
新潮文庫『インスマスの影 クトゥルー神話傑作選』(南條竹則訳)。三部作の土台である原典「インスマスの影」を収録。
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概要
英国Titan Booksは、Stephen Jones編のホラー・アンソロジー『Weirder Shadows Over Innsmouth』を2026年11月24日に刊行すると、同社公式商品ページで発表している。価格は米国・カナダ向けが19.99ドル、英国・その他地域向けが10.99ポンド、判型はペーパーバックで448ページ、ISBNは9781835417430である[1]。編者はワールド・ファンタジー賞を複数回受賞しているStephen Jones。寄稿作家としてH. P. Lovecraft、Ramsey Campbell、Adrian Cole、August Derleth、John Glasby、Brian Hodge、Caitlín R. Kiernan、Brian Lumley、Kim Newman、Reggie Oliver、Angela Slatter、Michael Marshall Smith、Simon Kurt Unsworth、Conrad Williamsの14名が公式ページに名を連ねている[1]。
本書は書き下ろしの新作アンソロジーではない。公式ページは、序文と寄稿者紹介を改訂し、この版だけに収める新規イラストを加えた版だと説明している[1]。Titanは同じ体裁で、2026年に三部作をまとめて刷新した。3月17日に576ページの『Shadows Over Innsmouth』、7月28日に416ページの『Weird Shadows Over Innsmouth』、そして11月24日に本書『Weirder Shadows Over Innsmouth』が続く構成である[2][3][1]。この三部作という括り自体は今回新しく生まれたものではない。Titan自身が2013年から2015年にかけて刊行した旧版の時点で、すでに三部作として揃っていたことが、当時の商品ページの記載から確認できる[4]。日本国内での正規販売・邦訳の予定は、本稿で参照した資料の範囲では確認できていない。
どんな作品か
公式ページの紹介文によれば、本書には現代作家による短編として、月明かりの下で行われる儀式、超自然の秘密を暴く少年探偵たち、竪琴弾きが眠りに就かせる海底の旧き神々といった場面が収められている。これに加えて、ラヴクラフト自身によるインスマスの詩一編と、ラヴクラフトとオーガスト・ダーレスによる死後合作一編が収録されているという[1]。収録作の総数は17編の短編ホラーとされる[1]。
ただし公式ページが名前を挙げている寄稿作家は14名にとどまる。17編という総数との差が、一部の作家が複数編を寄せていることによるのか、それとも別の事情によるのかは、公式ページの記載だけでは判別できない。
三部作の他の2冊についても、同じ新装版という性格が確認できる。3月刊行の『Shadows Over Innsmouth』は、現代作家による恐怖譚とあわせてラヴクラフト自身の手になるホラーの原典そのものを収めるとされ、これは中編「インスマスの影」を指すと読める[2]。7月刊行の『Weird Shadows Over Innsmouth』は、ラヴクラフトが完成稿の前に破棄した「インスマスの影」の草稿を収録すると明記している[3]。当サイトのインスマス記事で確認した通り、この破棄草稿は導入部の火事の経緯や町の人口といった細部が完成稿と異なる、独立した資料的価値を持つ別バージョンである。三部作は、原典そのもの(3月)、原典の未発表バージョン(7月)、そして原典から一歩離れた詩と代作(11月)という具合に、ラヴクラフト自身の文章との距離を少しずつ広げながら構成されている。
一冊に同居する三つの著者性
本書に同居する「ラヴクラフト自身の詩」「ダーレスとの死後合作」「現代作家17編」は、著者としての立場がそれぞれ異なる。
ラヴクラフト自身の詩について、公式ページは題名を明かしていない。ラヴクラフトが書いた詩の中でインスマスの名を挙げているものは一つではない。連作「Fungi from Yuggoth」(1929年12月27日から1930年1月4日にかけて執筆)の第8編「The Port」は、アーカムから丘を越えてインスマスを見晴らす場面を描き、インスマスの名を二度用いている[5]。同じ連作の第19編「The Bells」も、インスマスの名を一度挙げる。本書に収められている一編がこのどちらか、あるいは別の詩なのかは、公式ページの記載からは特定できない。
死後合作については、公式ページの表現を借りれば、これは”a ‘posthumous collaboration’ between the author and August Derleth”(著者とオーガスト・ダーレスによる死後合作)である[1]。ラヴクラフトの死後、その断片やメモをもとにダーレスが作品として仕上げ、共著の体裁で発表するという手法は、アーカム・ハウスの記事で確認した通り、後年「実質的にはダーレスの創作である」との批判を招いた手法である。公式ページはこの一編の題名までは挙げていない。ただし著者クレジットに名を連ねる作家のうち、インスマスを題材にした死後合作としてよく知られる作品は、当サイトのインスマスの彫像記事で扱った1971年発表の一編をおいて他に確認できていない。同記事で確認した通り、この作品をめぐっては、大部分がラヴクラフト自身の遺した断片でダーレスは結末部分のみを書いたとする見方と、逆にダーレスが実際に書いた分量の方が多いとする見方の両方があり、資料によって評価が分かれている。今回の公式ページも死後合作という語をわざわざ引用符付きで用いており、この呼び方自体が業界内で一枚岩の合意を得ているわけではないことをうかがわせる。
残る17編の現代作家による短編は、ラヴクラフト本人とは無関係に、後続作家がインスマスという舞台を借りて新たに書き下ろした創作である。当サイトの区分に沿えば、これはH.P. Lovecraft Illustrated Vol.4の記事で確認したW. H. Pugmireの短編と同じく、ラヴクラフトの死後に第三者が神話世界を書き継ぐという構図に連なる。一冊のアンソロジーの中に、原典の詩・死後合作・後続作家の創作という三つの異なる著者性が同居していることになる。
同じ2026年、TRPGの層は原典の「事実」まで動かしている
Titanが三部作を新装版として刷新している同じ2026年、ケイオシアムはTRPG『クトゥルフの呼び声』の新サプリメント『Call of Cthulhu: Innsmouth』を7月22日に発売した。当サイトの記事で確認した通り、このサプリメントは町とその周辺100か所以上の場所を解説し、80名を超える人物のプロフィールを収めるという規模の拡張であるだけでなく、原典「インスマスの影」の語り手そのものを信頼できない語り手として扱ってよいという設計方針を明示している。原典で語られた出来事を「全部起きた」「一部だけ起きた」「語り手の妄想だった」のいずれかとして、Keeper(進行役)が卓ごとに選べるという踏み込んだ提案である。
同じ2026年、同じ原典を土台にしながら、Titanの三部作とケイオシアムのサプリメントは正反対の方向を向いている。Titanが行っているのは、既存の詩・既存の代作・既存の現代作家アンソロジーの序文と挿絵を新調して、積み上がった層をそのまま保存し直すという作業である。対してケイオシアムのサプリメントは、原典の「事実」そのものをKeeperの裁量で書き換えてよい解釈対象として開放する。一方は積み上げ、一方は根元を揺らす。同じ町を舞台にしながら、2026年という同じ年に、まったく異なる態度で原典と向き合う二つの企画が並走していることになる。
原典との距離(神話の三層のどこに立つか)
原典「インスマスの影」が描くインスマスの範囲は、当サイトのインスマス記事やインスマスの影記事で確認した通り、マニューゼット川の河口にある一つの港町と、沖合の岩礁、ギルマン・ホテルや旧マソニック・ホールなど数か所の建物にとどまる、約26,700語の中編一作の中に収まる規模である。
本書に集まる要素をこの三層の区分に沿って並べると、次のようになる。ラヴクラフト自身の詩(題名は未確認だが、1929年から1930年にかけて執筆された連作の一編とみられる)は第1層(原典)に属する。ダーレスとの死後合作は、アーカム・ハウスの記事で確認した通り、ダーレス自身の解釈・加筆が色濃く入り込んだ作品であり、第2層(ダーレス以降の拡張)に位置づけられる。17編の現代作家の短編も、ラヴクラフトの死後に第三者が書き継いだものという点で、広い意味で同じ第2層の系譜に連なる。そして同じ年にケイオシアムが刊行したTRPGサプリメントは、第3層(TRPGによる拡張)にあたる。
一つの中編小説から出発した約26,700語の物語が、Titan自身の旧版が2013年から2015年にかけて刊行されたことを踏まえれば十年余りを経て[4]、詩・死後合作・十数名の現代作家・100か所以上を解説するTRPGサプリメントという、原典よりはるかに大きな広がりを持つに至っている。三部作の新装版という一見地味な出来事も、この広がりの中に置いてみると、三層がそれぞれ独自のペースで原典の周りを増殖させ続けている様子の一断面として読むことができる。
関連して読むなら
- インスマスの影 — 本書の三部作全体が下敷きにしているラヴクラフトの中編そのもの
- インスマス — 舞台となる港町の地誌と、破棄草稿と完成稿の異同を確認できる記事
- インスマスの彫像 — 本書に収められているとみられる死後合作の内容と、著者比重をめぐる評価の分かれ方を確認できる記事
- オーガスト・ダーレスとアーカム・ハウス — 死後合作という手法そのものの成り立ちと批判を扱う記事
- Call of Cthulhu: Innsmouth — 同じ2026年に刊行された、原典の「事実」を解釈対象として開放するTRPGサプリメントの記事
- オーガスト・ダーレス — 死後合作の書き手自身についての人物記事
出典
- [1] Titan Books公式商品ページ「Weirder Shadows Over Innsmouth」(2026年9月9日確認)。価格が米国・カナダ向け19.99ドル、英国・その他地域向け10.99ポンドであること、判型がペーパーバックで448ページであること、発売日が2026年11月24日であること、ISBNが9781835417430であること、編者Stephen Jones、寄稿作家14名(H. P. Lovecraft、Ramsey Campbell、Adrian Cole、August Derleth、John Glasby、Brian Hodge、Caitlín R. Kiernan、Brian Lumley、Kim Newman、Reggie Oliver、Angela Slatter、Michael Marshall Smith、Simon Kurt Unsworth、Conrad Williams)であること、17編の短編を収めること、序文・寄稿者紹介を改訂し新規イラストを加えた版であること、当該一編を”a ‘posthumous collaboration’ between the author and August Derleth”と表現していることを確認。https://titanbooks.com/73024-weirder-shadows-over-innsmouth ↩
- [2] Titan Books公式商品ページ「Shadows Over Innsmouth」(2026年版、2026年9月9日確認)。発売日が2026年3月17日であること、576ページであること、ISBNが9781835417393であること、17編の現代作家の短編に加えラヴクラフト自身の中編そのものを収めることを確認。https://titanbooks.com/73017-shadows-over-innsmouth ↩
- [3] Titan Books公式商品ページ「Weird Shadows Over Innsmouth」(2026年版、2026年9月9日確認)。発売日が2026年7月28日であること、416ページであること、ISBNが9781835417416であること、12編の短編に加えラヴクラフトが完成稿の前に破棄した「インスマスの影」の草稿を収めることを確認。https://titanbooks.com/73020-weird-shadows-over-innsmouth ↩
- [4] Titan Books公式商品ページ「Shadows Over Innsmouth」(2013年版、2026年9月9日確認)。発売日が2013年9月17日(米)・9月27日(英)であること、496ページであること、ISBNが9781781165287であることを確認。この旧版の存在から、三部作という括りが2026年の新装版で初めて作られたものではないことを確認。https://titanbooks.com/6771-shadows-over-innsmouth ↩
- [5] H. P. Lovecraft, “Fungi from Yuggoth”(1929年12月27日から1930年1月4日にかけて執筆)、第8編「The Port」。公式アーカイブ(2026年9月9日確認)。この詩がインスマスの名を二度挙げていること、連作全体の執筆時期を確認。https://www.hplovecraft.com/writings/texts/poetry/p289.aspx ↩
