概要
『忌み家』は、H・P・ラヴクラフトが1924年に執筆し、1928年にRecluse Pressから小冊子として刊行された中編です。ラヴクラフトが生涯を過ごしたロードアイランド州プロヴィデンスの実在の街並みを舞台にしており、土地への愛着と怪奇趣味が色濃く融合した作品として知られています。
作品情報
- 原題: The Shunned House
- 執筆・発表年: 1924年10月16日〜19日執筆/1928年Recluse Pressより小冊子刊行(未製本のまま長く放置)/1937年10月「ウィアード・テイルズ」誌で雑誌初出
- 主題タグ: 疑似科学的な吸血性の物質、プロヴィデンスの実在の地理、フランス系移民一家の呪われた記憶
登場神格・用語
本作には深淵書架収録の固有の神格・用語は登場しません。
あらすじ
語り手は、代々「忌み家」と呼ばれ住人が原因不明の衰弱死を遂げてきた古い屋敷の謎に、学者肌の叔父エリユー・ウィップル博士と共に挑む。文献調査によって、屋敷の敷地にかつてフランス系移民エティエンヌ・ルーレ一家が住み、その血筋に「異界の圏域への異常な親和性」があったらしいという奇怪な歴史をたどった二人は、単なる迷信ではなく「三次元空間にはまれにしか現れない、ある種の未分類の生命力と希薄化した物質の変容」[2]が屋敷の地下室に巣くっているとの理論に至り、ついに地下室に籠もり夜通しの監視を行うことを決意する。監視の夜、まどろむ叔父の様子が急変し、フランス語で譫言を呟いたのち「息が、息が!」と叫んで飛び起きる。やがて地下室の暗闇に黄色く病んだ蒸気状の死体光が立ち昇り、半人半獣の輪郭をとって叔父の姿を呑み込んでいく[3]。語り手は正体不明の何かに姿を変え崩れ落ちていく叔父を残し、街へ逃げ出さざるを得なかった。翌朝、彼は独りで地下室に戻り、ピッケルと硫酸六壜を用意して穴を掘り進める。スコップの先に何か柔らかいものが触れた瞬間、彼は穴から飛び退き、次々と硫酸を注ぎ込む。緑がかった黄色い蒸気の奔流が立ち昇るなか、屋敷に一世紀半にわたって取り憑いていた邪悪なものは、ついに滅び去った[4]。
読みどころと注目テーマ
本作は、幽霊屋敷という古典的なモチーフに、疑似科学的な「吸血性の物質」という独自の解釈を持ち込んだ点が特徴で、後年のラヴクラフト作品に見られる「超自然を科学的に語ろうとする」姿勢の先駆けともいえる。地下室での理論構築の場面では、語り手と叔父が「既知の三次元宇宙は、物質とエネルギーの全宇宙のごく一部を占めるにすぎない」という立場から、吸血鬼や人狼といった俗信をそのまま信じるのではなく、未知の物理法則による現象として捉え直そうとする姿勢が丁寧に描かれ、迷信と科学的思考のあいだに独自の橋を架けている。冒頭で語られる、かの詩人エドガー・アラン・ポーがプロヴィデンスの詩人サラ・ヘレン・ホイットマン夫人への求婚のために度々この地区を歩きながら、道すがらこの屋敷の前を何も知らずに通り過ぎていたという逸話[1]も、「恐怖の巨匠がすぐ隣を素通りしていた」という皮肉な構図を際立たせる仕掛けとして機能している。プロヴィデンスの実在の地理を丹念に描写している点も、ラヴクラフト作品の中では珍しい部類に入る。
執筆背景と影響
本作は1924年10月16日から19日にかけて執筆された[5]。舞台となった屋敷は、プロヴィデンスのベネフィット・ストリート135番地に実在する建物(1763年頃建造、現存)がモデルとされ、ラヴクラフトの叔母リリアン・クラークが1919年から1920年にかけてこの家に住んでいたことも知られている。もっとも、本人はニュージャージー州エリザベスで見た別の家こそが本作執筆の直接のきっかけになったと語っている[5]。本作はラヴクラフト最初の単行本となるはずだった作品でもある。1928年、W・ポール・クック主宰のRecluse Pressが約250部を印刷したが、当時は製本されないまま放置され、そのうち約150部が1959年になってようやくアーカム・ハウスに渡り、残る100部をオーガスト・ダーレスが製本して1961年に正式刊行した——「アーカム・ハウス関連書籍の中で最も希少な一冊」と呼ばれる所以である[5]。雑誌媒体での初出は、ラヴクラフトの死の年である1937年10月号「ウィアード・テイルズ」誌であり、著者は自作の雑誌掲載を見ることなく世を去った。1928年の小冊子初出であり、米国・日本双方でパブリックドメイン作品として扱われる。
出典
- [1] “…the world’s greatest master of the terrible and the bizarre was obliged to pass a particular house on the eastern side of the street…And yet that house, to the two persons in possession of certain information, equals or outranks in horror the wildest phantasy of the genius who so often passed it unknowingly, and stands starkly leering as a symbol of all that is unutterably hideous.”(訳: 「恐怖と怪奇の分野における世界最大の巨匠は、通りの東側に立つある一軒の家の前を、幾度となく通り過ぎねばならなかった……しかも、ある特定の情報を知る二人の人物にとって、その家は、彼がそれと知らぬまま幾度も素通りしたその天才の最も奔放な空想さえ凌ぐ、あるいはそれに匹敵するほどの恐怖を秘め、名状しがたいほど忌まわしいものすべての象徴として、剥き出しのまま睨みを利かせて立っているのだった」) — H. P. Lovecraft, “The Shunned House”(1924年執筆/1937年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “…we were not prepared to deny the possibility of certain unfamiliar and unclassified modifications of vital force and attenuated matter; existing very infrequently in three-dimensional space…”(訳: 「我々は、三次元空間にはまれにしか存在しない、生命力と希薄化した物質のある種の未知・未分類の変容の可能性を、否定してかかるつもりはなかった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [3] “Out of the fungus-ridden earth steamed up a vaporous corpse-light, yellow and diseased, which bubbled and lapped to a gigantic height in vague outlines half-human and half-monstrous…”(訳: 「黴に覆われた土から、黄色く病んだ蒸気状の死体光が立ち昇り、半ば人間、半ば怪物じみた漠とした輪郭をとって、途方もない高さにまで泡立ち、なめるように広がっていった」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [4] “One of earth’s nethermost terrors had perished forever; and if there be a hell, it had received at last the daemon soul of an unhallowed thing.”(訳: 「地上の最も底知れぬ恐怖の一つが、永遠に滅び去った。もし地獄というものがあるならば、そこはついに、この呪われたものの悪魔の魂を受け取ったのである」) — 同上, 公式アーカイブ ↩
- [5] 執筆日(1924年10月16日〜19日)、モデルとなったプロヴィデンス、ベネフィット・ストリート135番地の実在の家屋(1763年頃建造、現存)とラヴクラフトの叔母リリアン・クラークの居住歴(1919〜1920年)、ニュージャージー州エリザベスの家屋が直接の着想源であるという著者自身の証言、1928年Recluse Pressによる約250部の印刷(当時は未製本のまま放置され、1959年に約150部がアーカム・ハウスへ渡り、1961年にオーガスト・ダーレスが残部を製本して正式刊行)、1937年10月「ウィアード・テイルズ」誌への雑誌掲載について。— 出典: Wikipedia「The Shunned House」, 該当ページ ↩



