編集部注(裏づけの範囲): 本記事の経歴・作品情報は、編集体制のある事典と版元資料で裏づけた[1][2][3]。ただしカットナー作品の本文は当サイトで照合していない。作中の描写にあたる記述は「とされる」と断って区別している。没日は資料間で2月3日と2月4日に分かれており、当サイトでは確定できないため両論を併記する[1][2][3]。
概要
ヘンリー・カットナー(Henry Kuttner、1915年4月7日 – 1958年2月3日/4日)は、アメリカのパルプ作家。H・P・ラヴクラフトと文通した「ラヴクラフト・サークル」の一員であり、妻となる作家C・L・ムーアとの緊密な共作、および戦時中のペンネーム「ルイス・パジェット」名義のSF作品で広く知られる。クトゥルフ神話へは、架空の魔道書『イオドの書(the Book of Iod)』や、イオド・ヴォルヴァドス・ヒュドラ(カットナー版)・ニョグタといった独自の神格・設定を持ち込んだ。
基本情報
- 氏名: ヘンリー・カットナー(Henry Kuttner)
- 生年月日: 1915年4月7日[3]
- 没年月日: 1958年2月3日/2月4日(EBSCO) ── 資料間で1日の食い違いあり、当サイトでは確定できていない(享年42、ロサンゼルスで心臓発作により死去)
- 出生地: アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス[3]
- 国籍: アメリカ合衆国
- 主要職業: パルプ作家(SF・ファンタジー・ホラー)、妻C・L・ムーアとの合作者、ペンネーム「ルイス・パジェット」等での執筆者
生涯
カットナーは1915年4月7日、ロサンゼルスの古書商ヘンリー・カットナー(1863-1920)の子として生まれた。父は彼が5歳の時に死去し、一家はロサンゼルスとサンフランシスコの間で比較的貧しい暮らしを送った[1]。少年時代は伯父ローレンス・ドーシーの文芸エージェンシーで働きながら、「ウィアード・テイルズ」誌への傾倒を通じてラヴクラフトらと文通するようになる。誌への最初の売り込みは詩「Ballad of the Gods」(1936年2月号)、続いて短編「The Graveyard Rats」(1936年3月号)であった[1][2]。
カットナーは、ラヴクラフトに文通する作家・ファンの集まり「ラヴクラフト・サークル」を通じて作家C・L・ムーアと出会う。ムーアへのファンレターが1938年の初共作「Quest of the Star Stone」に結実し、1940年6月7日にニューヨークで結婚、その後カリフォルニアへ戻った[1][2]。二人の共作はあまりに一体化しており、L・スプレイグ・ディ・キャンプによれば、完成後どちらが何を書いたか本人たちにも判別できないほどだったという[1]。第二次世界大戦で「アスタウンディング」誌の常連作家が不足すると、編集者ジョン・W・キャンベルはカットナーとムーアに、SF作家としての評判の弱さを理由にペンネームを求め、二人は「ルイス・パジェット」を考案した。以後の代表作の多くはこの名義で発表されている[1]。カットナー自身の従軍は米陸軍医療部隊での短期勤務にとどまり、復員軍人としてGI法により1950年から南カリフォルニア大学へ進学、1954年に学士号を取得し、1958年の死去時には修士課程に在籍していたとされる[1]。
クトゥルフ神話への貢献
カットナーはラヴクラフトおよびクラーク・アシュトン・スミスの友人として、複数のクトゥルフ神話短編を「ウィアード・テイルズ」「ストレンジ・ストーリーズ」両誌に発表した。「The Secret of Kralitz」(1936年10月)、「The Eater of Souls」(1937年1月)、「The Salem Horror(セイラムの恐怖)」(1937年5月)、「The Invaders」(1939年2月)、「The Hunt」(1939年6月)などが代表作である。神話への参入は1936年と他の主要作家より遅く、ラヴクラフトが1937年3月に死去した後、1939年に代表的な神話作品5作がまとめて発表されている。
これらの作品を通じ、カットナーは知名度の低い独自の神格をクトゥルフ神話に加えた。「The Secret of Kralitz」のイオド(Iod)、「The Eater of Souls」のヴォルヴァドス(Vorvadoss)、「The Salem Horror」のヒュドラおよびニョグタがそれにあたる。「The Salem Horror」ではニョグタが、魔女アビゲイル・プリンの崇める邪神として描かれ、劇中の『ネクロノミコン』(作中設定ではセイラムのケスター文庫に収蔵)に、虹色にきらめく不定形ゼラチン状の黒い神として記録され、洞窟や地の裂け目を通じて地上へ召喚される。「Bells of Horror」(1939年4月)は、カットナーが創造した架空の魔道書『イオドの書(The Book of Iod)』の初出作でもある。「Hydra」(1939年4月)はヒュドラとアザトースをめぐる物語で、妻ムーアが創造した神格ファロールへの言及も含む。
批評家ロバート・M・プライスは、カットナーのクトゥルフ神話系短編10篇を1995年にケイオシアム社から『The Book of Iod: Ten Tales of the Mythos』としてまとめ、序文で「ヘンリー・カットナー独自のクトゥルフ神話は、ラヴクラフト、ロバート・ブロック、ゾロアスター教、そして(ブラヴァツキー流の)神智学からほぼ均等に着想を得ているようだ」と評したとされる[4]。当サイトは同書の序文を照合していない。日本語圏の神話研究者・東雅夫は、カットナーの神話作品を「ラヴクラフト‐ダーレス路線とは異なる独自色を出している点で珍重すべきもの」と位置づけているとされる[4]。同じく当サイトは原文を照合していない。
神話の外での仕事
カットナーを神話の書き手としてだけ見ると、その仕事の大半が視界から落ちる。SF百科事典(SFE)の記述をたどると、活動の広さが分かる[2]。
ウィアード・テイルズ誌では、ロバート・E・ハワード風の剣と魔法の連作を書いた。のちに『Elak of Atlantis』としてまとめられる一連の物語で、初出は1938年5月から1941年1月にかけての同誌である[2]。初期作品はほかにも『Prince Raynor』(1939年4月・8月『Strange Stories』/作品集1987年)、『Book of Iod』(1995年)、『The Graveyard Rats and Other Stories』(2010年)として編み直され、2010年からは『The Early Kuttner』シリーズによる体系的な集成も始まっている[2]。
SFへの進出は1937年10月、『Thrilling Wonder Stories』の「When the Earth Lived」だった[2]。以後は宇宙活劇(スペースオペラ)を含む複数の路線で多作を続ける。つまりクトゥルフ神話への関与(1936年〜1939年)は、20年あまりの作家活動のごく初期に集中した一時期にあたる。神話作品5編が1939年にまとめて出たあと、カットナーの仕事の中心はSFへ移っていった[1][2]。
主要作品と本サイトの関連記事
- セイラムの恐怖(The Salem Horror)(1937年、ウィアード・テイルズ) ── ニョグタの初出作品
- 関連する神話項目: ニョグタ、ヒュドラ(カットナー版)、ネクロノミコン
- 「The Secret of Kralitz」(1936年、イオド初出)、「The Eater of Souls」(1937年、ヴォルヴァドス初出)、「Bells of Horror」(1939年、『イオドの書』初出)、「The Invaders」「The Hunt」「Hydra」(いずれも1939年)
- 関連する作家・出版史: アーカム・ハウスとダーレス
後世への影響
カットナーを影響源として挙げる作家は多い。マリオン・ジマー・ブラッドリーは自著『The Bloody Sun』をカットナーに捧げ、ロジャー・ゼラズニイは自らの〈アンバー〉シリーズがカットナーの長編『The Dark World』から影響を受けたと語っている。友人リチャード・マシスンは1954年の長編『地球最後の男』をカットナーへの感謝を込めて捧げ、レイ・ブラッドベリは処女短編集『Dark Carnival』をカットナーに捧げるとともに、自身の最初のホラー短編「The Candle」(1942年)の最後の300語をカットナーが書いたと語り、彼を「忘れられた巨匠」「種がぎっしり詰まった、アイデアに満ちたザクロのような作家」と評した。ルイス・パジェット名義の短編「Mimsy Were the Borogoves」(1943年)は、アメリカSF作家協会(SFWA)により史上最高のSF短編の一つに選出されている。
日本では、カットナーのクトゥルフ神話作品を網羅した『魂を喰らうもの』(海乃汁訳)が2022年2月に綺想社から私家版・部数限定で刊行された。SF・ファンタジー方面では、ルイス・パジェット名義作を含むアンソロジー『ボロゴーヴはミムジィ』が1973年に早川書房から、ギャロウェイ・ギャラガー連作が2021年に竹書房文庫から『ロボットには尻尾がない』として、それぞれ翻訳刊行されている。
没日が定まらないことについて
当サイトが参照した資料は、没日を2月3日とするものと2月4日とするもので割れている[1][3]。生年月日(1915年4月7日)と没年(1958年)、死因(心臓発作)、場所(ロサンゼルス)については資料が一致しており、食い違うのは日付の一日分だけである。
こうした一日のずれは珍しくない。ロバート・E・ハワードの記事でも、没日を6月11日とする資料と6月12日とする資料の食い違いを併記している。当サイトは、どちらかへ寄せて見た目を整えるより、割れている事実をそのまま示す方針を取る。一次資料(死亡記録など)に行き着けた時点で、確定した日付へ改める。書誌データベースの著者記録は2月4日を採っており[3]、EBSCOの記事も同じ日付である[1]。
出典
- [1] EBSCO Research Starters「Henry Kuttner」(該当ページ)。生い立ち、父の死、伯父の文芸エージェンシーでの仕事、ウィアード・テイルズ誌への最初の売り込み、C・L・ムーアとの出会いと結婚、「ルイス・パジェット」名義の由来、戦後の進学と学位、没日を2月4日とする記載を確認した(2026年9月15日確認)。 ↩
- [2] The Encyclopedia of Science Fiction(SFE)「Kuttner, Henry」(該当ページ)。生没年(1915-1958)、1940年からの没年までのC・L・ムーアとの結婚、詩「Ballad of the Gods」(1936年2月)と「The Graveyard Rats」(1936年3月)、『Elak of Atlantis』連作の初出期間(1938年5月-1941年1月)、『Prince Raynor』『Book of Iod』『The Graveyard Rats and Other Stories』『The Early Kuttner』の各集成、SF進出作「When the Earth Lived」(1937年10月『Thrilling Wonder Stories』)についての記述を確認した(2026年9月15日確認)。SFEは編集体制のある事典である。 ↩
- [3] 書誌データベースISFDB、著者記録「Henry Kuttner」Author Record #452(該当ページ)。法定名Kuttner, Henry、出生地カリフォルニア州ロサンゼルス、生年月日1915年4月7日、没年月日1958年2月4日。ISFDBは利用者が編集する書誌データベースであり、当サイトでは生没年などの基礎データと刊行事実に限って用いる。 ↩
- [4] ロバート・M・プライス編『The Book of Iod: Ten Tales of the Mythos』(Chaosium、1995年)の序文、および東雅夫による評。いずれも当サイトは原文を照合していない。引用の形で示した文言は二次的な紹介に基づくもので、原文を確認できた時点で書き直す。 ↩




