短編小説 — THE TREE

樹

アルカディアのマイナロス山、朽ちた別荘跡に立つ一本のオリーヴの樹をめぐる物語です。老いた養蜂家が語るのは、彫刻家カロスとムシデスの深い友情と、シラクサの僭主が競わせたテュケー像の顛末。カロスの死後、その墓のそばに芽吹いた樹はやがて異様な速さで育ち、友の運命に関わっていきます。1920年執筆、1921年10月『トライアウト』発表。約1,600語。

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樹

「アルカディアのマイナロス山の緑なす斜面に、とある別荘の廃墟を囲んでオリーヴの林がある」

— H・P・ラヴクラフト「樹」(1920年執筆、1921年発表)冒頭部
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概要

アルカディアのマイナロス山、緑なす斜面に朽ちた別荘の跡があり、そのそばに一基の墓が残っています。かつては見事な彫刻に飾られていた墓ですが、いまは家屋と同じほど朽ち果て、その一端からは時に色あせた大理石の敷石を押しのけて、不自然なまでに巨大なオリーヴの樹が根を張っています。形はどこか忌まわしく歪んでおり、月の光が曲がった枝の間からかすかに差す夜には、村人がその傍らを通るのを恐れるほどです。マイナロス山は、恐れられたパンの棲む地とされ、素朴な村人たちはこの樹をパンの奇怪な仲間たち――パニスキ――に連なるものと信じています。しかし近くの小屋に住む老いた養蜂家は、語り手である「私」に別の話を聞かせてくれました[1]。

かつて別荘が真新しかった頃、そこには二人の彫刻家カロスとムシデスが暮らしていました。二人の腕はリュディアからネアポリスまで称えられ、どちらが優れているかを誰も口にできないほどでした。カロスの手になる「ヘルメス」はコリントスの神殿に、ムシデスの「パラス」はアテナイのパルテノン近くの柱の上に据えられ、その名声にもかかわらず、二人の友情に嫉妬の影は差しませんでした。ある日、シラクサの僭主が都市の誉れとなるテュケーの巨像を望み、二人にその制作を競わせます。互いの信頼を見込んだ僭主のもくろみどおり、二人は仕事を隠し合うことなく取りかかりましたが、その姿を見る者は二人自身のほかにいませんでした[1]。

やがてカロスは病に伏し、オリーヴの林で一人にしてほしいと願うようになります。死の間際に彼が望んだのは、林のある木々から取った小枝を、自分の眠る場所の頭のあたりに埋めてほしいということだけでした。ムシデスがその願いをかなえてから月日が流れ、墓の傍らに若い樹が芽吹き、目を見張るほどの速さで育っていきます。三年後、テュケー像が完成したという知らせがテゲアの市場に広がった夜、山の頂きを嵐が襲い、その一夜が思いもよらぬ結末を運んでくることになります[1]。

作品情報

  • 原題: The Tree
  • 執筆: 1920年[2]
  • 初出: 『The Tryout』第7巻第7号、1921年10月、3–10ページ[3]
  • 分量: 約1,600語(公式アーカイブ本文を機械集計)。章分けなし
  • 語り: 一人称の「私」が、マイナロス山に住む老いた養蜂家から聞いた話として、彫刻家カロスとムシデスの顛末を三人称で語る
  • 舞台: アルカディアのマイナロス山、別荘跡のオリーヴ林と墓が中心。カロス・ムシデスの彫像が置かれるコリントスとアテナイ、依頼主のいるシラクサにも言及がある
  • 主題: 彫刻家二人の友情の内側にあるもの、死者が残した願い、樹という姿に宿って残るもの

登場神格・用語

  • カロス — オリーヴ林で瞑想にふけっては着想を得ていた彫刻家。代表作は「ヘルメス」。生きた模型を使わず、林の精霊と語り合っているとの噂もあった
  • ムシデス — カロスと深い友情で結ばれた彫刻家。代表作は「パラス」。テゲアの夜の宴を好み、カロスの死後は彼の墓のそばで多くの晩を過ごした
  • パン — マイナロス山を棲み処とするとされる、恐れられた存在。「奇怪な仲間たち」パニスキとともに、村人の間で樹の由来と結びつけて語られる
  • パニスキ — パンに連なる奇怪な存在たち。村人はマイナロス山の樹をこれと血縁のあるものと信じている
  • テュケー — シラクサの僭主が巨像の制作を望んだ対象。カロスとムシデスが競作を命じられた
  • アイオロス — 嵐の夜、シラクサからの使者とテゲアの人々がともに祈りを捧げた相手
  • エリュシオン — ムシデスがカロスのために刻んだ墓碑の浮き彫りに、「あらゆる輝き」が描かれたと本文に記される場所
  • マイナロス山・テゲア・シラクサ — 物語の中心となるアルカディアの山と近隣の町、依頼主の僭主が治める都市

あらすじ

マイナロス山の樹と、老いた養蜂家の話

語り手は、マイナロス山の別荘跡に立つ一本のオリーヴの樹について語り起こします。その姿は「奇怪な人間か、あるいは死によって歪められた人間の亡骸」によく似ており、月が曲がった枝の間からかすかに差す夜には、村人たちはその傍らを通るのを恐れました。素朴な村人はこの樹を、恐れられたパンの奇怪な仲間パニスキに連なるものと信じていましたが、近くに住む老いた養蜂家は語り手に違う話を聞かせます。かつて別荘が真新しかった頃、そこにはカロスとムシデスという二人の彫刻家が住んでいました。二人の腕は等しく称えられ、カロスの「ヘルメス」はコリントスに、ムシデスの「パラス」はアテナイのパルテノンのそばに据えられていたといいます。夜ごとテゲアの宴に興じるムシデスに対し、カロスは家に残り、林の中で一人思索にふけりました。暇な人々は「カロスが林の精霊たちと語り合い、その像は彼がそこで出会った牧神やドリュアスの姿に過ぎない」のだと噂し合いました。やがてシラクサの僭主が、都市の誉れとなるテュケーの巨像を望み、二人に競作を命じます。抜け目のない僭主は、「互いに仕事を隠し合うどころか助言を与え合うだろう。その情によって比類ない美しさを持つ二つの像が生まれるはずだ」と見込んでいました。二人は喜んで申し出を受け、それぞれの工房で像を刻み始めますが、その姿を見るのは互いだけでした[1]。

カロスの死とオリーヴの小枝

月日が経つにつれ、ムシデスはかつての快活さを失い、翳りを見せ始めます。人々は、これほどの栄誉を目前にした者がなぜ沈むのかと訝りましたが、ある日ムシデスがカロスの病を口にしたことで、皆はその重い友情を思い、彼の様子に得心しました。見舞う者たちはカロスの顔の青白さに気づく一方、その眼差しには不思議な安らぎが宿っており、看病に明け暮れて不安を隠せないムシデスの表情よりも、かえって澄んでいました。二人の未完のテュケー像は分厚い帳の陰に隠されたまま、ほとんど手つかずでした。医師たちの手当てもムシデスの献身も及ばず衰えていくカロスは、たびたび愛する林へ運んでほしいと望み、そこでは一人にしてほしいと頼みました。見えざる何かと語り合うかのようなその様子に、ムシデスは目に涙を浮かべながらも願いをかなえ続けました。最期が近づくと、カロスは死後の世界について語り、ムシデスは涙ながらに「マウソロスの墓にも勝る」墓を約束しますが、カロスは大理石の栄華についてもう語るなと制します。死にゆく彼の心に残ったただひとつの願いは、「林のある種のオリーヴの木から取った小枝を、自分の眠る場所の頭のあたりに埋めてほしい」ということだけでした。ある夜、林の暗闇の中で一人、カロスは息を引き取ります。悲しみに沈んだムシデスは、エリュシオンのあらゆる輝きを描いた見事な浮き彫りを持つ墓碑を刻み上げ、頼まれたとおり小枝を頭のそばに埋めました[1]。

嵐の夜と消えたムシデス

悲しみが落ち着きを取り戻すと、ムシデスはテュケー像の制作に打ち込みます。もはや栄誉は彼一人のものとなり、僭主はカロスかムシデスの作以外は受け入れないと決めていました。仕事は彼の感情のはけ口となり、以前の宴を離れて日々黙々と手を動かしました。夕べには友の墓のそばで過ごすのが常でしたが、その頭のあたりから若い樹が芽吹いており、「その育ちはあまりに早く、形もあまりに奇妙で、目にした者は皆驚きの声をあげ」、ムシデス自身もそれに魅せられると同時に忌避の情を覚えているようでした。カロスの死から三年、ムシデスは僭主のもとへ使者を送り、テゲアの市場では巨像が完成したと噂されます。そのころには墓のそばの樹は並外れて育ち、ムシデスの工房の上に一本の重い枝を伸ばしていました。「荒涼とした山風がオリーヴの林と墓の樹を吹き抜けるとき、それはどこか不気味に、かすかに言葉らしきものを形づくる癖があった」といいます。僭主の使者を迎えた夜、マイナロス山の頂きに激しい嵐が起こり、シラクサからの客もテゲアの人々もアイオロスに祈りを捧げました。翌朝、迎えの一行が坂を上ると、そこには奴隷たちの悲鳴と荒廃した光景が広がっていました。「あの奇妙な新しい樹の重く張り出した枝が、豪奢な大列柱廊のうえにまっすぐ落ちかかり」、ムシデスが夢見て働いた広間を瓦礫の山に変えていたのです。人々は「あまりに人間じみた姿をし、根があまりに異様な形でカロスの墓へと伸びている」その樹を見つめました。瓦礫を探っても、「心優しいムシデスの姿も、みごとに仕上げられたテュケー像も、跡形すら見つかりません」でした。シラクサの人々は像を持ち帰れず、テゲアの人々は讃えるべき彫刻家を失いましたが、後にシラクサはアテナイで別の像を手に入れ、テゲアはムシデスの美徳を讃える大理石の神殿を広場に建てて心を慰めます。オリーヴの林とカロスの墓から生えた樹はいまも残っており、老いた養蜂家によれば、「夜風の中で枝々が互いにささやきかわし、『私は知っている! 私は知っている!』と繰り返すことがある」ということです[1]。

読みどころと注目テーマ

語られない感情のありか

表面に描かれるのは、嫉妬の影ひとつ差さない二人の友情です。ですが物語は、競作が決まった直後からムシデスに翳りが差していく経過を、理由を伏せたまま淡々と積み重ねます。カロスの病が明かされて初めて読者はその翳りに得心しますが、見舞いの場面ではむしろカロスの顔に「不思議な安らぎ」が浮かび、看病するムシデスの方が不安に揺れている様子が描かれます。誰が何を知っていて、何を知らずにいたのかを、本文は説明しません。

根を張る樹という装置

物語の軸にあるのは、カロスの遺言――頭のそばに小枝を埋めてほしいという願い――から芽吹いた一本の樹です。「その育ちはあまりに早く、形もあまりに奇妙」という描写どおり、樹はほかのどの木よりも急速に育ち、ついにはムシデスの工房そのものを押しつぶします。根がカロスの墓へと「異様な形で」伸びていること、その姿が「あまりに人間じみて」いることは、いずれも本文が繰り返し強調する点です。友の願いをかなえた小さな行為が、三年をかけて破局に育つ様子を追う構成になっています。

結びに残る「私は知っている」

瓦礫の下からはムシデスの遺体もテュケー像も見つからず、物語はその失踪の理由を明かさないまま終わります。かわりに残るのは、養蜂家が語る樹の言葉――夜風に紛れて「私は知っている! 私は知っている!」と繰り返す声だけです。何を知っているのか、誰に向けて語っているのかは本文に書かれておらず、読者の手元には解明されない一文だけが残ります。

執筆背景と影響

本作は1920年に執筆されました[2]。発表は1921年10月、アマチュアジャーナリズム誌『The Tryout』第7巻第7号の3ページから10ページです[3]。

本文冒頭には、ラテン語の一文「Fata viam invenient.」が題辞として付されています。その出典は本文中に記されていません[1]。

これ以外の成立事情、着想源、発表当時の評価、後の作品との関係については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。

出典

[1] H. P. Lovecraft, “The Tree” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/tr.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。

[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆年(1920年)ほかの出典。

[3] “Data Page for ‘The Tree'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/tr.aspx初出『The Tryout』第7巻第7号(1921年10月)の出典。

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