概要
『ネクロノミコン』の歴史(History of the Necronomicon)は、ラヴクラフトが物語ではなく参考資料として書き残した、架空の魔道書の出版・翻訳史に関する短い年表的スケッチである。狂人アブドゥル・アルハザードによる原典執筆から、写本・翻訳・禁書・現存する蔵書先までを簡潔に列挙する形式を取る。原題『アル・アジフ』の由来について、本文は「アジフとは、夜な夜な聞こえるあの物音――昆虫の立てる音とされ、悪魔の遠吠えだと考えられていた音――をアラブ人が呼び表す言葉である」と説明しており[1]、架空の書物にもかかわらず実在の語源説を装う手つきが、本文書全体を貫く擬似書誌的な手法の縮図になっている。
作品情報
- 執筆・発表年: 1927年執筆/1938年発表(死後刊行、Rebel Press刊パンフレット)
- 主題タグ: 書誌学的偽史、ネクロノミコンの体系化、後世作家への基盤資料
登場神格・用語
内容
アラビアの詩人アブドゥル・アルハザードが730年頃ダマスカスで著した原題『アル・アジフ』に始まり、950年にコンスタンティノープルのテオドロス・フィレタスがギリシア語に翻訳して『ネクロノミコン』と改題、1050年に総主教ミカエルによってこのギリシア語版が焼却されるも「その後は密かに噂されるのみとなったが、1228年、オラウス・ウォルミウスが中世も末になってからラテン語訳を作成した」と続き[2]、1232年にはこのラテン語訳が注目を集めた直後、「ローマ教皇グレゴリウス9世によってラテン語版・ギリシア語版ともに禁じられた」とする経緯が語られる[3]。以降、14世紀にドイツで黒字体版、15世紀にイタリアでギリシア語版、16世紀にスペインでラテン語版の重版がそれぞれ刊行されたとされ、現存する写本の所蔵先として大英博物館(15世紀ラテン語版、厳重管理下)、フランス国立図書館(17世紀ラテン語版)、ハーバード大学ワイドナー図書館(17世紀版)、ミスカトニック大学図書館(17世紀版)、ブエノスアイレス大学図書館が挙げられている。これに加え、かの博識家ジョン・ディー博士による英訳が試みられたが出版には至らず、原稿から回収された断片としてのみ現存するとされる点も見逃せない[4]。機関に属さない個人蔵書についても示唆されているが、本文中でそれらの所在が明確に特定されているわけではない。
読みどころと注目テーマ
物語としての起伏は一切なく、あくまで年代記・書誌目録の体裁を貫いている点こそが本文書の最大の仕掛けである。実在の歴史上の出来事(コンスタンティノープルでの翻訳活動、中世における異端書の禁圧、大英博物館やフランス国立図書館といった実在の蔵書機関)と、架空の書物・架空の翻訳者を違和感なく織り交ぜることで、あたかも本当に存在する稀覯書であるかのような実在感を演出している。この「架空文献の系譜化」という手法自体が、後続作家やTRPG設定資料が独自の『ネクロノミコン』異本・偽史を積み重ねていく土台となった。
執筆背景と影響
ラヴクラフト自身は物語としてではなく、自らの創作および文通相手との間で神話の内的年代記に矛盾が生じないよう整理するための備忘録としてこの文書を書いたとされる。生前は私的に配布されるにとどまり、正式な刊行は1937年の死後、1938年にWilson H. ShepherdのRebel Pressから小冊子として行われた。以後、ダーレスをはじめとする後続作家やTRPG設定資料が『ネクロノミコン』の出版史・現存写本リストを語る際の標準的な典拠として、この文書の年表がそのまま踏襲されることが多い。原文はおよそ700語ほどの短い覚書にすぎないが、この分量の少なさに反して、その後90年近くにわたり神話作品全体における『ネクロノミコン』の「公式設定」として参照され続けているという点で、分量と影響力が著しく不釣り合いな一編でもある。
出典
- [1] “Original title Al Azif—azif being the word used by Arabs to designate that nocturnal sound (made by insects) suppos’d to be the howling of daemons.”(訳: 「原題は『アル・アジフ』――アジフとは、夜な夜な聞こえるあの物音(昆虫の立てる音とされる)、悪魔の遠吠えだと考えられていたものを指してアラブ人が用いる語である」) — H. P. Lovecraft, “History of the Necronomicon”(1927年執筆/1938年発表)冒頭, 公式アーカイブ ↩
- [2] “After this it is only heard of furtively, but (1228) Olaus Wormius made a Latin translation later in the Middle Ages.”(訳: 「その後は密かに噂されるのみとなったが、1228年、オラウス・ウォルミウスが中世も末になってからラテン語訳を作成した」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “The work both Latin and Greek was banned by Pope Gregory IX in 1232, shortly after its Latin translation, which called attention to it.”(訳: 「ラテン語版・ギリシア語版とも、ラテン語訳が世の注目を集めた直後の1232年、教皇グレゴリウス9世によって禁じられた」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “An English translation made by Dr. Dee was never printed, and exists only in fragments recovered from the original manuscript.”(訳: 「ディー博士による英訳は一度も出版されず、原稿から回収された断片としてのみ現存する」) — 同上, 公式アーカイブ ↩




