概要
「ファラオとともに幽閉されて」は、奇術師ハリー・フーディーニを名乗る語り手が一人称で綴る中編小説です。公式アーカイブの本文には「H・P・ラヴクラフト、ハリー・フーディーニのために」という署名があり、年譜も「ハリー・フーディーニと、1924年2〜3月」と記録しています[1][2]。全2章、約10,900語です[1]。
物語内の時間設定は1910年1月。語り手はイギリスでの興行を終え、オーストラリア公演へ向かう船旅の途中、妻とともにエジプトへ立ち寄ります。カイロで雇った現地ガイド、アブドゥル・レイス・エル・ドログマンに導かれて旧市街の市場や城塞を歩き、続いてギザの大ピラミッド地帯を巡って、スフィンクスや第二ピラミッドの門の神殿を見学しました[1]。
ある晩、アブドゥルと現地のベドウィンの若者アリ・ジズが銅細工師の市場で諍いを起こし、大ピラミッドの頂上で深夜の拳闘によって決着をつける取り決めが交わされます。語り手はアブドゥル側の介添え人として夜のギザへ同行しますが、これは彼を砂漠へおびき出すための策略でした。拳闘の直後、ピラミッド頂上で不意にベドウィンの一団に襲われ、縛り上げられたまま地中深くへ吊り下ろされていきます[1]。
縄を伝う果てしない降下、幾度も繰り返される失神と覚醒、地底での手探りの彷徨。そして最後に目撃するのは、古代エジプトの王ケフレンと女王ニトコリスに率いられた半人半獣の行列と、円柱状の胴体から五つの頭を生やした巨大な怪物です。語り手は夜明けとともにスフィンクスの前の砂の上で意識を取り戻し、一部始終を「夢」だったと結論づけて筆を置きます[1]。
作品情報
- 原題: Under the Pyramids(公式アーカイブ本文題)。初出時の題は Imprisoned with the Pharaohs[3]
- 署名: for Harry Houdini(本文冒頭)。年譜は「with Harry Houdini」と記す[1][2]
- 執筆: 1924年2〜3月[2]
- 初出: 『ウィアード・テイルズ』第4巻第2号(1924年5-6-7月合併号)、3–12ページ[3]
- 分量: 約10,900語(公式アーカイブ本文を機械集計)。全2章
- 語り: 一人称。奇術師ハリー・フーディーニを名乗る語り手自身
- 時: 物語内の設定は1910年1月。語り手はその「十四年前」の出来事として回想する体裁を取る
- 舞台: エジプトのポートサイド、カイロ旧市街とその城塞、ギザの大ピラミッド地帯、およびその地下に広がる空間
登場神格・用語
- ケフレン(Khephren) — 第二ピラミッドを築いた古王国の王。本文によれば、スフィンクスの顔は彼自身の姿に似せて彫り直されたといいます。地底の幻の中では、金の冠プシェントを戴き半人半獣の行列を率いる姿で現れ、語り手のガイド、アブドゥル・レイスの顔と重なる場面です。
- ニトコリス(Nitokris) — 第六王朝の女王。生きたまま第三ピラミッドに葬られた、あるいは水門を開いて宴に招いた敵を溺れさせたという逸話を、語り手は記憶からたどります。地底の幻ではケフレンの傍らに膝をつき、顔の右半分を鼠か「他の食屍鬼」に食われた姿で描かれます。
- 食屍鬼 — 本文は太古のナイル魔術の力を「hellish ghoul-spirit」と呼び、ニトコリスを「ghoul-queen」と称し、彼女の顔を食ったものを「鼠か他の食屍鬼」とします。いずれも本文中の表現。
- 死者の知られざる神(the Unknown God of the Dead) — 物語終盤、地底の巨大な穴の奥に隠れているとされる存在。既知の神々(オシリス、イシス、ホルス、アヌビス)よりもさらに古く central な神である可能性が示唆され、五頭の怪物はその「前肢に過ぎない」と本文は結びます。
- カ(ka) — 本文が説明する古代エジプトの死生観の一部。肉体を離れて彷徨い、供物の食べ物を求め、時には肉体そのものを操って徘徊するとされる生命原理。オシリスの審判を経て安住する「魂」とは別のものとして語られます。
- アブドゥル・レイス・エル・ドログマン、アリ・ジズ、大スフィンクス、大ピラミッド、ケフレンの門の神殿(通称「スフィンクスの神殿」) — いずれも本文に基づく固有名詞。当サイトに単独記事はありません。
あらすじ
第1章 ギザの拳闘と裏切り
語り手は1910年1月、イギリスでの興行契約を終え、オーストラリア公演へ向かう船旅の余裕を使って妻とエジプトを訪れます。マルセイユから乗った船でポートサイドへ渡り、鉄道でカイロへ入りましたが、着いてまず目にしたのは電灯とタクシーの並ぶヨーロッパ的な街並みでした。翌日、現地ガイドのアブドゥル・レイス・エル・ドログマンに導かれ、旧市街の狭い路地と屋根つき市場を歩いてようやく「アラビアン・ナイト」の空気に触れます。サラディンの築いた城塞から夕暮れのカイロを見下ろし、その向こうに黒く浮かぶギザの三大ピラミッドの輪郭を目にして、語り手は「サラセン風のカイロ」から「太古のエジプトの深い神秘」へ気持ちが移ったと振り返ります[1]。
翌朝、一行はラクダに乗ってギザの高台へ向かいます。本文はここで、クフ王(ケオプス)の大ピラミッド、その南西のケフレン王の第二ピラミッド、さらに小さいミケリノス王の第三ピラミッドという配置と、それぞれの築造年代を説明し、続けてケフレンの顔に似せて改刻されたと語り手が考える大スフィンクスへと話を進める。一行はスフィンクスの胸に刻まれた太陽神レー・ハラクティの紋章や、トトメス4世が夢のお告げにより刻ませた碑文を眺め、砂に埋もれかけた地下の「スフィンクスの神殿」──ケフレンの第二ピラミッドへ続く門の神殿──にも立ち寄りました。ガイドも現地のドイツ人係員も「見せていないものがある」と、語り手はここで感じたと記します。大ピラミッドの頂上にも登り、女王ニトコリスの伝説や地下通路の噂を聞きながら、当日は疲れとベドウィンのしつこい物乞いに閉口して、ピラミッド内部の見学は見送りました[1]。
その晩、語り手は家族を宿に残し、アブドゥルとふたりで再びアラブ市場を歩きます。銅細工師の市場で、アリ・ジズという若いベドウィンの一団と行き合い、アブドゥルとアリ・ジズの間で口論から取っ組み合いが始まりました。語り手が仲裁に入ったことで、両者は古くからの慣習だという「決着の作法」──深夜の大ピラミッド頂上で介添え人を伴う拳闘によって争いを収める──で手打ちにします。興味を惹かれた語り手はアブドゥル側の介添え人団に加わり、夕方から夜にかけてカイロの裏町を回って荒くれ者を集めるのに同行しました。夜9時過ぎ、ロバに乗った一行はブロンズの獅子で飾られたナイル橋を渡り、二時間かけてギザへ向かいます。道中、語り手はニトコリスがかつて宴に招いた敵を水門で溺れさせたという伝説や、トマス・ムーアがこの女王を歌った詩の一節を思い起こします[1]。
深夜、大ピラミッドの平らな頂上で四角い土俵が組まれ、月明かりの下で拳闘が始まりました。勝負はほどなくアブドゥルの勝利で終わり、両陣営は歌と酒で和解します。このとき語り手は、周囲のベドウィンたちが片言のアラビア語を交えて自分の脱出芸を話題にし、奇妙な敵意と懐疑をもって語っているのに気づきました。古いエジプトの魔術の名残が今も現地の民間に生きているのではないか、アブドゥルの顔つきが老いた神官かファラオ、あるいは微笑むスフィンクスに似ているのではないか──そう思いを巡らせた直後、合図もなく二十人を超えるベドウィンの一団が語り手に飛びかかりました。縄で厳重に縛り上げられ、猿ぐつわを噛まされ、目隠しをされた語り手は、担がれてピラミッドを降ろされ、やがて地面の裂け目からとてつもなく深い縦穴へと吊り下ろされていきます。降下の速度が急に増し、岩肌にすれて全身から血を流しながら、語り手の意識は蝙蝠のような翼で虚空を飛ぶ幻覚に呑まれ、そこで最初の失神に陥りました[1]。
第2章 地底の幻
意識はゆっくりと戻ります。まず訪れたのは、黄色く毛むくじゃらの巨大な爪が地面から伸びて自分を握りつぶす夢で、語り手はその爪の正体が「エジプトそのもの」だと悟ります。牡牛や隼、猫、朱鷺の頭を持つ神官たちの幻の行列が地下の回廊を延々と進み、名づけえぬ神々へ生贄を捧げる光景、そして夢の顔がやがてガイドのアブドゥル・レイスへと変わり、スフィンクスの薄笑いを浮かべた「ケフレン王」として立つ光景を見ます。カイロ博物館で見た閃緑岩の彫像そのままの、長く冷たいケフレンの手が自分を締め上げる感触とともに、語り手は目を覚ましました[1]。
目覚めた語り手は湿った岩の床に横たわり、まだ縛られたままでした。冷たい隙間風を感じ取り、自分が昼間見学したケフレンの門の神殿(スフィンクスの神殿)の奥の一室に囚われているのではと考えます。長年の脱出芸で鍛えた技術を使い、上でロープを握っているはずのベドウィンに気取られないよう慎重に縄をほどこうとしますが、動くうちに頭上から縄がどんどん落ちてきて、語り手の体を埋め尽くしていきます。本来なら底をつくはずの縄の量が尽きないという事実は、あの果てしない降下と虚空を飛ぶ感覚が幻覚ではなかったことを意味していました。縄の山に埋もれ息もできなくなった語り手は、再び意識を失います[1]。
二度目の気絶の間に見た夢は、古代エジプトの死生観そのものでした。ミイラ作りと臓器を納める四つのカノプス壺、オシリスの審判を経て安住する魂と、肉体に食物の供物を求めて彷徨う「カ」という生命原理。堕落した神官が人間の胴体と獣の頭を継ぎ合わせて作ったという「合成ミイラ」の伝説、そしてケフレン王が地底でニトコリス女王を娶り、人でも獣でもないミイラの軍勢を統べているというアラブの噂を、語り手は夢の中でなぞります。三度目に目覚めたとき、体を埋めていた縄はすっかり消え、代わりに縄擦れでは説明のつかない新たな傷が全身についていました。何者かが手をかけたのは明らかでしたが、語り手はかえって「これは物理的な敵だ」という思いに勇気づけられ、脱出芸の技術で縛めをすべて解きます[1]。
立ち上がった語り手を包むのは完全な暗闇でした。手がかりを求めて周囲を探ると、ナトロンの匂いを帯びた冷たい風の流れに気づき、それを頼りに歩き始めます。やがてこの風があまりに不快で、地上へ通じる清浄な空気ではありえないと気づきますが、他に手がかりもないまま風上へ進み続けたところ、思わぬ下り段に足を取られ、巨大な石段を頭から転げ落ちて三度目の意識喪失に陥りました。今度は夢すら見ません[1]。
暗闇の中で這って進んだ語り手は、巨大な柱の基部に触れ、そこに刻まれた象形文字を指先でなぞります。やがて笛やシストルム、太鼓に似た規則正しい音が地の底から聞こえ始め、蹄や爪、パッドのような足音が入り混じった無数の「行進するもの」の足音が近づいてきました。松明の明かりの中に浮かび上がったのは、カバの体に人間の手を持つもの、鰐の頭を持つ人間、腰から上に体のないまま歩くものなど、獣と人が入り混じった行列で、彼らは天井も見えないほど巨大な柱廊を進み、語り手はその陰に身を隠します。行列は、黒々とした巨大な穴の前に集まり、悪臭を放つその穴へ供物を投げ入れて拝跪していました。行列を率いるのは金の冠を戴くケフレン──ガイドのアブドゥル・レイスと同じ顔──であり、傍らには顔の半分を食屍鬼に食われたニトコリスが控えていました[1]。
行列が礼拝に夢中になっている隙に、語り手は床を這って離れた階段の下へたどり着き、壁づたいに上り始めます。あと少しで頂上という地点で再び地の底からの唸り声が起こり、思わず手すり越しに下を見た語り手は、その黒々とした穴から供物を求めて姿を現したものを目撃します。それは大ぶりのカバほどの大きさで、円柱状の胴体から一列に、毛むくじゃらの頭が五つ、別々に生えており、各々の頭からは硬い触手が伸びて供物に貪りついていました。その怪物がさらに穴から身を乗り出した瞬間、語り手は身をひるがえして上へと逃げ、以後どのように階段や坂を上ったのかは記憶にないまま、夜明けとともにスフィンクスの前の砂の上に横たわっているのを発見されます。警察の調べでは、ケフレンの門の神殿の障壁が外れており、地表へ通じる裂け目も実在したとされ、医師は語り手の傷を、拘束と転落で説明できる範囲のものと診断しました。ただしガイドのアブドゥル・レイス・エル・ドログマンは、あの晩以来ふたたび見つかっていません。語り手は最後に、あの日の朝スフィンクスを見上げて自分が抱いた「この像はもともと何を象っていたのか」という問いを思い起こし、地底の五頭の怪物すら「死者の知られざる神」のほんの前肢に過ぎないのだろうと結びながら、それでも自分は生き延び、これはただの夢だったのだと語りを締めくくります[1]。
読みどころと注目テーマ
「これは夢だ」という結び方
語り手は物語の随所で、自分の体験を「幻覚」「カバのように大量に読んだエジプト学の記憶が呼び覚ました妄想」と繰り返し留保します。にもかかわらず、警察が門の神殿の障壁の外れを確認し、地表への裂け目の実在を認め、ガイドのアブドゥル・レイスがその後二度と見つかっていないという事実だけは、留保のないまま最後に置かれています。語り手自身の「これは夢だった」という結論と、本文が最後に示す確認済みの事実との間に生じる隙間が、この作品の恐怖の置き所です[1]。
縮尺の入れ替え
物語は、恐怖の対象がそのつど小さく見積もられていた、という発覚を繰り返す構造を取ります。地底で目撃される五頭の怪物は、本文の最後で「死者の知られざる神」の「ほんの前肢に過ぎない」と語られ、その神の全貌は最後まで語り手の視界に入りません。スフィンクスをめぐる語り手の「あれは本来何を象っていたのか」という問いも、地底の場面まで持ち越されたまま明確な答えを与えられずに終わります[1]。
脱出芸と縛めの主題
語り手の職業である「脱出芸」は、物語の緊張を作る仕掛けとして繰り返し使われます。ベドウィンに縛られた場面でも、地底で目覚めるたびに、語り手はまず自分の技術で縄をほどこうと試みます。ところが縄が尽きずに降り続けるという一点だけは、経験と技術で対処できる範囲を超えており、語り手の職業的な自信が通用しない相手であることを本文はここで示します[1]。
作中の視線について
本文には、当時の紀行文にしばしば見られる、現地のベドウィンやアラブ人に対する見下した表現が含まれます。当サイトではその蔑視的な語をそのまま引用せず、そうした描写が本文に含まれる事実のみを記しておきます。
執筆背景と影響
公式アーカイブの年譜は本作を「ハリー・フーディーニと、1924年2〜3月」と記し[2]、本文の署名は「H・P・ラヴクラフト、ハリー・フーディーニのために」です[1]。初出は1924年5-6-7月合併号の『ウィアード・テイルズ』第4巻第2号3–12ページで、掲載時の題は”Imprisoned with the Pharaohs”でした[3]。
ラヴクラフトとフーディーニの実際の関係や、この作品が依頼された経緯について、公式アーカイブの本文と作品情報ページに記載はなく、当サイトでは確認していません。同様に、原稿の成立過程や、発表後の評価についても公式アーカイブに記載がなく、確認していません。
出典
[1] H. P. Lovecraft, “Under the Pyramids” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/up.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。
[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆時期(ハリー・フーディーニと、1924年2〜3月)の出典。
[3] “Data Page for ‘Under the Pyramids'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/up.aspx初出『ウィアード・テイルズ』第4巻第2号(1924年5-6-7月合併号)3–12ページ、掲載題 “Imprisoned with the Pharaohs” の出典。
関連作品ガイド ── どれから楽しむか
- 暗闇の悪魔 — 1935年11月執筆。閉ざされた暗闇の中で語り手が「見てはならないもの」を目にする構図が本作と重なります。
- ナイアーラソテップ — 散文詩。「エジプトから来た」、ファラオに似た姿の存在を描きます。本作にその名は出ませんが、古代エジプトの神の主題が通じます。
- 暗黒のファラオの神殿 — ロバート・ブロックの作品。
- 食屍鬼 — 本作の地底の行列の描写に「食屍鬼」の語が用いられます。




