概要
ニューヨーク市ブルックリンに実在する港湾地区[1]。老朽化した煉瓦造りの建物群と、シリア・スペイン・イタリア・アフリカ系など多様な出自の移民が入り混じる「混沌の坩堝」として描かれる[2]。刑事トマス・F・マローンが老学者ロバート・サイダムを取り巻く秘密結社を追う「レッド・フックの恐怖」の主舞台となる。
基本プロフィール
- 分類: 地名(実在都市を題材にした架空化)
- 欧文表記: RED HOOK
- 初出・出典: 「レッド・フックの恐怖」(1925年8月執筆、Weird Tales誌1927年1月号発表)
- モデル: ニューヨーク市ブルックリン区、実在する同名の港湾地区
- 地理設定: ガヴァナーズ島の対岸、古い波止場に近い一帯[1]
由来・モデル
レッド・フックは実在するブルックリンの地区名であり、ラヴクラフト自身が1924年から1926年にかけてニューヨークで暮らした際に実際に目にした光景がモデルになっているとされる。作中では「波止場からより高台へと丘を這い上るように延びる汚れた大通り」と描写され、その先にはクリントン街・コート街の荒廃した一角がボロー・ホールへと続くとされる[1]。ラヴクラフト自身のニューヨーク生活は不遇なもので、この時期に体験した都市生活への幻滅と、移民が密集する下町地区への強い異物感が、そのまま作品の恐怖の質感に反映されているという評が一般的である。
歴史・年表
物語の舞台となる1925年前後、レッド・フックは「絶望的にもつれた謎」と呼ばれる人種の坩堝と化していたとされ、シリア系・スペイン系・イタリア系・アフリカ系の要素が互いに接触し合い、遠からぬところにスカンジナビア系・アメリカ系の一帯も存在するという[2]。パーカー・プレイス(作中では既に改名済みとされる)には、アラビア文字を用いながらも周辺のシリア人コミュニティからさえ異質と見なされる正体不明の集団が住み着いているとされ、この集団を率いる老学者ロバート・サイダムが、荒廃した建物の一つを隠れ家として使っていたことが刑事マローンの捜査によって判明する。
事件の終盤、警察の強制捜査により、サイダムの潜伏先から近隣の「ダンスホール教会」地下へ通じる秘密の隧道が発見される。その先には北壁の狭い隠し通路を通じてのみ到達できる地下納骨堂があり、軋む音を立てるオルガンと、木製の長椅子・奇怪な意匠の祭壇を備えた広大なアーチ状の礼拝堂が広がっていたとされる[3]。この地下祭儀場の発見と崩壊をもって、事件は幕を閉じる。
性質・特徴
超自然の脅威そのものよりも、都市の底辺に堆積する人間の悪意と退廃を恐怖の源泉とする点で、ラヴクラフト作品の中でも特異な一篇の舞台となっている。「奇怪な音と汚穢のバベル」であり、埠頭に打ち寄せる脂ぎった波のさざめきと、港の汽笛が奏でる怪物じみたオルガンの連禱に応えるように、街そのものが異様な叫びを上げているとされる描写[4]は、都市そのものを一個の生き物のように扱うラヴクラフトの筆致を象徴する。なお、本作における移民集団への描写は今日では強く排外主義的だと批判されており、作品を読む・紹介する際にはその歴史的文脈への留意が必要である。
関連する人物・存在・出来事
秘密結社を率いる老学者ロバート・サイダムと、彼を追う刑事トマス・F・マローンが物語の中心人物。サイダムの結社が信奉する存在の正体は作中で明言されないが、地下納骨堂の祭壇の描写から、何らかの旧支配者級の存在への儀式が行われていたことが示唆される。ラヴクラフト作品世界の他の都市部の暗部(インスマスの秘密教団など)と並び、「表向きは平穏な近代都市の裏に古い信仰が潜む」という構図を共有する。
主要登場作と読みどころ
- 「レッド・フックの恐怖」(1925年執筆/1927年発表): 唯一の登場作にして中心となる原典。刑事トマス・F・マローンが謎の失踪事件を追う中で、老学者ロバート・サイダムの秘密結社に行き着く過程が、都市の下層に潜む集合的な悪意として描かれる。地下納骨堂の発見・崩壊に至る終盤の展開が読みどころ。
よくある誤解・設定の食い違い
Q. レッド・フックは完全な架空の地名ですか?
A. いいえ。ニューヨーク市ブルックリン区に実在する港湾地区の地名がそのまま使われています。ラヴクラフトが実際に見聞きした光景を基に、恐怖小説の舞台として脚色したものです。
Q. サイダムの結社が信仰する神格は何ですか?
A. 作中では具体的な神格名は明言されません。地下祭儀場の描写から旧支配者級の存在への信仰が示唆されるのみで、断定的な設定はありません。
出典
- [1] “Red Hook is a maze of hybrid squalor near the ancient waterfront opposite Governor’s Island, with dirty highways climbing the hill from the wharves to that higher ground where the decayed lengths of Clinton and Court Streets lead off toward the Borough Hall.”(訳: 「レッド・フックはガヴァナーズ島の対岸、古い波止場近くに広がる雑種的な不潔の迷路であり、波止場から高台へと汚れた大通りが這い上り、その先ではクリントン街・コート街の荒廃した一角がボロー・ホールへと延びている」) — H. P. Lovecraft, “The Horror at Red Hook”(1925年執筆/1927年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “The population is a hopeless tangle and enigma; Syrian, Spanish, Italian, and negro elements impinging upon one another, and fragments of Scandinavian and American belts lying not far distant.”(訳: 「住民は絶望的にもつれ合った謎である。シリア系・スペイン系・イタリア系・アフリカ系の要素が互いに接触し合い、そこから遠からぬところにスカンジナビア系・アメリカ系の一帯の断片が横たわっている」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “There was a tunnel from this house to a crypt beneath the dance-hall church; a crypt accessible from the church only through a narrow secret passage in the north wall, and in whose chambers some singular and terrible things were discovered. The croaking organ was there, as well as a vast arched chapel with wooden benches and a strangely figured altar.”(訳: 「この家からダンスホール教会の地下納骨堂へ通じる隧道があった。その納骨堂は教会側からは北壁の狭い秘密通路を通じてのみ到達可能であり、その各室では単数・恐るべきものが発見された。軋むオルガンがそこにあり、木製の長椅子と奇怪な意匠の祭壇を備えた広大なアーチ状の礼拝堂もあった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “It is a babel of sound and filth, and sends out strange cries to answer the lapping of oily waves at its grimy piers and the monstrous organ litanies of the harbour whistles.”(訳: 「それは物音と汚穢のバベルであり、脂ぎった波が薄汚れた埠頭に打ち寄せる音と、港の汽笛が奏でる怪物じみたオルガンの連禱に応えて、奇怪な叫びを送り出している」) — 同上, 公式アーカイブ ↩




