編集部注(著作権について): 出典の『狂気の山脈にて』は、Astounding Stories誌掲載号の著作権が更新されているため(Catalog of Copyright Entries登録番号R309944)、2032年まで米国で著作権が継続しています(パブリックドメインではありません)。本記事中の引用は論評・紹介目的の短い範囲に限定しています。
概要
狂気山脈の峰々を越えた先に広がる、古のもの(Elder Things)が築いた太古の廃都市。ミスカトニック大学探検隊が上空から目にした最初の姿は蜃気楼として現れ、その後実際に踏み入った隊員たちは、人智を超えた規模と幾何学を持つ石造建築の廃墟を目の当たりにする[1]。
基本プロフィール
- 分類: 地名(南極大陸、廃都市遺跡)
- 欧文表記: THE ANCIENT CITY
- 初出・出典: 「狂気の山脈にて」(執筆1931年/『アスタウンディング・ストーリーズ』1936年2〜4月号連載)
- 所在地: 狂気山脈(mountains-of-madness)の峰々を越えた先
原典での描写
空から見た都市の広がりと建築
峠を抜けて実際に眼下へ広がった都市は、前日の蜃気楼よりもなお不穏なものだったと語られる。標高20,000フィート(約6,100メートル)に達するこの台地に果てしなく連なる石塊の群れを前に、ダイアーとダンフォースはコロラドの奇岩やアリゾナの風食岩といった見慣れた地形になぞらえて心を落ち着けようとするが、それも通用しなかった。この時ダイアーの脳裏には、レン高原にまつわる神話的な伝承もよぎったという。ダイアーはこの光景を「角ばり、湾曲し、傾いた石塊からなるサイクロピアンの迷宮」と呼び、それこそが前日目にした蜃気楼の実体であり、上空の氷塵の層がその像を反射していたに過ぎなかったことを悟る[4]。
都市の外縁に建つ五芒星形の稜堡(頂点間およそ300フィート、約90メートル)は、ジュラ紀の砂岩の巨石を積んだ造りで、四角いアーチ窓が並んでいたという。実際に丘を下って市街へ踏み込むと、円錐、段状のテラス、こぶ状に膨らんだ塔、五本の尖塔が集まる奇怪な構造が連なり、それらを結ぶ管状の橋が氷の下に透けて見えた。通りらしい通りはなく、峡谷のように入り組んだ路地が街全体を覆っていたと記録される[5]。
壁面彫刻が語る歴史
壁画は、古のものが海中と陸上の双方で送った暮らしを伝えている。浅海に留まった個体は頭部の五本の触手先端にある目を使い、蝋引きの防水面へ尖筆で文字を記す方法で彫刻と記録を続けた。一方、深海の個体は燐光を発する生物で光を補い、頭部の櫛状繊毛による特殊な感覚を頼りにしていたという。移動には膜状の翼や擬似脚を用い、死者は垂直に埋葬したうえで五芒星形の標を刻んだ塚を築いたと壁画は伝える[6]。
さらに新しく、技巧の劣った彫刻群は、寒冷化が進んで陸上の植生と家畜が衰えるなか、古のものが海中の裂溝に新たな都市を築いた経緯を物語る。労働力にはショゴスがあてられ、旧市街から選び抜いた優れた彫刻の石材を新都市へ運び込んだ様子も刻まれており、語り手はこれをコンスタンティヌス帝がギリシアの美術品をビザンティウムへ移送した故事になぞらえている。最終的に陸上の都市は放棄され、その後の消息は壁画にも残されていない[7]。
地下への降下と現在の住人
壁画から読み取った地図を頼りに、ダイアーとダンフォースは大渓谷へ直接続く坑道を目指す。坑道の入口は完璧な逆半球状の巨大な空間になっており、天井には太古の天球を模した装飾が施されていたという。そこで彼らが遭遇したのは、既知のキングペンギンをしのぐ体格を持つ未知種で、原文は「白皮症と事実上の視覚喪失とを併せ持つ」個体と形容する、盲目の巨大ペンギンの群れだった。壁画に描かれた太古のペンギンと同じ系統と見られ、古のものと友好関係を保ったまま暖かい奥地で生き延びてきたと推測される[8]。
さらに奥へ進むと、二人は黒い粘液にまみれ首を失った古のものの死体と、生々しく彫り直された壁画――ショゴスによる粛清の場面――を発見する。この粘液と壁画から、深淵の底では今もショゴスが支配を保っていること、そして負傷して生き延びた古のものが少なくとも一体いる可能性が読み取れた。直後、耳慣れない甲高い忍び音が近づき、二人は元来た坑道を全力で駆け戻ることになる[9]。
都市を去るときに見たもの
復路の離陸直後、二人はもう一度、眼下に広がる太古のサイクロピアン建築群を見下ろす。峠を越える上昇の途中、操縦をダイアーに代わったことで解放されたダンフォースは、後方や周囲の山肌を繰り返し振り返り、やがて絶叫を上げて操縦を乱しかけたと記される[10]。
ダンフォースが何を見たのかは、原典でも最後まで明かされない。彼がほのめかしたのは、「その最後の恐怖は蜃気楼だった」ということだけであり、古のものたち自身が避けて恐れていたさらに西の山並みの向こうに、雲間を通して一瞬だけ見えた何かだったという。以後、彼は「黒い坑」「彫られた縁」「原初のショゴス」といった脈絡のない言葉を時折つぶやくが、正気に返るとそのすべてを否定し、若い頃に読んだ怪奇文学のせいだと言い張ったと結ばれる[11]。
由来・モデル
完全な架空の遺跡であり、実在の考古学的遺跡をモデルとした記述は確認されていない。ただし、都市そのものが文字による記録ではなく建築・彫刻に数億年の歴史を刻んでいるという着想は、当時考古学的に注目を集めていた古代文明(エジプト・メソポタミア等の巨石建築)の壁画・碑文研究のあり方を、地球外由来の非人間的建築という形で翻案したものと位置づけられる。
歴史・年表
探検隊が最初にこの都市を認めたのは、山脈へ接近する機上から見えた蜃気楼としてであった。切り詰められた円錐や、階段状・溝彫りの円筒、鱗状の円盤を重ねた塔、複数の頂点を持つ角錐といった、人類の建築的想像力の外にある奇怪な構造物が、管状の橋で複雑に結び合わされている様が語られる[2]。実際に都市へ降り立った探検隊員(ダイアー教授と院生ダンフォース)は、この蜃気楼が誇張ではなかったことを知る。都市を構成する石材は人類にも人類の想像力にも属さない建築様式を持つ巨石(サイクロピアン)構造で、幾何学の法則を怪異なまでに歪めた意匠に覆われていた。
都市の壁面には、これを築いた古のものたちが数億年前に地球へ飛来し、文明を興し、使役生物ショゴスを創造した経緯を物語る彫刻群が残されており[3]、探検隊はそこから地球生命史そのものを塗り替えかねない太古の記録を読み解いていく。壁画はさらに、遅れて到来したクトゥルフの眷属や、外宇宙から飛来したミ=ゴとの間で地上の支配権を巡る争いがあったこと、そして古のものが自ら創造したショゴスの反乱を鎮圧した(いわゆる「再征服の戦い」)ことを伝えている。地下の水域に新たな都市が築かれたのはこの反乱の結果ではなく、より安定した温暖な環境を求めた措置であり、地上の都市が最終的に放棄されたのは、その後長期にわたって進行した寒冷化によるものだったと壁画は記している[12]。
性質・特徴
「都市そのものが記録装置である」という着想——文字による記述ではなく、建築と彫刻そのものに数億年の歴史が刻まれているという設定——が、この遺跡を単なる恐怖の舞台以上のものにしている。人類が到達するはるか以前から地球に存在した知性とその滅亡の物語を、廃墟の姿を通じて追体験させる構成は、後のSF的「古代宇宙人」ものの原型のひとつとされる。物語終盤、ダイアーとダンフォースは都市の地下水域へ迷い込み、そこで生き延びていた古のもの、さらにその奥で蠢く未知の何か(ダンフォースが目撃し、決して詳細を語ろうとしない存在)に遭遇する。
関連する人物・存在・出来事
ウィリアム・ダイアー教授、院生ダンフォースがこの遺跡を実際に探索する。都市を築いた古のもの(Elder Things)、その使役生物として創造されたショゴス、そして山脈そのもの(mountains-of-madness)と一体の物語世界を構成する。
主要登場作と読みどころ
- 「狂気の山脈にて」(執筆1931年/1936年発表): 唯一の原典。都市の発見から壁画の解読、地下水域での遭遇までがダイアーの一人称報告として語られる。
- TRPG続編キャンペーン『Beyond the Mountains of Madness』(ケイオシアム社): この遺跡のさらなる探索を扱う大型キャンペーン。
よくある誤解
Q. この廃都市の「その先」でダンフォースが見たものは何だったのですか?A. 原典では明言されません。ダンフォースがほのめかすのは「その最後の恐怖は蜃気楼だった」ということだけで、正体は最後まで語られません。彼はのちに「黒い坑」「彫られた縁」「原初のショゴス」「ヨグ=ソトース」といった脈絡のない言葉を時折口にしますが、原典の地の文は、これらが若い頃に読んだ怪奇文学(禁書とされる『ネクロノミコン』を含む)の記憶によるものかもしれないと示唆しており、正気に戻ったダンフォース自身もその内容をすべて否定します。したがって「ヨグ=ソトース」は原典中でダンフォースが実際に口にした語ではありますが、それが彼の見たものの正体だと原典が確定しているわけではありません。
Q. この遺跡と狂気山脈(mountains-of-madness)は同じ記事内容ですか?A. いいえ。狂気山脈は山脈そのもの・探検隊の到達過程を扱い、本記事はその先にある廃都市そのもの(建築・壁画・地下水域)に焦点を当てています。
出典
- [1] “There were truncated cones, sometimes terraced or fluted, surmounted by tall cylindrical shafts here and there bulbously enlarged and often capped with tiers of thinnish scalloped discs.”(訳: 「切り詰められた円錐があり、時に段状あるいは溝彫りが施され、その上には所々ふくらみを帯び、しばしば薄い帆立貝状の円盤を幾重にも戴いた高い円筒形の塔が聳えていた」) — H. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”(執筆1931年/1936年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] 同上(蜃気楼として最初に目撃された都市の建築描写) ↩
- [3] “Formless protoplasm able to mock and reflect all forms and organs and processes…slaves of suggestion, builders of cities”(訳: 「あらゆる形態・器官・過程を模倣し反映しうる無定形の原形質……暗示の奴隷にして都市の建造者」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “this Cyclopean maze of squared, curved, and angled blocks”(訳: 「角ばり、湾曲し、傾いた石塊からなるサイクロピアンの迷宮」) — 同上 ↩
- [5] 五芒星形の稜堡の石材・寸法や、実際に市街へ踏み込んだ際の建築の諸相(円錐・テラス・尖塔・管状の橋)についての記述による — 同上 ↩
- [6] 古のものが海中と陸上で送った生態、感覚器官、埋葬の習俗についての記述による — 同上 ↩
- [7] 寒冷化にともない海中の裂溝へ新都市を築き、旧市街の彫刻を移送した経緯についての記述による — 同上 ↩
- [8] “monstrous in its combined albinism and virtual eyelessness”(訳: 「白皮症と事実上の視覚喪失とを併せ持つ、怪異な」) — 同上 ↩
- [9] 首を失った古のものの死体と、粛清の場面を刻んだ壁画、それに続く追跡の場面についての記述による — 同上 ↩
- [10] 離陸から山脈越えにかけての飛行と、ダンフォースの挙動についての記述による — 同上 ↩
- [11] “the final horror was a mirage”(訳: 「その最後の恐怖は蜃気楼だった」) — 同上 ↩
- [12] ショゴスの反乱を古のものが鎮圧したこと(「再征服の戦い」)、海中都市の建設が温暖な環境を求めた措置であったこと、地上都市の放棄が寒冷化によるものだったことについての記述による — 同上 ↩






