
『新クトゥルフ神話TRPG ルールブック』(KADOKAWA)。本シナリオは無料だが、遊ぶには7版のルールブックが要る。KADOKAWA公式でISBN 9784047358522・B5判432ページ・定価6,600円と確認した。
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概要
『クリプトバウンド Cryptbound』は、韓国のシナリオライター、チョンソ(Chungseo)が書いた『新クトゥルフ神話TRPG』向けの同人シナリオである。日本語訳はSWCEN、イラストはTHTがそれぞれ担当したとクレジットされている[1]。BOOTHの頒布ページで価格0円の「ダウンロード商品」として公開されており、本稿執筆時点(2026年9月14日)で誰でも取得できる[1]。
- プレイ人数: 4PL(秘匿HO制)
- プレイ時間: 約20〜25時間
- 舞台: 現代 / 花札が普及している国
- ジャンル: ゴシック、ミステリー、賭博、アーバン・ダークファンタジー
- シナリオ形式: 秘匿HO / レールロード型
- 注意要素: 探索者間の対立、対立から共闘への展開
- 対応ルール: 『新クトゥルフ神話TRPG』(7版)および『新クトゥルフ神話TRPG パルプクトゥルフ』
配布されるのは2ファイルで、シナリオ一式をまとめたZIP(41.7MB)と、公開概要のPDF(5.5MB)である[1]。ZIPを展開すると、全文をまとめた144ページのPDFのほかに、導入21ページ、捜査編32ページ、神話編42ページ、ENDING19ページ、HOごとの秘匿情報が各2〜3ページ、そして公開概要12ページと、場面ごとに分けたPDFが入っている。加えてNPCや扉絵の画像が11点同梱されている。
本稿の書き方について。 当サイトは配布物一式に目を通したうえでこの記事を書いているが、本文で扱うのは、作者が「公開概要」として別途配布している12ページに収まる範囲に限る。秘匿HOを使うシナリオであり、卓に着く前の読者が事故を起こさないことを優先した。真相・各HOの秘匿情報・結末には触れない。
どんなシナリオか
舞台は「ノア紀律財団」、通称ノア家と呼ばれる私的権力組織である。公開概要はこの組織を、国家の歴史よりも古く、司法権すら凌駕し、司法界から政財界、さらには裏社会のマフィア組織の仲裁にまで手を伸ばす存在として説明する[2]。
ノア家の中心には当主「お父様」の本館があり、それを囲むように燕・鶴・鹿・蝶・猪の名を冠した五つの別館が建つ。これを「五霊館(ごれいかん)」と呼び、各館を受け継ぐ者が「継承者」である。物語は、先代の「お父様」ジン・ノアの死と、後継者候補だった蝶の館の主の急死を受けて、家督争いの緊張が高まるところから始まる[2]。
探索者4人の立ち位置は、この構造にきれいに配置されている。HO1は事件の捜査で屋敷を訪れる刑事で、ノア家にとって唯一の部外者。HO2は元刑事で、いまは鶴の館の主。HO3は7歳から鹿の館を束ねてきたが、傍系の出であるために「お父様」の子として迎え入れられなかった者。HO4は3か月前に現れ、遺伝子検査によって唯一の直系血族と認められた者である[2]。
五霊館にはそれぞれ担当分野が割り振られている。燕の館が医療・製薬、鶴の館が警察・情報機関、鹿の館が政界、蝶の館が高級葬祭、猪の館が融資・保険[2]。ここは設定の作り込みとして見るべきところで、医療・警察・政治・葬祭・金融という五つは、ある組織が社会を実際に握ろうとするときに押さえる場所とほぼ一致する。世界観の説明が雰囲気づくりで終わらず、なぜこの一門が国家から独立していられるのかという問いに答えている。
壽命決 ―― 寿命を通貨にする自作の賭博
このシナリオの看板は「壽命決(じゅみょうけつ)」と名付けられた賭博である。継承者には参加義務があり、本館の地下に集まって各館の仮面を被り、寿命を賭けて札を伏せる。公開概要はこの場を、賭博が正当な取引として成立するよう世界の法則が捻じ曲げられ、参加者同士で寿命を取り交わせるようになる場として説明する。核になるのはノア家が所有する古代のアーティファクトで、参加者は魔力(MP)を差し出して卓に着く[2]。
ルールは公開概要に全文が載っている[2]。1対1で行い、各プレイヤーは配られた3枚の札から1枚を選び、賭ける寿命とともにKPにだけ宣言する。
- 総合点 = 札のランク点数 + 賭けた寿命 + 相性ボーナス
- ランク点数: S=10 / A=8 / B=6 / C=4 / D=2
- 賭けた寿命: 1年ごとに+1
- 相性ボーナス: 勝ち+3 / 負け−1
- 残り寿命が0年になると死亡する
札は五霊館と同じ燕・鶴・鹿・蝶・猪の5種類で、それぞれにランクと固有の効果がある。燕(B)は相手の賭けた寿命を確認でき、鶴(A)は負ければ賭け分の半分を失い勝てば2倍を得る、鹿(C)は相手の手札の重複を確認でき、蝶(S)は使用済みの札を1枚再使用でき、猪(D)は相手の札の効果を無効化して総合点だけの勝負に持ち込む[2]。相性は五すくみで、燕は猪に勝ち蝶に負ける、猪は鶴に勝ち燕に負ける、鶴は鹿に勝ち猪に負ける、蝶は燕に勝ち鹿に負ける、鹿は蝶に勝ち鶴に負ける[2]。作者はKP用に計算を自動化したスプレッドシートまで用意している[2]。
数字を並べ直すと、この賭博が何を競わせようとしているかが見えてくる。ランク差は最大でも8点(S=10とD=2)、相性ボーナスは3点。これに対して賭けた寿命は1年ごとに+1で上限がない。つまり手札の良し悪しも相性も、賭け金の前では小さい。勝負を決めるのは結局「自分の残り寿命をどこまで差し出すか」であり、札の効果はその判断に揺さぶりをかけるための道具になっている。相手の賭け額が見える燕、負けを軽くし勝ちを倍にする鶴、相手の小細工を全部止める猪。どれも、賭け額をめぐる読み合いの補助線として設計されている。
競技ゲームとして詰められた構築物ではない。ランクD(2点)の猪に、すべての効果を無効化するという最強の割り込みを持たせている時点で、点数バランスよりも卓上の絵面を優先している。だが、このシナリオで壽命決が担っているのは競技性ではなく、「命を数字にして卓へ出す」という動作そのものだろう。ノア家にとって寿命は売買と回収が可能な実体ある資産であり、時代によって価値の変わらない金貨なのだと公開概要は書く[2]。設定上の比喩を、プレイヤーが自分の手で実演させられる形にしてある。
遺物武器という対価
五霊館にはもう一つ、「遺物武器(レガシーウェポン)」と呼ばれる五つの武器が伝わる。継承者に任命された瞬間に所有権が移り、「継承の棺」と呼ばれる高さ約2メートルの黒い棺に封印されている。包帯に包まれた武器は所有者の魔力にのみ反応して姿を現し、規格外の力を与える代わりに、対価として寿命を奪っていく[2]。
公開概要が名前を明かしているのは3本で、鶴の館のトリアイナ(槍)、鹿の館のダーインスレイヴ(大剣)、猪の館のデスサイズ(鎌)である。燕の館と蝶の館の分は伏せられている[2]。
ここで公開概要は、継承者が置かれた立場を短く言い切る。継承者は一門を守る義務を負い、遺物武器はその対価に所有者の寿命を求める。よって継承者は武器に命を売るためだけに存在し、この地獄から逃れる方法はただ一つ、一門の主である「お父様」になることだ[2]。家督争いという導入が、なぜ命懸けの切実さを帯びるのか。その動機がこの数行で通る。
この神話は誰が作ったのか
当サイトは原典/ダーレス系拡張/TRPG設定の三層という区分で作品を追っている。ラヴクラフト自身が書いた原典(1917-1937)、ダーレス以降の後続作家による拡張(1939-)、そしてTRPGによる体系化(1981-)である。
『クリプトバウンド』を当てはめると、位置づけははっきりしている。第3層のさらに外側、『新クトゥルフ神話TRPG』のルールを使って書かれた二次創作物である。この点は作者自身が奥付で明記しており、「株式会社アークライト」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『クトゥルフ神話TRPG』シリーズの二次創作物であること、Chaosium Inc. の著作権表示までが配布物に入っている[2]。
見るべきなのは、その中身の作られ方だ。公開概要12ページを通して、ラヴクラフト原典に由来する固有名詞は一つも出てこない。クトゥルフもナイアルラトホテップも、ネクロノミコンもアーカムもミスカトニックも登場しない。「クトゥルフ」という語が現れるのは、対応ルールとしての『新クトゥルフ神話TRPG』『パルプクトゥルフ』という書名と、巻末の権利表示の中だけである[2]。
代わりに置かれているのは、ノア紀律財団、五霊館、継承者、壽命決、遺物武器といった、すべて作者が用意した固有名詞である。しかも遺物武器の名前(トリアイナ、ダーインスレイヴ、デスサイズ)は、クトゥルフ神話の語彙からは取られていない。神話めいた響きの名を神話体系の外から持ってきて、ノア家という自前の枠に嵌め直している。なお、これらの名前がそれぞれどの伝承に由来するかは、当サイトでは裏を取っていない。
つまりこのシナリオは、クトゥルフ神話TRPGというシステムの上に、クトゥルフ神話の固有名詞をほとんど使わずに建てられている。SAN値も技能判定もパルプルールも使うが、そこで描かれる「神話」はノア家の神話である。当サイトが繰り返し確認してきた通り、クトゥルフ神話には公式に定まった正史がない。その前提が、こういう作り方を可能にしている。原典から遠いことは欠点ではなく、この神話体系が最初から持っていた性質の、現在時点での現れ方の一つだと見るのが正確だろう。
一点だけ補足しておく。公開されていない本編には、クトゥルフ神話に由来する固有名詞が使われている箇所がある。ただしそれもラヴクラフト自身の創作ではなく、後続作家が生んだ存在である。どれかは書かない。当サイトのチャウグナー・フォーンの記事と、そこで扱っているフランク・ベルナップ・ロングという作家の名前を、遊び終えてから思い出してもらえればと思う。
評価
強いところ。
設定の骨格が通っている。五霊館の担当分野、遺物武器が寿命を奪うという代償、その地獄から抜ける唯一の道が「お父様」になることという結び。この三つが繋がっているので、家督争いという枠組みが動機として機能する。導入で世界観を説明されて終わり、という作りではない。
壽命決が飾りで終わっていない。ランク・相性・効果・賭け額という要素を持ち、KP用の計算シートまで添えられている。プレイヤーが自分の残り寿命という数字を自分の意思で削る、という動作が卓上に用意されていること自体が、この世界の設定を体感させる装置になっている。
配布物の整備が行き届いている。144ページの全文とは別に、導入・捜査編・神話編・ENDING・HO別・公開概要が分冊で入っているので、KPが卓で開くファイルを間違えにくい。秘匿HOのシナリオでこれは実利がある。NPCの立ち絵も11点付属する。公開概要を独立したPDFとして配っているのも、PLに事前共有する資料として設計されている。
日本語訳が別クレジットで用意されている点も挙げておきたい。翻訳シナリオは日本語が硬くなりがちだが、公開概要を読む限りその心配はない。
注意がいるところ。
プレイ時間約20〜25時間は、相当な負担である。1回3〜4時間の卓としても6〜8回。4PL固定で秘匿HO、しかも探索者間の対立を含むとなると、集まり続けられる面子を確保できるかが最大の関門になる。気軽に立てられるシナリオではない。
形式が「レールロード型」と明記されている。自由に調べ回って手がかりを組み上げる遊び方を期待して入ると、合わない。物語の筋を辿ることを楽しめる卓向けである。
壽命決のルールは、競技ゲームとして精密ではない。ランクD の札に全効果無効化を持たせる設計は、点数の整合より場面の派手さを取ったものだ。がっちり詰めた読み合いを期待すると肩透かしになる。
「探索者間の対立」という注意要素は言葉通りに受け取ったほうがいい。対立から共闘への展開とあるが、途中で卓の空気が荒れる可能性はある。PvPを含む秘匿HOに慣れていない面子では、事前のすり合わせが必須になる。
遊ぶには『新クトゥルフ神話TRPG』のルールブックが要る。シナリオ自体は無料だが、それだけでは卓は立たない。パルプルールは紫色の文字で分けられているので、7版だけでも問題なく遊べる[2]。
総じて。 無料で配られている同人シナリオの規模としては例外的に厚い。ただし「無料だから軽く試せる」種類のものではなく、20時間超を4人で走り切る覚悟のある卓に向けた長編である。クトゥルフ神話の固有名詞を追いかけたい読者には物足りないかもしれないが、逆に言えば、神話の知識がないPLでも入れるということでもある。
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- チャウグナー・フォーン — 遊び終えたあとに読むと、この記事で伏せた部分が繋がる
出典
- [1] BOOTH 頒布ページ「【CoC】 クリプトバウンド Cryptbound」(chungseo、2026年9月14日確認)。価格0円のダウンロード商品であること、配布ファイルが
_秘匿4PL_Cryptbound_クリプトバウンド.zip(41.7MB)と1._Cryptbound_公開概要.pdf(5.5MB)の2点であること、シナリオ情報(4PL秘匿HO制/約20〜25時間/現代・花札が普及している国/ゴシック・ミステリー・賭博・アーバン ダークファンタジー/秘匿HO・レールロード型/探索者間の対立)、あらすじ、HO1〜4の公開部分、7版およびパルプ・クトゥルフ対応でパルプ記述が紫色であること、クレジット(シナリオ: チョンソ・Chungseo / 日本語訳: SWCEN / イラストレーター: THT)、「より多くの方々にお楽しみいただきたく、本シナリオを無料頒布いたしました」という作者の記述、セッション内での改変が自由であること、二次創作物である旨の権利表記を確認。期間限定である旨の記載が無いことも、ページ全文を取得して確認した。https://chungseo.booth.pm/items/8836684 ↩ - [2] 同梱の公開概要PDF「1. Cryptbound_公開概要」(全12ページ、2026年9月14日確認)。ノア紀律財団と五霊館の設定、五霊館の担当分野の一覧、神聖なる義務の誓い、壽命決のルール全文(総合点の計算式、ランク点数S=10〜D=2、賭けた寿命1年ごとに+1、相性ボーナス勝+3・負−1、五すくみの相性表、燕・鶴・鹿・蝶・猪の各札の効果、KP用計算自動化シートの案内)、寿命を資産として扱う旨の説明、遺物武器と継承の棺の設定および判明している3本の名称(トリアイナ/ダーインスレイヴ/デスサイズ)、NPC5名(お母様・カーン・シンラ・ジミル・ヘンリー)の公開情報、巻末の権利表示を確認。ページ数は配布PDFを実際に開いて数えた。 ↩
