
新潮文庫『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(南條竹則編訳)。本書に収録が確認できる「The Call of Cthulhu」の邦訳「クトゥルーの呼び声」を日本語で読める。
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概要
Simon & Schusterの公式商品ページ(米国版の発売元)は、ハードカバー・アンソロジー『The Weird Tales Collection』の情報として、発売日2026年10月13日、928ページ、ISBN13が9781398873568、定価24.99ドル、レーベルはSirius、シリーズ名はArcturus Pulp Classicsであることを掲載している[1]。表紙に名を連ねる著者はH. P. Lovecraft、Robert Ervin Howard、Clark Ashton Smith、Abraham Merritt、Henry Kuttnerの5名で、ページ内の紹介文はこの5名の代表作として次の5編を名指ししている[1]。
- 「クトゥルフの呼び声(The Call of Cthulhu)」H. P. Lovecraft
- 「影の王国(The Shadow Kingdom)」Robert E. Howard
- 「暗黒の偶像(The Dark Eidolon)」Clark Ashton Smith
- 「ティンダロスの猟犬(The Hounds of Tindalos)」Frank Belknap Long
- 「墓場の鼠(The Graveyard Rats)」Henry Kuttner
この本にはもう一つの顔がある。英国の版元Arcturus Publishing自身の公式サイトにも、同じ書名・同じ紹介文の商品ページが独立して存在し、そちらはISBN9781398869066、価格19.99ポンド、発売日2026年10月1日、レーベルはArcturus(Sirius版とは別表記)となっている[2]。ページ数はArcturus版のページには明記がなく、当サイトでは確認できていない。「10月13日発売・24.99ドル・ISBN 9781398873568」という組み合わせはSirius版(米国向け)の情報であり、二つあるうちの片方に過ぎない。SiriusもArcturusも、Bonnier Books UKグループ傘下のレーベルである。
いずれのページも、書名に挙がる5編以外の収録作・収録作家の全体像までは明かしていない。928ページという分量は、この5編だけでは到底埋まらない。「目次」の項目自体はSirius版のページにも用意されているが、実際の収録作一覧は空欄のままだった[1]。
どんな作品か
版元の紹介文は、この本の性格を「Weird Tales誌という一つのパルプ雑誌に集った書き手たちの代表作を集めたアンソロジー」だと説明している。Weird Talesは1922年に創刊された雑誌で、ホラー・ファンタジー・SFを専門とし、当時最も想像力に富んだ作品群を送り出したのだと紹介文は続ける[1][2]。ただし当サイトが既に公開しているWeird Talesとパルプ雑誌の時代という記事は、同誌の創刊を1923年としており、出典に挙げたPulp Magazines Projectの記載に基づいている。版元の紹介文が示す1922年と、当サイトが既に確認済みの1923年との間には1年の食い違いがあり、本稿では判別できていない。
シリーズ名の「Arcturus Pulp Classics」については、両ページとも共通の説明文を掲げている。フィクション・SF・ホラーの各ジャンルにまたがる古典的短編集を、表紙に銀のあしらいを施し、小口(ページの断面)をカラー印刷したハードカバーのギフト版として届けるシリーズだという[1][2]。今回の『The Weird Tales Collection』個別の紹介文でも、「際立つ表紙エンボス加工と、印刷された小口」という一文があり、装丁面の特徴として重ねて言及されている[1]。
収録される5編それぞれの位置づけは、作品ごとに大きく異なる。以下、当サイトが既に確認済みの各記事と照らし合わせて整理する。
クトゥルフ神話に「編入された」猟犬と、されなかった鼠
同じ表紙の下に並ぶ5編のうち、クトゥルフ神話そのものに属すると言えるのは、実質的にラヴクラフトの「クトゥルフの呼び声」だけである。残り4編の位置づけは一様ではない。
フランク・ベルナップ・ロング「ティンダロスの猟犬」を例に取る。当サイトのティンダロスの猟犬記事で確認した通り、この存在と設定を生み出したのはラヴクラフトではなくロングであり、初出は1929年のWeird Tales誌3月号である。ラヴクラフト自身がこの猟犬を自作に登場させたのは、後年の「闇に囁くもの」の中で一度だけ名前に触れた場面のみで、姿・生態・弱点についての描写は一切書いていない。つまり「猟犬」という設定そのものはロングの単独発明であり、ラヴクラフトはそれを一箇所だけ引用して自分の神話体系に接ぎ木したにすぎない。この一箇所の接ぎ木が、以後この存在を「クトゥルフ神話の怪物」として定着させる橋渡しになった。
対照的なのが、ヘンリー・カットナー「墓場の鼠」である。当サイトのヘンリー・カットナー記事によれば、この短編は1936年のWeird Tales誌3月号に掲載された、カットナーにとって生涯最初の商業誌掲載作である。同じ記事が「クトゥルフ神話への貢献」として挙げているのは、これより後の1936年から1939年にかけて発表された「The Secret of Kralitz」「The Eater of Souls」「The Salem Horror」「The Invaders」「The Hunt」といった一連の作品で、独自の魔道書『イオドの書』や神格イオド・ヴォルヴァドス・ヒュドラ・ニョグタはこれらの作品群で導入されたとされる。「墓場の鼠」自体は、その一覧のどこにも挙がっていない。墓を暴く盗掘者が地下の鼠に追われるという筋立ての単発の怪奇小説であり、カットナーの神話作品群が始まるより前、まだ神話と無関係だった時期の作である。
つまり同じ表紙に載る2編でも、片方(猟犬)はラヴクラフト自身の一言によって神話体系へ編入され、後年のクトゥルフ神話TRPGでも定番のモンスターとして扱われるに至った一方、もう片方(墓場の鼠)は今なお神話と無関係な単発の怪奇小説のままである。「Weird Tales誌に載った」という共通点だけでは、この違いは見えてこない。
もう一つの吸収例——「影の王国」の蛇人間は、猟犬より深く編入されていた
ロバート・E・ハワードの「影の王国」は、猟犬とは違う形で神話とつながっている。
当サイトの影の王国記事によれば、この短編はキング・カルを主人公とする剣と魔法(ソード・アンド・ソーサリー)の代表作であり、物語そのものはコナンとは別系列の史劇である。しかし、作中に登場する敵役「蛇人間」については、当サイトの蛇人間記事がさらに詳しい経緯を記録している。蛇人間はハワードが独自に創造した種族で、ラヴクラフト自身が生み出したものではない。ところがラヴクラフトは、自作「アロンゾ・タイパーの日記」「暗闇の悪魔」「狂気の山脈にて」「時間からの影」の4作にわたって、地名「ヴァルシア」や「蛇人間」という語を名指しで引用している。いずれも他の文脈の中の短い言及にとどまり、蛇人間の姿・生態そのものを描いてはいないが、言及の回数だけで見れば、ティンダロスの猟犬(「闇に囁くもの」での1回のみ)より多い。後年にはリン・カーターやクラーク・アシュトン・スミスの手で、蛇人間を生んだとされる「大いなる蛇」がラヴクラフトの神格イグと同一視されるようになったとも、同記事は伝えている。
つまり「影の王国」は、物語そのもの(カル王と忠臣ブルールが王国の陰謀を暴く筋立て)は神話と無関係なハワード独自の作品でありながら、その中の一要素(蛇人間)だけが、ティンダロスの猟犬と同じパターン——原作者以外の作家が生んだ設定を、ラヴクラフトが自作で名指しして取り込み、後続作家がさらに体系化する——を辿って神話に編入されている。しかも編入の深さで言えば、猟犬より蛇人間のほうが、ラヴクラフト自身の言及数において上回っている。今回のアンソロジーが「影の王国」を代表作として選んだ理由は版元の紹介文には書かれていないが、選ばれた作品自体が、こうした編入の経緯とは無関係に「ソード・アンド・ソーサリーの原点」という別の文脈で評価されている点は、押さえておいてよい。
接点が確認できない作品もある
一方、クラーク・アシュトン・スミスの「暗黒の偶像」については、猟犬や蛇人間のような編入の経緯を、当サイトでは確認できていない。クラーク・アシュトン・スミス記事によれば、スミスが生み出した蟇蛙神ツァトゥグァなどの神格がラヴクラフトの作品に取り込まれたのは事実だが、これらはハイパーボリア連作に属する神格であり、「暗黒の偶像」が属する超未来の大陸ゾティーク連作とは別の舞台設定である。ゾティーク連作とラヴクラフトの神話体系との間に、猟犬や蛇人間のような具体的な接点があるかどうかは、当サイトでは確認できていない。
ヘンリー・カットナーの「墓場の鼠」に至っては、ヘンリー・カットナー記事が明記する通り、カットナー自身の神話作品群(1936年以降の一連の作品)が始まるより前、商業誌デビュー作として書かれた単発の怪奇小説である。墓を暴く盗掘者が地下の鼠に追われるという筋立てに、神話との接点を示す記述は見当たらない。
原典との距離(神話の三層のどこに立つか)
当サイトが原典/ダーレス系拡張/TRPG設定──三層で読み解くクトゥルフ神話で示している区分に沿えば、今回の5編のうち、神話体系に接点を持つのは「クトゥルフの呼び声」(第1層・原典そのもの)、「ティンダロスの猟犬」、「影の王国」(いずれも、ラヴクラフト自身の言及によって第1層に接続された、他作家発の設定)の3編である。「暗黒の偶像」は接点の有無自体が当サイトでは未確認、「墓場の鼠」は神話と無関係な単発作である。
この事実は、三層モデルの限界というより射程を示している。三層モデルは「クトゥルフ神話という一つの体系が、誰によっていつ書き足されたか」を追うための枠組みであり、神話に属さない作品まで含めて論じる道具ではない。今回のアンソロジーのように「同じ雑誌・同じ時代・同じ交友関係」を軸にした本を読むときは、三層のどこにも位置づけられない作品や、接点の有無自体が未確認の作品が混じっていて当然だと言える。むしろ、5編のうち神話への接点が明確なのは2編(猟犬・蛇人間、いずれも物語の一要素のみが編入されたケース)にとどまり、原典そのものは1編だけだという事実が、「ラヴクラフト・サークル」という人間関係の広がりと、「クトゥルフ神話」という作品体系の広がりが、同じ大きさではないことを具体的に示している。
同じ時期に相次ぐ「再編集アンソロジー」という現象
当サイトが以前取り上げたWeirder Shadows Over Innsmouthは、英国Titan Booksが同じく2026年に刊行した、インスマスという一つの舞台に的を絞ったアンソロジー三部作の一冊だった。あちらは既存の詩・既存の死後合作・既存の現代作家アンソロジーの序文と挿絵を新調するという、狭い範囲の再編集だった。
今回の『The Weird Tales Collection』は、同じ「既存の短編を集めて新しい装丁で送り出す」という形式でありながら、対象の範囲がまったく異なる。的を絞るのは一つの舞台や一人の作家ではなく、Weird Tales誌という一つの雑誌が生きた時代そのものである。その結果、原典(クトゥルフの呼び声)、原典に取り込まれた他作家発の設定(猟犬・蛇人間)、原典とは無関係な別ジャンルの代表作(墓場の鼠)、接点の有無が未確認の作品(暗黒の偶像)が、同じ一冊の中に無選別に同居することになる。舞台を絞ったアンソロジーでは起きにくい、この混在ぶりこそが、雑誌という発表媒体を軸にした再編集アンソロジーの特徴だと言える。
関連して読むなら
- クトゥルフの呼び声 — 今回収録される5編の中で唯一、神話の第1層(原典)そのものにあたる作品
- 影の王国 — ハワードの収録作。物語自体はキング・カルのソード・アンド・ソーサリーだが、作中の蛇人間はラヴクラフト自身の4作にわたる言及を通じて神話へ編入された
- 蛇人間 — 「影の王国」発の種族が、ラヴクラフトと後続作家の手で神話体系に組み込まれていく経緯を確認できる記事
- ティンダロスの猟犬(小説) — フランク・ベルナップ・ロングの原作そのもの。この一編が神話体系へ接ぎ木される起点になった
- ティンダロスの猟犬 — ロング発の設定がラヴクラフトの一言を経て神話の怪物として定着していく過程を確認できる記事
- 原典/ダーレス系拡張/TRPG設定──三層で読み解くクトゥルフ神話 — 今回の5編のうちどれが三層のどこに属し、どれが三層の外側にあるかを判断する際の枠組み
出典
- [1] Simon & Schuster 公式商品ページ「The Weird Tales Collection」(2026年9月11日確認)。発売日が2026年10月13日であること、928ページのハードカバーであること、ISBN13が9781398873568であること、定価24.99ドルであること、レーベルがSirius・シリーズ名がArcturus Pulp Classicsであること、著者としてH. P. Lovecraft、Robert Ervin Howard、Clark Ashton Smith、Abraham Merritt、Henry Kuttnerの5名が名を連ねること、紹介文が上記5編を収録作として名指ししていること、Weird Tales誌の創刊を1922年としていること、シリーズ説明文(表紙に銀のあしらい・カラーの小口)を確認。目次(Table of Contents)欄はページ上に存在するが空欄であることも確認した。https://www.simonandschuster.com/books/The-Weird-Tales-Collection/H-P-Lovecraft/Arcturus-Pulp-Classics/9781398873568 ↩
- [2] Arcturus Publishing 公式商品ページ「The Weird Tales Collection」(英国版、2026年9月11日確認)。ISBN9781398869066であること、価格19.99ポンドであること、発売日が2026年10月1日であること、レーベルがArcturus・publisher欄がArcturus Publishingであること、紹介文の本文が米国版(Sirius)ページとほぼ同一であることを確認。ページ数の記載はこのページ上には見当たらなかった。https://arcturuspublishing.com/products/9781398869066 ↩

