没年月日1936年6月11日、出生地テキサス州ピースター。 ↩
- [4] Robert E. Howard「The Shadow Kingdom」『Weird Tales』第14巻第2号(1929年8月)。初出誌のスキャン(archive.org)の全文テキストで、目次の編集部紹介文と翌月号予告を確認した。 ↩
- [5] Robert E. Howard「The Mirrors of Tuzun Thune」『Weird Tales』第14巻第3号(1929年9月)、367ページ。初出誌のスキャン(archive.org)の目次で確認した。 ↩
- [6] Robert E. Howard「Kings of the Night」『Weird Tales』第16巻第5号(1930年11月)。初出誌のスキャン(archive.org)の目次で、紹介文を確認した。 ↩


