人物 — OLD WHATELEY

オールド・ウェイトリー

「ダニッチの怪」に登場するダニッチの老人。ラヴィニアの父、ウィルバーの祖父。孫の誕生と同時に家の二階を板で塞ぎ、牛を買い集め、二世紀分の蔵書を孫のために並べ替えた。1924年のラマスの夜、ヨグ=ソトースへの門を開く手順を孫へ言い遺して死ぬ。作中で下の名は与えられない。

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誤りの指摘・訂正依頼と編集方針は運営者情報へ。

オールド・ウェイトリー

「灰色の、髭を剃らない老人。老いて半ば正気を失い、若い頃には最も恐ろしい魔術の噂を囁かれた父である。」

— H・P・ラヴクラフト「ダニッチの怪」(1928年執筆/1929年発表)第2章、ラヴィニアの紹介と牛の爛れを述べる二つの記述による当サイトの試訳
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概要(2〜3行)

オールド・ウェイトリーは、H・P・ラヴクラフト「ダニッチの怪」に登場する、マサチューセッツ州ダニッチの老人。語り手は彼を、ラヴィニア・ウェイトリーと二人で暮らす「老いて半ば正気を失った父」であり、若い頃に最も恐ろしい魔術の噂を囁かれた人物として紹介する[1]。黒魔術の評判のために農家はかねて恐れられ[2]、石の環の中で大きな本を開きヨグ=ソトースの名を叫んで丘を震わせたという昔話が村に残っていた[3]。1924年のラマスの夜、彼は孫へ、完全版751頁の長い詠唱でヨグ=ソトースへの門を開けと言い遺して死ぬ[4]。

基本プロフィール

  • 分類: 人物
  • 欧文表記: OLD WHATELEY
  • 初出・出典: 「ダニッチの怪」(1928年夏執筆/1929年4月『ウィアード・テイルズ』第13巻第4号、481〜508頁)[5]
  • 名前: 原典は下の名を与えない。地の文の呼び方は「オールド・ウェイトリー」で一貫しており、村人は「ウィザード・ウェイトリー」「オル・ウェイトリー」と呼ぶ
  • 年齢: 原典に記述がない。「老いた(aged)」以上の手がかりは書かれていない[1]
  • 住居: 後部が岩の丘に完全に埋まった、大きな切妻屋根の農家。改築前は、傷みの少ない一階の3部屋で彼と娘には足りていた[6]
  • 家族: 娘はラヴィニア[1]。妻ウェイトリー夫人は、ラヴィニアが12歳のときに原因の分からない変死を遂げた[7]。孫はウィルバー・ウェイトリー
  • 生業らしきもの: 1913年に始まり1928年まで続いた牛の買い込み[8]。支払いはいつも、極めて古い年代の金貨だった[9]
  • 死: 1924年のラマスの夜。心臓の動きと荒い呼吸が死期の近さを告げていた[10]
  • 埋葬: 原典に記述がない

原典での描写

娘に古い伝承を教えた父

彼が本文に現れるのは第2章の冒頭で、しかも自分の名ではなく、娘の属性としてである。ウィルバーの出生を語る段で、語り手は母ラヴィニアを「退廃したウェイトリー家の一人」と紹介し、その暮らしぶりを「老いて半ば正気を失った父と暮らしていた。若い頃には、その父について最も恐ろしい魔術の噂が囁かれていた」と書き添える[1]。この一文が、原典が彼に与えた最初の説明であり、同時に最も要約的な説明でもある。

続く数行で、彼と家の関係が示される。ラヴィニアは学校へ行ったことがなく、頭にあるのは彼が教え込んだ古い伝承の脈絡のない断片ばかりだった。人里離れた農家がかねて恐れられていたのは、彼の黒魔術の評判のためである[2]。妻の死も土地の評判を良くしなかった。ラヴィニアが12歳のとき、ウェイトリー夫人は原因の分からない変死を遂げている[7]。原典は妻の名も、その死の事情も書いていない。

村が彼について記憶していた具体的な出来事は、一つだけ伝えられている。かつて丘が震えたことがあり、それは彼が石の環の真ん中で、大きな本を腕に開いたまま、ヨグ=ソトースの恐ろしい名を叫んだときだった[3]。この挿話は、ウィルバーについての憶測に添えられる「昔の魔術(bygone magic)」として語られる。すなわち原典の現在時制において、彼が儀式を行う場面は一度も描かれない。読者が受け取るのは、すでに過去のものとなった噂と、その噂を裏づけるように進んでいく工事と買い物である。

孫の誕生と、村での演説

1913年2月2日日曜の午前5時、ダニッチの町域の、村から4マイル・他のどの住居からも1マイル半離れた丘の斜面の農家で、ウィルバーが生まれた[11]。近隣がそれを知ったのは1週間後である。彼が雪の中を橇で村へ乗り入れ、オズボーンの雑貨店にたむろする連中へ、とりとめもなく語ったからだった[12]。

この場面で、語り手は彼の変化に註を付けている。曇った頭に「こそこそしたところ」が加わり、それが彼を「恐れの対象から、恐れる主体へ」と微妙に変えた、というのである[12]。家族の慶事に動じるような男ではなかったのに、と語り手は続ける。何を恐れ始めたのかは書かれない。ただ、この直後から彼の行動が変わることは、以後の章が示していく。

同じ場面で彼は、孫の父について公に語った。娘の男はアイルズベリーのこちら側で見つかる限り上等な夫だと言い張り、丘のことを自分ほど知っていれば教会での式など望みはしないだろうと続けたうえで、いつかラヴィニーの子がセンティネル・ヒルの頂で父の名を呼ぶのを聞くことになる、と告げている[13]。孫の父について彼が口にしたのは、作中でこの一度きりである。この演説が物語の末尾でどう回収されるかは、ラヴィニア・ウェイトリーの記事の側で追える。

家を作り直す

工事は孫の誕生と同時に始まっている。多くある道具小屋の一つが不意に片付けられ、下見板が張られ、頑丈な新しい錠が付けられた[15]。この小屋が何のために用意されたのかを、原典はこの時点では説明しない。

次いで彼は材木を伐り、使っていなかった部分の修繕に取りかかった。家は後部が岩の丘へ完全に埋まった大きな切妻屋根の建物で、それまでは一階の傷みの少ない3部屋で彼と娘には足りていた[6]。語り手は、これだけの重労働をこなす老人には途方もない力の蓄えがあったに違いないと書き、時に譫言を口にしながらも、大工仕事のほうは正確な計算の跡を見せていたと付け加える[16]。狂気と正確さが同居している、という書き方は、この人物についての地の文の基本姿勢である。

取り戻した二階に、彼は一つだけ常軌を逸した手を加えた。窓をすべて固く板で塞いだのである。そもそも復旧する意味があるのかと言う者は多かった[17]。さらに改築の完了時、二階の窓の一つが厚板の扉に作り変えられていた。丘に接した東の切妻の裏側の窓であり、地面からその扉へ、桟を打った木の斜路が組み上げられていた。なぜそんなものが要るのか、誰にも見当がつかなかった[18]。

板で塞がれた窓、外からしか使えない高い位置の扉、地面から続く斜路。この三つは、中にいる何かが窓から見えてはならず、しかし何かが地面から中へ入る必要がある、という条件を満たしている。原典はその読み方を書かない。書かれているのは、村人が首をひねったという事実だけである。

蔵書を並べ替える

彼が受け継いでいたのは、二世紀にわたるウェイトリー家から伝わった大きな臭い本で、古さと虫食いのために急速に崩れつつあった[14]。この蔵書を、彼は孫の誕生後に整理し直す。孫のために一階の別室を整え、背の高い頑丈な棚を張り、それまで各部屋の隅に乱雑に積み上げられていた古書とその断片を、見たところ丁寧な順序で並べ始めたのである[19]。

その作業中の台詞が、原典に残る彼の言葉のうち最も穏やかなものになっている。錆びた台所のストーブで作った糊で、破れた黒体活字の頁を繕いながら、彼はこう言った。

わしも少しは使った。だがあの子のほうが、もっとうまく使えるはずだ。できる限り整えて渡してやらにゃならん。これがあの子の学問のすべてになるんだからな[20]

蔵書は道具ではなく、相続財産として扱われている。実際、ウィルバーがミスカトニック大学を訪ねたとき携えていたのは、彼が遺したジョン・ディー博士の英訳版『ネクロノミコン』の、不完全だが貴重な写しだった[40]。

教育は本を渡すだけで終わらない。1歳7か月になった1914年9月、ウィルバーの体格と能力は4歳児ほどになっていた[21]。その孫が祖父の本の奇妙な図版や図表を熱心に読みふけるあいだ、彼は長く静かな午後を通して、教え、問答で仕込み続けた[22]。

この仕込みの中身が一部だけ分かるのは、ずっと後、ヘンリー・アーミテージがウィルバーの日記を解読する第8章である。1916年11月26日の記述には「祖父が昨夜、ドー呪文をわたしに唱えさせ続けた」とあり[23]、同じ記述の後半には「地球を片付けられるまでには何年もかかると空から来た者たちがサバトで言った。その頃には祖父は死んでいるだろう」とも書かれている[24]。孫の側から見た彼は、教師であり、そして期限付きの教師だった。

牛と金貨

牛の買い込みは、ウィルバーの生後1か月のうちに始まっている。彼がカーティスから買った2頭のオルダニー種の牛を、「衰えていない」側の老ゼカライア・ウェイトリーが引いてきた。これが1928年まで続く買い込みの始まりだった[8]。

ところが群れは増えない。好奇心の強い村人が丘の斜面まで忍び寄って数えたことがあるが、貧血した血の気のない個体を10頭か12頭より多く見つけることはできなかった[25]。目に見える牛には切開めいた傷や爛れがあり、最初の数か月のうち一度か二度、訪ねた者が、灰色の髭を剃らない老人と、そのだらしのない縮れ毛の白皮症の娘の喉にも、似た爛れを見分けられるように思った[26]。この一行が、原典が彼の外見について書いた数少ない記述の一つでもある。

牛の行き先を推測させる材料は、においの形で現れた。改築が完了する頃、ウィルバーの誕生以来錠を下ろし窓なしに板を張っていた古い道具小屋が、再び放棄されていた。牛の売買で訪ねたアール・ソイヤーが中へ入ってみると、丘の上のインディアンの環の近く以外では生涯嗅いだことのない悪臭に出くわし、動転して出てきた。正気のものからも、この地上のものからも出てくるはずのないにおいだった、と彼は言い立てている[27]。

村人の連想はさらに先へ行った。板で塞がれた二階から響く物音と、外からしか使えない扉と斜路、そして速やかに消える牛を並べたとき、彼らは身震いしながら、彼の若い頃の話と、しかるべき時に牡牛を異教の神々へ捧げたときに地から呼び出されるものの話を思い出した[28]。第4章に入ると、この家の年中行事も定着する。年に二度センティネル・ヒルの頂で火が焚かれ、そのたびに山鳴りは激しさを増した[29]。訪ねた者は、封じられた二階で牛か牡牛がどれほど速く、あるいはどれほど時間をかけて屠られるのかと訝しんだ。

代金の払い方も村では話の種だった。彼は牛代をいつも、極めて古い年代の金貨で支払っていたのである[9]。

名前が新聞に載る

1917年、徴兵をめぐる政府の調査が報道関係者をウェイトリー家へ導いた[30]。ボストン・グローブ紙とアーカム・アドヴァタイザー紙の日曜版は、ウィルバーの早熟と並べて、彼の黒魔術、奇書の棚、古い農家の封じられた二階、そして地方全体と丘の唸りの奇怪さを、派手に書き立てた[31]。

ダニッチの住民は記事を読み、明らかな間違いを見つけてにやりとした。彼らが分からなかったのは、書き手たちがなぜ「極めて古い年代の金貨で牛代を払う」という一点をあれほど重く扱ったのか、という点である[9]。村の内側では日常の奇癖であり、外から見れば異常さの核心である——同じ事実に対する二つの読み方が、ここで並べて置かれている。

二階が空洞になる

1923年頃、ウィルバーが10歳の少年だった時期に、古い家で二度目の大規模な大工仕事が行われた。作業はすべて、封じられた上階の内側だった[32]。捨てられた材木の切れ端から村人が推測したところでは、孫と祖父は二階の間仕切りをすべて叩き壊し、屋根裏の床さえ取り払って、一階と切妻屋根のあいだに一つの巨大な空洞だけを残したのだった[33]。大きな中央の煙突も引き倒され、錆びたレンジには薄い外付けのブリキ煙突が付けられた。

住居としての体裁を捨ててまで容積を作る工事である。その理由は、翌年の彼の遺言の第一声で名指しされることになる。

ヨタカを数える

この工事の翌春、彼はコールド・スプリング・グレンから出てきて夜ごと窓の下で鳴くヨタカが増えていることに気づいた。彼はそれを大きな意味のある徴と見て、オズボーンの店の連中に、自分の時が近いと思う、と語っている[34]。

ダニッチではヨタカは死にゆく者の魂を待ち伏せる案内人だとされ、鳴き声を瀕死の者の息づかいに合わせて刻むのだと言われていた。体を離れる魂を捕らえられれば悪魔的な笑いを立てて飛び去り、取り逃がせば失望の沈黙へ沈んでいく、とも言われる[50]。この俗信を、彼は自分の身に当てはめて説明した。

あいつらは今、わしの息にぴったり合わせて鳴いておる。魂を捕らえる支度をしとるんだ。魂が出ていくのを知っていて、取り逃がすつもりはない。わしが死んだあと、あいつらがわしを捕まえたかどうかは、お前らにも分かる[35]

自分の死を、村の俗信の語彙で、期日と判定条件つきで予告している。この発言は、彼が原典で見せる最後の「予言」でもある。

1924年ラマスの夜

1924年のラマスの夜、ウィルバーが残る1頭の馬に鞭を当てて村のオズボーンの店から電話をかけ、アイルズベリーのヒューストン医師を呼んだ。医師が見たのは、心臓の動きと荒い呼吸から死期が近いと分かる、重篤な状態の彼だった[10]。枕元には形の崩れた白皮症の娘と、奇妙に髭の生えた孫が立っていた。頭上のがらんとした深みからは、平らな浜に寄せる波のような、律動的にうねる気配が伝わってきていた。

午前1時頃、彼は一度意識を取り戻し、喘ぎを中断して孫へ短く言葉を吐き出す。

もっと空間だ、ウィリー、じきにもっと空間が要る。お前は育つ——だがあれはもっと速く育つ。じきにお前の役に立つようになる。完全版の751頁にある長い詠唱で、ヨグ=ソトースへの門を開け。それから牢に火を放て。地上の火では、あれはどうやっても焼けん[4]

語り手はここへ一行だけ註を挟む。「彼は明らかにまったく狂っていた」[37]。そして外のヨタカの群れが変わった調子に鳴き方を合わせ、遠くから丘の唸りの気配が届くあいだの休止を置いて、彼はもう一言か二言を付け加えた。

規則正しく餌をやれ、ウィリー、量に気をつけろ。だが場所に対して速く育たせすぎるな。ヨグ=ソトースへ開く前にあれが囲いを破るか外へ出るかしたら、何もかも終わりで無駄になる。あれを増やし、働かせられるのは彼方から来る者だけだ……あの者たちだけだ、戻りたがっている古き者どもだけが[36]

死の床の言葉が、二階の空洞、751頁、火、餌の量、そして呼び戻されようとしている存在を一続きに並べている。この遺言は、彼が生前に説明しなかった工事と買い物のすべてに、事後的な説明を与える形になっている。

その後は喘ぎに戻り、1時間あまりのち最後の喉の鳴りが来た。鳥の騒ぎがいつの間にか静けさへ薄れていくなか、ヒューストン医師は曇っていく灰色の目に縮んだ瞼を引き下ろす。ラヴィニアはむせび泣き、ウィルバーは丘の唸りがかすかに鳴るなかで含み笑いを漏らしただけだった[38]。

鳥が静まったことについて、孫は重い低音で一言だけ呟いている。「やつらは捕まえなかった」[39]。彼自身が「わしが死んだあと、あいつらがわしを捕まえたかどうかは、お前らにも分かる」と条件を示しており[35]、捕らえれば笑って飛び去り取り逃がせば沈黙する、という村の俗信[50]に照らすなら、鳥の騒ぎが静けさへ薄れたこと[38]は、彼の魂が捕らえられなかったことを意味する。原典が彼の死について書いているのは、ここまでである。

死後に残ったもの

死後の彼は、物の形と、他人の口の中に残る。

孫が受け継いだのは蔵書だった。1928年、ミスカトニック大学の図書館を訪ねたウィルバーは、祖父が遺したディー博士の英訳版『ネクロノミコン』の不完全な写しを携えており、自分の欠落した巻の751頁に当たるはずの箇所を探していた[40]。祖父が死の床で口にした頁数が、そのまま孫の行動を規定している。

彼の遺言そのものも、物語の反対側へ渡っていた。ウィルバーの死後、ヘンリー・アーミテージはアイルズベリーのヒューストン医師と連絡を取り、医師が引用した祖父の最期の言葉に、考え込むべきものを多く見出している[41]。臨終に立ち会った医師の記憶を経由して、彼の指示は敵側の手札になった。

金貨だけは行方が知れない。ウィルバーの死後に遺品が調べられたが、彼と祖父がいつも支払いに使っていた古い金貨の出所は、まだ何一つ見つかっていない[42]。

村の言葉づかいの中では、彼の名は場所の名前になっていた。1928年の怪異のさなか、道に残された巨大な足跡を見て逃げ帰ったルーサー・ブラウン(ジョージ・コーリー家の雇い人の少年)は、そのにおいを「ウィザード・ウェイトリーの古い家の周りのにおい」と喩えている[43]。サリー・ソイヤーはさらに踏み込んで、ウィルバーと「オル・ウェイトリー」があの釘付けの家で、ウィルバーよりさらに人間でない何かを育てたに違いない、と電話口で語った[44]。彼の死から4年が経ち、名前は家と、その家で行われたことの代名詞になっている。

終盤、丘の上の存在を望遠鏡で見たカーティス・ウェイトリーの証言にも、彼の名が出る。その怪物の上に載った半ば形をなした人の顔は「ウィザード・ウェイトリーのに似ていた。ただし何ヤードもの大きさだった」[45]。続けて老ゼブロン・ウェイトリーが、15年前に彼が語った予言——いつかラヴィニーの子がセンティネル・ヒルの頂で父の名を呼ぶ——を思い出す[46]。雑貨店での演説[13]は、こうして予告どおりの場所で回収される。

ゼブロンについて、語り手は一行だけ補足を置いている。彼は伝統の強い家系の出であり、大きな石の環での詠唱についての記憶は、ウィルバーと祖父だけに結び付くものではなかった[47]。石の環と詠唱は、この一族だけの発明ではないという含みである。

締めくくりはアーミテージの言葉になる。怪異を追う場面で彼は村人に「あのウェイトリー家の者たちが魔術師だったことは、お前たちも知っているだろう。ならばこれは魔術の産物であり、同じ手段で片付けねばならない」と告げ[48]、事が済んだあとには、送り返したものについて「ウェイトリー家の者たちが、来たるべき出来事の恐ろしい役回りのためにそれを育てた」と述べている[49]。原典は最後まで、この計画の立案者を単数で名指ししない。責任は複数形の「ウェイトリー家の者たち」に置かれたままである。

別名・呼称

当サイトが原文を取得して数えた限り、彼を指す呼称は3種類である。

地の文の呼び方は「オールド・ウェイトリー(Old Whateley)」で一貫しており、本文中に16回現れる。作中に下の名は一度も出てこない。姓を共有する他の人物——老ゼカライア、カーティス、老ゼブロン、スクワイア・ソイヤー・ウェイトリー——には下の名が与えられているのに、彼にだけ与えられない。

村人は彼を「ウィザード・ウェイトリー(Wizard Whateley)」と呼ぶ。この綴りは本文に6回現れるが、そのうち1回は「若いウィザード・ウェイトリー(young Wizard Whateley)」でウィルバーを指しており、本人を指すのは5回である。その5回のうち4回は「ウィザード・ウェイトリーの(家)」のように場所を指す所有格で、におい[43]もその一つ。残る1回は丘の上の存在の顔が彼に似ていたという証言[45]で、これも本人が現れる場面ではない。

方言表記の「オル・ウェイトリー(Ol’ Whateley)」は3回。サリー・ソイヤーの電話[44]、ゼブロンの回想[46]、およびチョーンシーの伝聞に現れる。

呼び分けの傾向はおおむね揃っている。地の文は「オールド」を使って人物として扱い、村人は「ウィザード」を使って場所と噂の目印として扱う。彼自身が自分を何と呼んだかは書かれていない。

人物像・性格

原典が彼に与えた性格は、三つの面から書かれている。

第一に、狂気と正確さの同居である。語り手は彼を「半ば正気を失った(half-insane)」と紹介し[1]、時に譫言を口にしたとも書く。しかし同じ文で、大工仕事のほうは正確な計算の跡を見せていたと付け加えている[16]。遺言の場面でも構図は変わらない。「彼は明らかにまったく狂っていた」という註[37]が、頁数まで指定した具体的な手順[4]の直後に置かれている。狂人として扱いながら、その指示が的確であることを地の文が否定しない——この二重性は最後まで解消されない。

第二に、老いに不釣り合いな体力である。あれだけの重労働をこなすには途方もない力の蓄えがあったに違いない、と語り手は書く[16]。改築は材木の伐り出しから始まり、二階の復旧、窓の板張り、厚板の扉と斜路の設置、そして1923年頃の間仕切りの解体まで、10年以上にわたって続いた[32][33]。

第三に、孫への一貫した関心である。道具小屋に錠を付けたのも[15]、蔵書を並べ替えたのも[19]、午後を潰して教え込んだのも[22]、すべて孫の誕生以後に始まっている。蔵書について語った言葉も、自分の使い道ではなく孫の使い道を基準にしていた[20]。娘ラヴィニアに対しては古い伝承の断片を教えた記述があるだけで[2]、二階の仕事に加わっているのは孫だけである[33]。

当サイトが原文を通しで検索した限り、作中の現在時制において、彼が呪文を唱える場面、何かを召喚する場面は見当たらない。石の環でヨグ=ソトースの名を叫んだ話は「昔の魔術」として過去形で語られ[3]、二階で行われていたことは扉の外からの物音と悪臭としてのみ提示される[27][28]。「ダニッチの怪」が彼に与えた行為は、買うこと、建てること、並べること、教えること、そして死ぬ間際に手順を渡すことである。

生涯・経歴

原典から年を追える出来事は、孫の誕生以降に集中している。

生年は書かれていない。ラヴィニアが1913年2月に35歳だったことから逆算すれば娘は1877年から78年頃の生まれになるが、彼自身の年齢は原典に無く、そこからの逆算はできない。分かるのは、ラヴィニアが12歳のとき——1889年から90年頃——に妻を変死で失っていること[7]、そしてその時点ですでに黒魔術の評判が立っていたこと[2]である。若い頃に最も恐ろしい魔術の噂を囁かれた、という紹介[1]と、石の環でヨグ=ソトースの名を叫んだという昔話[3]は、いずれもこれより前の出来事を指している。

1913年2月2日、孫ウィルバーが生まれる[11]。この日を境に彼の行動が変わる。同時期に道具小屋へ錠が付き[15]、1週間後には村で孫の父について演説し[12][13]、生後1か月のうちに牛の買い込みが始まった[8]。家の改築も並行して進み、二階の窓はすべて板で塞がれ[17]、完了時には厚板の扉と木の斜路が付いていた[18]。孫の部屋には棚が張られ、二世紀分の蔵書が並べ直された[14][19]。

1914年9月、1歳7か月の孫は4歳児ほどの大きさに育っており[21]、彼は長い午後を通して教え、問答で仕込むようになる[22]。1916年11月の孫の日記には、彼がドー呪文を唱えさせ続けたことが記されている[23]。

1917年、徴兵調査をきっかけに新聞が彼の黒魔術と封じられた二階を書き立てた[30][31]。1923年頃、二度目の大工仕事で二階は一つの巨大な空洞になる[32][33]。

その翌春、彼はヨタカの増加を自分の死の徴と読み、村で公言した[34][35]。1924年のラマスの夜に危篤となり[10]、午前1時頃に孫へ遺言を告げ[4][36]、1時間あまりのち息を引き取った[38]。埋葬について原典は何も書いていない。

死後の出来事に彼の名が出るのは、遺した蔵書[40]、医師を経由して敵側へ渡った遺言[41]、行方の知れない金貨[42]、そして村人が家と怪異を指すときの呼び名[43][44][45][46]としてである。

他の人物・存在との関係

ラヴィニア・ウェイトリー(娘) — 学校へ行かなかった娘に古い伝承の断片を教え[2]、蔵書を残した[14]。孫の父について村で語ったのも彼である[13]。臨終の場に立ち会った娘は、ヨタカが喘ぎに合わせて鳴き方を変えるのに悲鳴を上げ、死後はむせび泣いた[38]。二階の仕事に娘が加わったという記述は原典に無い。

ウィルバー・ウェイトリー(孫) — 蔵書の相続人であり[19][40]、教育の対象であり[22][23]、遺言の宛先である[4][36]。1923年頃の二度目の改築は孫と二人で行われた[33]。孫の顎の無さは、母と祖父から受け継いだものとされる[51]。臨終の場で孫が漏らしたのは含み笑いと「やつらは捕まえなかった」の一言だけだった[38][39]。

ウェイトリー夫人(妻) — ラヴィニアが12歳のときに変死した[7]。原典に名も、死の事情の説明も無い。

ヨグ=ソトース — 昔の魔術の挿話で彼が叫んだ名であり[3]、遺言で「門を開け」と指定した相手でもある[4]。遺言はさらに、増やし働かせられるのは「彼方から来る者」「戻りたがっている古き者ども」だけだと続く[36]。彼自身とこの存在との関係を説明する場面は原典に無い。

ダニッチの怪(存在) — 遺言で彼が「あれ」と呼び、餌の量を守れ、囲いを破らせるなと指示した対象[4][36]。二階の空洞[33]と牛の買い込み[8][25]は、この存在をめぐる記述と結び付けて読める。ただし原典は彼の口から、それが何であるかを説明させていない。

ヒューストン医師 — 1924年のラマスの夜に呼ばれ、臨終を看取った[10][38]。彼の最期の言葉を外部へ伝えた唯一の人物であり、その引用がアーミテージの調査材料になった[41]。

ヘンリー・アーミテージ — 直接会う場面は無い。孫の日記と医師の証言を通して彼の計画を再構成し[41]、「あのウェイトリー家の者たちが魔術師だった」と村人に告げ[48]、最後に「ウェイトリー家の者たちがそれを育てた」と総括する[49]。

アール・ソイヤー — 牛の売買相手。放棄された道具小屋に入り、悪臭を証言した[27]。

老ゼブロン・ウェイトリー — 健全と退廃の中間の枝の老人。終盤で彼の予言を思い出す[46]。石の環での詠唱についての記憶は、ウィルバーと祖父だけに結び付くものではなかったと語り手は書く[47]。

主要登場作と読みどころ(3〜5作)

  • 「ダニッチの怪」(1928年夏執筆/1929年4月発表): 唯一の登場作[5]。彼が地の文に現れるのは第2章から第4章までで、第5章以降は遺品と伝聞として残る。読みどころは、儀式を一度も見せないまま、買い物・大工仕事・本の整理という日常の作業だけで計画が進んでいく書き方にある。何のための工事だったかは、死の床の数行で一気に明かされる。
  • あわせて読む「ラヴィニア・ウェイトリー」: 同じ家を娘の側から追う記事。二階から外されていく娘の位置と、二階を作った父の位置を並べると、この家の構図が見えやすい。
  • あわせて読む「ウィルバー・ウェイトリー」: 蔵書と遺言を受け取った側の記事。751頁の指定[4]がミスカトニック大学での行動[40]にどうつながるかは、こちらで追える。
  • あわせて読む「ダニッチの怪(存在)」: 遺言が「あれ」と呼んだ対象を扱う記事。餌と容積の話がどこへ行き着くかはこの記事の側にある。
  • あわせて読む「ダニッチ」: 彼の評判を作った村そのものの記事。黒魔術の噂[2]と石の環[3]を、土地の側の事情から読み直せる。

よくある誤解(Q&A)

Q. オールド・ウェイトリーの下の名前は何ですか? A. 原典は与えていない。当サイトが本文を取得して検索した限り、彼を指す表記は「オールド・ウェイトリー」(16回)、「ウィザード・ウェイトリー」(6回のうち1回は孫を指す)、「オル・ウェイトリー」(3回)の3種類だけで、下の名は一度も現れない。姓を共有する老ゼカライア、カーティス、老ゼブロン、スクワイア・ソイヤーには下の名があるだけに、欠落は目立つ。

Q. カーティス・ウェイトリーは彼の息子ですか? A. 原文は牛の売り手について「オールド・ウェイトリーが彼の息子カーティスから買った」と書いており、「彼の」が誰を指すかは文面だけでは確定しない[8]。直前の主語は老ゼカライア・ウェイトリーであり、カーティスは終盤で「衰えていない側の枝の」と明記される。退廃した側に属する[1]オールド・ウェイトリーの息子と読むのは、この二点と噛み合わない。当サイトは原文が明示していない以上、断定しない立場を取る。

Q. 彼はダニッチの怪(存在)を自分で呼び出したのですか? A. 原典にその場面は無い。彼が何かを呼んだと書かれているのは、石の環でヨグ=ソトースの名を叫んで丘を震わせたという「昔の魔術」の噂だけで[3]、時期も内容も特定されていない。遺言の側から分かるのは、彼が「あれ」の存在を知り、育て方と処分の手順を把握していたことである[4][36]。誕生の経緯について、アーミテージは最後に「ウェイトリー家の者たちが育てた」と複数形で述べるにとどまる[49]。

Q. 彼はなぜ家の二階を空洞にしたのですか? A. 工事そのものは第3章と第4章で淡々と報告され、理由は書かれない[17][33]。説明が与えられるのは死の床の第一声「もっと空間だ、ウィリー、じきにもっと空間が要る。お前は育つ——だがあれはもっと速く育つ」である[4]。原典は、工事が先で説明が後、という順序を意図的に取っている。

Q. 彼が使っていた古い金貨はどこから来たのですか? A. 原典は答えていない。彼は牛代をいつも極めて古い年代の金貨で払っており[9]、新聞記者がその点を重く扱ったことを村人は訝しんだ。孫の死後に遺品が調べられた際も、彼と孫が支払いに使っていた金貨の出所は何一つ見つかっていない[42]。

Q. 彼の墓はどこにありますか? A. 原典は彼の埋葬にも墓にも触れていない。当サイトが本文を検索した限り、葬儀・棺・墓地に当たる語は一度も現れない。埋葬(burial)の語が出る1回は、丘の上の石の環をポカムタック族の埋葬地とみなす土地の俗説についての記述で、彼とは関係がない。書かれているのは、1924年のラマスの夜にヒューストン医師が瞼を下ろしたところまでである[38]。

出典

引用はすべて The H. P. Lovecraft Archive が公開する「ダニッチの怪」本文ページから、当サイトが取得して確認した。訳は当サイトの試訳。

  • [1] “living with an aged and half-insane father about whom the most frightful tales of wizardry had been whispered in his youth”(訳: 老いて半ば正気を失った父と暮らしていた。若い頃には、その父について最も恐ろしい魔術の噂が囁かれていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [2] “The remote farmhouse had always been feared because of Old Whateley’s reputation for black magic”(訳: 人里離れた農家は、オールド・ウェイトリーの黒魔術の評判のためにかねて恐れられていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [3] “the hills once shook when he shrieked the dreadful name of Yog-Sothoth in the midst of a circle of stones with a great book open in his arms before him”(訳: かつて丘が震えたのは、彼が石の環の真ん中で、大きな本を腕に開いたまま、ヨグ=ソトースの恐ろしい名を叫んだときだった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [4] “Open up the gates to Yog-Sothoth with the long chant that ye’ll find on page 751 of the complete edition, an’ then put a match to the prison.”(訳: 完全版の751頁にある長い詠唱でヨグ=ソトースへの門を開け。それから牢に火を放て) — 「ダニッチの怪」(1929年)第4章、1924年ラマスの夜の遺言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [5] “Weird Tales vol. 13, no. 4 (April 1929): 481-508.”(訳: 『ウィアード・テイルズ』第13巻第4号(1929年4月)481〜508頁) — 「ダニッチの怪」データページ, The H. P. Lovecraft Archive。執筆時期は同サイトの作品一覧が「The Dunwich Horror (Summer 1928)」と記す — The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [6] “a spacious, peaked-roofed affair whose rear end was buried entirely in the rocky hillside, and whose three least-ruined ground-floor rooms had always been sufficient for himself and his daughter”(訳: 後部が岩の丘へ完全に埋まった大きな切妻屋根の建物で、傷みの少ない一階の3部屋が、それまで彼と娘には足りていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [7] “the unexplained death by violence of Mrs. Whateley when Lavinia was twelve years old had not helped to make the place popular”(訳: ラヴィニアが12歳のときのウェイトリー夫人の原因の分からない変死も、その土地の評判を良くしはしなかった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [8] “Zechariah came to lead a pair of Alderney cows which Old Whateley had bought of his son Curtis. This marked the beginning of a course of cattle-buying”(訳: ゼカライアは、オールド・ウェイトリーが彼の息子カーティスから買ったオルダニー種の牛2頭を引いてきた。これが牛の買い込みの始まりだった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [9] “Old Whateley always paid for his cattle in gold pieces of extremely ancient date”(訳: オールド・ウェイトリーはいつも牛代を極めて古い年代の金貨で支払っていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [10] “He found Old Whateley in a very grave state, with a cardiac action and stertorous breathing that told of an end not far off.”(訳: 医師はオールド・ウェイトリーを、心臓の動きと荒い呼吸が死期の近さを告げる、極めて重篤な状態に見出した) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [11] “Wilbur Whateley was born at 5 A.M. on Sunday, the second of February, 1913″(訳: ウィルバー・ウェイトリーは1913年2月2日日曜の午前5時に生まれた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [12] “There seemed to be a change in the old man—an added element of furtiveness in the clouded brain which subtly transformed him from an object to a subject of fear”(訳: 老人には変化があったように見えた。曇った頭に加わったこそこそしたところが、彼を微妙に、恐れの対象から恐れる主体へ変えていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [13] “I calc’late her man is as good a husban’ as ye kin find this side of Aylesbury … some day yew folks’ll hear a child o’ Lavinny’s a-callin’ its father’s name on the top o’ Sentinel Hill!”(訳: あの子の男は、アイルズベリーのこちら側で見つかる限り上等な夫だとわしは思う……いつかお前らは、ラヴィニーの子がセンティネル・ヒルの頂で父の名を呼ぶのを聞くことになる) — 「ダニッチの怪」(1929年)第2章、オズボーンの雑貨店での発言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [14] “the great odorous books which her father had inherited through two centuries of Whateleys, and which were fast falling to pieces with age and worm-holes”(訳: 父が二世紀にわたるウェイトリー家から受け継いだ大きな臭い本。古さと虫食いのために急速に崩れつつあった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [15] “It had already begun as soon as Wilbur was born, when one of the many tool-sheds had been put suddenly in order, clapboarded, and fitted with a stout fresh lock.”(訳: それはウィルバーが生まれるとすぐに始まっていた。多くある道具小屋の一つが不意に片付けられ、下見板が張られ、頑丈な新しい錠が付けられたのである) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [16] “though he still babbled dementedly at times, his carpentry seemed to shew the effects of sound calculation”(訳: 時に譫言を口にしながらも、大工仕事のほうは正確な計算の跡を見せていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [17] “His mania shewed itself only in his tight boarding-up of all the windows in the reclaimed section”(訳: 彼の常軌を逸したところが現れたのは、取り戻した区画の窓をすべて固く板で塞いだ点だけだった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [18] “It was a window in the rear of the east gable end, close against the hill; and no one could imagine why a cleated wooden runway was built up to it from the ground”(訳: それは丘に接した東の切妻の裏側の窓であり、なぜ地面からそこへ桟を打った木の斜路が組み上げられたのか、誰にも見当がつかなかった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [19] “This chamber he lined with tall, firm shelving; along which he began gradually to arrange, in apparently careful order, all the rotting ancient books and parts of books”(訳: この部屋に彼は背の高い頑丈な棚を張り、そこへ、崩れかけた古書とその断片のすべてを、見たところ丁寧な順序で少しずつ並べ始めた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [20] “but the boy’s fitten to make better use of ‘em. He’d orter hev ‘em as well sot as he kin, for they’re goin’ to be all of his larnin’.”(訳: だがあの子のほうが、もっとうまく使えるはずだ。できる限り整えて渡してやらにゃならん。これがあの子の学問のすべてになるんだからな) — 「ダニッチの怪」(1929年)第3章、蔵書を繕いながらの発言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [21] “When Wilbur was a year and seven months old—in September of 1914—his size and accomplishments were almost alarming. He had grown as large as a child of four”(訳: ウィルバーが1歳7か月だった1914年9月、その体格と能力はほとんど不安を抱かせるほどで、4歳児ほどの大きさに育っていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [22] “Old Whateley would instruct and catechise him through long, hushed afternoons”(訳: オールド・ウェイトリーは長く静かな午後を通して、彼を教え、問答で仕込んだ) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [23] “Grandfather kept me saying the Dho formula last night”(訳: 祖父が昨夜、ドー呪文をわたしに唱えさせ続けた) — 「ダニッチの怪」(1929年)第8章に引かれたウィルバーの日記、1916年11月26日の記述, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [24] “it will be years before I can clear off the earth, and I guess grandfather will be dead then”(訳: 地球を片付けられるまでには何年もかかる。その頃には祖父は死んでいるだろう) — 「ダニッチの怪」(1929年)第8章に引かれたウィルバーの日記、1916年11月26日の記述, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [25] “they could never find more than ten or twelve anaemic, bloodless-looking specimens”(訳: 彼らは貧血した血の気のない個体を10頭か12頭より多く見つけることはできなかった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [26] “certain callers fancied they could discern similar sores about the throats of the grey, unshaven old man and his slatternly, crinkly-haired albino daughter”(訳: 訪ねた者は、灰色の髭を剃らない老人と、そのだらしのない縮れ毛の白皮症の娘の喉にも、似た爛れを見分けられるように思った) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [27] “such a stench, he averred, as he had never before smelt in all his life except near the Indian circles on the hills, and which could not come from anything sane or of this earth”(訳: 丘の上のインディアンの環の近く以外では生涯嗅いだことのない悪臭で、正気のものからも、この地上のものからも出てくるはずがない、と彼は言い立てた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [28] “Then they shuddered as they recalled tales of Old Whateley’s youth, and of the strange things that are called out of the earth when a bullock is sacrificed at the proper time to certain heathen gods.”(訳: そして彼らは、オールド・ウェイトリーの若い頃の話と、しかるべき時に牡牛がある異教の神々へ捧げられたときに地から呼び出される奇怪なものの話を思い出して身震いした) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [29] “Twice a year they would light fires on the top of Sentinel Hill, at which times the mountain rumblings would recur with greater and greater violence”(訳: 年に二度、彼らはセンティネル・ヒルの頂で火を焚き、そのたびに山鳴りがいっそう激しさを増して戻ってきた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [30] “It was the publicity attending this investigation which set reporters on the track of the Whateleys”(訳: この調査に伴う報道が、記者たちをウェイトリー家の追跡へ向かわせた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [31] “flamboyant Sunday stories of young Wilbur’s precociousness, Old Whateley’s black magic, the shelves of strange books, the sealed second story of the ancient farmhouse”(訳: 幼いウィルバーの早熟、オールド・ウェイトリーの黒魔術、奇書の棚、古い農家の封じられた二階についての、派手な日曜版の記事) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [32] “About 1923, when Wilbur was a boy of ten … a second great siege of carpentry went on at the old house. It was all inside the sealed upper part”(訳: 1923年頃、ウィルバーが10歳の少年だった時期に……古い家で二度目の大規模な大工仕事が行われた。作業はすべて封じられた上階の内側だった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [33] “the youth and his grandfather had knocked out all the partitions and even removed the attic floor, leaving only one vast open void between the ground story and the peaked roof”(訳: 若者と祖父は間仕切りをすべて叩き壊し、屋根裏の床さえ取り払って、一階と切妻屋根のあいだに一つの巨大な空洞だけを残した) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [34] “He seemed to regard the circumstance as one of great significance, and told the loungers at Osborn’s that he thought his time had almost come.”(訳: 彼はその出来事を大きな意味のあるものと見なしているようで、オズボーンの店の連中に、自分の時がほぼ来たと思うと語った) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [35] “They whistle jest in tune with my breathin’ naow … Yew’ll know, boys, arter I’m gone, whether they git me er not.”(訳: あいつらは今、わしの息にぴったり合わせて鳴いておる……わしが死んだあと、あいつらがわしを捕まえたかどうかは、お前らにも分かる) — 「ダニッチの怪」(1929年)第4章、ヨタカについての発言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [36] “Feed it reg’lar, Willy, an’ mind the quantity … Only them, the old uns as wants to come back.”(訳: 規則正しく餌をやれ、ウィリー、量に気をつけろ……あの者たちだけだ、戻りたがっている古き者どもだけが) — 「ダニッチの怪」(1929年)第4章、遺言の続き, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [37] “He was obviously quite mad. After a pause”(訳: 彼は明らかにまったく狂っていた。休止のあと) — 「ダニッチの怪」(1929年)第4章、遺言に付された語り手の註, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [38] “Dr. Houghton drew shrunken lids over the glazing grey eyes as the tumult of birds faded imperceptibly to silence. Lavinia sobbed, but Wilbur only chuckled”(訳: 鳥の騒ぎがいつの間にか静けさへ薄れていくなか、ヒューストン医師は曇っていく灰色の目に縮んだ瞼を引き下ろした。ラヴィニアはむせび泣いたが、ウィルバーは含み笑いを漏らしただけだった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [39] “They didn’t git him … he muttered in his heavy bass voice”(訳: やつらは捕まえなかった……と彼は重い低音で呟いた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [40] “Wilbur had with him the priceless but imperfect copy of Dr. Dee’s English version which his grandfather had bequeathed him”(訳: ウィルバーは、祖父が遺贈したディー博士の英訳版の、値のつけようのない、しかし不完全な写しを携えていた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [41] “He got in communication with Dr. Houghton of Aylesbury, who had attended Old Whateley in his last illness, and found much to ponder over in the grandfather’s last words as quoted by the physician.”(訳: 彼はオールド・ウェイトリーの最後の病を診たアイルズベリーのヒューストン医師と連絡を取り、医師が引用した祖父の最期の言葉に、考え込むべきものを多く見出した) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [42] “No trace of the ancient gold with which Wilbur and Old Whateley always paid their debts has yet been discovered.”(訳: ウィルバーとオールド・ウェイトリーがいつも支払いに使っていた古い金貨の痕跡は、まだ何一つ見つかっていない) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [43] “An’ the smell was awful, like what it is araound Wizard Whateley’s ol’ haouse.”(訳: それに、においがひどかった。ウィザード・ウェイトリーの古い家の周りのにおいのようだった) — 「ダニッチの怪」(1929年)第6章、ルーサー・ブラウンの証言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [44] “I think he an’ Ol’ Whateley must a raised suthin’ in that there nailed-up haouse as ain’t even so human as he was.”(訳: あの男とオル・ウェイトリーは、あの釘付けの家で、あの男よりさらに人間でない何かを育てたに違いないと思う) — 「ダニッチの怪」(1929年)第6章、サリー・ソイヤーの電話, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [45] “they was a haff-shaped man’s face on top of it, an’ it looked like Wizard Whateley’s, only it was yards an’ yards acrost”(訳: その上には半ば形をなした人の顔が載っていて、ウィザード・ウェイトリーのに似ていた。ただし何ヤードもの大きさだった) — 「ダニッチの怪」(1929年)第10章、カーティス・ウェイトリーの証言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [46] “Fifteen year’ gone … I heerd Ol’ Whateley say as haow some day we’d hear a child o’ Lavinny’s a-callin’ its father’s name on the top o’ Sentinel Hill.”(訳: 15年前……いつかラヴィニーの子がセンティネル・ヒルの頂で父の名を呼ぶのを聞くことになると、オル・ウェイトリーが言うのを聞いた) — 「ダニッチの怪」(1929年)第10章、老ゼブロン・ウェイトリーの回想, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [47] “He came of a line where tradition ran strong, and his memories of chantings in the great stone circles were not altogether connected with Wilbur and his grandfather.”(訳: 彼は伝統の強い家系の出であり、大きな石の環での詠唱についての記憶は、ウィルバーと祖父だけに結び付くものではなかった) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [48] “You men know that those Whateleys were wizards—well, this thing is a thing of wizardry, and must be put down by the same means.”(訳: あのウェイトリー家の者たちが魔術師だったことは、お前たちも知っているだろう——ならばこれは魔術の産物であり、同じ手段で片付けねばならない) — 「ダニッチの怪」(1929年)第9章、ヘンリー・アーミテージの発言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [49] “the Whateleys raised it for a terrible part in the doings that were to come”(訳: ウェイトリー家の者たちが、来たるべき出来事の恐ろしい役回りのためにそれを育てた) — 「ダニッチの怪」(1929年)第10章、ヘンリー・アーミテージの発言, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [50] “It is vowed that the birds are psychopomps lying in wait for the souls of the dying … if they fail, they subside gradually into a disappointed silence.”(訳: 鳥たちは死にゆく者の魂を待ち伏せる案内人だと言われている……取り逃がせば、少しずつ失望の沈黙へ沈んでいく) — 「ダニッチの怪」(1929年)第1章、ダニッチの俗信, The H. P. Lovecraft Archive ↩
  • [51] “he shared his mother’s and grandfather’s chinlessness”(訳: 彼は母と祖父の顎の無さを共有していた) — 「ダニッチの怪」(1929年), The H. P. Lovecraft Archive ↩
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