概要
Aconyte Booksは2026年8月20日、Arkham Horror公式サイトの記事で新作小説の刊行を予告した。タイトルは『The Cost of True Magic』、著者はC. L. Wernerである[1]。発売時期は「this fall(この秋)」とのみ記され、具体的な月日は同記事に書かれていない。刊行形態は紙版・電子版の両方で、予約受付は「coming soon(近日開始)」とされている[1]。
記事本文はあらすじらしいあらすじを載せておらず、次の一文だけで作品を紹介している。「Dexter Drake is back in Arkham, searching for true magic. But it may come at a cost…」(デクスター・ドレイクがアーカムに戻ってきた。本物の魔術を探し求めて。だがそれには代償が伴うかもしれない……)[1]。ページ数・価格・詳しい筋書きは、当サイトが確認できた公式発表の範囲には含まれていない。当サイトは本作を読んでおらず、以下は公式に確認できた情報の範囲にとどめる。
どんな作品か
Aconyte Booksは、Fantasy Flight Gamesが展開するボードゲーム・カードゲーム群「Arkham Horror」の世界観を使った小説を専門に刊行してきた版元である。今回の主人公デクスター・ドレイクは、その世界観に実在する探索者キャラクターの一人だ。
Arkham Horror公式サイトの人物紹介ページによれば、デクスター・ドレイクは「Drake the Great」の名で活動する舞台奇術師で、実は本物の魔術を使う力を隠し持っている。第一次世界大戦(the Great War)に従軍した経験を持ち、大戦中に燃え焦げて断片化した『ネクロノミコン』の頁を発見したことが、本物のオカルト知識を追い求めるようになった発端だと紹介文は説明する。以後は私財を投じてこれらの古文書を研究し、その内容に恐るべき真実を見出した。現在は自分こそが世界を蝕む悪を食い止める立場にあるかもしれないと考えている、と続く[2]。同ページは彼がカードゲーム『Arkham Horror: The Card Game』に登場する探索者であることも明記している[2]。
『The Cost of True Magic』という語句自体は、実は今回の小説発表より半年以上前から使われていた。公式サイトは2026年1月20日、同カードゲームの新コアセット(「Chapter Two」)に向けた「Mystic」職カードの先行公開記事を「Dexter Drake: The Cost of True Magic」という見出しで公開している[3]。この記事によれば、洪水被害から立ち直りつつあるアーカムの中でデクスター・ドレイクは奇術師としての居場所を探しており、「his curiosity, quest for fame, and desire to set aside parlor tricks for true magic might be his ultimate downfall(彼の好奇心、名声への渇望、そして手品を捨てて本物の魔術に手を伸ばそうとする欲求こそが、彼を破滅させかねない)」と記されている[3]。同記事は続けて「Eager for a peek at how Dexter wields the Necronomicon?(デクスターが『ネクロノミコン』をどう操るのか、覗いてみたくないだろうか)」とも書いており、彼がカードゲーム内で実際にこの書物を運用する仕組みを持つことに触れている[3]。今回の小説の題名は、この1月のカード先行公開記事の見出しをそのまま引き継いだ形になる。
ダイジェストで言及されていたマリー・ランボーとマイケル・マクグレンも、同じくArkham Horror世界観に実在する探索者だ。公式サイトの人物紹介記事によれば、マリー・ランボーは「Black Cat Lounge」で歌う芸能人で、亡くなった祖母(Grand-Mère)から教わったグリグリ(民間呪術)を使って客を呼び込んでいるが、祖母の霊は死後も「there’s always a price(必ず代償がある)」と彼女に釘を刺し続けているという[4]。マイケル・マクグレンは、ギャング組織オバニオン一家(O’Bannion)に属した戦闘員で、相棒ファスト・ルイスを川の怪物に殺されて以来、超自然の脅威への復讐に動くようになった人物として紹介されている。武器はダイナマイトとトミーガンを好むと記される[5]。「Machine Gun McGlen」という呼び方は、当サイトが確認した彼の公式人物紹介ページには使われておらず、これが俗称として公式に扱われているかどうかは確認できていない。この2人が今回の小説に実際に登場するかどうかも、当サイトが確認できた8月20日の発表記事にはデクスター・ドレイクの名しかなく、確認できていない。
ネクロノミコンは「呪文書」なのか
原典でのネクロノミコンは、読む者に禁じられた知識を与える書物として現れる。当サイトの「ダニッチの怪」の記事で確認した通り、ウィルバー・ウェイトリーがミスカトニック大学の司書ヘンリー・アーミテージに求めたのは、祖父から受け継いだジョン・ディー博士の英訳版には欠けている、ラテン語版751頁の一節だった。アーミテージがその頁を横目に読んで戦慄する場面を、hplovecraft.comの本文で確認すると次のように書かれている。
“Nor is it to be thought,” ran the text as Armitage mentally translated it, “that man is either the oldest or the last of earth’s masters, or that the common bulk of life and substance walks alone. The Old Ones were, the Old Ones are, and the Old Ones shall be. Not in the spaces we know, but between them, They walk serene and primal, undimensioned and to us unseen. Yog-Sothoth knows the gate. Yog-Sothoth is the gate. Yog-Sothoth is the key and guardian of the gate.”(訳: 「思うなかれ」とアーミテージが胸のうちで訳していく文面は続く。「人間が地上の支配者のうち最古のものだとも、最後のものだとも。生と物質のありふれた総体だけがこの世を歩んでいるのだとも。旧支配者たちはかつて在り、今も在り、これからも在るだろう。我らの知る空間にではなく、その間隙に、彼らは静かに、原初のままに、次元を持たず、我らの目に映らぬ姿で歩んでいる。ヨグ=ソトースは門を知る。ヨグ=ソトースは門である。ヨグ=ソトースは門の鍵にして守護者である」)[6]
ウィルバーが命を賭けて求めたのは、この一節そのものだった。彼が持っていた英訳版には、この頁が欠けていたからだ。物語の終盤、アーミテージたちがセンティネル・ヒルの頂で怪異と対峙する場面についても同じ本文を確認したが、彼らが実際に何を唱えたのか、具体的な文言は記されていない。目撃した村人カーティスが見たのは、三人が腕を挙げてリズミカルな詠唱を行う様子だけである[6]。原典の書物は、まず読まれ、引用され、時に暗誦される文書として現れる。作中人物がこれを手にして能動的に「魔術を行使する道具」として運用する場面は、少なくともこの一冊に限れば前面には出てこない。
これに対しArkham Horror: The Card Gameの中では、ネクロノミコンはデクスター・ドレイクという一人の探索者が実際に手元で動かすゲーム上の資源として設計されている。先に引いた1月のカード先行公開記事が使った動詞は「wields(操る)」だった[3]。「読む」の代わりに「操る」という言葉が選ばれている点は、この書物の扱われ方の違いを示す手がかりになる。デクスター・ドレイクという探索者の存在そのものが、ネクロノミコンを本物の魔術を行使するための道具として自分の手に引き寄せようとする人物として設計されている。今回の小説の題材が、奇術師が本物の魔術に手を伸ばすという構図そのものであることは、8月20日の発表文からも読み取れる[1]。小説の本文でネクロノミコンが引用される断片として描かれるのか、行使される呪文の源として描かれるのかは、当サイトが確認できた発表記事だけでは判断できない。
原典との距離(神話の三層のどこに立つか)
ネクロノミコンという書物の設定自体は、当サイトの「ネクロノミコン」の記事で確認した通り、ラヴクラフトが1927年執筆の「ネクロノミコンの歴史」で偽の書誌を一本まるごと書き上げた、第1層(原典)に属する概念である。実在するかどうかについても、当サイトの「ネクロノミコンは実在するのか」の記事で確認した通り、これに該当する古写本は現実には存在しない。
一方、デクスター・ドレイク、マリー・ランボー、マイケル・マクグレンの3人は、いずれもラヴクラフトの小説には登場しない。公式サイトの人物紹介ページが明記する通り、彼らはFantasy Flight Gamesのボードゲーム・カードゲーム作品群「Arkham Horror」のために作られた探索者キャラクターである[2][4][5]。当サイトの三層区分で言えば第3層(TRPGによる拡張)に連なる後発の体系だが、テーブルトークRPGとは別系統の、ボードゲームとリビングカードゲーム(LCG)という商業展開の中で生まれたキャラクター群である点は区別しておく必要がある。アーカムという舞台についても、当サイトの「アーカム」の記事、『アーカムホラー 第3版』の記事で確認できる通り、ラヴクラフト自身が生み出した架空の町を土台に、ボードゲーム版が独自の街並みと住人を積み重ねてきた場所である。
つまり今回の小説は、第1層(原典)が生み出した「ネクロノミコン」という書物の上に、第3層のうちTRPGとは別の系統であるFFG/Arkham Horrorのボードゲーム・カードゲーム群が作り出した探索者キャラクターを乗せ、その探索者を主人公にした散文小説をAconyte Booksがさらにもう一段重ねる、という三重の構成を取っている。すでに一度原典から距離を取ったゲームキャラクターの設定を、小説という別の媒体でさらに展開したものであり、原典の特定の場面の翻案には当たらない。
関連して読むなら
- ネクロノミコン — ラヴクラフト自身が書いた偽の書誌史と、小説群での登場箇所を網羅した記事
- ネクロノミコンは実在するのか — 架空の禁書がなぜ「実在する」と誤解され続けるのかを整理した記事
- 『ネクロノミコン』の歴史 — ラヴクラフトが編んだ偽書誌そのものを扱った記事
- ダニッチの怪 — 本稿で引用した751頁の一節が登場する原典小説
- アーカム — デクスター・ドレイクが暮らす架空の町そのものについての記事
- アーカムホラー 第3版 — 同じ世界観のボードゲーム版の概要
出典
- [1] タイトル「The Cost of True Magic」、著者C. L. Werner、Aconyte Books刊、発売時期「this fall」、紙版・電子版の両形式、予約受付「coming soon」、本文「Dexter Drake is back in Arkham, searching for true magic. But it may come at a cost…」の記載を確認(2026年9月9日取得) — “Dexter Drake is back”, ArkhamHorror.com(2026年8月20日), https://www.arkhamhorror.com/news/dexter-drake-is-back/ ↩
- [2] デクスター・ドレイクが「Drake the Great」の名で活動する舞台奇術師であること、第一次世界大戦中に燃え焦げたネクロノミコンの頁を発見したこと、私財を投じて古文書を研究してきたこと、『Arkham Horror: The Card Game』に登場する探索者であることの記載を確認(2026年9月9日取得) — “Dexter Drake: The Magician”, ArkhamHorror.com, https://www.arkhamhorror.com/investigators/dexter-drake/ ↩
- [3] 見出し「Dexter Drake: The Cost of True Magic」、洪水被害からのアーカムの復興、「his curiosity, quest for fame, and desire to set aside parlor tricks for true magic might be his ultimate downfall」、「Eager for a peek at how Dexter wields the Necronomicon?」、新コアセット「Chapter Two」への言及の記載を確認(2026年9月9日取得) — “Dexter Drake: The Cost of True Magic”, ArkhamHorror.com(2026年1月20日), https://www.arkhamhorror.com/news/mystic-card-reveal-dexter-drake/ ↩
- [4] マリー・ランボーが「Black Cat Lounge」で歌う芸能人であること、祖母(Grand-Mère)から教わったグリグリを使うこと、「there’s always a price」という祖母の霊の言葉の記載を確認(2026年9月9日取得) — “The Investigators of Arkham Horror: Marie Lambeau”, ArkhamHorror.com, https://www.arkhamhorror.com/news/the-investigators-of-arkham-horror-marie-lambeau/ ↩
- [5] マイケル・マクグレンがオバニオン一家(O’Bannion)の戦闘員であったこと、相棒ファスト・ルイスが川の怪物に殺されたこと、ダイナマイトとトミーガンを好むことの記載を確認(2026年9月9日取得) — “Michael McGlen: The Gangster”, ArkhamHorror.com, https://www.arkhamhorror.com/investigators/michael-mcglen/ ↩
- [6] アーミテージがラテン語版751頁を胸のうちで訳す場面の英文全文、「The Old Ones were, the Old Ones are, and the Old Ones shall be. … Yog-Sothoth is the key and guardian of the gate.」の一節、およびセンティネル・ヒルの頂で三人が腕を挙げて詠唱する場面の記載を、本文中で確認(2026年9月9日取得) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年夏執筆), The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/dh.aspx ↩
- [7] 見出し「Wrath of N’kai: An Arkham Horror Novel」、著者Josh Reynolds、ページ数336ppの記載を確認(2026年9月9日取得) — “Wrath of N’kai” 商品ページ, Aconyte Books, https://www.aconytebooks.com/shop/wrath-of-nkai-by-josh-reynolds/ ↩


