概要
ロンドン、テムズ川対岸のサザーク街地下にある私設蝋人形館[1]。マダム・タッソー館の元スタッフだったジョージ・ロジャーズが独立して開いた施設で、一般公開区画の奥に「アダルト向け」として仕切られた特別な一角があり、そこには神話の存在を象った蝋人形とともに、本物が紛れ込んでいた。
基本プロフィール
- 分類: 地名(施設)
- 欧文表記: ROGERS’ MUSEUM
- 初出・出典: 「博物館の恐怖」(1932年10月執筆、Weird Tales誌1933年7月号発表)
- 所在: ロンドン、サザーク街地下
- 館主: ジョージ・ロジャーズ(元マダム・タッソー館スタッフ)
原典での描写
サザーク街の博物館の外観と立地
ロジャーズ博物館は「博物館の恐怖」冒頭で、テムズ川対岸のサザーク街にある奇妙な地下の場所として紹介される。スティーヴン・ジョーンズは、マダム・タッソー館の最悪の効果作品よりもさらに恐ろしい蝋製の品々が並ぶという噂を人づてに聞き、ある4月の日、どれほど期待外れかを確かめようとふらりと立ち寄った[7]。物語終盤でジョーンズがロジャーズと最後に落ち合う場面でも、待ち合わせ場所は「サザーク街の地下入口」と記され、館の全体が路面下の一室に収まっていることがうかがえる。
通常の蝋人形と「大人のみ」の別室
館内の大半は、ランドリューやクリッペン医師ら実在・準実在の猟奇犯罪者を象った、見世物小屋にありがちな展示で占められている(この点は「概要」節の引用[1]を参照)。それに加えてロジャーズは「奇形学と悪夢の図像学」を趣味とし、最悪の効果作品のいくつかを「大人のみ」の特別な小部屋に仕切っておく分別を持っていた[8]。この小部屋に並ぶ神話的存在の蝋人形の描写は、「歴史・年表」節の引用[4]のとおりである。
作業場と奥の部屋、鍵のかかった扉
展示室の奥には工房と事務室を兼ねた一室があり、その一方の端に、頑丈な板でできた扉が現れる。扉は異様に大きな南京錠で閉ざされ、上部には奇妙な記号が描かれていた。かつてネクロノミコンに触れたことのあるジョーンズは、その記号を見分けて思わず身震いする[9]。この扉は物語を通じてほとんど開かれることがなく、常に施錠されたままの場所として繰り返し言及される。
夜の博物館で語り手が見るもの
ロジャーズの挑発を受け、ジョーンズは展示物の並ぶ本館の一室で独り夜を明かすことになる。ロジャーズは工房のスイッチで館内の灯りをすべて消すと、扉に鍵をかけて立ち去った。光線がひらめくたびに、ギロチンや名状しがたい雑種の怪物、悪意にゆがんだ無精髭の顔、切断された喉から真紅の奔流を流す死体といった陰惨な展示物が浮かび上がったという[10]。深夜零時、遠くの鐘の音が闇を通して響き、ジョーンズは、まだ生き残っている外の世界からの知らせに勇気づけられた[11]。ロジャーズはかつて、「ある事情」から鼠も虫もこの場所には近寄らないと豪語しており、静寂はほとんど完全だった。
由来・モデル
「博物館の恐怖」は、依頼者ヘイゼル・ヒールドの原案をラヴクラフトが大幅に代筆・改稿した「リヴィジョン」作品の一つである。舞台となるロンドンのサザーク街(テムズ川南岸、歴史的に見世物小屋や興行が集まった地区)は実在の地名であり、実在のマダム・タッソー館(ロンドンの著名な蝋人形館)と対比させる形で、その「裏側」に位置する私設の見世物小屋という虚実織り交ぜた設定が組まれている。
歴史・年表
館主ジョージ・ロジャーズは、マダム・タッソー館在職中に何らかのトラブルで解雇された経歴を持つ人物として描かれ、彼の正気や、密かに行っているとされる秘教信仰についての噂が絶えなかった[2]。長身で痩せ型、無精髭を生やした顔から黒々とした両目が燃えるように光る、という風貌で描写される[3]。彼の私設博物館は、ランドリュー(フランスの殺人犯)、クリッペン医師、レディ・ジェーン・グレイら実在・準実在の猟奇犯罪者や歴史上の人物を象った通常の展示に加え[1]、地下の工房で自ら蝋人形を製作しており、その技量と着想は常軌を逸したものと評されていた。
常連客スティーヴン・ジョーンズとの交流の中で、ロジャーズは次第に、ネクロノミコン・エイボンの書・「名状しがたきものども」といった禁書を通じて古のものたちの隠れ処を突き止め、実際に「発見」をもたらしたのだと打ち明けるようになる。彼の「アダルト向け」の一角に並ぶツァトゥグァ・クトゥルフ・チャウグナー・フォーンらの蝋人形は、通常のゴシック的怪物像(ゴルゴン、キマイラ、竜、キュクロプスなど)よりもさらに奥、地底に囁かれる神話に由来するものとして特別に区別されていた[4]。物語の結末、ロジャーズが「捧げたのは私ではない、その働きだ」と語る場面[5]の後、展示されていたはずの「犠牲者」の首がかつて人間だったことを示す痕跡——生前のロジャーズの左頬にあった傷跡とまったく同じ裂傷[6]——が発見され、蝋人形と本物とがすでに入れ替わっていたことが明らかになる。
性質・特徴
一見ありふれた見世物小屋という体裁の下に、神話の存在が実在する証拠を密かに隠すという構図は、日常に紛れ込む宇宙的恐怖というラヴクラフト作品の典型的な演出手法の一例である。マダム・タッソー館という実在の著名施設からの「解雇」という設定は、ロジャーズを主流の見世物興行から逸脱した異端者として位置づける役割を果たしている。
関連する人物・存在・出来事
館主ジョージ・ロジャーズと、彼の挑発に応じて夜間の館内滞在を引き受ける常連客スティーヴン・ジョーンズが物語の中心人物。蝋人形として並ぶ神格にはツァトゥグァ・クトゥルフ・チャウグナー・フォーンのほか、ラーン=テゴスの存在も言及される(ラーン=テゴス記事も参照)。同じくロンドンを舞台にした他のラヴクラフト作品との直接的な地理的接続は明言されない。
主要登場作と読みどころ
- 「博物館の恐怖」(1932年執筆/1933年発表): 唯一の登場作にして中心となる原典。ヘイゼル・ヒールドとの共作(実質はラヴクラフトによる大幅な代筆)。夜を徹して館内に留まるという古典的な怪談の型式を踏まえつつ、蝋人形と実物の境界が最後まで判然としない構成が読みどころ。
よくある誤解・設定の食い違い
Q. ロジャーズ博物館とマダム・タッソー館は同じ施設ですか?A. いいえ。マダム・タッソー館は実在するロンドンの著名な蝋人形館で、ロジャーズはそこの元スタッフという設定です。ロジャーズ博物館自体は完全な架空の私設施設です。
Q. 「博物館の恐怖」はラヴクラフトの単独作品ですか?A. 正確には共作(リヴィジョン)作品です。依頼者ヘイゼル・ヒールドの名義で発表されていますが、実質的な文章の大部分はラヴクラフトが代筆したとされています。
出典
- [1] “There was something different and distinctive here, after all. Of course, the usual gory commonplaces were present—Landru, Dr. Crippen, Madame Demers, Rizzio, Lady Jane Grey…”(訳: 「結局のところ、ここには何か違う、際立ったものがあった。もちろん、ありきたりの血なまぐさい定番展示——ランドリュー、クリッペン医師、ドゥメール夫人、リッツィオ、レディ・ジェーン・グレイなど——は存在した」) — H. P. Lovecraft & Hazel Heald, “The Horror in the Museum”(1932年執筆/1933年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “The man had been on the Tussaud staff, but some trouble had developed which led to his discharge. There were aspersions on his sanity and tales of his crazy forms of secret worship.”(訳: 「その男はタッソー館のスタッフだったが、何らかのトラブルが生じ解雇に至った。彼の正気を疑う中傷や、狂った秘密崇拝の噂が絶えなかった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “The man was tall, lean, and rather unkempt, with large black eyes which gazed combustively from a pallid and usually stubble-covered face.”(訳: 「男は背が高く痩せていて、やや無精な身なりをしており、青白く大抵無精髭に覆われた顔から、大きな黒い両目が燃えるように見つめていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “There were lumpish hybrid things which only fantasy could spawn, moulded with devilish skill, and coloured in a horribly life-like fashion. Some were the figures of well-known myth—gorgons, chimaeras, dragons, cyclops. Others were drawn from darker and more furtively whispered cycles of subterranean legend—black, formless Tsathoggua, many-tentacled Cthulhu, proboscidian Chaugnar Faugn.”(訳: 「幻想のみが生み得るような、こぶだらけの雑種的な形象がそこにあった。悪魔的な技巧で象られ、恐ろしいほど生々しい彩色が施されていた。いくつかは広く知られた神話上の形象——ゴルゴン、キマイラ、竜、キュクロプス——だった。他は、より暗く、より密やかに囁かれる地底の伝説の連環から引かれたもの——黒く不定形なツァトゥグァ、無数の触手を持つクトゥルフ、鼻をもつチャウグナー・フォーン——だった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [5] “To sacrifice is merely to offer. I gave the dog to It. What happened is Its work, not mine.”(訳: 「捧げるとは、差し出すことに過ぎない。私は犬をそれに与えた。起きたことはそれの仕業であり、私の仕業ではない」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [6] “Only the mangled head of the victim, lolling upside down at one side, revealed that it represented something once human.”(訳: 「犠牲者の、片側に逆さまに垂れ下がった無残な頭部だけが、それがかつて人間であった何かを表していたことを明かしていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [7] “It was languid curiosity which first brought Stephen Jones to Rogers’ Museum. Someone had told him about the queer underground place in Southwark Street across the river, where waxen things so much more horrible than the worst effigies at Madame Tussaud’s were shewn, and he had strolled in one April day to see how disappointing he would find it.”(訳: 「気だるい好奇心が、スティーヴン・ジョーンズを初めてロジャーズ博物館へ運んだ。誰かが彼に、川向こうのサザーク街にある奇妙な地下の場所——マダム・タッソー館の最悪の効果作品よりもさらに恐ろしい蝋製の品々が並ぶという——について語っており、彼はある4月の日、どれほど期待外れかを確かめようとふらりと立ち寄ったのだった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [8] “Teratology and the iconography of nightmare were his hobbies, and even he had had the prudence to screen off some of his worst effigies in a special alcove for adults only.”(訳: 「奇形学と悪夢の図像学が彼の趣味であり、彼でさえ、最悪の効果作品のいくつかを『大人のみ』の特別な小部屋に仕切っておく分別を持っていた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [9] “At one end was a door of heavy plank, fastened by an unusually large padlock and with a very peculiar symbol painted over it. Jones, who had once had access to the dreaded Necronomicon, shivered involuntarily as he recognised that symbol.”(訳: 「一方の端には、頑丈な板でできた扉があり、異様に大きな南京錠で閉ざされ、その上には奇妙な記号が描かれていた。かつて忌まわしいネクロノミコンに触れたことのあるジョーンズは、その記号を見分けて思わず身震いした」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [10] “Every time the beam shot out it lighted up some morbid, grotesque object—a guillotine, a nameless hybrid monster, a pasty-bearded face crafty with evil, a body with red torrents streaming from a severed throat.”(訳: 「光線がひらめくたびに、ギロチン、名状しがたい雑種の怪物、悪意にゆがんだ無精髭の顔、切断された喉から真紅の奔流を流す死体といった、陰惨で異様な物が浮かび上がった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [11] “At midnight the strokes of a distant clock filtered through the darkness, and Jones felt cheered by the message from a still-surviving outside world.”(訳: 「深夜零時、遠くの鐘の音が闇を通して響き、ジョーンズは、まだ生き残っている外の世界からの知らせに勇気づけられた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩




