短編小説(公式アーカイブは目録で「SPURIOUS(偽作)」と付記) — THE THING IN THE MOONLIGHT

月光の中のもの

ラヴクラフトが1927年11月24日、友人ドナルド・ワンドレイに宛てた書簡の一節――沼地から崖を登り、月光の台地で無人の路面電車に乗り、円錐形の顔をした運転士を見て逃げ出す悪夢の描写。この書簡そのものは物語ではない。それを素材に、J・チャップマン・ミスキーという別人が「モーガン」という狂言回しを立て、ラヴクラフト本人の名と実在の住所を語り手に与えて仕立て直した短編が「月光の中のもの」で、1941年1月、ラヴクラフトの死から4年近く後に『ビザール』誌へ発表された。公式アーカイブの作品一覧はこの一本だけに「spurious」の注記を置いている。

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月光の中のもの

「the face of the motorman was a mere white cone tapering to one blood-red-tentacle」

— 「月光の中のもの」(1941年1月『ビザール』誌発表)、路面電車の場面。同じ描写はラヴクラフトの原書簡にもほぼ同じ言葉で存在する
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概要

「月光の中のもの」というタイトルの作品は、厳密には二つ存在しない。存在するのは、ラヴクラフトが1927年11月24日に友人ドナルド・ワンドレイへ送った手紙の一節と、それを素材にJ・チャップマン・ミスキーという書き手が仕立てた短編小説の、二つのテキストだけである。公式アーカイブの本文ページは、このことを本文の前に自ら明記している。

“The Thing in the Moonlight” is based on a letter that Lovecraft wrote to Donald Wandrei on 24 November 1927. The story surrounding Lovecraft’s description of his dream was written by J. Chapman Miske and published in the January 1941 issue of *Bizarre*.(訳: 「月光の中のもの」は、ラヴクラフトが1927年11月24日にドナルド・ワンドレイへ宛てた書簡に基づく。ラヴクラフトの夢の描写を取り巻く物語の部分は、J・チャップマン・ミスキーが書き、1941年1月号の『ビザール』誌に発表された)[1]

同じページはこの前提を踏まえて、書簡の原文と発表作品の本文を左右二段組で並べて掲載している[1]。当サイトが今回読んだのも、この対照表そのものである。ラヴクラフトの生前(1927年)の言葉が核にありながら、物語として世に出たのは死後(1941年1月、ラヴクラフト没後およそ3年10か月)であり、仕立てたのは本人ではない。作品情報の索引ページで、この一本にだけ「spurious(偽作)」という注記が付く理由は、この成立の順序にある[3]。

本文を通読しても、クトゥルフ神話の神格・魔道書・地名は一つも登場しない。沼地、崖、月光の台地、無人の路面電車、円錐形の顔をした「運転士」――固有名詞を持つのは語り手を名乗る人物だけで、それも実名を借りたものである。詳しくは次節以降で扱う。

作品情報

  • 原題: The Thing in the Moonlight
  • 素材: H・P・ラヴクラフトがドナルド・ワンドレイへ宛てた1927年11月24日付書簡[1]
  • 物語化: J・チャップマン・ミスキー[1]
  • 初出: 『ビザール』誌 第4巻第1号、1941年1月、5・20ページ[2]
  • 分量: 公式アーカイブの対照表を当サイトで機械集計。書簡側の引用部分は英語で約474語、発表作品の全文は約718語(2026年9月14日測定)[1]
  • 公式アーカイブの分類: 作品一覧(アルファベット順)で「The Thing in the Moonlight (spurious)」と注記[3]
  • 舞台: 名を与えられない沼地とその先の岩の台地[1]

二つのテキストを比べる

書簡としてのラヴクラフト

ワンドレイ宛の書簡は、こう始まる。

My dreams occasionally approach’d the phantastical in character, tho’ falling somewhat short of coherence.(訳: 私の夢は時おり幻想的な性格に近づいたが、辻褄の合わなさからは幾分免れなかった)[1]

綴りは18世紀風の省略形(“approach’d””impell’d””foetid””reed-choak’d”)で書かれ、地の文はあくまで実際に見た夢の報告という体裁を保っている。沼地から崖の裂け目を登り、月光に照らされた台地に出て、遠くに無人の路面電車を見つけ、乗り込んで運転士たちの到着を待つ――ここまでは平静な観察の記述が続く。恐怖が来るのは最後の一文だけである。

the face of the motorman was a mere white cone tapering to one blood-red tentacle . . . .(訳: 運転士の顔は、ただの白い円錐で、先端が一本の血のように赤い触手になっていた……)[1]

書簡はこの場面で終わる。ラヴクラフトが「悪夢だった」と誰かに語る、私信の一断片としての完結である。

ミスキーが足したもの

ミスキーが1941年に発表した版は、まったく違う場所から始まる。

Morgan is not a literary man; in fact he cannot speak English with any degree of coherency.(訳: モーガンは文筆家ではない。実際、彼はまともに英語を話すことすらできない)[1]

「モーガン」という無学な人物が、ある晩ひとりでいるときに「抗いがたい衝動」に駆られて筆を執り、以下を書いた――という額縁が最初に置かれる。そして「モーガンが書いた」とされる本文は、こう名乗る。

My name is Howard Phillips. I live at 66 College Street, in Providence, Rhode Island. On November 24, 1927 . . . I fell asleep and dreamed, since when I have been unable to awaken.(訳: 私の名はハワード・フィリップスだ。ロードアイランド州プロヴィデンス、カレッジ・ストリート66番地に住んでいる。1927年11月24日……私は眠りに落ち、夢を見た。それ以来、目覚めることができずにいる)[1]

「ハワード・フィリップス」はラヴクラフトのミドルネームまでの本名そのもの、「カレッジ・ストリート66番地」は、ラヴクラフトが最晩年に実際に住んだプロヴィデンスの住居の番地であり[5]、「1927年11月24日」は書簡が書かれた実際の日付である[1]。ここから先、路面電車と円錐顔の運転士までの描写は、綴りを現代化しただけで書簡とほぼ同じ言葉が続く。書簡が終わった場所で、ミスキーの版はまだ終わらない。

Instead I have found myself an *inhabitant* of this terrible dream-world!(訳: それどころか、私はこの恐ろしい夢の世界の”住人”になってしまったと気づいた)[1]

このあとモーガン(=ハワード・フィリップスを名乗る語り手)は、夜ごと同じ沼地へ引き戻され、同じ路面電車と同じ「もの」に追われる日々を書き続け、「神よ、いつになったら目覚められるのか」と訴えて筆を置く。最後の一文は額縁に戻る。

That is what Morgan wrote. I would go to 66 College Street in Providence, but I fear for what I might find there.(訳: モーガンが書いたのはそこまでだ。私はプロヴィデンスのカレッジ・ストリート66番地へ行ってみようと思うが、そこで何を見つけることになるか、恐ろしくてならない)[1]

つまりミスキーは、実在の書簡が終わったところに(1)語り手が夢の世界に囚われ続けるという結末、(2)その手記を「モーガン」という霊媒じみた狂言回しが取り次いだという額縁、(3)語り手の実名と実住所を額縁の外側の語り手が知っていて、行ってみるのが怖いという締めくくり、の三つを付け加えている。ラヴクラフトの言葉ではないのはこの部分であり、書簡と地続きに見える中間部(路面電車の場面)は、綴りの現代化以外ほとんど手が入っていない。

あらすじ(発表作品全体)

無学な男モーガンが、ある晩ひとりでいるときに筆を執り、「ハワード・フィリップス」を名乗る手記を書きつける。手記の語り手は、1927年11月24日に眠りに落ちて以来、目覚められずにいるという。夢の中身は、沼地から崖を登り、月光の台地に出て、無人の路面電車に乗り、月に向かって吠える二人の男を見て、そのうち片方の顔が触手を持つ円錐だと知って逃げ出す、というものだ。手記はここで終わらず、語り手が目覚めることのないまま「この恐ろしい夢の世界の住人」になったと続ける。以後、毎晩同じ沼地へ引き戻され、同じ路面電車のそばで「あの円錐顔のもの」に吠えられては逃げる、という反復が描かれる。「神よ、いつになったら目覚められるのか」という訴えで手記は終わり、額縁の語り手(モーガンの書いたものを紹介している人物)が、プロヴィデンスの実在住所へ行ってみたいが恐ろしい、と結ぶ[1]。

読みどころと注目テーマ

「作品集に入っている」は「本人が完成稿を書いた」ではない

本作は、Ballantine Books『The Tomb and Other Tales』(1973年)、Del Rey『The Dream Cycle of H.P. Lovecraft: Dreams of Terror and Death』(1995年)、Del Rey『Shadows of Death: Terrifying Tales』(2005年)、Gollancz『Eldritch Tales: A Miscellany of the Macabre』(2011年)と、初出以来一貫してラヴクラフト作品集に収録され続けている[2]。だが公式アーカイブ自身が、作品一覧のこの一本にだけ「spurious」――偽作、根拠のないもの――という注記を置く[3]。ラヴクラフトの死後に刊行された数々の作品集にこの一本が入り続けてきたという事実と、それがラヴクラフト自身の完成稿ではないという事実は、両立する。本作はその両立を、当サイトが扱った作品の中でもっとも露骨に示す一例である。

合作でも代作でもない、逆方向の加筆

当サイトにはすでに、似た構造を持つ二つの記事がある。「這い寄る混沌」はラヴクラフトとウィニフレッド・V・ジャクソンの合作、「博物館の恐怖」はヘイゼル・ヒールドのためにラヴクラフトが書いた代作である。どちらも、ラヴクラフトが生きている間に、本人の了承のもとで進んだ共同作業だ。合作は二人の名が並び、代作は依頼主の名で発表されながら実質はラヴクラフトの筆になる――どちらの場合も、ラヴクラフト自身がペンを執っている。

本作はこの逆を行く。ペンを執ったのはミスキーで、素材にされたのはラヴクラフトの私信であり、しかもラヴクラフトは1937年3月15日、プロヴィデンスの病院で世を去っており[5]、1941年1月の発表を見ることも、了承することもできなかった[2]。「代作」がラヴクラフトの筆を他人の名で出すことだとすれば、本作はその裏返し――他人の筆で、ラヴクラフトの名と実在の身元を使ったものだと言える。合作記事・代作記事のどちらの型にも収まらない位置に、本作はある。

名前を奪われた語り手――ランドルフ・カーターとの違い

ミスキーが額縁の中に置いた語り手は、架空の人物ではない。「ハワード・フィリップス」「カレッジ・ストリート66番地」という、ラヴクラフト本人の名と実際の住所である[1]。この点は、同じく夢を扱う一連の作品の主人公、ランドルフ・カーターとの違いとして際立つ。カーターは「銀の鍵」や「未知なるカダスを夢に求めて」を通じて、ラヴクラフトが繰り返し使った架空の分身であり、読者はカーターがラヴクラフト本人ではないことを前提に読む。本作にはそうした架空の防波堤がない。語り手はラヴクラフトの実名を名乗り、実在の住所に住み、実在の日付に夢を見たと書く。額縁の語り手が最後に「そこで何を見つけることになるか、恐ろしくてならない」と結ぶとき、恐れられているのは架空の街ではなく、プロヴィデンスの実在の番地である[1]。夢に囚われた語り手として実名の作者本人を選んだこと自体が、本作の額縁の仕掛けであり、カーターを主人公に据えた諸作とは異なる種類の居心地の悪さを生んでいる。

なお、公式アーカイブの伝記ページは「1932年に叔母のクラーク夫人が亡くなり、彼は1933年にもう一人の叔母ガムウェル夫人とともにカレッジ・ストリート66番地の住まいへ移った」と書いている[5]。彼はそこで最晩年を過ごし、1937年3月に世を去った。書簡の日付である1927年11月の時点では、ラヴクラフトはこの住所にまだ住んでいない。移り住むのは6年も後である。ミスキーが語り手に与えた住所は、1927年の夢の日付にではなく、ラヴクラフトの最晩年――そして死の場所として広く知られることになった住所――に由来する。実名だけでなく、実在の住所についても、時期の異なる二つの事実が縫い合わされていることになる。

「夢の連作」という括りの中で

出版史をたどると、本作はしばしば「夢」を主題にした作品集に収められてきた。Del Rey『The Dream Cycle of H.P. Lovecraft: Dreams of Terror and Death』(1995年)はその代表で、「銀の鍵」や「未知なるカダスを夢に求めて」と同じ括りに本作を置いている[2]。カーターを主人公とする諸作と、実名の語り手を使う本作とでは成立の事情がまるで違うにもかかわらず、英語圏の出版史では同じ「夢の連作」という棚に並べられてきたことになる。この括りの緩さそのものが、当サイトが「原典/ダーレス系拡張/TRPG設定――三層で読み解くクトゥルフ神話」で示している立場――クトゥルフ神話に公式に定まった正史はなく、「誰が、いつ作ったか」を追わなければ層は見えてこない――を裏づける一例になっている。本作は神格も地名も持たないため、そこで言う三層のどこにも分類できない。だが分類できないこと自体が、「作品集に並んでいる」という事実だけでは作者も成立年代も見えてこないという、このサイトの立場を体現している。

執筆背景と影響

書簡の宛先ドナルド・ワンドレイは、ラヴクラフトと文通していた作家仲間の一人である[1]。書簡の日付は1927年11月24日、発表は1941年1月の『ビザール』誌第4巻第1号、5・20ページ[2]。『ビザール』はアマチュア寄りの小規模な雑誌で、ラヴクラフトの主要な発表媒体だった『ウィアード・テイルズ』とは別の場所である。ミスキーがどのような経緯でこの書簡を入手し、額縁を書き加えるに至ったのか、公式アーカイブの本文ページ・データページのいずれにも記載はなく、当サイトでは確認できていない[1][2]。

スペイン・バルセロナの出版社Laertesは、2026年にカタルーニャ語版『La biblioteca d’Arkham: El cicle oníric, vol. 2』を刊行している。ISBN 979-13-88397-03-5、価格19,00ユーロ、232ページ、糸綴じ(cosida)、判型12.5×19.5cm、挿絵Toni Benages、翻訳Ricard Vela、「L’Arcà」叢書第136巻――これらはいずれもLaertes公式の商品ページで当サイトが2026年9月14日に確認した書誌情報である[4]。同ページの紹介文が名指しで触れている収録作は「銀の鍵(la clau dels somnis perduts)」と「未知なるカダスを夢に求めて(La recerca onírica de la ignota Kadath)」の二作だけで、本作が収録されているという裏は取れていない[4]。それでも、英語圏の出版史が本作を「夢の連作」の棚に置き続けてきたのと同じように、この新刊が『El cicle oníric(夢の連作)』という叢書名を掲げていること自体は、「夢を扱ったラヴクラフト作品」という括りが版元や言語を越えて繰り返し使われてきたことを示す、もう一つの実例である。

出典

[1] “H.P. Lovecraft’s ‘The Thing in the Moonlight'”(本文。冒頭の解説、書簡原文とミスキー版本文の対照表)。The H. P. Lovecraft Archive. 2026年9月14日確認。 https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/tm.aspx

[2] “Data Page for ‘The Thing in the Moonlight'”(作品情報・出版履歴。*Bizarre* vol. 4, no. 1 [January 1941]: 5, 20 に続けてBallantine 1973年版・Del Rey 1995年版・Del Rey 2005年版・Gollancz 2011年版を列挙)。The H. P. Lovecraft Archive. 2026年9月14日確認。 https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/tm.aspx

[3] “Lovecraft’s Fiction – Alphabetical Order”(作品一覧。”The Thing in the Moonlight (spurious)” の一行のみ他作品と異なる注記を持つ)。The H. P. Lovecraft Archive. 2026年9月14日確認。 https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/

[4] “La biblioteca d’Arkham”商品ページ(ISBN、価格、ページ数、判型、装丁、挿絵・翻訳担当者名、叢書名・巻数、紹介文)。Laertes ediciones. 2026年9月14日確認。 https://www.laertes.es/libro/la-biblioteca-darkham-5/

[5] “A Brief Biography”(「In 1932 his beloved aunt, Mrs. Clark, died, and he moved into quarters at 66 College Street … with his other aunt Mrs. Gamwell in 1933.」 —— 叔母クラーク夫人の死去が1932年、カレッジ・ストリート66番地への転居が1933年であること。”Brown Memorial Hospital on March 10, 1937, where he died five days later” と、1937年3月10日に入院し5日後に死去したことを記載)。The H. P. Lovecraft Archive. 2026年9月14日確認。 https://www.hplovecraft.com/life/biograph.aspx

関連作品ガイド ── どれから楽しむか

  • 這い寄る混沌 ― 生前の合作。本人が了承のうえで他人と共に筆を執った例として、本作の「逆方向の加筆」との違いを比べられる。
  • 博物館の恐怖 ― 生前の代作。依頼主の名で出しながら実質はラヴクラフトの筆という、本作とは逆向きの成立事情を持つ。
  • 銀の鍵 ― ランドルフ・カーターを主人公とする夢の物語。架空の分身を使う作劇と、本作の実名の語り手との違いを読み比べられる。
  • 未知なるカダスを夢に求めて ― 同じくカーターが主人公。Del Rey版『The Dream Cycle of H.P. Lovecraft』で本作と同じ棚に並べられてきた作品。
  • ランドルフ・カーター ― 本作の語り手が架空の分身ではなく実名の作者自身である点を確かめるための、対照項目。
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