小説 — The Hound

猟犬

退屈しきった審美家の「私」とセント・ジョンは、退廃の美を求めて墓荒らしに手を染める。オランダの古い教会墓地で、500年前に葬られ生前は自ら食屍鬼だったと伝わる者の墓を暴き、緑翡翠の護符を奪う。護符は『ネクロノミコン』にレン高原の死体喰らいの教団の魂の象徴として記される品だった。帰国後、二人の周りに正体不明の遠吠えと羽音が忍び寄り、セント・ジョンは何者かに引き裂かれて死ぬ。「私」は護符を墓へ返そうとオランダへ戻るが、宿で盗まれてしまう。1922年9月執筆、1924年2月『ウィアード・テイルズ』発表。約3,000語。

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猟犬

「私の苛まれた耳には、悪夢のような羽音とはためきが絶え間なく響き、遠くかすかに、巨大な猟犬が吠えるような声が聞こえ続けている」

— H・P・ラヴクラフト「猟犬」(1922年執筆、1924年発表)冒頭部
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概要

退屈と倦怠に沈んだ「私」と友人セント・ジョンは、世俗の享楽に飽き、象徴派の謎めいた美やラファエル前派の恍惚をひとつずつ試しては、その新鮮さが尽きるたびに次の耽美へと移っていきました。二人を最後まで捉えたのは退廃派の陰鬱な哲学だけで、それすらもボードレールとユイスマンスの作品にほどなく刺激を失います。残ったのは、より直接的な刺激――墓荒らしという禁忌の行為でした。人里離れた石造りの屋敷の地下深くに、二人は秘密の博物館を築きます。中にあるのは、ミイラと剥製の遺体、教会墓地から持ち去った墓石、あらゆる形の頭蓋骨、そしてゴヤが手がけながら公表を憚ったと噂される素描を収めた人皮装丁の画帳です。二人はこの収集そのものを至高の美的表現として扱っていました。

ある時、二人はオランダの古い教会墓地に伝わる噂に導かれます。500年前に葬られ、生前は自らも食屍鬼であり、ある強大な墓所から力あるものを盗み出したと言い伝えられる人物の墓でした。青白い秋の月、異様に巨大なコウモリの群れ、蔦の絡む教会、そしてどこからともなく響く猟犬の遠吠え――そうした舞台の中で二人は棺を暴き、遺骸の首にかけられていた緑翡翠の護符を手に入れました。蹲る有翼の猟犬、あるいは半ば犬の顔をしたスフィンクスを象ったその護符は、二人がアブドゥル・アルハザードの『ネクロノミコン』で読んだ、中央アジアの奥地レンにいる死体喰らいの教団の魂を象徴する品と符合していました。

イングランドに戻った二人には、夜ごとの物音、姿の見えない羽音、そして荒野を渡る猟犬の遠吠えが取り憑くようになります。9月24日の夜に始まった怪異は日を追って強まり、11月18日、セント・ジョンは駅からの帰路で何者かに引き裂かれて死にました。最後に彼が残した言葉は「護符――あの忌まわしいもの――」でした。護符を携えてロンドンへ、さらにはそれを墓へ返そうとオランダへ渡った「私」を待っていたのは、盗まれた護符と、かつて自分たちが暴いた棺の中で待ち受けていたものでした。

作品情報

  • 原題: The Hound
  • 執筆: 1922年9月[2]
  • 初出: 『ウィアード・テイルズ』第3巻第2号、1924年2月、50–52, 78ページ[3]
  • 分量: 約3,000語(公式アーカイブ本文を機械集計)。全2章
  • 語り: 一人称、姓名不詳の「私」。友人セント・ジョンとの体験を回想する手記として語られる
  • 舞台: オランダの古い教会墓地、イングランドの荒野に建つ古い屋敷、ロンドン、ロッテルダムの安宿
  • 主題: 退廃美学が行き着く墓荒らしという禁忌、盗み出した護符に取り憑く報い、逃れられない恐怖の追跡

登場神格・用語

  • ネクロノミコン — アブドゥル・アルハザードが著したとされる禁断の書。「私」たちは護符の正体をこの書の記述によって知ります。
  • アブドゥル・アルハザード — 作中で「気の触れたアラビアの悪魔学者」と呼ばれる『ネクロノミコン』の著者。
  • レン高原 — 中央アジアの奥地とされる場所。護符は「近づき難いレンの死体喰らいの教団」の、忌まわしい魂の象徴と記されます。
  • 食屍鬼 — 護符のもとの持ち主は「生前は自ら食屍鬼であった」と伝えられる人物。「私」たちの言葉によれば、自分たちの墓荒らしは「俗な食屍鬼ではない」とのことです。
  • 翡翠の護符 — 蹲る有翼の猟犬、あるいは半ば犬の顔をしたスフィンクスを象った緑翡翠の彫刻。底には印章のように髑髏が彫られ、周囲には二人には読めない文字が刻まれています。
  • セント・ジョン — 「私」の墓荒らしの相棒。護符を奪った直後から怪異に見舞われ、11月18日に何者かに引き裂かれて死にます。

あらすじ

第1章 墓荒らしの果てに

「私」は書き出しで、自らの耳に鳴り続ける「悪夢のような羽音とはためき」と、遠く「巨大な猟犬が吠えるような」声を訴え、友人セント・ジョンが「無残な屍」となった今、自分もまた同じ目に遭う定めにあるとして手記を綴りはじめます。二人はもともと、ありふれた世界の退屈さに疲れ果て、象徴派の謎めいた美やラファエル前派の恍惚をひとつずつ試しては、その新鮮さが尽きるたびに次の耽美へと移っていった人物でした。やがて二人を捉えたのは退廃派の陰鬱な哲学だけであり、それすらもボードレールとユイスマンスの作品にほどなく刺激を失います。残ったのは、より直接的な刺激――「あの忌まわしい行為」、すなわち墓荒らしでした。[1]

二人は人里離れた石造りの屋敷の地下深くに、秘密の博物館を築いていました。玄武岩と縞瑪瑙で彫られた有翼の悪鬼の像が緑や橙の光を吐き、隠された送風管が黒い垂れ幕に織り込まれた骸骨の列を踊らせ、部屋には気分に応じて百合の香りや、暴かれたばかりの墓の悪臭までもが漂います。壁際にはミイラと剥製師の手で保存された遺体が並び、あらゆる形の頭蓋骨と、腐敗の進んださまざまな段階の生首が並びます。人皮で装丁された画帳には、ゴヤが手がけながら公表を憚ったと噂される素描が納められていました。二人はここに暴いた戦利品を積み重ね、その収集そのものを至高の美的表現として扱っていたと「私」は振り返ります。[1]

二人を破滅へ導いたのは、あるオランダの教会墓地でした。500年前に葬られ、生前は自らも食屍鬼であり、ある強大な墓所から力あるものを盗み出したと伝えられる人物の噂が、二人をそこへ誘います。青白い秋の月が墓標に長い影を落とし、グロテスクに枝を垂れた木々、月をよぎる異様に巨大なコウモリの群れ、蔦の絡む教会が空へ指を突き立て、遠く沼地から吹く夜風に、姿の見えない巨大な猟犬の低い遠吠えが混じっていました。二人はその音に、かつてこの場所で言葉にできぬ獣の爪と牙によって引き裂かれ、無残な姿で発見された者の言い伝えを思い出し、身を震わせます。[1]

シャベルで掘り進めた先に現れたのは、五百年の歳月を経てなお崩れずに残る棺でした。中の骸骨は、それを殺した獣の顎によって砕かれた箇所こそあれ、驚くほどしっかりと形を保ち、首には緑翡翠の護符がかけられていました。蹲る有翼の猟犬、あるいは半ば犬の顔をしたスフィンクスを象ったその護符は、周囲に二人の読めない文字が刻まれ、底には印章のように髑髏が彫り込まれています。目にした瞬間、二人はこれを手に入れなければならないと悟ります。よく見るとその意匠は、アブドゥル・アルハザードの禁断の書『ネクロノミコン』に記された、中央アジアの奥地レンにいる死体喰らいの教団の忌まわしい魂の象徴と符合していました。護符をポケットに収めて立ち去る二人の後ろで、コウモリの群れが暴いたばかりの墓へと群がるように舞い降ります。翌日、オランダを発つ船の上で、二人は遠く猟犬の吠える声を聞いたように思いますが、それを確かめる術はありませんでした。[1]

第2章 猟犬の足音

イングランドに戻った二人は、荒野に建つ古い屋敷でこれまで通り隠者のような暮らしを続けますが、まもなく夜ごとに戸や窓のまわりで何かが手探りする気配に悩まされるようになります。護符は博物館の壁龕に据えられ、二人はその前で香を焚き、『ネクロノミコン』を読み込んでは、食屍鬼の魂とこの品との関わりについての記述に不安を募らせていきました。9月24日の夜、「私」の部屋の戸を叩く音がして応じると、返ってきたのは甲高い笑い声だけでした。廊下には誰の姿もありません。この夜を境に、荒野を渡る遠い遠吠えは、想像ではない確かな現実として二人にのしかかってきます。[1]

四日後、博物館の秘密の階段に通じる扉に低い引っかき音がします。灯りを消して扉を開け放つと、何かが勢いよく通り過ぎる風を感じ、遠ざかっていくざわめきと忍び笑いのような物音が聞こえました。それがオランダ語による紛れもない言葉だったと悟った二人を包んだのは、底知れぬ恐怖でした。以後、姿を見せない何かの気配は日ごとに増し、10月29日には図書室の窓の下の土に言葉にできない足跡の列が見つかり、屋敷にはかつてない数のコウモリが群れ集うようになりました。[1]

恐怖が極まったのは11月18日でした。駅から屋敷へ徒歩で戻る途中のセント・ジョンが、正体不明の肉食獣に襲われ、ずたずたに引き裂かれます。悲鳴を聞いて駆けつけた「私」は、羽音と、昇る月を背にした黒くぼんやりとした影を目にしました。虫の息だったセント・ジョンが辛うじて口にしたのは「護符――あの忌まわしいもの――」というひと言だけでした。「私」は彼を庭に葬り、生前彼が好んだ悪魔的な儀式の文句を唱えます。その最後の一節を口にした瞬間、荒野の彼方から巨大な猟犬の遠吠えが聞こえ、月明かりの下、塚から塚へと這うように広がる漠とした影を目にした「私」に残されていたのは、地に伏せて目を閉じることだけでした。[1]

屋敷にひとりで留まる勇気を失った「私」は、博物館に残る収集物を火にくべ、あるいは土に埋めて処分したうえで、護符だけを携えてロンドンへ発ちます。だが三晩後には再び遠吠えが聞こえ、暗くなるたびに何者かの視線を感じるようになります。ヴィクトリア堤防を散歩していたある夕べ、水面に映るランプの光を黒い影がかすめるのを見た「私」は、セント・ジョンに起きたことが自分にも迫っていると悟り、護符を包んでオランダへの帰還を決めます。せめて論理的に思いつく手立てを試すほかないという思いからでした。[1]

ところがロッテルダムの宿で、頼みの綱であった護符そのものを盗人に奪われてしまいます。その晩も遠吠えは大きく響き、翌朝の新聞は、市の最も治安の悪い一角である一家が何者かに跡形もなくずたずたにされ、周囲の住人が一晩中「巨大な猟犬のような、低く執拗な音」を聞いたと報じていました。「私」は再び、かつて自ら暴いたあの教会墓地に立ちました。冬の青白い月が影を落とし、葉を落とした木々が霜の下りた草に垂れ、蔦の教会が不親切な空を指す中、聞こえてくるのは氷った沼と海を越えて吹く夜風の唸りです。近づくにつれ遠吠えは弱まり、墓の間近まで来ると完全に止みます。異様に群がっていたコウモリの群れを追い払い、「私」は半ば凍った土を掘り始めますが、途中で一羽の禿鷲が舞い降りて土をついばみ、シャベルの一撃で仕留める場面もありました。[1]

掘り出した棺の湿った蓋を外した瞬間が、「私」が理性を保っていられた最後の瞬間になります。中で身を寄せ合う無数の巨大なコウモリに抱かれるようにして待ち受けていたのは、かつて二人が暴いたはずの骨でした。だがそれはもはや清らかで穏やかな姿を失い、乾いた血と肉片、毛にまみれ、燐光を放つ眼窩と血に染まった牙で「私」をあざけるように見つめていました。その顎から放たれるのは、巨大な猟犬さながらの皮肉めいた低い遠吠えです。血に汚れた爪には、失われたはずの緑翡翠の護符が握られていました。それを見た「私」は絶叫して逃げ出し、その叫びはやがてヒステリックな哄笑に変わります。手記の結びは、頭上に迫る羽音と遠吠えの中、拳銃によって「名づけえぬもの」からの逃れを図ろうとする一文でした。[1]

読みどころと注目テーマ

退廃美学の行き着く先

物語は、墓荒らしを象徴派・ラファエル前派・退廃派という美的遍歴の延長線上に置きます。ボードレールとユイスマンスにさえ「ほどなく刺激を失った」二人が最後にたどり着いたのが、地下の博物館に並ぶミイラ、剥製、頭蓋骨、そしてゴヤが手がけたと噂される素描の画帳でした。「私」はこの収集を「至高の美的表現」と呼び、掘り出す土の湿り具合や月明かりの角度にまで「技術的な配慮」を払っていたと語ります。感覚を煽るための収集がどこまで行くのかを、具体的な品目の列挙によって読者の前に積み上げていく書き方に、この作品の力点があります。

護符という物証

緑翡翠の護符は、盗掘という行為と、その後に二人へ降りかかる災厄とを結ぶ、手で触れられる物証として一貫して機能します。蹲る有翼の猟犬、あるいは半ば犬の顔をしたスフィンクスという意匠、二人に読めない銘文、底に彫られた髑髏の印章――こうした具体的な特徴づけは、護符を『ネクロノミコン』の記述と接続する鍵そのものです。物語の結末で、護符は最初に暴いた墓の中、変わり果てた骸骨の爪に握られた姿で「私」の前に戻ってきます。護符は奪われた場所へ、化け物と化した元の持ち主の手に握られて回帰します。この構図がこの短編の骨格です。

反復するモチーフ―月・コウモリ・遠吠え

最初のオランダ行きと、物語終盤の再訪は、青白い月、蔦の絡む教会、群れ集うコウモリという同じ舞台装置を、秋と冬という季節の違いを付けて繰り返します。遠吠えという聴覚のモチーフも、最初は「聞こえたように思うが確かめる術はなかった」という留保つきの音として現れ、9月24日の夜を境に「疑いようのない現実」へと変わり、二度目の教会墓地では墓に近づくにつれて弱まり、ついには止みます。音の扱われ方の変化を追うだけで、「私」の恐怖が輪郭を持たない疑いから、逃れようのない確信へと移っていく過程を読み取ることができます。

執筆背景と影響

1922年9月に執筆され[2]、1924年2月発行の『ウィアード・テイルズ』第3巻第2号50–52, 78ページに掲載された[3]。それ以外の成立経緯、推敲の過程、発表当時の反応については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。

出典

[1] H. P. Lovecraft, “The Hound” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/h.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。

[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆時期(1922年9月)ほかの出典。

[3] “Data Page for ‘The Hound'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/h.aspx初出『ウィアード・テイルズ』第3巻第2号(1924年2月)50–52, 78ページの出典。

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