概要
エルトダウンの粘土板(Eltdown Shards)は、H・P・ラヴクラフトが担当した部分を含む輪作小説「彼方よりの挑戦」に登場する、粘土でできた断片群です。作中の地質学者ジョージ・キャンベルの回想によれば、南イングランドの、人類がまだ存在し得なかった時代の石炭紀以前の地層から、物語の時点で30年前に発掘されたとされています。断片に刻まれた形と模様があまりに奇妙だったため、一部の学者は人為的な加工ではないかと推測しました[1]。
同じ「彼方よりの挑戦」では、この粘土板をめぐって1912年頃に出版されたという「翻訳」と、そこに記されていたという太古の物語も語られます。加えて「アロンゾ・タイパーの日記」ではプナコティック・マニュスクリプトと並ぶ禁断の書物として、「時間からの影」ではイースの大いなる種族が渡ってきた世界の名の出典として、それぞれ短く言及されています[1][2][3]。
3作品とも、粘土板そのものの実物や全文を描写する場面はありません。作中人物が伝聞や引用というかたちで触れるにとどまり、「疑わしく不穏な(debatable and disquieting)」という形容が繰り返し使われる点が共通しています[1][3]。
基本プロフィール
- 分類: 禁書(架空の遺物・文書)
- 欧文表記: ELTDOWN SHARDS
- ラヴクラフト作品での言及: 彼方よりの挑戦(1935年8月執筆)、アロンゾ・タイパーの日記(1935年10月執筆)、時間からの影(1934年11月〜1935年3月執筆)[1][2][3]
- 初出について: 旧記事は「彼方よりの挑戦のラヴクラフト担当部分より前に、リチャード・F・サーライトの作品で言及された」と記していましたが、当サイトでは一次資料を確認できていません。
「彼方よりの挑戦」での描かれ方
発見の経緯
ジョージ・キャンベルは、拾い上げた水晶の立方体にかすかな既視感を覚え、記憶をたどるうちにエルトダウンの粘土板を思い出します。粘土板は、南イングランドの石炭紀以前の地層から、物語の時点で30年前に発掘されたとされる粘土の断片です。硬く不揃いな形と刻まれた模様は、人類が存在し得ない時代の地層から出たにもかかわらず判読を拒むほど複雑で、一部の学者はそこに人為的な加工の跡を見出しました。原文はこの時代錯誤な特徴こそが、断片が「エルトダウンの粘土板」と呼ばれるようになった由来だと記し、断片全体を「疑わしく不穏な(debatable and disquieting)」ものと形容しています[1]。
翻訳を出版した人物とその内容
1912年頃、サセックスの牧師でオカルト趣味を持つアーサー・ブルック・ウィンターズ゠ホール師が、粘土板の模様を、神秘主義の界隈で密かに伝えられてきたという「人類以前の象形文字」に重ね合わせました。師は自費で、この謎めいた「銘文」の「翻訳」だと称する小冊子を出版します。原文は、現存する「断片」の少なさを思えば意外なほど長い小冊子だったと述べ、この「翻訳」がオカルト系の著述家によって今なお頻繁に、しかも真顔で引用されている、とも記しています[1]。
粘土板に記された物語
この「翻訳」には、人類より前の時代に書かれたとされる物語が含まれていました。円錐形をした地球産の生物が、水晶の立方体を神殿に安置し、遺物として、また実験の土台として扱っていたものの、幾星霜ののちに戦争と極地の大都市の崩壊にまぎれて失われた、という筋書きです。5,000万年前、内なる地の名も知れぬ脅威を避けるためこの生物たちが自分たちの精神を遥かな未来へ送り込んだ際、宇宙から来たというその不吉な立方体の行方は、すでにわからなくなっていました。キャンベルを慄然とさせたのは、寸法、材質、模様の入った中央の円盤、催眠効果に至るまで、この学者の記述と自分が実際に手にした立方体とが細部まで一致していたことでした[1]。
ほかの作品での言及
「アロンゾ・タイパーの日記」
廃屋に一人で住み込んだアロンゾ・タイパーは、屋敷の裏手にある薄暗い書庫で書物を読み、ある疑いを抱くに至ります。日記にはこう記されています。「プナコティック・マニュスクリプトやエルトダウンの粘土板の文面を、これまで目にしたことはなかった。中に何が書かれているか知っていたら、ここへは来なかっただろう」。この場面では粘土板の内容そのものは語られず、プナコティック・マニュスクリプトと並ぶ禁断の書物として名指しされるにとどまります[2]。
「時間からの影」
イースの大いなる種族の起源を語る場面に、彼らの精神がかつて渡ってきたという銀河の彼方の世界の名が、エルトダウンの粘土板に記されているという一文が挿入されます。原文はこう述べています。「不穏で疑わしいエルトダウンの粘土板にイースの名で記された、銀河の彼方にある名も知れぬ世界」。粘土板が権威ある記録としてでなく、あくまで「疑わしい」出典として扱われている点は、「彼方よりの挑戦」での扱いと共通しています[1][3]。
性質と影響
3作品を通じて、エルトダウンの粘土板は一貫して「疑わしく不穏な」記録として扱われています[1][3]。「彼方よりの挑戦」では在野の牧師が発表した「翻訳」がオカルト書として消費される一方、その内容がキャンベル自身の体験と細部まで一致するという展開が用意されており、真偽の定まらない記録が思わぬかたちで裏付けられる筋立てになっています[1]。
「アロンゾ・タイパーの日記」ではプナコティック・マニュスクリプトと並ぶ、読んだ者に後悔を抱かせる書物として名前だけが挙げられ、「時間からの影」ではイースという固有名詞の出典として一行だけ引かれます[2][3]。粘土板そのものの由来や記述者、翻訳を出版したウィンターズ゠ホール師のその後については、当サイトで確認できた5箇所の言及の範囲では触れられておらず、確認していません。
関連する用語
出典
[1] H. P. Lovecraft et al., “The Challenge from Beyond” (本文、ラヴクラフト担当部分). The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/cb.aspx[2] H. P. Lovecraft (for William Lumley), “The Diary of Alonzo Typer” (本文). The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/dat.aspx[3] H. P. Lovecraft, “The Shadow out of Time” (本文). The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/sot.aspx執筆時期はいずれも “Lovecraft’s Fiction”(作品年譜) https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/ による。訳文は当サイトの試訳。


