編集部注(著作権について): 出典の『時間からの影』は、Astounding Stories誌掲載号の著作権が更新されているため(Catalog of Copyright Entries登録番号R316511)、2032年まで米国で著作権が継続しています(パブリックドメインではありません)。本記事中の引用は論評・紹介目的の短い範囲に限定しています。
肉体を持たず、精神そのものが時間を超えて旅する知的存在である。滅びゆく故郷イースから、太古の地球に生きた円錐形の生物へと種族ごと精神を移し替えることで存続を果たした——クトゥルフ神話における時間SFの極点ともいうべき種族である。
概要
「イースの大いなる種族」は、『時間からの影』に登場する、時空を超えて知識を収集する知的集合体である。自らの意識を過去・未来の他の知性体の肉体へ一時的に投影し、逆に相手の精神を自らの時代へ抜き取って拘禁し取り調べるという「精神交換」の手法によって、あらゆる時代・あらゆる惑星の知識を蓄積してきた。現在地球上で知られる彼らの姿は、オーストラリア大砂漠の地下都市に住む、鱗のような皺を帯びた高さ約10フィートの円錐形生物である。
基本プロフィール
- 分類: 知的種族(集合的精神体)
- 欧文表記: GREAT RACE OF YITH
- 初出・出典: 『時間からの影』(1934–1935年執筆/1936年発表)
- 区分: 独立種族(精神転移による存続種)
- 主な居住域: オーストラリア大砂漠地下(地球宿主時代)/起源は時空の彼方の惑星イース
- canon層: 原典
別名・呼称
「大いなる種族(the Great Race)」という呼称自体が、彼らの精神が経巡った幾多の宿主種のうち、地球の円錐形生物としての姿を指して用いられるものである。「イース(Yith)」は彼らの精神的起源である、宇宙的にも遥かに古い滅亡世界の名であり、作中では「謎に富んだ疑わしい文献『エルトダウンの断片』においてイースと呼ばれる遠い銀河系外の世界」として言及される[1]。
形態と特徴
地球で宿主としていた体は、高さ約10フィートの鱗状の円錐で、頭部や他の器官は円錐の頂点から伸びる太さ約30センチの伸縮自在な四本の肢に付属している[2]。そのうち二本の先端に付いた大きな爪を擦り合わせて音を発し、底部の粘液層の伸縮によって歩行する[3]。携行具(肩掛け袋)を円錐の頂点からさげており、衣服という概念は持たない。彼らの体を借りた人間の精神は、自分の頭部が高さ約10フィートの大いなる機械の上にあるという事実に、何週間も慣れきれないと語られる。
性質・生態
彼らの最大の特性は「精神交換」による知識収集である。適切な機械仕掛けによって精神を未来のある知性体の脳に送り込み、逆に採取された側の精神はイース人の肉体に拘禁されて尋問を受ける。この手法によって彼らは、「地球上でこれまで知られていたことも、いまだこれから知られるであろうことも、すべて学び取ることができた」[4]。任務を終えた精神は元の身体へ戻り、拘禁されていた精神も元の時代に戻るが、記憶は面倒な後続の混乱を避けるために機械的に消去される。両方の身体のうち一方が交換中に死亡すれば復元は不可能になり、その場合は本来の身体を失ったまま異郷の地で一生を終えることになるという。自らの滅亡を予感した際には、優れた精神のものを未来の別の知性体へ一斉に退避させることで、種としての存続を図る。
他の存在との関係
オーストラリアの地下都市には、彼らが決して口にしないタブーとされる区域がある。そこにはかつて地球や他の惑星を支配していた「半ポリプ状の全く異質な先住種族」——後に「フライング・ポリプス」と呼ばれることになる存在——の痕跡が隠されている。彼らは視覚を持たない非視覚的な知覚で世界を認識し、物質障壁を透過する一方で実体は電気エネルギーによって破壊できるという。その意識の構造があまりにも異質なため、イースの大いなる種族ですら彼らとは精神交換が成立しないとされる。地球到着前のフライング・ポリプスは窓のない玄武岩の塔からなる都市を築き、先住の生物を捕食していたという。また、イースの大いなる種族の文化の一端は『ネクロノミコン』にも反響しており、彼らの存在を知る人間のカルトが世界各地に密かに存在するとの示唆もある。本作の主人公ナサニエル・ピースリーは、この種族に精神を拘禁された当事者として物語を語る。
精神交換の相手は原典中に具体名を伴って列挙されており、紀元前5万年に南アフリカを支配した頭部の大きな褐色人種の将軍、12世紀フィレンツェの修道士バルトロメオ・コルシ、スラの時代にローマの財務官を務めたティトゥス・センプロニウス・ブラエスス、西暦5000年に到来する残酷な帝国サン=チャンの哲学者イアン・リー、そして紀元前15000年のキンメリア人の族長クロム=ヤーなどが挙げられる[5]。このキンメリア人はロバート・E・ハワードの英雄コナンと同じ民族・時代設定であり、ラヴクラフトと親交のあったハワードの作品世界への目配せとしてしばしば指摘される。
主要登場作と読みどころ
- 『時間からの影』(1934–1935年執筆/1936年発表): 本種の唯一の登場作。主人公ピースリーの五年間の人格変化と健忘が、実はイースによる精神拘致だったと判明する構成で、パニックではなく知的な驚異で読ませるタイプのラヴクラフト作品の代表格とされる
よくある誤解
Q. イースの大いなる種族は人類に敵対的な存在ですか?
A. 原典では必ずしもそうではありません。彼らは基本的には学術的・学問的な知性体であり、目的は知識の収集にあります。ただし、他者の精神を一方的に拘致する行為は、拘致される側にとっては極めて不気味で暴力的な体験であり、この点に倫理的な脆さを指摘する読み方も存在します。
出典
- [1] “that obscure trans-galactic world known in the disturbing and debatable Eltdown Shards as Yith”(訳: 「謎に富んだ疑わしい文献『エルトダウンの断片』において「イース」と呼ばれる遠い銀河系外の世界」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow Out of Time”, 公式アーカイブ ↩
- [2] “The Great Race’s members were immense rugose cones ten feet high, and with head and other organs attached to foot-thick, distensible limbs spreading from the apexes.”(訳: 「大いなる種族の一員一員は、高さ約10フィートの鱗状の巨大な円錐であり、頭部やその他の器官は、円錐の頂点から伸びる太さ約30センチの伸縮自在な肢に付属していた。」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow Out of Time”, 公式アーカイブ ↩
- [3] “They spoke by the clicking or scraping of huge paws or claws attached to the end of two of their four limbs, and walked by the expansion and contraction of a viscous layer attached to their vast ten-foot bases.”(訳: 「彼らは四本の肢のうち二本の先端に付いた巨大な前足や爪を擦り合わせることで話し、幅約10フィートの巨大な基部に付属する粘液層の伸縮によって歩いた。」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow Out of Time”, 公式アーカイブ ↩
- [4] “It had learned all things that ever were known or ever would be known on the earth, through the power of its keener minds to project themselves into the past and future, even through gulfs of millions of years, and study the lore of every age.”(訳: 「その種族は、何百万年という時の淵を越えて過去と未来に自らを投影し、あらゆる時代の知識を学ぶその鋭い精神の力によって、地球上で知られていたことも、いまだ知られるであろうことも、すべて学び取っていた。」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow Out of Time”, 公式アーカイブ ↩
- [5] “I talked with the mind of Yiang-Li, a philosopher from the cruel empire of Tsan-Chan, which is to come in A.D. 5000; with that of a general of the great-headed brown people who held South Africa in B.C. 50,000; with that of a twelfth-century Florentine monk named Bartolomeo Corsi; …with that of a Roman named Titus Sempronius Blaesus, who had been a quaestor in Sulla’s time; …with that of Crom-Ya, a Cimmerian chieftain of B.C. 15,000…”(訳: 「私は、西暦5000年に到来する残酷な帝国サン=チャンの哲学者イアン・リーの精神と語り合った。紀元前5万年に南アフリカを支配した頭部の大きい褐色人種の将軍と、12世紀フィレンツェの修道士バルトロメオ・コルシと……スラの時代にローマの財務官であったティトゥス・センプロニウス・ブラエススと……紀元前15000年のキンメリア人の族長クロム=ヤーと語り合った」) — H. P. Lovecraft, “The Shadow Out of Time”(1934–1935年執筆/1936年発表), 公式アーカイブ ↩
用語集にもイースの大いなる種族(概略)として簡潔な解説があります。



