概要
『イオドの書』は、Keith Hammond名義(ヘンリー・カットナーの筆名とされるが、当サイトでは掲載誌以外で確認していない)で発表された短編「Bells of Horror」(『Strange Stories』第1巻第2号、1939年4月号、115ページから掲載)に登場する架空の魔道書です[1]。作中では、サン・ザビエル伝道所の裏山に隠されていた三つの鐘をめぐる怪事件のさなかに、その名が持ち出されます。歴史協会の助手デントンが手がかりを求めてハンティントン図書館へ向かい、そこに所蔵されるヨハン・ネグス訳を書き写す場面が、この書物の最初の登場です[1]。
作中設定によれば、『イオドの書』の原本は人類以前の「古代語(Ancient Tongue)」で記された一冊しか存在せず、世に知られているのは、内容の一部を削除した(伏字にした)ヨハン・ネグス訳にとどまります[1]。デントンが書き写した一節は、地上に姿を現す前から「暗黒の沈黙者」と呼ばれる神を語るもので、この一節こそが、鐘にまつわる伝説と結び付く手がかりとして物語を動かしていきます。
ラヴクラフト本人の作品に、この書物は一度も登場しません[2]。当サイトでは、掲載誌である『Strange Stories』本文以外の資料でこの書物の背景を確認しておらず、以下の記述はすべて「Bells of Horror」本文にもとづきます。
基本プロフィール
- 分類: 禁書(架空)
- 欧文表記: BOOK OF IOD
- 初出: Keith Hammond「Bells of Horror」、Strange Stories 第1巻第2号、1939年4月、115ページ〜[1]
- ラヴクラフト本人の作品での言及: なし[2]
- 作中での来歴: 原本は人類以前の「古代語」で書かれた一冊のみとされ、削除(伏字)を含むヨハン・ネグス訳の写本がハンティントン図書館に所蔵されている[1]
初出作品での描かれ方 ── 「Bells of Horror」
ハンティントン図書館へ ── デントンが持ち帰った一節
物語は、サン・ザビエル伝道所の裏山に隠されていた三つの鐘が発見される場面から始まります。鐘を掘り出す過程で、目をえぐる衝動に取り憑かれた人物が相次いで倒れ、歴史協会の助手デントンは、この怪異に心当たりを探してロサンゼルスのハンティントン図書館へ足を運びました。そこで閲覧したのが、「奇怪な伝説がいまなお付きまとう、忌まわしくも怪異な古代秘術の書」と語られる『イオドの書』のヨハン・ネグス訳です[1]。デントンによれば、原本は人類以前の「古代語」で書かれた一冊しか現存せず、削除を含むこのネグス訳の存在を知る者すら少ないとされています[1]。彼は、鐘の伝説と関わりがありそうな一節のうわさを耳頼りに探し当て、その内容を書き写して持ち帰りました。
『イオドの書』が語る「暗黒の沈黙者」
デントンが書き写した一節は、地の底深くに住まう「暗黒の沈黙者」を語るところから始まります。この存在は、他の星からやって来た旧支配者たちとは異なり、地の底の暗黒にこそ常に住まってきたとされ、名を持たず、旧き夜の尽きることのない虚無と沈黙そのものだと記されています[1]。地上が死に絶え、星々が闇へと消えるとき、彼は再び立ち上がり支配を広げるが、それまでは生と陽光にかかわりを持たず、深淵の暗黒と永遠の沈黙とを好む、とも語られます[1]。
一節はさらに、彼を定めの時より前に地上へ呼び出す方法として、西の大洋の岸辺に住む「褐色の者たち」が、古の呪文と、彼の住まいの奥深くにまで届く特定の低い響きの音によって、これを行う力を持つと述べています[1]。ただし、そうした召喚には大きな危険が伴うとも記されています。定めの時より前に死と夜とが広がれば、昼のただ中に闇を、光のただ中に暗黒をもたらし、あらゆる生命・音・動きが彼の到来とともに失われてしまうからです。彼はときに日食のうちに訪れるとされ、名を持たぬ彼を、褐色の者たちは「ズシャコン(Zushakon)」と呼びならわしている、とこの一節は結ばれています[1]。デントンは、この直後にネグス訳による削除(伏字)があったとも語っており、この一節でもなお内容の一部が伏せられていることがうかがえます[1]。
歴史協会長トッドは、この一節を偶然の一致にすぎないと退け、雷をゼウスの武器とする神話のように、自然現象を説明するための民間伝承だと主張しました。デントンはこれに対し、ホメロス『オデュッセイア』の冥府下りの一節を引き合いに出しますが、これはデントン自身が思いついた別の連想であって、『イオドの書』そのものの記述ではありません[1]。
鐘の惨劇のさなかに ── 「イオドの書は正しかった」
数週間後、鐘が吊り下げられた当日、サン・ザビエルは昼日中にもかかわらず闇に包まれ、地震のような揺れに見舞われます。真っ暗な市街を鐘楼まで進んだデントンは、揺れと闇のただ中で叫びます。「あの忌まわしい鐘のせいだ……『イオドの書』は正しかった。彼は闇をもたらす――昼のただ中に――」[1]。デントンが書き写した一節にあった「昼のただ中に闇をもたらす」という記述が、目の前で起きている事態と重なった瞬間です。
事件のあと ── ズシャコンとズ・チェ・クオン
騒動が収まったあと、語り手ロスは、自分たちの目をえぐろうとした得体の知れない衝動の正体を、次のように振り返ります。「イオドの書がズシャコンと呼び、ムツン族がズ・チェ・クオンと呼ぶ、あの禍々しい怪物こそが、我々の脳裏に、その邪悪で強力な命令――自分の目をつぶせという命令――を送り込んでいたのだ」[1]。作中には、ムツン族の伝承にもとづく「ズ・チェ・クオン(Zu-che-quon)」という呼び名と、『イオドの書』のネグス訳に見える「ズシャコン(Zushakon)」という呼び名の、綴りの異なる二つの名が併せて登場しており、本文はこの二つを同一の存在として扱っています[1]。
性質と影響
「Bells of Horror」の中で、『イオドの書』は、事件の正体を言い当てるための手がかりとして機能しています。作中に、この書物を用いて呪文を唱える場面はありません。デントンが書き写した一節の内容――昼のただ中に闇をもたらすこと、低い響きの音によって呼び出されること、日食のうちに訪れること――が、鐘が鳴らされたあとに実際に起きる出来事と一つずつ重なっていき、登場人物たちに危機の正体を悟らせる働きをします[1]。
この書物が作中世界でどのように受け継がれてきたのか、著者や成立の経緯、ヨハン・ネグス訳以外の伝本の有無について、「Bells of Horror」本文はそれ以上を語りません。カットナーの他作品や後年の作品でこの書物がどう扱われているかについても、当サイトでは掲載誌以外の資料で確認していません。
関連する用語
- 恐怖の鐘 ── 『イオドの書』の初出作品
出典
[1] Keith Hammond, “Bells of Horror”, Strange Stories vol. 1, no. 2 (April 1939), pp. 115–. 掲載誌スキャン(archive.org、識別子 Strange_Stories_v01n02_1939-04): https://archive.org/details/Strange_Stories_v01n02_1939-04 。訳文は当サイトの試訳。[2] The H. P. Lovecraft Archive (https://www.hplovecraft.com/writings/texts/) 収録のラヴクラフト作品本文を当サイトで機械検索した結果(2026年9月)。


