概要
キイ・ジョンソンによる中編小説「The Dream-Quest of Vellitt Boe」は2016年にTor.comより刊行され、日本では三角和代の翻訳により『猫の街から世界を夢見る』の邦題で東京創元社(創元SF文庫)から2021年6月に刊行された。本作は2017年の世界幻想文学大賞(長編部門)を受賞し、同年のヒューゴー賞・ローカス賞、2016年のネビュラ賞でもそれぞれ最終候補となった。主人公ヴェリット・ボウは、幻夢境ウルタールの女子大学で数学を教える55歳の教授。かつて若き日に各地を旅した経験を持つ彼女だが、教え子の女子学生が人間の男(覚醒の世界からの夢見手)と共に失踪したことをきっかけに、久方ぶりに旅装を整え、幻夢境を再び渡り歩くことになる。
クトゥルフ神話との関係
本作は「未知なるカダスを夢に求めて」への直接的な応答作(フェミニスト的な語り直し)として書かれており、同作の主人公ランドルフ・カーターが旅した幻夢境の地理・都市・神々をそのまま舞台として用いている。ウルタール、セレファイス、無数の猫たち、そしてナイアーラトテップをはじめとする神々との交渉といった原典の要素も踏襲される一方、物語の視点は「旅する男」から「旅する側にいなかった、あるいはいられなかった女性」へと移される。
独自の要素・原典との違い
ラヴクラフトの原典では幻夢境の女性は基本的に狩られる側・守られる側として描かれ、能動的な旅人としての女性はほぼ登場しない。本作はヴェリット・ボウという中年女性を旅の主体に据えることで、この構造そのものを問い直す。さらに彼女の旅の目的が英雄的な栄光ではなく、「教え子を覚醒の世界の危険から連れ戻す」という具体的かつ現実的な動機である点も対照的である。世界幻想文学大賞受賞をはじめとする高い評価は、原典への敬意を保ちながらその視点構造を転倒させた手腕によるところが大きい。

