2026年の新刊が、本人の題名を借りている
Hippocampus Press から、Sam Gafford と Jason C. Eckhardt による『Some Notes on a Nonentity: The Life of H. P. Lovecraft』が刊行されている。124ページの大判ペーパーバックで、作画は Eckhardt[1]。
内容は、過保護な母に支配された幼少期、アマチュア・ジャーナリズムへの参加、Sonia Greene との結婚とニューヨーク移住、そして故郷プロヴィデンスへの帰還——「彼が今日記憶されている偉大な短編を書いた」時期まで[1]。オーガスト・ダーレス、ロバート・E・ハワード、クラーク・アシュトン・スミスといった近しい同業者の肖像も収められている[1]。
伝記そのものの紹介は、それを読んだ人がするべきだ。ここで扱いたいのは題名のほうである。
『Some Notes on a Nonentity』——「取るに足らない者についての覚書」。 これはこの本のために考えられた題ではない。ラヴクラフト自身が書いた文章の題名である。
1933年11月23日、本人が付けた題
The H. P. Lovecraft Archive の自伝的著作の一覧に、こう記載がある。
Some Notes on a Nonentity (written 23 November 1933; 1943)[2]
1933年11月23日執筆、1943年発表。死の3年半前に書かれた自伝的文章である。このとき彼は43歳。1937年3月15日に46歳で死去しているから、作家としての晩年にあたる。
現在、世界中でクトゥルフ神話の名が知られ、TRPGが遊ばれ、映画が作られ、その源流に置かれる人物が、自分自身を語る文章に「nonentity(取るに足らない者、無名の存在)」という語を選んでいた。
一度きりの謙遜ではない
ここで終われば「謙虚な人だった」という話になる。ところが同じ一覧を上から眺めると、そうではないことが分かる。
1919年、『The Brief Autobiography of an Inconsequential Scribbler』[2]。訳せば「取るに足らない文筆家の短い自伝」。
1919年と1933年。14年を隔てて、同じ構えの題名を二度使っている。 29歳のときも43歳のときも、自分について書くときには自分を小さく置いた。
一覧には他にもこう並ぶ[2]。
| 年 | 題名 |
|---|---|
| 1919 | The Brief Autobiography of an Inconsequential Scribbler |
| 1922 | A Confession of Unfaith |
| 1930年代初頭(1941年発表) | Autobiography of Howard Phillips Lovecraft |
| 1933(1943年発表) | Some Notes on a Nonentity |
「不信仰の告白」「取るに足らない者についての覚書」。素っ気ない『Autobiography of Howard Phillips Lovecraft』を除けば、自分に与える呼び名が一貫して低い。
「本人の自己像」と「後世のラヴクラフト像」は別物
この一覧が役に立つのは、深淵書架が神格記事でやっているのと同じ層の切り分けが、人物についてもできるからである。
深淵書架は神話の三層——原典/ダーレス以降/TRPG——を分けて記録している。ラヴクラフトという人物についても、同じように資料の層が分かれる。
1. 本人が書いた自己像(1919-1937)。上の自伝的文章、書簡、日記。一次資料2. 同時代の証言。文通仲間だったダーレス、ハワード、スミスらが見た姿3. 後世の伝記。死後に研究者が組み立てた像4. 大衆化した像。TRPGやゲームを通じて広まった「クトゥルフの人」
2026年のグラフィック伝記は③の最新形であり、そこに①の題名が被せられている。④の側から遡ってきた読者は、①で本人が「nonentity」と名乗っていたことを知らない。 そのギャップこそが、この本の題名が効いている理由である。
本人の自己像も、死後に他人が出している
もう一つ、一覧を見ないと気づきにくいことがある。執筆年と発表年が、大きく離れている。
| 題名 | 執筆 | 発表 | 差 |
|---|---|---|---|
| Some Notes on a Nonentity | 1933年11月23日 | 1943年 | 10年 |
| Autobiography of Howard Phillips Lovecraft | 1930年代初頭 | 1941年 | 約10年 |
| Commonplace Book | 1920-1935年 | 1938年 | 3年 |
| Instructions in Case of Decease | 1936年末〜1937年初 | 1985年 | 約48年 |
| Diary: 1925 | 1925-1926年 | 2006年 | 約80年 |
| Diary—1937 | 1937年1-3月 | 1987年 | 50年 |
| Notes on Hudson Valley History | 1930年 | 2006年 | 76年 |
いずれも[2]による。生前に本人の手で世に出た自伝的文章は、この一覧のごく一部でしかない。
つまり、「ラヴクラフト本人が残した自己像」でさえ、読者のところへは死後に、他人が編集して届けている。1943年に『Some Notes on a Nonentity』を活字にしたのは、彼自身ではない。1925年の日記が読めるようになったのは2006年、実に80年後である。
前節で層を4つに分けたが、正確にはこうなる。層①(本人の自己像)は、層③(後世の編集)を通してしか手に入らない。 神格の設定について深淵書架が「原典/ダーレス以降/TRPG」を分けるのと同じ注意が、人物についても要る——「本人が書いた」ことと「本人が出した」ことは別である。
とりわけ目を引くのが『Instructions in Case of Decease』(自分が死んだ場合の指示)で、1936年末から1937年初め、つまり死の直前に書かれ、公表されたのは48年後の1985年だった[2]。自分の死後の始末について書き残す人物が、自伝の題には「取るに足らない者」と付けている。この二つを並べて読むと、単純な謙遜とも、単純な自己否定とも決めかねる。
同時代の仲間について書いた文章もある
一覧には、自分ではなく他人について書いた追悼文も混じっている[2]。
- In Memoriam: Henry St. Clair Whitehead (1933)
- In Memoriam: Robert Ervin Howard (1936)
後者は、1936年6月11日に亡くなった文通仲間ロバート・E・ハワードへの追悼である。自分については「nonentity」と題する年に他人の追悼を書き、その3年後に本人が没する。2026年のグラフィック伝記がハワード、ダーレス、スミスの肖像を収めているのは[1]、この関係の網の目を描くためだろう。
気をつけたいこと——題名は内容の要約ではない
ただし、ここで踏み外しやすい点がある。題名が謙遜だからといって、本文の中身まで謙遜だとは限らない。
本記事は、この一覧に載っている執筆年・発表年という書誌的事実を確認したにとどまり、『Some Notes on a Nonentity』本文が実際に何を語っているかは読んでいない[4]。ラヴクラフトの書簡には、自分の作品を厳しく評する言葉と、文学観を強い調子で主張する言葉が同居していることが知られている。「取るに足らない」が本心の告白なのか、当時の書き手が身につけていた作法なのか、あるいはその両方なのかは、本文と書簡を突き合わせないと言えない。
深淵書架のやり方に従えば、ここは確認できたところで止めるのが正しい。分かっているのは次の三点である。
- 1933年11月23日に自伝的文章を書き、その題名に「nonentity」を使った[2]
- 1919年にも「inconsequential scribbler」という同じ構えの題名を使っていた[2]
- 2026年、その題名を冠したグラフィック伝記が刊行された[1]
絵で描く伝記は、像をもう一段固定する
最後に、この本がグラフィック伝記であることに触れておきたい。124ページ、Jason C. Eckhardt による表紙と本文の挿画[1]。
文字の伝記は、読者の頭の中に像を結ばせるところで止まる。絵の伝記はそこを引き受けてしまう。顔、体つき、部屋の様子、母との距離の取り方まで、描いた人の解釈が形になって出る。 読者はそれを読んだあと、その顔でラヴクラフトを思い出すことになる。
これは欠点ではない。伝記という形式が本来やっていることを、絵が可視化しているだけである。ただ、前節までの整理に従えば、この本は層③(後世の伝記)であると同時に、層④(大衆化した像)を新しく作る側にも回る。「nonentity」と名乗った本人の題名を冠しながら、その本人の姿を確定させていく——この構図自体が、深淵書架が層を分けて記録している理由をよく示している。
この先、確かめたいこと
本文を読める形で入手できたら、次を確認して本記事へ追記する。
- 「nonentity」がどの文脈で使われているか(職業的な自己評価か、存在論的な物言いか)
- 1919年の自伝と1933年の自伝で、自己像がどう変わったか
- 同時期の書簡に、同じ語がどう現れるか
いずれも一次資料に当たらなければ書けないことなので、現時点では書かない。
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出典
- [1] Sam Gafford・Jason C. Eckhardt『Some Notes on a Nonentity: The Life of H. P. Lovecraft』。124ページ、7×10インチの大判ペーパーバック、20.00ドル、ISBN 9781614984993。作画・表紙はJason C. Eckhardt、裏表紙のデザインはDan Sauer。内容は「Lovecraft’s childhood, dominated by an overprotective mother; his early ventures into amateur journalism; his marriage to Sonia Greene and his move to New York; his ecstatic return to his native Providence, R.I., where he wrote the great stories for which he is now remembered.」および「portraits of Lovecraft’s closest colleagues—August Derleth, Robert E. Howard, Clark Ashton Smith, and others.」 — Hippocampus Press 公式商品ページ(2026年8月27日確認), 該当ページ ↩
- [2] 「Some Notes on a Nonentity (written 23 November 1933; 1943)」。同じ一覧に「The Brief Autobiography of an Inconsequential Scribbler (1919)」「A Confession of Unfaith (1922)」「Autobiography of Howard Phillips Lovecraft (written early 1930s; published 1941)」が並ぶ — The H. P. Lovecraft Archive「Autobiographies and Diaries」(2026年8月27日確認), 該当ページ ↩
- [3] ラヴクラフトの生没年月日(1890年8月20日 – 1937年3月15日)は、本サイト内「ラヴクラフトの誕生日」「ラヴクラフトの生涯と創作活動」参照 ↩
- [4] 本記事は『Some Notes on a Nonentity』本文を読んでいない。 確認したのは題名・執筆年・発表年という書誌的事実と、2026年の伝記の書誌情報のみ。本文の内容、および「nonentity」という語をラヴクラフトがどの意味で用いたかについては、断定を避けている。Hippocampus Press の商品ページには題名の由来についての記載は無く、本人の文章から採られたことは上記[2]の一覧との照合による ↩

