概要
「クトゥルフ神話TRPG」は、単に「クトゥルフ神話を題材にしたテーブルトークRPG」というだけの存在ではありません。1981年に登場したこのゲームは、SAN値(正気度)という仕組みを核に据えることで、それまでのファンタジーTRPGとは根本的に異なる体験を作り出しました。戦闘よりも調査を重視し、精神状態そのものを扱う仕組みを組み込んだ設計は、当時のTRPGとして画期的だったと評されています[1]。このページでは、「どう遊ぶか」という手順ではなく、「このジャンルは何が特徴的なのか」という概念の面から、クトゥルフ神話TRPGを整理します。遊び方の実践的な手順はクトゥルフ神話TRPGを初めて遊ぶ人へ、原作小説との関係はクトゥルフ神話とクトゥルフ神話TRPG、何が違うのかを参照してください。
画期的なホラーTRPGとしての成立経緯
クトゥルフ神話TRPG(原題 *Call of Cthulhu*)は、1981年にアメリカの出版社ケイオシアム(Chaosium)社から刊行されました。デザイナーはサンディ・ピーターセン(Sandy Petersen)です[1]。
ゲームが登場した当時、戦闘で敵を倒し経験値を積んで強くなっていくという、剣と魔法のファンタジーTRPGが主流でした。そこへ「プレイヤーキャラクターは非力な一般人で、化け物に打ち勝つことは基本的にできない」というゲームが現れたことは、ジャンルとして画期的な出来事でした[1]。
基盤メカニクス——BRPとパーセンタイル判定
クトゥルフ神話TRPGは、ケイオシアム社の汎用システム「ベーシック・ロールプレイング」(Basic Roleplaying、BRP)を土台にしています[1]。能力値・技能値はいずれもパーセンテージ(百分率)で表され、判定は100面ダイス(d100、またはd10を2つ振って読み替える)を振り、技能値以下の出目が出れば成功という単純な仕組みです。
戦闘用の技能ももちろん存在しますが、探索者(このゲームでのプレイヤーキャラクターの呼び方)は聞き込み・図書館調査・鑑識といった「調査」技能を多用するよう設計されており、ダンジョンに潜って敵を倒すことよりも、手がかりを集めて真相にたどり着くことに重心が置かれています。
中核となる発明——SAN値(正気度)
クトゥルフ神話TRPG最大の発明とされるのが、SAN値(正気度、Sanity)というルールです。探索者が人智を超えた神話的存在や凄惨な光景に遭遇すると、正気度の判定(SANチェック)を行い、失敗する(場合によっては成功しても)と正気度を失います。正気度が大きく削られると、一時的な錯乱や、長期にわたる精神の変調(不定の狂気・恒久的狂気)に見舞われます。
これは単なる「HPのような数値」ではありません。SAN値は「探索者がどれだけ正気を保っていられるか」という、ラヴクラフト文学の核心にある恐怖のあり方――すなわち人間が宇宙的な真実に触れることそのものが精神を蝕むという主題――を、ゲームのルールとしてそのまま形にしたものです。
最大のトレードオフ——知ることは正気を失うこと
SAN値と対をなすのが、クトゥルフ神話技能(神話度)という技能です。この技能は、神話に関する知識(禁断の書物の内容、旧支配者の正体、呪文の存在など)を表します。
ここに、このゲームならではの巧妙なトレードオフが仕組まれています。クトゥルフ神話技能の数値が高くなるほど、探索者は真相に近づき有利になる一方で、正気度の回復できる上限が下がっていくという設計です。つまり「知れば知るほど、二度と完全な正気には戻れなくなる」——知識の獲得と引き換えに、恒久的に正気を差し出していく仕組みになっているのです。
なぜ「勝てない」設計が優れた翻案なのか
多くのTRPGは、プレイヤーキャラクターが強敵を倒し、成長し、最終的に勝利することを目指します。クトゥルフ神話TRPGはこの前提を覆し、「怪物を倒して勝つ」のではなく、「いかに正気と命を保って真相にたどり着くか」を主眼に置いています。
ラヴクラフト作品の恐怖の核心は、モンスターとの戦闘そのものではなく、人間が宇宙の中心的な存在ではなく、知識が必ずしも救いにならないと気づいてしまう無力感にあります。SAN値・クトゥルフ神話技能という仕組みは、この「知ることそのものが恐怖である」という文学的な主題を、遊びながら実感できる形にゲーム的に翻訳した発明だと評価されています。
原典との距離——体系はTRPGが作った
ここで注意したいのは、SAN値やクトゥルフ神話技能、能力値といった数値体系は、ラヴクラフト自身の小説には一切登場しないという点です。原典の小説には正気度を表す数値も、技能一覧も、神格の強さを比較するステータスもありません。四大元素説や神格同士の系譜図のような「体系化」も、多くはオーガスト・ダーレスら後続作家による神話拡張が起点であり、クトゥルフ神話TRPGはさらにその先で、ゲームとして遊べる数値体系を独自に作り上げました。
「原典の記述」「後続作家による神話拡張」「TRPGによるゲーム的体系化」という3つの層がどう積み重なっているかは、原典・神話拡張・TRPG設定の三層で読み解くクトゥルフ神話で詳しく扱います。
どう始めるか
概念としての特徴が分かったところで、実際にどう遊ぶかはクトゥルフ神話TRPGを初めて遊ぶ人へを参照してください。キーパーと探索者の役割、セッションの流れ、シナリオの選び方を実践的にまとめています。
出典
- [1] “Role Playing Game (*1981*). Chaosium.” / “Designed by Sandy Petersen.” / “the general emphasis on investigation as opposed to combat made the first edition an innovative example of RPG design.”(訳: ロールプレイングゲーム、1981年、ケイオシアム社。デザイナーはサンディ・ピーターセン。戦闘よりも調査を重視する設計は、初版を画期的なRPGデザインの一例にした) — *The Encyclopedia of Science Fiction*、”Call of Cthulhu” 項(編者 John Clute & David Langford), sf-encyclopedia.com。刊行年は “Forty years ago Sandy’s roleplaying game Call of Cthulhu was published by Chaosium.”(訳: 40年前、サンディのロールプレイングゲーム『クトゥルフの呼び声』はケイオシアムから出版された)と、ケイオシアム公式ブログ(2021年)でも確認できる — Chaosium。BRPとの関係は「システムは”ベーシック・ロールプレイング”をベースに、正気度、クトゥルフ神話技能、銃器戦闘などを追加し、ホラーTRPGを楽しむために発展させたもの」というKADOKAWA公式クトゥルフ神話TRPGサイトの説明でも確認できる — KADOKAWA ↩
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