書籍(日本語訳・同人流通・BOOTH通販・2026年9月13日発送開始予定) — The Madness Out of Space

天外の白魔

ラヴクラフト研究者が書いたパスティーシュを日本語で読む。ラヴクラフト研究者ピーター・キャノン(Peter Cannon)によるパスティーシュ小説『The Madness Out of Space』の日本語版『天外の白魔』が、著者の許可を得た翻訳としてBOOTHで通販中だ。ゲームマーケット2026春で頒布された同人誌の通販版で、9月13日発送開始予定。研究者が書くパスティーシュとは何を模倣した仕事なのか、舞台となるミスカトニック大学は原典でどう使われてきたかを、確認できる範囲で整理する。

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概要

同人サークル「\ ٩( ‘ω’ )و //」が、ピーター・キャノン(Peter Cannon)によるラヴクラフト・パスティーシュ小説『The Madness Out of Space』の邦訳『天外の白魔』をBOOTHで通販している[1]。訳者は坂本雅之。商品ページには「著者の許可をもとに日本語訳された」旨の記載があり、無許諾の同人翻訳ではなく著者本人の許諾を得た訳業だとされている[1]。判型は文庫サイズで72ページ、価格は1,410円、発送開始予定日は2026年9月13日。冒頭20ページのPDFサンプルが無料で公開されており、購入前に文体を確認できる[1]。もとはゲームマーケット2026春で頒布された紙の本で、今回のBOOTH商品はその通販版にあたる[1]。

商品ページのあらすじは短い。「ミスカトニック大学に通う『私』とその友人ハワード・アナブル。意気投合した若者二人は奇妙な宗教と事件に巻き込まれる」というもので、商品説明では本作を「過去のラヴクラフト作品をオマージュし新たに仕上げたもの」と位置づけている[1]。物語の具体的な展開――「奇妙な宗教」がどんな教団で、「事件」がどう決着するのか――は本編未読のため、この記事では踏み込まない。

原作者ピーター・キャノンは、パスティーシュの書き手である前にラヴクラフト研究者として本を出している。Twayne社(ボストン)から1989年に刊行された評論『H.P. Lovecraft』(本文153ページ)の著者であり[3]、版元Hippocampus Pressの著者紹介によれば、ラヴクラフトがワトソン役を務めるシャーロック・ホームズ物のパスティーシュ『Pulptime』(1984年)、ウッドハウス風のユーモアとラヴクラフト的恐怖を混ぜた『Scream for Jeeves: A Parody』(1994年)、ラヴクラフトがもっと長く幸福に生きた世界を想像する長編『The Lovecraft Chronicles』(2004年)も書いている[2]。「原典を研究し尽くした人間が、原典の文体を模して書く」という成り立ちが、この作品を読むうえでの最初の切り口になる。

どんな作品か

『天外の白魔』の英語原題『The Madness Out of Space』が収められているのは、キャノンのパロディ・パスティーシュ集『Forever Azathoth: Parodies and Pastiches』(Hippocampus Press、2012年3月、260ページ)だ[2]。版元Hippocampus Pressの公式ページは、この本がSubterranean Pressの限定署名版の全収録作に「中編小説『The Madness out of Space』を加えたもの」(“plus the addition of the novelette ‘The Madness out of Space'”)だと説明し、その中編を「学識あるニューイングランドの紳士が、宇宙的なものと接触しようと試みる努力の記録」(“chronicles the efforts of a scholarly New England gentleman to connect with the cosmic”)と紹介している(日本語訳は当サイト)[2]。

同じページによれば『Forever Azathoth』には、『戸口に現れたもの』のエドワード・ダービーの文学的遺産をめぐる続編として書かれた6部作の表題作、ウッドハウスの登場人物を宇宙的恐怖の状況に置く「Scream for Jeeves」三部作、フィッツジェラルドと掛け合わせた「Tender Is the Night-Gaunt」、フォークナーと掛け合わせた「The Sound and the Fungi」、T・E・D・クラインへのオマージュ「The Arkham Collector」が収められ、巻末に『The Madness out of Space』が置かれている(いずれも公式ページの紹介文をもとに要約)[2]。他の作家の文体とラヴクラフトを掛け合わせる作品が並ぶ中で、この中編だけは公式の紹介文にパロディ的な仕掛けの説明が無い。ラヴクラフト自身の語り口へ寄せた、まっすぐなパスティーシュとして読める位置に置かれている。

なお『The Madness Out of Space』という中編が、2012年の『Forever Azathoth』収録より前にどの媒体でいつ発表されたのかについては、本記事では確認が取れていない。検索エンジンの要約情報には1982年から1983年にかけて2回に分けて発表されたとする記述が見られたが、これは一次資料(ISFDB、SF Encyclopedia)を直接取得して確認できたものではなく、アクセス自体が拒否された(ISFDBはHTTP 403、SF EncyclopediaはHTTP 429)。したがって本記事では、確認できているHippocampus Press公式ページの情報(2012年版に収録されている中編であること)のみを事実として扱い、それ以前の発表歴は「確認できていない」として扱う。

ミスカトニック大学という舞台装置

『天外の白魔』が「私」とハワード・アナブルの通う場所として選んだミスカトニック大学は、ラヴクラフト自身が繰り返し使ってきた舞台だ。当サイトの記事によれば、この大学は「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」(1921-22年執筆/発表)に初登場した架空の教育機関で、マサチューセッツ州アーカムに所在し、禁書コレクションと複数の学術探検隊で知られる、クトゥルフ神話における「知の中枢」として位置づけられている。モデルはラヴクラフトの故郷プロヴィデンスにあるブラウン大学とされる。

この大学は原典で、物語を動かす装置として使われてきた。「ダニッチの怪」(1928年執筆/1929年発表)では、司書ヘンリー・アーミテージ博士がウィルバー・ウェイトリーの『ネクロノミコン』貸し出し要求を拒み、それがウィルバーの侵入未遂と死につながる。知の管理者であるはずの大学が、怪異を遠ざける防波堤として機能する場面だ。一方「時間からの影」(1934-35年執筆/1936年発表)では、大学の経済学教授ナサニエル・ウィンゲート・ピーズリー自身が5年4か月13日にわたる人格の入れ替わりを体験し、大学という理性の場に籍を置く人物が、誰よりも深く怪異に呑まれていく。ミスカトニック大学は、この二つの物語で対照的な役目を演じている――怪異を締め出す門番の場合もあれば、怪異に最初に呑まれる人物を輩出する場所の場合もある。

『天外の白魔』が「ミスカトニック大学に通う『私』」を語り手に据えた時点で、この舞台が持つ二つの顔のどちらか(あるいは両方)を踏襲する可能性は高い。ただし、これは原典の舞台設定が持つ性質からの推測であって、本作の具体的な筋書きで大学がどう機能するかは、商品ページのあらすじだけでは判断できない。この記事ではその判断を保留する。

同人流通(ゲームマーケット→BOOTH)という経路

もう一つ記録しておきたいのは、この本が辿った流通経路だ。BOOTH商品ページによれば、『天外の白魔』はもともとゲームマーケット2026春という即売会イベントで頒布された紙の本であり、今回の商品はその通販版にあたる[1]。即売会で頒布し、その後オンラインの同人グッズ通販サイトBOOTHで継続的に扱う、という流れは、日本の同人出版で広く行われている経路であり、著者から許諾を得た海外作品の翻訳がこの経路に乗ること自体は、この記事で確認した範囲では珍しいことではない。

この経路の特徴は、商業出版の書店流通を経ないことだ。当サイトの他の記事が扱ってきた海外発の書籍・グラフィックノベル(たとえばThe Last Day of H.P. Lovecraftの英語版)は、Penguin Random Houseのような大手出版流通を経て刊行されている。対して『天外の白魔』は、著者本人の許諾こそ得ているものの、流通は同人サークルによるBOOTH通販に限られている。日本国内の書店やAmazonなどの一般流通での取り扱いについては、本記事で確認した範囲の情報源には記載がなく、確認できていない。

72ページという分量、1,410円という価格、そして冒頭20ページの無料サンプル公開という組み合わせも、同人出版らしい売り方だ[1]。原作の中編小説一本を、そのままの分量で薄い本として届けている。

原典との距離(神話の三層のどこに立つか)

当サイトは、クトゥルフ神話を「原典(ラヴクラフト自身、1917-1937年)」「ダーレス以降の拡張(1939年-)」「TRPGによる拡張(1981年-)」という3つの層に分けて記録している。『天外の白魔』は、このどの層にもきれいには収まらない。

TRPGによる拡張ではないことは明らかだ。ゲームのルールも数値も伴わない、あくまで小説作品である。ダーレス以降の拡張とも性質が違う。オーガスト・ダーレスやリン・カーターが行ったのは、神格同士の系譜や善悪の対立構図を新たに作り、原典が語らなかった体系を打ち立てる作業だった。キャノンがしているのはそれとは逆で、新しい神格や系譜を追加するのではなく、ラヴクラフト自身の文体・語り口・舞台(ミスカトニック大学という既存の装置)を精密になぞる作業だ。公式の紹介文が主人公を「学識あるニューイングランドの紳士」と要約し、舞台にミスカトニック大学を選んでいることも、この作品が「新しい設定を足す」のではなく「原典の型をなぞる」ことを目指した仕事であることを示している[1][2]。

つまりこの作品が立っている場所は、原典の”外側に足す”第2層・第3層ではなく、原典の”内側を模す”パスティーシュという、独立した位置だ。原典を研究し尽くした人間だからこそ書けるという点で、ラヴクラフト自身の記述に忠実であろうとする志向は原典層に近いが、実際に書いたのはラヴクラフト自身ではなく後世の研究者であるという一点で、原典そのものとは明確に区別されなければならない。当サイトはこの作品を、原典に材を取った「ラヴクラフト風味の創作/パスティーシュ」として扱い、ラヴクラフト自身の原典や、ダーレス以降の公式な神話拡張と混同しないよう記録しておく。

関連して読むなら

  • ミスカトニック大学 — 『天外の白魔』の主人公二人が通う架空の大学。原典での成り立ちと、複数の代表作での役割をまとめた記事
  • アーカム — ミスカトニック大学が所在する、ラヴクラフト神話地理の中心をなす架空都市
  • ダニッチの怪 — ミスカトニック大学の司書が禁書の貸し出しを拒み、それが悲劇の引き金になる原典作品
  • 時間からの影 — ミスカトニック大学の教授自身が怪異に呑まれていく原典作品
  • ラヴクラフトの生涯と創作活動 — ラヴクラフト自身の年表。原典が書かれた1917-1937年という期間の輪郭を確認できる

出典

  • [1] 商品名「天外の白魔」、英題「The Madness Out of Space」、著者ピーター・キャノン、訳者坂本雅之、著者の許可をもとに日本語訳されたとの記載、文庫サイズ・72ページ、価格1,410円、発送開始予定日2026年9月13日、冒頭20ページのPDFサンプル無料公開、ゲームマーケット2026春で頒布していたものの通販版であるとの記載、あらすじ「ミスカトニック大学に通う『私』とその友人ハワード・アナブル。意気投合した若者二人は奇妙な宗教と事件に巻き込まれる」、「過去のラヴクラフト作品をオマージュし新たに仕上げたもの」との記載がある — BOOTH商品ページ(サークル「\ ٩( ‘ω’ )و //」), booth.pm ↩
  • [2] 『Forever Azathoth: Parodies and Pastiches』(Peter Cannon著、2012年3月、260ページ)に「The Madness out of Space」が収録されていること、「plus the addition of the novelette ‘The Madness out of Space’」「’The Madness out of Space’ chronicles the efforts of a scholarly New England gentleman to connect with the cosmic」との記載、著者紹介に『Pulptime』(1984)、『Scream for Jeeves: A Parody』(1994)、『The Lovecraft Chronicles』(2004)の記載、収録作として6部作「Forever Azathoth」(エドワード・ダービーの文学的遺産をめぐる続編)、「Scream for Jeeves」三部作、「Tender is the Night-gaunt」、「The Sound and the Fungi」、「The Arkham Collector」の記載がある — Hippocampus Press公式サイト「Forever Azathoth: Parodies and Pastiches by Peter Cannon」, hippocampuspress.com ↩
  • [3] 書名『H.P. Lovecraft』、著者 Cannon, P. H. (Peter H.)、出版社 Twayne Publishers(ボストン)、1989年、xv+153ページの書誌が登録されている — Internet Archive所蔵記録, archive.org ↩

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