概要
アディロンダック山地の奥に、犬と人間そっくりの石像があるらしい――保養に来ていた友人ヘンリー・ジャクソンがそんな話を持ち帰ったことから、物語は動き出します。頑固者のベン・ヘイデンはいてもたってもいられず、語り手を連れて村マウンテン・トップへ向かい、地元の老人サム・プールから、行方知れずになっていた彫刻家アーサー・ウィーラーと、「マッド・ダン」と呼ばれる男の名を聞き出します。
翌朝、二人は山道を分け入って問題の洞窟にたどり着き、まず入口に立つ石の犬と対面し、続いて洞窟の奥で人間の石像を見つけます。その顔は紛れもなく、消息を絶っていたウィーラーその人でした。動揺した二人はダンの山小屋まで足を延ばし、無断で忍び込みます。そこで待っていたのは、椅子に縛られた男の石像と、その傍らに横たわる女の石像。ダンと妻ローズの成れの果てでした。台所の机には、漏斗で押さえられた一冊のノートが残されていました。
そのノートには、ダニエル・モリスが自らの手で綴った日記と、末尾に書き足された妻ローズの手記が収められていました。先祖から受け継いだ『エイボンの書』の秘術を用い、生きた人間をわずかな時間で石に変える方法を編み出したダン。その嫉妬と企みがどのように実行され、どのように裏切られたのかが、日付を追う日記の筆致からじわじわと浮かび上がってきます[1]。
作品情報
- 原題: The Man of Stone
- 署名: By Hazel Heald with H. P. Lovecraft(本文冒頭)。年譜は「with Hazel Heald」[1][2]
- 執筆: 1932年[2]
- 初出: 『Wonder Stories』第4巻第5号、1932年10月、440–445, 470ページ[3]
- 分量: 約6,400語(公式アーカイブ本文を機械集計)。章分けなし
- 語り: ベン・ヘイデンの友人で一人称の語り手(作中でベンからは「ジャック」と呼ばれる)。なお作中には別人物ヘンリー・ジャクソンも登場するため、本記事では混同を避けて後者を常にフルネームで表記する
- 舞台: アディロンダック山地の村マウンテン・トップと、その周辺の洞窟アレンズ・ケイブ、そしてダニエル・モリスの山小屋
- 主題: 一族に伝わる魔道書と秘術、嫉妬から生まれる殺意、日記という形式そのものが崩れていく緊張感
登場神格・用語
- ベン・ヘイデン ― 石像の噂を確かめに行くと言い出した頑固者。語り手の旧友
- 語り手 ― ベンに「ジャック」と呼ばれる一人称の主人公
- ヘンリー・ジャクソン ― 療養のためレイク・プラシッド近くの山小屋に滞在し、石の犬と石の男を最初に目撃した人物
- アーサー・ウィーラー ― 写実にこだわり「歩く写真機」と評された彫刻家。ダンの山小屋に下宿していた
- サム・プール ― マウンテン・トップの老人。ウィーラーとダンの噂を語る
- ダニエル・モリス(通称「マッド・ダン」) ― ヴァン・カウラン家の血を引く男。日記の書き手
- ローズ・C・モリス(旧姓チャンドラー) ― ダンの妻。父はオズボーン・E・チャンドラー。日記の後半を書き足す
- レックス ― ローズの飼い犬
- ヴァン・カウラン家 ― ダンの母方の一族。ニコラス・ヴァン・カウラン(1587年、ワイトハールトで絞首刑)を祖とし、ウィリアム・ヴァン・カウランが『エイボンの書』を新大陸へ持ち込んだとされる
- エイボンの書 ― ダンが石化の秘術を見出した魔道書
- シュブ=ニグラス ― ダンが石化剤を発見した際に唱える存在
- ツァトゥグァ ― ウィーラーを石化させた際にダンが唱える存在
- サンダー・ヒル ― ダンが「狐の祭り」や黒山羊の生贄を行う丘
あらすじ
頑固者ベンと石の犬の噂
語り手は、ベン・ヘイデンとの長い友情を「デイモンとピュティアス」になぞらえて語り起こします。療養から戻ったヘンリー・ジャクソンが、アディロンダック山中で犬そっくりの石像に出くわし、さらに洞窟の奥で人間らしき石像まで見つけたという話を、ベンに伝えたのがきっかけでした。ベンはかつて知り合いだった彫刻家アーサー・ウィーラーが同じ地域に滞在していたことを思い出し、「もし本当に石像が現れているなら、あれはウィーラーの仕事かもしれない」と考えます。二人は汽車とバスを乗り継ぎ、マウンテン・トップの村へ入りました。雑貨店の前にたむろす老人たちの一人、サム・プールにウィーラーの消息を尋ねると、老人は渋々こう答えます。「あの男は岩を爆破して彫像を作っていたっけ。マッド・ダンの小屋に泊まっていたが、長くは続かなかった。ダンの女房に色目を使ったせいで、追い出されたんだろうよ」[1]。
洞窟の中の石像
翌朝、二人は道具を背負って山道へ分け入り、石壁の亀裂を目印にした洞窟へたどり着きます。入口には、毛の一本一本まで写し取ったような灰色の石の犬が立っており、ベンは思わず「ジャック、これは彫像なんかじゃない。この毛並みを見ろ、まるで本物みたいだ」と漏らします[1]。四つん這いで奥へ進むと、粗末な狩猟着をまとった人間らしき石像が横たわっていました。ベンが懐中電灯を向けたその顔は、紛れもなく行方不明だったアーサー・ウィーラーでした。二人は言葉もなく洞窟を這い出し、斜面を下ってようやく我に返ります。石化という現象そのものへの説明もつかないまま、ベンの口からは「マッド・ダン」という名がこぼれ、サム・プールの語っていた因縁が急に現実味を帯びてきました[1]。
マッド・ダンの小屋にて
村へ戻る道を外れ、ベンは迷わずダンの山小屋へと向かいます。応答のない戸口を諦め、裏の窓から二人は屋内へ忍び込みました。手前の部屋はウィーラーの仕事場らしく、石材と彫刻道具が散らばっています。奥の台所へ進んでいたベンが低い叫びをあげ、語り手もそれに続きます。暖炉の前の椅子には、革の鞭で縛られたままの男の石像が座り、床にはもう一体、若い女の石像が横たわっていました。女の石像の手のそばには、内側が黒く汚れた大きなブリキの手桶が転がっています。二人はダンとその妻の成れの果てを前に立ち尽くしますが、原因を推し量る言葉もありません。唯一手がかりらしきものが、台所の机の上に置かれた一冊の帳面でした。漏斗で押さえられたそのノートを開いた瞬間から、二人は日付順に綴られた恐るべき記録に引き込まれていきます[1]。
日記が語るヴァン・カウラン家の秘術
帳面の書き手はダニエル・モリス自身でした。「おれの名はダニエル・モリス。この辺りでは『マッド・ダン』と呼ばれている。誰も信じないような力を、おれは信じているからだ」――冒頭でそう名乗った彼は、母方の一族ヴァン・カウランの由来を延々と綴ります。1587年にワイトハールトで絞首刑となった魔法使いニコラス・ヴァン・カウラン、その孫ウィリアム・ヴァン・カウランが新大陸へ持ち込んだ『エイボンの書』、そして代々の当主が受け継いできたという秘術。ダンはサンダー・ヒルで「狐の祭り」を行い、万聖節前夜には黒山羊の生贄を捧げていたと自ら記します。11月、彫刻家ウィーラーが下宿人として小屋に来てから、ダンは妻ローズが彼に心を寄せていくのを見て取り、静かに殺意を固めていきました。12月10日の記述で、ダンは『エイボンの書』の余白に曾祖父バリュート・ピーテルセ・ヴァン・カウランが書き残した処方を見つけ、「イア!シュブ=ニグラス!千匹の仔を孕みし牝山羊よ!」と叫びます。それは硫酸バリウムと塩化カルシウムを主体とする、生体を急速に石へ変える薬品でした。アルバニーとモントリオールから薬品を取り寄せ、雀やローズの飼い犬レックスで効果を試したのち、1月から2月にかけて配合を練り上げていきます。そして3月1日、新しい石灰岩の鉱脈を見つけたと偽ってウィーラーを洞窟へ連れ出し、ワインに仕込んだ薬を飲ませました。「イアルルイエ!ツァトゥグァ様に栄光あれ!とうとうあの野郎を仕留めたぞ!」――ウィーラーはものの数分で石と化し、ダンはその亡骸を洞窟の奥へ運び込みます。残るはローズでした。飲み水に薬を混ぜても効きが遅いことに苛立ったダンは、ローズを鞭で屋根裏へ追い上げ、塩気の強い食事と薬入りの水だけを与え続けます。だが彼女は倒れず、日を追うごとにダンの記述は苛立ちと、原因不明の強い眠気を訴える走り書きへと崩れていきました[1]。
ローズの手記
乱れたダンの筆跡が途切れた先には、まったく異なる、張り詰めた筆致の一文が続きます。「これより先はローズ・C・モリスが書き足す。もうすぐ死ぬ身として」。ローズは、水の味に不審を覚えて最初の一口以降は飲まず、雨水を集めて渇きをしのいでいたこと、それでも一口分の毒でなかば麻痺した体になっていたことを記します。ウィーラーとは「正しい形で愛し合っていた」だけであり、離婚してから結婚するつもりだったこと、ダンからは長年にわたり鞭打たれ、正体の知れない儀式への加担を強いられてきたことも綴りました。ある晩、ぐっすりと眠りこんだダンを見つけたローズは、力を振り絞って鍵をこじ開け、階下へ降ります。書き物机で眠るダンを、彼自身が使っていた鞭で椅子ごと縛り上げ、口に布を詰めて動きを封じました。目を覚ましたダンが儀式の言葉を唱えようとするのへ、ローズは長年の恨みを何時間もかけてぶつけます。最後に台所の漏斗を彼の口に差し込み、残しておいた毒入りの水を注ぎ込みました。「十分もしないうちに、あの人は硬い石になっていました」。手記の最後でローズは、残った毒を自ら飲み干すつもりであること、そしてウィーラーが見つかったならその石像の傍らに埋めてほしいという願いを書き記して締めくくります[1]。日記を読み終えたベンは本を懐にしまい、「ここを出よう」とだけ言いました。二人は無言のまま山道を下り、後日、当局と記者たちがその帳面や屋根裏の書類の多くを焼き、洞窟の奥にあった装置の大半を破壊したと伝えられています[1]。
読みどころと注目テーマ
化学と魔術が同居する石化のからくり
ダンが編み出す石化剤は、『エイボンの書』の秘術に由来しながらも、硫酸バリウムや塩化カルシウムといった具体的な薬品名で語られます。魔道書の余白に書かれた処方を、アルバニーやモントリオールへ発注する現実的な手順で再現していく過程は、超自然の恐怖を化学実験の手記のように描く本作ならではの持ち味です。雀からレックス、そしてウィーラーへと試験対象が大きくなっていく段階的な描写が、日記の日付の進行そのものと重なっている点も見逃せません。
二重の手記が生む語りの緊張
物語の後半は、ベンと語り手の一人称から、ダンの日記、さらにローズの追記へと語り手が二重に入れ替わります。ダンの筆跡が乱れて眠気を訴える走り書きに崩れていくくだりから、まったく違う筆致のローズの一文へ切り替わる瞬間は、誰が生き延び誰が石になったのかを読者に先取りさせない仕掛けになっています。加害者の記録が、被害者自身の手によって最後に書き換えられる構成そのものが、この作品の復讐劇に説得力を与える仕掛けです。
ヴァン・カウラン家という一族の影
ニコラス・ヴァン・カウランの処刑から曾祖父バリュート・ピーテルセ・ヴァン・カウランの失踪まで、ダンは一族の魔道の系譜を几帳面に書き残します。ニューポルツで石にされたという隣人ハスブルック卿の噂や、キャッツキル山地シュガー・ローフでの「大いなる夜会」への言及は、いずれも伝聞の域を出ないまま日記に挟み込まれ、確かめようのない土地の因縁として読者の前に残されます。
執筆背景と影響
本作は署名の上で「By Hazel Heald with H. P. Lovecraft」と記され、公式年譜も「with Hazel Heald」としてこの作品をラヴクラフトが関わった一本に数えています[1][2]。1932年に執筆され、同年10月に『Wonder Stories』第4巻第5号(440–445, 470ページ)で発表されました[3]。ヒールドとラヴクラフトの実際の分担や依頼の経緯については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。
出典
[1] Hazel Heald with H. P. Lovecraft, “The Man of Stone” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/ms.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。
[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆年(1932年)と「with Hazel Heald」の出典。
[3] “Data Page for ‘The Man of Stone'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/ms.aspx初出『Wonder Stories』第4巻第5号(1932年10月)の出典。




