概要
もしオーガスト・ダーレス(August Derleth, 1909-1971)がいなければ、H.P. ラヴクラフトの作品は安価なパルプ雑誌のバックナンバーとともに散逸し、忘却されていた可能性が高い、としばしば指摘されます。ラヴクラフトと十代の頃から文通していたダーレスは、彼の死後、その作品をハードカバーの書物として保存するために、ドナルド・ワンドレイとともに出版社「アーカム・ハウス」を設立しました。この出版活動は、ラヴクラフトを無名のパルプ作家から後世に読み継がれる作家へと変え、同時にダーレス独自の解釈が神話の受容に大きな影を落とすことにもなりました。
アーカム・ハウスの設立
1937年:ラヴクラフトの死という契機
- ラヴクラフトは生前、単著の書籍をほとんど持たず、作品の大半はWeird Talesなどのパルプ雑誌に散在していた
- その死後、弟子であり文通仲間であったダーレスとドナルド・ワンドレイ(Donald Wandrei, 1908-1987)は、これらの作品が失われることを憂慮した
1939年8月:出版契約
- ダーレスとワンドレイは、ラヴクラフト作品集『The Outsider and Others』の印刷契約に署名(1939年8月25日付とされる)
- 出版社の名は、ラヴクラフトが創造した架空の町「アーカム」(マサチューセッツ州)にちなむ
- 拠点はウィスコンシン州ソーク・シティ(Sauk City)に置かれた
1939年:『The Outsider and Others』刊行
- ラヴクラフトの主要短編の大半を収めた、550ページを超える大部の作品集
- 発行部数はおよそ1,268部と限られた規模だった
- パルプ雑誌にしか載らなかった作品を、初めて本格的なハードカバーの書物としてまとめた記念碑的な一冊
出版社としての展開
1941年:定期的な出版へ
- 第2作としてダーレス自身の怪奇短編集『Someone in the Dark』を刊行
- 以後、アーカム・ハウスはラヴクラフトの作品にとどまらず、怪奇・幻想文学全般を扱う出版社として定期的な刊行を続けた
幅広い作家の紹介
- アーカム・ハウスは、英国の怪奇小説をアメリカにハードカバーで紹介する役割も担った
- レイ・ブラッドベリの最初の著書『Dark Carnival』(1947年)を刊行するなど、後の大家を世に送り出す場ともなった
ラヴクラフト作品の継続的な保存
- ダーレスは、ラヴクラフトの短編・書簡・断片を編纂し、複数の作品集として刊行し続けた
- これにより、ラヴクラフトの遺した文章が体系的に保存され、後の学術的な再評価の土台が整えられた
ダーレスの解釈──功と罪
「クトゥルフ神話」の命名と体系化
- ダーレスは、ラヴクラフトと同時代作家たちの相互参照するネットワークを「クトゥルフ神話」と呼び、体系として整理した
- 詳細は別項「『クトゥルフ神話』という呼称の成立と体系化」を参照
善悪二元論と元素分類
- ダーレスは、邪悪な「旧支配者」(グレート・オールド・ワン)と善なる「旧神」(エルダー・ゴッズ)を対立させる枠組みや、神格を四大元素に対応づける分類を導入した
- これはラヴクラフト本来の「道徳的に中立で人間に無関心な宇宙」という思想とは異なる、ダーレス独自の解釈だった
「ポストヒュームス・コラボレーション」への批判
- ダーレスは、ラヴクラフトの断片やアイデアを基に自ら作品を書き上げ、ラヴクラフトとの「共著」として発表した
- こうした作品は、後年「実質的にはダーレスの創作である」と批判され、ラヴクラフト原義との混同を招いたとも指摘される
影響・意義
アーカム・ハウスとダーレスの活動は、クトゥルフ神話史における最大のパラドックスを体現しています。一方で、ダーレスの献身的な出版活動がなければ、ラヴクラフトの作品は散逸し、今日のような評価を得ることはなかったでしょう。他方で、ダーレスが持ち込んだ善悪二元論的な解釈は、ラヴクラフト本来の「宇宙恐怖」の非道徳性を長らく覆い隠し、後世の受容を方向づけてしまいました。「保存者」であり同時に「改変者」でもあったダーレスの二面性は、共有宇宙が受け継がれる過程で、継承者の解釈がいかに原典の姿を変えうるかを示す、重要なケーススタディとなっています。

