概要
『The Shore』は、ギリシャの個人開発者Ares Dragonisが手がけた一人称視点のストーリー主導型ホラーゲームです。2020年7月に体験版が公開されて注目を集め、2021年2月19日にWindows向けの製品版がSteamで発売されました。プレイヤーが操作するのは漁師のアンドリュー。舞台となるのは悪夢のような存在がはびこる謎めいた孤島で、彼は行方不明になった娘を捜してこの島を探索することになります。公式の説明によれば、本作は雰囲気を重視した環境とナレーションで進行し、謎めいたクリーチャーとの遭遇とその背後にある秘密の解明、そして「自らの正気を疑うことになる」未知の世界での生存が体験の柱となります。ジャンルとしては謎解きを含む探索型のウォーキングシム寄りの作りで、日本語には対応していません。発売後にはVR版『The Shore VR』も展開されました。
クトゥルフ神話との関係
本作は「H.P.ラヴクラフトの作品群に基づく」ことを掲げた作品で、海と島を舞台の中心に据えている点に神話との深い結びつきがあります。漁師である主人公、海辺に流れ着く異形の気配、沖に潜むあまりに巨大な存在――こうした道具立ては、海洋への根源的な恐怖を刻んだ『デイゴン』や『インスマウスを覆う影』以来の「海のラヴクラフト」の系譜に連なるものです。島そのものが神話存在の領域と化しており、探索を進めるほど人間の尺度が通用しない光景に踏み込んでいく構成は、宇宙的恐怖の核心である「圧倒的なスケールの前での人間の矮小さ」を、ビジュアルの迫力で直接体験させる作りといえます。父が娘を捜すという極めて人間的な動機と、それを飲み込む非人間的な世界の落差が本作の情感の源泉であり、ファンコミュニティでは神話への愛情に満ちた作品として語られてきました。
独自の要素・原典との違い
原典のラヴクラフトが直接描写を避け、暗示によって読者の想像力に恐怖を委ねたのに対し、本作は神話的存在を画面いっぱいに「見せる」ことを選んだ作品です。水平線を覆うほどの巨躯を見上げる圧倒的な構図の数々は、文章では成立しえない視覚芸術としての神話表現であり、この方向性こそが個人開発作品でありながら本作が広く話題を集めた理由でもあります。一方で、戦闘よりも探索と物語に重心を置いたスローペースな進行や英語のみの対応は人を選ぶ要素であり、アクション性の高いホラーを求める人には向きません。むしろ本作は「神話の光景を目撃するための旅」として楽しむのが適切な距離感で、スクリーンショットを撮りながら島を巡るような鑑賞型のプレイに向いています。個人開発の熱量が生んだビジュアル特化型の神話ゲームとして、『Call of Cthulhu』や『The Sinking City』のような商業作とはまた違う軸で紹介したい一本です。




