概要
本作はルースアンナ・エムリス(Ruthanna Emrys)が2018年にTor Booksから発表した長編小説で、〈インスマス・レガシー〉シリーズの続編にあたる。前作『Winter Tide』で強制収容からの生還と復権を果たしたアフラ・マーシュを主人公に、彼女が離散した一族の生き残りを探し出し、かつての故郷インスマスの再興を目指す姿を描く。物語の舞台は1949年のニューヨーク。都市部に散らばった血縁者を訪ね歩く中で、アフラたちは失踪事件の不穏な気配に気づき、その背後に潜む陰謀へと巻き込まれていく。冷戦初期のアメリカ社会を背景に、差別や監視社会の恐怖と、「よそ者」とされた一族が居場所を取り戻そうとする再生の物語が並走する構成になっている。本作はローカス賞ファンタジー長編部門とドラゴン賞の最終候補にも選出された。
クトゥルフ神話との関係
本シリーズはラヴクラフトの中編『インスマスの影』を直接の原典とし、そこで「忌まわしい怪物」として一方的に描かれたインスマスの住民=深きものの末裔たちの視点から神話世界を語り直す試みである。深きものの信仰対象とされるダゴンやヒュドラといった存在への言及、「変容」して海へ還っていく一族の生態など、原典の設定を丁寧に継承しながら、それを恐怖の対象ではなく固有の文化・信仰として内側から描き直している。強制収容というモチーフも、原作で示唆された政府によるインスマス強制捜査・収容の史実的空白を埋める形で構築されており、原典の設定を土台にしつつ大きく物語世界を拡張している。
独自の要素・原典との違い
最大の違いは語りの視点そのものにある。ラヴクラフトの原典では「人間ならざる異形」として恐怖の対象だったインスマスの住民が、本作では感情豊かな主人公として描かれ、読者は彼らの喪失・忍耐・再生の物語に感情移入する構造になっている。人種差別・強制収容・監視社会といった現実の歴史的暴力のアナロジーとしてラヴクラフト神話を再利用する手法も特徴的で、原典が前提とした「血統への恐怖」というテーマを反転させ、血統こそが守るべき家族・共同体の絆として肯定的に描き直している点が独自性の核となっている。