概要
ゲームのパッケージにも、Tシャツのプリントにも、クトゥルフは大抵同じ姿で描かれる。タコの頭にコウモリのような翼、鱗に覆われた巨躯。だが原典であるH・P・ラヴクラフト「クトゥルフの呼び声」(1926年執筆/1928年発表)を実際に読むと、この姿は誰かが目撃して記録したものではない。ある語り手が「私にはこう見えた気がする」と述べた、一度きりの比喩に過ぎない[1]。ではいま定着している「タコ顔」のイメージは、誰が、どうやって固定したのか。
目撃より先に、夢と彫像がある
「クトゥルフの呼び声」の構成自体が変わっている。物語は、語り手フランシス・サーストンが亡き大叔父エインジェルの遺品を整理するところから始まる。そこにあったのは、彫刻家ウィルコックスが見た悪夢の記録と、彼が無意識のうちに制作した奇怪な浅浮彫りだった。クトゥルフという名がテキストに初めて刻まれるのも、ウィルコックスが夢の中で聞き取った、ほとんど発音不可能な文字の羅列を書き取った場面である[2]。
つまり読者がクトゥルフの姿に触れる最初の経路は、目撃談ではなく夢と彫刻を経由した間接的な伝聞だ。物語の終盤、ノルウェー人航海士ヨハンセンの手記がルルイエの扉からクトゥルフが姿を現す場面を記録するが、そこでも詳細な外見の列挙が続くわけではない。原典が読者に渡すのは、いつも一段階ずれた形の情報である。
「タコと竜と人間の戯画」は誰の言葉か
クトゥルフの姿を語る記述として、もっとも有名なのが次の一節だろう。
病んだ想像力のみが思い描き得るような、一種の怪物、あるいは怪物を表す象徴。いくらか大仰な私の想像力が、タコと竜と人間の戯画とを同時に思い描いたと言っても、そのものの本質を裏切ることにはならないだろう[1]
「タコ」「竜」「人間」という三つの単語の強さのせいで、この一節はしばしば公式の外見設定であるかのように扱われる。しかし原文をよく読めば、これは「いくらか大仰な私の想像力が」と自ら断ったうえで語られる、あくまで主観的な近似の表現だ[1]。客観的に記録された特徴の列挙ではない。
見たままを描けないという、原典の仕掛け
しかもラヴクラフト自身の作品内でも、クトゥルフの外見描写は一定しない。初出の「クトゥルフの呼び声」ではイカに近いものとして語られる一方、後年の「狂気の山脈にて」や「墳丘の怪」ではタコにたとえられており、同じ作者の手による作品同士でも表現が揺れている。単一の確定した外見設定は、そもそも原典に存在しない。
これは書き漏らしではなく、原典が意図した仕掛けだと考えたほうがいい。星辰が正しき位置に至るまで人類は目覚めたクトゥルフの真の姿を見ていないという設定上[3]、誰にとってもクトゥルフは近似でしか語れない何かであり続ける。確定した公式図像が存在しないことは、この物語が選び取った空白なのである。
ラヴクラフト自身が描いた一枚
では、作者本人が絵を描き残さなかったかというと、そうではない。公式アーカイブH. P. Lovecraft Archiveの「Lovecraft’s Drawings」には、1934年5月11日付でロバート・H・バーロウに宛てた手紙に描かれたクトゥルフのスケッチが収録されている[4]。ラヴクラフト自身の手による、数少ない図像資料である。
注目すべきは、そこに添えられた解説だ。同アーカイブはこのスケッチを、「クトゥルフの呼び声」でルイジアナの沼地の信者たちから押収されたと描写される小像を、彼が友人バーロウのために描いてみせたものだと説明している[4]。つまりラヴクラフトは、クトゥルフそのものを描いたのではない。作中で人間の彫刻家が刻んだ小像を、さらに絵に起こしている。
作者が自分で絵筆を執ったときでさえ、対象との間には彫像が一枚挟まっている。本文の構造がそのまま図像にも及んでいるわけで、確定した公式図像が存在しないという事情は、作者の描画によっても覆らなかったことになる。
姿を固定したのは誰か
では、いま多くの人が思い浮かべる「タコ顔に翼」の統一されたイメージは、どこから来たのか。個々の挿絵がいつ誰の手で描かれ、どのように広まっていったかという美術史的な系譜は、本記事では扱わない。出典を確保できる資料が手元にないためだ。
ただし大枠の流れは、原典・ダーレス系拡張・TRPG設定という三層構造から見通せる。ラヴクラフト自身の原典には、体系だった外見設定は存在しない。1981年にケイオシアム社が発売したTRPG『クトゥルフの呼び声』は、「遊べるゲーム」として成立させるために、原典にもダーレス系拡張にも無かった数値化・カタログ化を必要とした。神格ごとの姿・能力・信仰圏を網羅的にまとめた設定資料集『マレウス・モンストロルム』のような書籍が、プレイヤーが参照できる統一イメージを求める中で生まれていった。「タコ顔」が既定の姿として流通する土台は、原典の一つの比喩そのものよりも、ゲームというメディアが体系化を必要としたことによって作られたとみるのが実態に近い。
現在のビデオゲームが原典の舞台やクリーチャーをどこまで忠実に翻案し、どこから独自の解釈を加えているかは、『The Sinking City 2』のアーカムを原典と照らし合わせた記事でも扱っている。
まとめ
「タコと竜と人間の戯画」は、原典では目撃者の記録ではなく、語り手ひとりの主観的な比喩だった。いま広く共有されている固定イメージは、原典が確定させたものではなく、TRPGをはじめとする後世のメディアが積み重ねてきた集積である。だからこそ「クトゥルフの呼び声」を原文で読むと、思い描いていたクトゥルフ像との落差に驚かされる。原典に何が書かれ、何が書かれていないかはクトゥルフの記事と「クトゥルフの呼び声」の記事で、三層構造の詳しい整理は「原典/ダーレス系拡張/TRPG設定」で確認できる。
出典
- [1] “A sort of monster, or symbol representing a monster, of a form which only a diseased fancy could conceive. If I say that my somewhat extravagant imagination yielded simultaneous pictures of an octopus, a dragon, and a human caricature, I shall not be unfaithful to the spirit of the thing.”(訳: 「病んだ想像力のみが思い描き得るような、一種の怪物、あるいは怪物を表す象徴。いくらか大仰な私の想像力が、タコと竜と人間の戯画とを同時に思い描いたと言っても、そのものの本質を裏切ることにはならないだろう」) — H. P. Lovecraft, “The Call of Cthulhu”(1926年執筆/1928年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “The two sounds most frequently repeated are those rendered by the letters ‘Cthulhu’ and ‘R’lyeh’.”(訳: 「最も頻繁に繰り返された二つの音は、『クトゥルフ』および『ルルイエ』という文字で表されるものであった」) — 同上 ↩
- [3] “When the stars were right, They could plunge from world to world through the sky; but when the stars were wrong, They could not live.”(訳: 「星辰が正しき位置にあるとき、彼らは天空を通って世界から世界へと飛び移ることができた。だが星辰が正しからぬとき、彼らは生きることができなかった」) — 同上 ↩
- [4] 「Sketch of Cthulhu (11 May 1934)」— ロバート・H・バーロウ宛書簡に描かれたスケッチとして収録。同アーカイブの解説は “In ‘The Call of Cthulhu’ (1926), Lovecraft describes a statuette taken from the cultists in the Louisiana swamps. He drew this representation of it for his friend, Robert H. Barlow.”(訳: 「『クトゥルフの呼び声』(1926年)でラヴクラフトは、ルイジアナの沼地の信者たちから押収された小像を描写している。彼はその小像の表現を、友人ロバート・H・バーロウのために描いた」)としている(2026年8月19日確認) — Lovecraft’s Drawings, hplovecraft.com ↩




