書籍(英語・注釈版短編集。LIVERIGHT/W. W. NORTON、2026年10月刊行予定) — At the Mountains of Madness: And Other Tales of Weird Science

At the Mountains of Madness: And Other Tales of Weird Science

ラヴクラフトは科学ホラー作家だったのか。レズリー・S・クリンガー編・注釈、Tamsyn Muir序文による、H・P・ラヴクラフトの科学ホラー9編の注釈版短編集が、Liveright(W. W. Norton傘下)より2026年10月に刊行される。収録9編を並べると、ラヴクラフトが繰り返し「科学」を恐怖の道具に使っていたことが見えてくる。本記事は公式ページの書誌情報を確認したうえで、この切り口を当サイトの既存原典記事で検証する。

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概要

H・P・ラヴクラフトの短編9作を収めた注釈版アンソロジー『At the Mountains of Madness: And Other Tales of Weird Science』が、米国では2026年10月6日、Liveright(W. W. Norton & Company傘下の版元)より刊行される[1]。英国版はW. W. Norton & Company Ltd.より同年10月27日刊行だ[2]。両国のページで書誌情報を突き合わせたところ、ページ数・価格・収録作の内訳は次のように確認できた。

  • 編・注釈: レズリー・S・クリンガー(Leslie S. Klinger)
  • 序文: タムシン・ミューア(Tamsyn Muir)
  • 米国版: ペーパーバック、432ページ、21.99ドル(ISBN 978-1-324-09836-2)、2026年10月6日刊行[1]
  • 英国版: ペーパーバック、152×234mm・432ページ、15.99ポンド、2026年10月27日刊行[2]
  • 電子版: ISBN 978-1-324-09837-9。英国版公式ページでは15.00ポンド・「Coming Soon」表示を確認した[2]。米国版公式ページのISBN一覧には電子版の型番があるのみで、価格の記載は確認できていない[1]。

収録9編は、米国版公式ページの紹介文に明記されている。「ポラリス」「眠りの壁の彼方」「神殿」「向こう側」「ハーバート・ウェスト―死体蘇生者」「忌み家」「冷気」「闇に囁くもの」、そして表題作「狂気の山脈にて」の9編だ[1]。新訳ではなく、原文の英語テキストにクリンガーの注釈と歴史的解説を添える構成であることも、米国版の紹介文に明記されている[1]。

この本は独立した企画ではない。クリンガーはNorton(Liveright)で2014年に『The New Annotated H. P. Lovecraft』(序文アラン・ムーア)、2019年に『The New Annotated H.P. Lovecraft: Beyond Arkham』(序文ヴィクター・ラヴァル)、2022年に『The Call of Cthulhu: And Other Stories』(短編10作を収録)を編んできた、その最新作にあたる[2]。英国版公式ページの「Also By」欄には、この系譜がまとまって並んでいる。2014年版の紹介文には「20世紀最高の古典的恐怖小説の実践者による注釈版が、奇妙な永劫の彼方からやってきた」(スティーヴン・キング)という評が添えられ、2019年版には「モダン・ゴシック文学のオリンポス的金字塔」(ハーラン・エリスン)という評が引かれている[2]。今回の2026年版の紹介文は、クリンガーを「ラヴクラフトの奇妙で身の毛もよだつ宇宙をゆく、疲れを知らない案内人」と呼ぶ[2]。

どんな作品か

米国版公式ページが掲げる短い紹介文はこうだ。

A bone-chilling collection of H.P. Lovecraft’s hallucinatory visions of science, featuring the “exciting and definitive” (Danielle Trussoni) annotations of Leslie S. Klinger.(訳: H・P・ラヴクラフトの、科学をめぐる幻覚的なヴィジョンを集めた、骨まで凍る一冊。「刺激的で決定的」(ダニエル・トゥルソーニ)なレズリー・S・クリンガーの注釈を収める)[1]

続く長文の紹介では、ラヴクラフトが生前ほとんど成功を収めず、パルプ雑誌にしか作品を発表できなかった作家だったこと、しかし今日では「ウィアード・フィクション」の始祖として、SF作家・映画作家・あらゆる芸術家の精神に影響を与え続けていると位置づけたうえで、収録作の一部を具体的に紹介している。

From “Herbert West: Reanimator,” a tale of two scientists’ grave robbery and mission to resurrect the dead, to “Cool Air,” a desperate man’s plan to conquer death, to At the Mountains of Madness, a report of Antarctic researchers discovering remnants of a sprawling, ancient, and advanced civilization, Lovecraft’s visions of science and exploration threaten the very seams of our known universe.(訳: 二人の科学者による墓荒らしと死者蘇生の使命を描く「ハーバート・ウェスト―死体蘇生者」から、死を克服しようとするある男の企てを描く「冷気」、そして広大で古代の、しかし高度な文明の残骸を発見する南極調査隊を描く『狂気の山脈にて』まで、ラヴクラフトの科学と探検をめぐるヴィジョンは、私たちが知る宇宙の縫い目そのものを脅かす)[1]

この紹介文が挙げる3作——死者を甦らせる医学、死を止める冷却技術、そして地質学的発見——は、9編全体を貫く一本の線を先取りしている。本記事では、この線をもう少し丁寧にたどってみたい。

死を止めようとする科学者たち

9編のうち3編は、いずれも「科学者が死を化学・生理学の問題として扱おうとする」という設定を共有する。

「ハーバート・ウェスト―死体蘇生者」は、死を「組織の機能停止」に過ぎないと考える医学生ウェストが、腐敗の始まっていない「新鮮な」死体を求め続ける全6章の連作だ。当サイトの該当記事が記す通り、この作品を貫くのは「新鮮さ」という一語への執着であり、蘇生に成功した死体は例外なく理性を欠いた凶暴な存在になる[3]。「冷気」のムニョス博士も同じ問いに挑む人物だが、手段は正反対だ。彼は死を「止める」のではなく、体温を下げ続けることで死の完成を先送りにする。18年前に一度死んだはずの体を、部屋の温度を55度から28度まで下げながら保ち続け、冷却装置が壊れた朝、机の上に残された走り書きにはこう記されていた——「私のやり方でやるしかなかったのだ——人工的な保存——なぜなら、いいかね、私はあのとき、18年前に死んだのだから」[4]。ウェストが化学反応として死を克服しようとしたのに対し、ムニョス博士は物理学(温度)で死を凍結させようとした、という違いが見える。

「忌み家」は、この系譜にもう一つの視点を足す。語り手とその伯父は、地下室に巣食う怪異に対して、吸血鬼や人狼の民間伝承をそのまま信じるわけではないが、頭から退けもしない。二人が地下室に持ち込むのは、当時最先端の科学機材だったクルックス管の放射装置と、大戦仕込みの火炎放射器という組み合わせだった[5]。結局それを滅ぼしたのは放射線でも炎でもなく、ありふれた硫酸だったという結末は、科学の道具立てを揃えても、相手が科学で説明のつく現象とは限らないことを示している。

感覚の外側を覗く科学者たち

もう一つの軸は、人間の感覚器官がとらえられる範囲の狭さを、科学の言葉で突破しようとする作品群だ。

「向こう側」のティリングハストは、機械の放つ「紫外線」によって退化した感覚器官、とりわけ松果体を刺激すれば、誰も見たことのない世界が見えるようになると語る。彼は内分泌学者やフロイト派を「浅薄だ」と切り捨て、装置のスイッチを入れる[6]。結果として彼と語り手が目にするのは、機械の振動に合わせて蠢くゼリー状の怪物と、使用人たちを消し去った何かだ。ティリングハストの最期の一言「見ろ、忌々しい、見るんだ……ちょうどお前の左肩の上だ……」で本文は途切れ、使用人たちの遺体はついに見つからない[6]。

この「感覚の限界を機械で越える」という発想は、ラヴクラフトの最初期作品にすでに芽生えていた。1918年執筆の「ポラリス」では、語り手は北極星を見つめ続けるうちに幻の都オラソーエの見張り番となり、任務中に眠りに落ちて祖国を滅ぼしたという罪の意識に苛まれる。1919年の「眠りの壁の彼方」では、州立精神病院の研修医が自作の「思考伝達装置」——「熱や光や電気のように」思考をエーテル波に変換できるという前提で組んだ、無線電信に似た送受信機——を患者の額と自分の額につなぎ、死の間際の患者の頭の中から「ジョー・スレイターは死んだ」という声を受け取る[7]。この装置も、ティリングハストの機械と同じく、人間の感覚が本来は届かないはずの領域に、工学の言葉で手を伸ばそうとする試みだ。1920年の「神殿」に登場する潜水艦U-29の艦長も、海底に沈んだ都市を「かつて大部分を神話と見なしていたアトランティス」として目の当たりにしながら、聞こえてくる歌を「幻聴」と診断し、臭化ナトリウムで抑え込もうとする[8]。三者に共通するのは、見えないはずのものを見てしまった人物が、最後まで科学者・技術者としての体裁を保とうとする姿勢だ。

個人の科学から、惑星規模の科学へ

収録作の中でもっとも新しい2編、「闇に囁くもの」(1930年)と表題作「狂気の山脈にて」(1931年)は、この「感覚の外側を覗く」というテーマを、個人の実験室から惑星規模の探検へと引き上げる。

「闇に囁くもの」の語り手ウィルマースは、ミスカトニック大学で文学を教える人物であり、科学者ではない。彼を巻き込むのは、バーモントの山中にひとり住む隠遁の学者ヘンリー・エイクリーとの文通だ。エイクリーが送ってくる手紙、写真、蓄音機の録音という物証の積み重ねが、彼を宇宙由来の種族ミ=ゴの存在へと導いていく。当サイトの該当記事が指摘する通り、この作品の恐怖は怪物を正面から描写することでは成立していない。書簡・写真・録音、そして最後に残された物証という間接的な証拠の連なりが、恐怖の輪郭を形作っている[9]。エイクリーが最終的に受け入れようとするのは、脳を金属の円筒に摘出し、機械の感覚器官を通じて恒星間を旅するという申し出だった[9]。「向こう側」の機械が屋根裏部屋という狭い空間で人間の感覚を拡張しようとしたのに対し、ここでは身体そのものが交換可能な部品として扱われている。

そして「狂気の山脈にて」では、舞台は南極大陸へ移り、道具は地質学の掘削装置と航空機になる。ミスカトニック大学の探検隊が氷に閉ざされた未踏の山脈の奥で発見するのは、人類の誕生よりはるか以前に地球へ飛来した知性体「古のもの」の巨大な石造都市だ。当サイトの該当記事は、この作品の恐怖が怪物の造形そのものよりも「数億年という時間の桁違いの大きさ」に由来していると分析している[10]。地質学者ダイアーが地層や化石の年代を几帳面に記録し続ける語り口は、科学的な報告書の体裁を取りながら、人類がこの惑星の歴史においていかに新参者であるかを読者に突きつける[10]。さらにこの作品は、坑道の奥で頭部を失った「古のもの」の遺骸を目にした二人が、彼らを「加害者」から「同じように見知らぬ環境で目覚め、必死に生き延びようとした知的存在」へと見方を改める場面を用意している。恐怖の対象への視線が同情へと転じる、この作品ならではの転換点だ[10]。なお当サイトの同記事には編集部注があり、本作の初出誌『Astounding Stories』1936年2〜4月号は米国で著作権が更新されているため、原文の直接引用を避け要約のみで構成している。本記事もこれに従い、「狂気の山脈にて」からの逐語引用は行っていない。

こうして9編を並べ直すと、科学の対象が個人の身体(死・感覚)から、少数の隠遁者の運命(闇に囁くもの)を経て、人類という種そのものの歴史的位置づけ(狂気の山脈にて)へと段階的に拡大していく構図が見えてくる。ラヴクラフトを「科学ホラー作家」と呼べるかどうかは一言では決めがたいが、少なくとも彼が繰り返し選んだ恐怖の入口が、超自然そのものではなく、医学・物理学・天文学・地質学という当時の最先端の学問だったことは、この9編の並びからはっきり読み取れる。

原典との距離(神話の三層のどこに立つか)

収録9編はいずれも1918年から1931年に執筆され、1919年から1936年にかけて発表された、ラヴクラフト自身の手による原典だ[3][4][5][6][7][8][9][10]。当サイトの分類でいえば全編が第①層(原典、1917-1937)に属し、ダーレス以降の拡張(第②層)やTRPGによる拡張(第③層)の要素は本作には含まれない。「闇に囁くもの」や「狂気の山脈にて」に登場するミ=ゴ、古のもの、ショゴス、ユゴスといった固有名詞も、いずれもラヴクラフト自身が原典で書いたものだ[9][10]。

この本が新たに加えているのは、原典のテキストそのものではなく、クリンガーによる注釈と歴史的解説という読解の層である。注釈は物語内容を書き換えるものではないため、神話の三層という枠組みでいえば、層そのものを増やす作品ではなく、第①層を読み解くための補助線を提供する一冊という位置づけになる。どのような注釈が実際に付されているのかは、2026年9月5日時点でまだ刊行前であり確認できていない。

関連して読むなら

  • 狂気の山脈にて — 本書の表題作にあたる長編そのものを、当サイトのあらすじと分析で確認できる。
  • 闇に囁くもの — 「個人の科学」から「惑星規模の科学」への転換点にあたる中編。
  • ハーバート・ウェスト―死体蘇生者 — 死を化学反応として扱おうとする医学生を描く連作短編。
  • The Last Day of H.P. Lovecraft — 同じく2026年に英語圏で登場した、ラヴクラフト自身を扱うグラフィックノベルの記事。史実と創作の切り分け方という点で参照になる。
  • コズミックホラーの起源 — ラヴクラフトが恐怖の題材として科学・宇宙論をどう取り込んでいったかという、より広い文脈を確認できる。

出典

  • [1] Liveright / W. W. Norton & Company公式商品ページ(2026年9月5日取得)。書名・副題「And Other Tales of Weird Science」、編者Leslie S Klinger、序文Tamsyn Muir、出版社Liveright、刊行日2026-10-06、製本Paperback、432ページ、ISBN 978-1-324-09836-2、電子版ISBN 978-1-324-09837-9、米国価格21.99ドル、紹介文・収録9編(Polaris/Beyond the Wall of Sleep/The Temple/From Beyond/Herbert West: Reanimator/The Shunned House/Cool Air/The Whisperer in Darkness/At the Mountains of Madness)の記載がある。https://wwnorton.com/books/9781324098362 ↩
  • [2] W. W. Norton & Company Ltd.(英国)公式商品ページ(2026年9月5日取得)。刊行日2026年10月27日、152×234mm・432ページ、価格15.99ポンド(電子版15.00ポンド)、著者H.P. Lovecraft・編者Leslie S. Klinger・序文Tamsyn Muirの記載、および「Also By」欄にクリンガーの既刊『The Call of Cthulhu: And Other Stories』(2022年)、『The New Annotated H.P. Lovecraft: Beyond Arkham』(2019年、序文Victor LaValle、”Olympian landmark of modern gothic literature”というHarlan Ellisonの評)、『The New Annotated H. P. Lovecraft』(2014年、”the twentieth century’s greatest practitioner of the classic horror tale”というStephen Kingの評)の記載がある。https://wwnorton.co.uk/books/9781324098362-at-the-mountains-of-madness ↩
  • [3] 当サイト「ハーバート・ウェスト―死体蘇生者」記事本文。死を「組織の機能停止」とみなす唯物論、「新鮮さ」への執着、全6章の構成についての記述による。原典はH. P. Lovecraft, “Herbert West—Reanimator”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/hwr.aspx ↩
  • [4] 当サイト「冷気」記事本文。冒頭の引用、ムニョス博士の冷却療法、温度の推移(55〜56度から28度)、末尾の走り書きの引用による。原典はH. P. Lovecraft, “Cool Air”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/ca.aspx ↩
  • [5] 当サイト「忌み家」記事本文。クルックス管の放射装置と火炎放射器を地下室に持ち込んだ経緯、最終的に硫酸で滅ぼした結末についての記述による。原典はH. P. Lovecraft, “The Shunned House”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/sh.aspx ↩
  • [6] 当サイト「向こう側」記事本文。ティリングハストの機械と松果体をめぐる説明、結末の描写による。原典はH. P. Lovecraft, “From Beyond”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/fb.aspx ↩
  • [7] 当サイト「ポラリス」「眠りの壁の彼方」記事本文。見張り番の任務失敗、思考伝達装置と「ジョー・スレイターは死んだ」という結末についての記述による。原典はH. P. Lovecraft, “Polaris” および “Beyond the Wall of Sleep”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/p.aspx / https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/bws.aspx ↩
  • [8] 当サイト「神殿」記事本文。艦長がアトランティスの廃墟を目にする場面、歌を幻聴と診断する場面についての記述による。原典はH. P. Lovecraft, “The Temple”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/te.aspx ↩
  • [9] 当サイト「闇に囁くもの」記事本文。書簡・写真・録音による間接的な恐怖の構成、脳を円筒に収めて恒星間を旅する申し出についての記述による。原典はH. P. Lovecraft, “The Whisperer in Darkness”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/wid.aspx ↩
  • [10] 当サイト「狂気の山脈にて」記事本文。地質学的記述の手法、「古のもの」への視線の転換についての記述による(同記事の編集部注により、本作からの逐語引用は避けている)。原典はH. P. Lovecraft, “At the Mountains of Madness”, The H. P. Lovecraft Archive, https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/mm.aspx ↩

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