概要
クトゥルフ神話が「一人の作家の創作」ではなく「複数の作家による共同宇宙」になり得たのは、ラヴクラフト同時代の作家たちの参加があったからです。クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・E・ハワード、ロバート・ブロック、フランク・ベルクナップ・ロング、ヘンリー・クットナー、フリッツ・ライバーといった作家たちが、相互に手紙を交わし、作品で相手の設定を借用し、物語の世界を拡張していきました。この「ラヴクラフト・サークル」の形成と活動が、現代的な「シェアード・ユニバース」の始まりです。
第一世代:ラヴクラフト同時代の作家たち
クラーク・アシュトン・スミス(Clark Ashton Smith, 1893-1961)
- プロフィール:カリフォルニア州出身の作家・詩人。大陸を隔てた東海岸のラヴクラフトと手紙で文通
- ラヴクラフトとの関係:1922年から1937年のラヴクラフトの死まで、最高の文学的友情を享受(ただし対面したことは一度もない)
- クトゥルフ神話への貢献:スミス独自の異世界「ハイペリア」を構想。その中で、ラヴクラフトの「ネクロノミコン」や「ツァトゥーグア」を登場させる。スミスの短編「ウッボ=サスラ」(発表年不詳)でラヴクラフト創造の古き書を引用・継承
ロバート・E・ハワード(Robert E. Howard, 1906-1936)
- プロフィール:テキサス州出身。アクション・ファンタジーの先駆者であり、野蛮人戦士「コナン」の創造者
- ラヴクラフトとの関係:ラヴクラフトと最も密接に文通していた作家の一人。ハワードの短編「夜の子供たち」(1931年)でラヴクラフト創造の「ネクロノミコン」を引用
- クトゥルフ神話への貢献:ハワードは Weird Tales で活躍する同時代の作家として、ラヴクラフト宇宙に対抗する古い秘密「アウスプレッチリッヘン・クルテン」を自作品に登場させ、ラヴクラフトがそれを受け取る相互交流を実現
- 1936年自殺:この出来事はラヴクラフトを深く傷つけた
ロバート・ブロック(Robert Bloch, 1917-2006)
- プロフィール:シカゴ生まれの作家。後年、映画「サイコ」の原作者として知られる
- ラヴクラフトとの関係:ラヴクラフトに認められた若き弟子。16歳の時にラヴクラフトに手紙を書き、返信を受ける
- クトゥルフ神話への貢献:ラヴクラフト的なホラー作品を複数執筆し、神話的枠組みを継承。ラヴクラフト死後も、第二世代の作家たちと協力して神話を保存・拡張
その他の第一世代作家
- フランク・ベルクナップ・ロング(Frank Belknap Long):ラヴクラフト円内で活躍した最年長の作家の一人
- ヘンリー・S・ホワイトヘッド(Henry S. Whitehead):カリブ海を舞台にしたラヴクラフト的短編を執筆
- ヘンリー・クットナー(Henry Kuttner):後年SFで活躍した作家。初期はラヴクラフト神話作品を執筆
ラヴクラフト死後の転換期
オーガスト・ダーレスによる「第二段階」
- ダーレスは、単なる編集者・出版者ではなく、同時に積極的な作家でもありました
- 彼はラヴクラフト作品を整理する過程で、自らもクトゥルフ神話短編を複数執筆
- ダーレスの作品は「モラル化」したクトゥルフ神話(善悪二元論)を展開し、ラヴクラフト原義から逸脱していますが、神話の「開放性」を示しています
ロバート・ブロックの継承活動(1940年代-1950年代)
- ブロックはラヴクラフト没後、自身の著作集でラヴクラフト的要素を継承
- 特にアメリカホラー文学の中でラヴクラフト的美学を保存する役割を担当
第二世代:新時代の継承者たち
リン・カーター(Lin Carter, 1930-2012)
- プロフィール:SF作家・編集者・アンソロジスト。クトゥルフ神話の学術的整理と大衆化を推進
- 主要業績:
- 1972年『ラヴクラフト──クトゥルフ神話の背後にあるもの』出版。ダーレスの体系を批判的に検討
- 複数のクトゥルフ神話アンソロジーを編集・出版
- 自身も「ゾシック・サイクル」というクトゥルフ神話連作を執筆
- 歴史的意義:ダーレス時代の「完結した体系」から、カーター時代の「開かれた解釈」への転換をリード
ラムジー・キャンベル(Ramsey Campbell, 1946年生まれ)
- プロフィール:イギリスの現代ホラー大家。若年時からクトゥルフ神話に関心
- 初接触:8歳(1954年)の時に「色彩からの影」を読み、以後ラヴクラフト作品に傾倒
- 主要業績:
- 「グラーキの啓示」シリーズを執筆。ラヴクラフト宇宙内での独自の神格体系を構築
- 1980年『新クトゥルフ神話奇談』(New Tales of the Cthulhu Mythos)を編集。ダーレス的な「型」から逃れた多様な解釈を集成
- 編集後記での主張:「神話は『型にはまってきすぎている』、より個性的で奇妙な解釈を求める」
フリッツ・ライバー(Fritz Leiber, 1910-1992)
- プロフィール:アメリカのSF・ファンタジー大家。複数のジャンルで大きな足跡を残す
- ラヴクラフト神話への関与:1960年代以降、クトゥルフ神話の成熟した作品を複数執筆
- 特徴:高度な文学的技巧を用いてラヴクラフト的な「宇宙的恐怖」を現代化
日本での受容と拡張
TRPGを通じた大衆化
- 1994年『クトゥルフの呼び声 TRPG』(Call of Cthulhu RPG)が日本に導入
- 日本の愛好家たちが、独自のシナリオやキャラクター、背景世界を創造
- クトゥルフ神話が、日本の創作コミュニティでも「共有宇宙」となる
日本の作家による新解釈
- 日本の怪奇小説家や時代小説作家の中にも、クトゥルフ神話の要素を取り入れた作品が登場
- クトゥルフ神話が国境を越えて「グローバル・シェアード・ユニバース」化
影響・意義
ラヴクラフト・サークルの存在は、現代の「シェアード・ユニバース」「マルチバース」「開かれた創作世界」の先駆けです。一人の天才作家の創造物ではなく、複数の作家による相互参照、借用、拡張のネットワークが、時間とともに厚みを増していく過程が、クトゥルフ神話の真の本質です。また、ラヴクラフト→ダーレス→カーターと続く「再解釈の連鎖」は、物語とは常に現代から過去を読み直す営みであることを示唆しています。さらに、この展開は、アマチュア創作(同人誌、ファンフィクション、TRPG)の位置づけをも変えました。かつての「素人的な模倣」ではなく、「公式な拡張」と同等の価値を持つ創作活動として認識されるようになったのです。




