小説 — A Reminiscence of Dr. Samuel Johnson

サミュエル・ジョンソン博士の思い出

18世紀風の古い綴りと文体で書かれた一人称の戯文です。名を明かさない語り手は、自分が1690年生まれで228年目の齢にあると告白し、ドライデンやポープと親しく交わった若き日を振り返ったのち、1763年にボズウェルの紹介でサミュエル・ジョンソンと対面した経緯や、ライブラリー・クラブに集ったバーク、ゴールドスミス、ギャリック、ギボンらとの交遊を回想します。ジョンソンの辛辣な受け答えと、老いた語り手の口ぶりそのものが読みどころです。1917年執筆、1917年11月『ユナイテッド・アマチュア』発表。約2,100語。

公開更新作成AI支援で作成

誤りの指摘・訂正依頼と編集方針は運営者情報へ。

サミュエル・ジョンソン博士の思い出

「回想という特権は、たとえそれがとりとめなく退屈なものであろうとも、いと老いたる者に一般に許されるものである」

— H・P・ラヴクラフト「サミュエル・ジョンソン博士の思い出」(1917年執筆・発表)冒頭部
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

概要

「サミュエル・ジョンソン博士の思い出」は、H・P・ラヴクラフトが18世紀風の古い綴りと文体を模して書いた一人称の戯文です。語り手は本文中で名前を明かさない老紳士で、自分は1690年8月10日にデヴォンシャーの一族の領地に生まれ、新暦では8月20日にあたり、今や228年目の齢にあると告白します。世間には1890年生まれの若者として通してきたが、真実を伝える決心をしたのだと切り出す語り口が、作品全体の枠組みを作っています[1]。

本編の中心は、語り手とサミュエル・ジョンソンとの交友です。1738年、ジョンソンの詩「ロンドン」がポープの「風刺詩へのエピローグ」と同じ日に発表され評判を呼んだ経緯を回想したのち、1763年にジェイムズ・ボズウェルの紹介でミトレ・タヴァンにて初めて対面した場面を語ります。挨拶代わりの手厳しい言葉の応酬から始まった二人の関係は、やがてバーク、ゴールドスミス、ギャリック、ギボンらが集うライブラリー・クラブでの交友へと広がり、語り手はその会合の場所や顔ぶれ、会員同士のやり取りを次々に思い出していきます[1]。

文体そのものも読みどころのひとつです。動詞語尾の省略(thro’、tho’)や名詞の大文字表記、’dで終わる古風な過去形が一貫して用いられ、語り手の年齢という荒唐無稽な設定と噛み合って、生真面目な回想録を装った戯作として成立しています。作品は、語り手が「ひどく疲れた」と述べ、午睡の時刻を理由に筆を置く場面で締めくくられます[1]。

作品情報

  • 原題: A Reminiscence of Dr. Samuel Johnson
  • 執筆: 1917年[2]
  • 初出: 『The United Amateur』第17巻第2号、1917年11月、21–24ページ[3]
  • 分量: 約2,100語(公式アーカイブ本文を機械集計)。章分けなし
  • 語り: 本文では名前が明かされない老紳士。1690年生まれ、228歳と自称する
  • 舞台: ロンドン。ミトレ・タヴァン、タークス・ヘッドなど18世紀イギリス社交界の会合場所
  • 主題: サミュエル・ジョンソンとの交友、ライブラリー・クラブに集った文人たちをめぐる回想

登場神格・用語

  • 神格は登場しません。架空の老語り手による、18世紀文人たちとの交友記に徹した戯文です。
  • 語り手 — 名前不詳。1690年生まれ、228歳と自称する老紳士。ドライデン、アディソン、スウィフト、ポープら前の世代の文人とも親交があったと語る
  • サミュエル・ジョンソン博士(Dr. Johnson) — 本作の中心人物。『英語辞典』の編者として言及され、辛辣な受け答えで描かれる
  • ジェイムズ・ボズウェル(Mr. James Boswell) — 語り手をジョンソンに引き合わせた若きスコットランド人
  • アレグザンダー・ポープ(Mr. Pope) — 語り手の旧友。ジョンソンの詩「ロンドン」を評価したと語られる
  • THE LITERARY CLUB(ライブラリー・クラブ) — ジョンソンらが結成した会。バーク、ボークラーク、ラングトン、レノルズ、ゴールドスミス、ナージェント、サー・ジョン・ホーキンズ、シェイミアらが名を連ねる
  • サー・ジョン・ホーキンズ(Sir John Hawkins) — クラブの創設者の一人だが、最も打ち解けない会員として描かれる
  • デイヴィッド・ギャリック(Mr. David Garrick) — 俳優。ジョンソンの旧友として描かれる
  • オリヴァー・ゴールドスミス(Dr. Goldsmith) — 語り手のお気に入りの人物として描かれる
  • エドワード・ギボン(Mr. Gibbon) — 歴史家。皮肉な物言いで好かれなかったと語られる
  • ジョン・バーゴイン(John Burgoyne, Esq.) — アメリカ独立戦争のサラトガの戦いで敗れた将軍。クラブへの加入を三票で拒まれたと記される

あらすじ

228年を生きた語り手の告白

本文は、回想を語るという特権は、たとえそれがとりとめなく退屈なものであろうとも、いと老いたる者に一般に許されるものである、という書き出しから始まります。語り手は、これまで1890年生まれの若者として世を渡ってきたが、人に信じてもらえぬことを恐れて胸に秘めてきた秘密を打ち明ける決心をした、と述べ、デヴォンシャーの一族の領地に1690年8月10日(新暦8月20日)に生まれ、今や228年目の齢にあると明かします。子供の頃にはウィリアム王治世の著名人たちを目にし、ドライデンがウィルズ・コーヒーハウスに座っているのを見た記憶があるとも語ります。のちにはアディソンやスウィフトとも親しくなり、ポープとはその死の日まで交わりを持った旧友であったと述べています[1]。

1738年、若きジョンソンの噂

語り手がジョンソンの名を初めて耳にしたのは1738年5月、まだ本人とは会っていない頃のことです。ポープが「風刺詩へのエピローグ」(冒頭は「Not twice a Twelvemonth you appear in Print」)を書き上げ発表したのと同じ日に、当時無名だったジョンソンによる、ユウェナリスに倣った風刺詩「ロンドン」が世に出ました。この詩は町の評判を集め、ポープより優れた詩人の作だと言う趣味人まで現れたといいます。語り手によれば、ポープはこの新しい競争相手の詩に十分な賛辞を惜しまず、リチャードソン氏を通じて作者の名を知ったのち、「ジョンソン氏はまもなくデテレ(発掘)されるであろう」と語り手に告げたとのことです[1]。

ミトレ・タヴァンでの対面とライブラリー・クラブ

語り手が実際にジョンソンと知り合ったのは1763年のことで、ジェイムズ・ボズウェルによってミトレ・タヴァンで引き合わされました。目にしたジョンソンは、恰幅がよく着こなしのだらしない、みすぼらしい風采の人物です。粉のついていない大きすぎるボブ・ウィッグをかぶり、皺だらけの赤褐色の服にはボタンが一つ以上欠けていたと描写されます。顔はふっくらしすぎて美男とは言えず、瘰癧の跡が残り、頭は絶えず痙攣したように揺れていたとも記されます。語り手が自分の雑誌『ザ・ロンドナー』でジョンソンの『英語辞典』を好意的に評したことを持ち出すと、ジョンソンは「貴殿の紙面を読んだ記憶は私にはございませんし、人類のうち思慮の足りぬ部分の意見にさして関心もございません」と素っ気なく返しました。語り手が、読んでもいない作品の思慮深さをどうして判断できるのかと言い返すと、ジョンソンは「最初の質問で早々に己の作品を持ち出す性急さそのものが、その学殖の浅薄さをはっきりと示しております」と切り返したと記されています。オシアンの詩の真贋を疑うと述べたときには、「町中の誰もが感づいていることを指摘したところで大した発見にはならない。ミルトンが『失楽園』を書いたと強く疑っている、とでも言われた方がまだましだ」とやり込められたとも回想されています[1]。

こうしたやり取りを経て親しくなった二人は、翌年ジョンソンが創設したライブラリー・クラブを通じて交友を深めていきます。会はバーク、ボークラーク、ラングトン、レノルズ、ゴールドスミス、ナージェント、サー・ジョン・ホーキンズ、シェイミア、そして語り手自身によって始まりました。週に一度、夜7時にソーホーのジェラード・ストリートにあるタークス・ヘッドで開かれ、その酒場が売却されたのちはサックヴィル・ストリートのプリンス、ドーヴァー・ストリートのル・テリエ、パースローズ、セント・ジェイムズ・ストリートのザ・サッチト・ハウスへと会場を移したと述べられます。ジョンソンや語り手が高教会派のトーリー党員である一方、バークが独立戦争に反対するホイッグ党員であったように政治的立場は割れていたものの、語り手は今日のアマチュア出版団体に見られる不和と引き比べ、クラブの和やかさを強調しています。会員のうちホーキンズは最も打ち解けない人物として描かれ、夕食の割り勘を自宅では夕食を取らない習慣を理由に拒んだ逸話や、バークを侮辱して以後会合に来なくなった経緯が語られる一方、ジョンソンの遺言執行人を務めた事実も記されます[1]。

ガリック、ゴールドスミス、ギボンら後の会員についても、逸話が連ねられます。ジョンソンは表向き演劇を貶しながらもガリックを庇い続けた、と語り手は振り返ります。ゴールドスミスは会話の巧みさに欠けながらも語り手のお気に入りだったとされ、ある会でドイツ人が「静かに、トクター・ションソンが話されるぞ!」とゴールドスミスの発言を遮り、恨みを買った、というのがこの逸話です。ギボンについては、皮肉な物言いのために好かれなかったと述べられます。語り手のヴォルテールとの友情はジョンソンには気に入らず、ジョンソンがヴォルテールについてラテン語で「その才知はこの上なく鋭いが、書物の学は乏しい人物である」と評したことも回想されます。ボズウェルについては、語り手の古風な鬘や服装をからかった若い茶目っ気のある人物として描かれ、酔った勢いでテーブルの上に即興詩を書いて語り手を揶揄しようとし、文法上の誤りを犯した逸話が語られます。語り手の書評が厳しすぎるとボズウェルが咎めた際には、「足場を失う者は自らの力不足によってそうなるのであり、その弱さを隠したいがために最初に取り上げた批評家のせいにするだけだ」と語り手が言い返し、ジョンソンにも支持されたとのことです[1]。

さらにジョンソンが、盲目の老婦人ミセス・ウィリアムズの詩集をほとんど自ら手直ししていたという評判も語られます。リーズ公爵の結婚を祝う召使いの拙い詩をジョンソンが暗誦して聞かせた場面では、原詩「リーズ公爵ご結婚とあいなれば、高貴なる麗しき淑女を娶られん、かの淑女はいかばかり幸せなるか、公爵閣下のよき伴侶となりて」が引かれます。語り手はこれをもとに、韻律を整えた「雄々しきリーズ公、めでたく妻めとらば、古き血筋に生まれし貞淑の佳人を、かの乙女いかばかり誇り高く喜ぶことか、かくも偉大なる夫を得しことを」という自作を披露しました。ジョンソンはこれに「韻律は整えられましたが、機知も詩情もその行には少しも入っておりませぬ」と評したと記されています[1]。

老いた語り手の結び

語り手は、もっと語りたい経験があるが自分は老いて疲れやすく、脈絡なく話が逸れてしまうと述べ、好評であれば唯一の生き証人として続きを記すかもしれないと締めくくります。ジョンソンの死を心から悼み、その後もクラブの会員であり続けたこと、そして独立戦争のサラトガの戦いで敗れた将軍ジョン・バーゴインが三票で加入を拒まれた顛末や、その息子が准男爵に叙せられたことにも触れます。最後は「されど私はひどく疲れた。私は老いた、まことに老いた、そして午睡の時刻である」という一文で終わります[1]。

読みどころと注目テーマ

「228歳の語り手」という仕掛け

本作の骨格は、名を明かさない語り手が自らを228歳だと名乗る設定そのものにあります。1690年生まれで、ドライデンを見た記憶があり、アディソンやスウィフトと交わり、ポープの死を看取ったと語る人物が、さらにジョンソンやボズウェルとも直接口を利いたことになっている以上、この語り手は史実の人物ではありえません。生真面目な回想録の体裁を保ちながら荒唐無稽な長寿設定を組み込む落差が、戯文としてのおかしみを支えています[1]。

古い綴りと文体の模写

本文には thro’、tho’ といった省略形や、名詞を大文字で書き起こす習慣、動詞を’dで終える古い過去形など、18世紀の書き言葉を思わせる綴りが一貫して用いられています。語り手自身が「今日の文学・アマチュア出版団体に見られる不和や分裂」に触れる一節もあり、18世紀のクラブの和やかさと引き比べる形で顔をのぞかせます。文体模写と当時の身近な話題への当てこすりが同じ語りの中に同居している点は、注目に値します[1]。

ジョンソンの毒舌と会員たちの人物描写

作中でもっとも生き生きしているのは、ジョンソンが語り手やボズウェルに向ける手厳しい切り返しの数々です。読んでもいない著作について評する語り手をやり込める場面や、オシアンをめぐる皮肉、リーズ公爵の詩への酷評は、いずれも短い応酬の中に人物の輪郭を浮かび上がらせます。ホーキンズの偏屈さ、ゴールドスミスの人の好さ、ギボンの皮肉屋ぶりといった会員たちの素描も、同じ筆致で手際よく描き分けられています[1]。

執筆背景と影響

本作の執筆年は1917年、初出は同年11月刊行の『The United Amateur』第17巻第2号(21–24ページ)であることが、公式アーカイブの作品年譜および作品情報ページで確認できます[2][3]。この作品がどのような経緯で書かれ、当時どう受け止められたか、また後年の評価や他作品への影響については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。

出典

[1] H. P. Lovecraft, “A Reminiscence of Dr. Samuel Johnson” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/rdsj.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。

[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆年(1917年)ほかの出典。

[3] “Data Page for ‘A Reminiscence of Dr. Samuel Johnson'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/rdsj.aspx初出『The United Amateur』第17巻第2号(1917年11月)21–24ページの出典。

関連作品ガイド ── どれから楽しむか

原典そのものを読むなら
原典そのものを読むなら
定番の全集での紹介書籍 表紙
定番の全集で

ラヴクラフト作品を日本語の定訳でまとめて読みたいなら、創元推理文庫の全集(第1巻)から。全巻を通して主要作をほぼ網羅しています。

『ラヴクラフト全集1』をAmazonで見る ↗

※上記は広告リンク(アフィリエイト)です。

続きを辿る

隣の棚

記事URLをコピーしました