概要
本作はマレーシア出身の作家キャサンドラ・カウ(Cassandra Khaw)が2016年にTor.com Publishingから発表した中編小説で、〈Persons Non Grata〉シリーズの第一作にあたる。舞台はロンドン。私立探偵ジョン・パーソンズ(John Persons)のもとに、10歳の少年から「継父を殺してほしい」という依頼が持ち込まれる場面から幕を開ける。継父マッキンジーは家庭内で暴力を振るう存在として描かれるが、パーソンズが調査を進めるうちに、その暴力の背後にはもっと根源的で禍々しい何かが潜んでいることが明らかになっていく。往年のハードボイルド探偵小説——影の差す路地、煙草の煙、皮肉屋の一人称語り——の型を踏襲しながら、その「何か」の正体が人間の悪意を超えた異形の存在であるという構造を持つ。2017年のローカス賞・英国ファンタジー賞のノベラ部門候補にも挙がった、現代クトゥルフ神話ホラーの代表作の一つである。
クトゥルフ神話との関係
探偵役ジョン・パーソンズ自身が人間の姿を借りた「異形の存在」であるという設定が、本作最大のクトゥルフ神話的仕掛けになっている。時空を超えて暗躍する彼の正体は物語の中で断片的にしか明かされないが、宇宙的な尺度で人知を超えた力を持ち、人間社会に紛れ込んで「怪物」を狩る存在として描かれる点は、ラヴクラフト的な宇宙的恐怖の系譜に連なる。継父マッキンジーに巣食う「感染」のモチーフも、名状しがたい外部の力が人間の肉体・精神を侵食するという、旧支配者や深きものたちの伝承に通じるイメージを踏襲している。直接的に特定の神格名が頻出するわけではないが、「日常に潜む神話的恐怖」という基本構造そのものがクトゥルフ神話の現代的継承と言える。
独自の要素・原典との違い
ラヴクラフトの原典が白人中産階級の「血統への恐怖」を軸にしていたのに対し、本作は虐待家庭という極めて現代的・生々しい社会問題を出発点に据え、宇宙的恐怖と結びつける点が大きく異なる。語り口も、ラヴクラフト特有の学術的・過剰形容詞的な文体とは対照的に、乾いたユーモアと詩的な比喩を織り交ぜたハードボイルド探偵小説の一人称語りを採用しており、テンポの良い文章が特徴。また、探偵側の主人公が「怪物を狩る側の怪物」であるという倒錯した設定により、原典が前提とする「人間 対 異形」という単純な対立構造を揺さぶっている点も独自性が高い。
