資料アーカイブ(2026年8月31日公開) — The John Lawson McInnis III Lovecraft Research Archive

「宇宙からの色」は家族史の反映か——1975年のラヴクラフト博士論文、半世紀を経て資料公開

1975年にルイジアナ州立大学でラヴクラフトのみを扱う博士論文を書いた研究者John Lawson McInnis III(1941-2013)の研究資料を、息子Dennard McInnis氏が整理し、研究アーカイブとして公開した。父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトの病歴と「宇宙からの色」を重ねて読む研究などが含まれる。

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概要

John Lawson McInnis III(1941-2013)のラヴクラフト研究をまとめた研究アーカイブが、2026年8月31日、r/Lovecraftへの投稿を通じて公開された[1][2]。整理・公開したのは息子のDennard McInnis氏で、父の遺作集『The Father’s Silence』の編集者でもある[1]。McInnis IIIは、1975年にルイジアナ州立大学(LSU)で、ラヴクラフトのみを主題にした博士論文「H. P. Lovecraft: The Maze and the Minotaur」を執筆した研究者である。

どんな研究者だったのか

この博士論文は、迷宮とミノタウロス、混沌と秩序を軸に構成された、神話学的・哲学的・心理学的・主題的・構造的な読解だとされている[1]。研究対象は「The Tomb(墓)」から「In the Walls of Eryx(エリックスの壁の中に)」まで幅広く、なかでも「The Colour out of Space(宇宙からの色)」「Hypnos(ヒュプノス)」「The Call of Cthulhu(クトゥルフの呼び声)」「The Dunwich Horror(ダニッチの怪)」を重点的に論じている[1]。S.T. Joshiが2009年にまとめた包括的書誌では、McInnisの研究が「5つの分類領域にまたがる9件」として索引されている[1]。

Butler Hospitalへの調査——父の病歴と「宇宙からの色」

もっとも注目すべきは、ラヴクラフトの父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトの病歴をめぐる調査だ。McInnisは1983年11月から1984年4月にかけて、ウィンフィールド・スコットの医療記録の閲覧を求める書簡をやり取りし、1984年4月8日付の書簡では「ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトの医療記録調査に関するご助力に感謝します」と謝意を述べている[1]。この調査を踏まえて、1990年8月17日から19日にブラウン大学で開催されたH. P. Lovecraft Centennial Conferenceで、McInnisは「’The Colour out of Space’ as the History of H. P. Lovecraft’s Immediate Family(『宇宙からの色』——H・P・ラヴクラフト家の身内の歴史として)」と題する研究発表を行った[1]。「宇宙からの色」に描かれるガードナー一家の崩壊を、ラヴクラフト自身の家族史と重ねて読む研究だったとみられる。当サイトが扱う原典「宇宙からの色」は、隕石の落下をきっかけに一家が心身ともに蝕まれ、崩壊していく物語だ。McInnisの研究は、この「家族が内側から蝕まれていく」という筋書きを、ラヴクラフト自身が経験した家庭の事情――父の病――と重ねて読み解こうとするものだったと考えられる。

この資料をどう扱うべきか

ここで慎重であるべき点がある。今回公開されたページは、息子が管理する個人のアーカイブサイトであり、出典整理は丁寧だが、公式の学術機関や図書館が運営する一次資料庫そのものではない。「家族史がそのまま作品の真意である」という読み方を、この記事はここでは採らない。McInnisの研究がS.T. Joshiの書誌に9件索引されている事実、1990年にブラウン大学の公式カンファレンスで発表された事実は、外部から検証可能な記録として扱える。一方、書簡の具体的な内容や、ButlerHospitalの記録そのものへ実際にアクセスできたかどうかについては、今回のアーカイブページの記述以上の裏付けを、本稿執筆時点では取れていない。将来この主題を掘り下げる場合は、LSUの学位論文リポジトリや、ブラウン大学・S.T. Joshiの書誌といった、機関側の一次資料まで遡って確認するべきだろう。

Butler Hospitalという場所の重み

McInnisが記録の閲覧を求めたButler Hospitalは、ラヴクラフトの家族史においてただの一施設ではない。父ウィンフィールド・スコットは1893年、出張先のシカゴで幻覚に見舞われ、同年4月25日にButler Hospitalへ収容された。入院時の診断は梅毒の末期段階を意味する「麻痺性認知症(general paresis)」で、そのまま5年間入院を続けた末、1898年7月19日に同病院で死去している[3]。母スージーもまた1919年に神経衰弱を起こしてButler Hospitalへ入院し、1921年5月24日、胆嚢の手術がうまくいかず、入院中に死去した[3]。つまりラヴクラフトの両親は、同じ一つの病院に収容され、同じ病院で世を去っている。McInnisが1980年代にこの病院へ資料閲覧を求めたという行為は、単なる一エピソードの裏付けではなく、ラヴクラフトの家族史の中核そのものへ踏み込もうとした試みだったことになる。

なぜ今、半世紀前の研究が公開されたのか

McInnisが博士論文を書いた1975年は、ラヴクラフト研究がまだ学術的な体裁を十分に整えていなかった時期にあたる。S.T. Joshiによる本格的な校訂・研究が広く知られるようになるのは、それよりも後のことだ。McInnisのような初期の研究者が、当時どのようにラヴクラフトへ向き合っていたかを示す記録は、いわば「ラヴクラフト研究史」そのものの資料になる。息子による今回の公開は、単なる故人の追悼にとどまらず、埋もれていた研究の系譜を掘り起こす作業だと言える。半世紀前に一人の研究者が費やした労力が、インターネットという場を通じて再びアクセス可能になったこと自体、資料の保存と公開のあり方を考えるうえでも示唆的だ。

伝記的事実を作品の解釈に持ち込む「伝記批評」という手法自体は、文学研究において古くから議論の的になってきたアプローチだ。作者の実生活を作品にそのまま投影させて読むことには、常に慎重さが求められる。ただし、McInnisが1980年代という早い時期に、実際にButler Hospitalへ書簡を送り資料へアクセスしようと試みたという行動記録そのものは、伝記批評の当否とは別に、ラヴクラフト研究がどのように資料へ迫ろうとしてきたかを示す一次的な記録として価値を持つ。作品の解釈としての妥当性と、研究行為の記録としての価値は、切り分けて考える必要がある――当サイトが神格記事で「原典の記述」と「後世の解釈」を分けて書いているのと、根は同じ態度だ。

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出典

  • [1] John Lawson McInnis IIIが1941年生まれ2013年没であること、1975年にLSUで博士論文「H. P. Lovecraft: The Maze and the Minotaur」を執筆したこと、研究対象が「The Tomb」から「In the Walls of Eryx」まで及び「The Colour out of Space」「Hypnos」「The Call of Cthulhu」「The Dunwich Horror」を重点的に論じたこと、1983年11月〜1984年4月のButler Hospital医療記録閲覧に関する書簡(1984年4月8日付の謝意を含む)、S.T. Joshi2009年書誌での「nine references across five areas of classification」という索引、1990年8月17〜19日のブラウン大学H. P. Lovecraft Centennial Conferenceでの発表「’The Colour out of Space’ as the History of H. P. Lovecraft’s Immediate Family」、運営者が息子Dennard McInnis(遺作集『The Father’s Silence』編集者)であることが記載されている — John Lawson McInnis III Research Archive, mcinnismentalhealth.com ↩
  • [2] 2026年8月31日、Dennard McInnis氏がr/Lovecraftへ研究アーカイブ完成の投稿を行ったことが記載されている — Reddit r/Lovecraft, reddit.com ↩
  • [3] 父ウィンフィールド・スコット・ラヴクラフトが1893年に出張先のシカゴで幻覚に見舞われ、同年4月25日にButler Hospitalへ収容され、入院時に「general paresis(麻痺性認知症、梅毒の末期段階)」と診断されたこと、5年間の入院を経て1898年7月19日に同病院で死去したこと — 公式アーカイブ「Family」(2026年9月7日確認), https://www.hplovecraft.com/life/family.aspx 。母サラ・スーザン・フィリップス・ラヴクラフトが1919年に神経衰弱を起こしButler Hospitalへ入院したこと、1921年5月24日、胆嚢手術の失敗(“bungled gall bladder operation”)により入院中に死去したことが記載されている — 公式アーカイブ「A Brief Biography」(2026年9月7日確認), https://www.hplovecraft.com/life/biograph.aspx 。なお、父が死亡診断書に「麻痺性認知症」と記載されたとする記述、母が1918年冬から症状を示していたとする記述、母の入院月を1919年3月とする記述は、上記の公式資料では確認できなかったため、本文から削った。 ↩
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