概要
語り手は系譜調査のためミスカトニック・ヴァレー一帯を巡っており、時季外れながら自転車を使って移動していました。1896年11月のある午後、アーカムへの近道と見込んで選んだ人気のない道の途中で激しい雨に降られ、二本の葉を落とした楡の木のあいだに建つ、古く陰気な木造家屋に避難します。ノックにも応答がなく、試しに掛け金を引くと戸は開いていました。中に入った語り手が見つけたのは、テーブルと椅子、巨大な暖炉だけの質素な居間です。そこにある品々は申し合わせたように十八世紀以前のもので、なかでもテーブルに置かれた一冊の古書――ピガフェッタが水夫ロペスの記録をもとにラテン語で著し、1598年にフランクフルトで印刷された『レグヌム・コンゴ』(コンゴ王国誌)――が語り手の目を引きます。その本は開くたびに、アンジーク族の肉屋を描いた凄惨な図版のページへ戻ろうとする癖がありました。
やがて二階から足音が響き、白いひげをたくわえた大柄な老人が姿を現します。年齢のわりに頑健で、身なりはひどく不潔ですが、青い目だけは異様に鋭く燃えていました。老人はすでに廃れたと語り手が思っていたほど古風なヤンキー訛りで語り手を椅子へ招き、この本をエベニーザー・ホルト船長から譲り受けた経緯や、ラテン語が読めないため牧師のクラーク師らに読んでもらっていたことなどを、上機嫌にとりとめなく語り続けます。語り手が一節を訳して聞かせると、老人は子供のように喜び、挿絵についての感想を次々と口にしました。
しかし話が例の肉屋の図版に及ぶと、老人の様子は一変します。声は低く湿り気を帯び、羊を屠る前にその絵を眺めると「屠るのがいっそう愉快になった」と語り、さらに肉が新しい命を与えるのなら、もっと同じものを食べれば人はいよいよ長く生きられるのではないかと考えた、とささやくように独白します。その言葉が途切れた瞬間、開いたままの本のページに赤い滴が落ち、語り手が見上げた頭上の天井には、じわじわと広がる濡れた深紅の染みがありました。直後、家を打ち砕くほどの落雷が轟き、語り手の意識はそこで途絶えます。
作品情報
- 原題: The Picture in the House
- 執筆: 1920年12月12日[2]
- 初出: 『The National Amateur』第41巻第6号(表記は1919年7月号。公式作品情報ページはこの日付に[sic]を付している)、246–249ページ[3]
- 分量: 約3,300語(公式アーカイブ本文を機械集計)。章分けなし
- 語り: 一人称。系譜調査で土地を巡っていた男が、自身の体験を回想する形で綴る
- 時: 1896年11月のある午後
- 舞台: アーカムへ向かう途中、ミスカトニック・ヴァレーの人気のない道沿いに建つ、二百年以上前からあるという古い木造農家
- 主題: 冒頭部で語られる、ニューイングランド奥地の古い農家そのものが持つ不気味さ――清教徒の子孫たちが孤立と自己抑圧のなかで積み重ねてきた「隠されたもの」への視線が、家のなかで対面する老人の姿と重ね合わされていく
登場神格・用語
- アーカム — 語り手が自転車で向かおうとしていた町。本作では目的地として名前が出るのみで、家の中の出来事はその手前で起きます
- ミスカトニック・ヴァレー — 語り手が系譜調査のために巡っていた地域一帯
- ピガフェッタ『レグヌム・コンゴ』 — 老人の家にあった古書。水夫ロペスの記録をラテン語にまとめたコンゴ地方の記録で、1598年にフランクフルトで印刷。挿絵はデ・ブライ兄弟の手によります
- アンジーク族 — 『レグヌム・コンゴ』第12図版に描かれる、人肉を扱う場面の主。この図版に老人が執着します
- エベニーザー・ホルト船長 — セイラムの商船に長年乗り、寄港地で珍品を集めていた人物。1868年ごろ、その本を老人に譲りました。作中では戦争で亡くなったとだけ語られます
- コットン・マザー『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』 — 居間の棚にあった、朽ちかけた古書の一冊
- アイザイア・トーマス — 居間にあった『天路歴程』の版元(暦本づくりの職人)として名が挙がります
- パーソン・クラーク(クラーク師) — かつて日曜の説教を行っていた牧師。池で溺れたと噂されます。老人にラテン語の本を読んで聞かせたことがあります
あらすじ
嵐の中の一軒家
語り手は系譜調査のためミスカトニック・ヴァレー一帯を「遠く、不確かで、判然としない」行程で巡っており、季節外れながら自転車を選んで移動していました。アーカムへの近道と見込んで入った人気のない道の途中、遠く町から離れた地点で豪雨に見舞われ、二本の葉を落とした楡の木のあいだに建つ、古びて人を寄せつけない木造家屋以外に逃げ場がないことに気づきます。その家は近づく前から語り手に不快な印象を与えましたが、雨の勢いには抗えず、語り手は自転車を引いて雑草の茂る坂道を上り、閉ざされた戸口へ向かいます。ノックしても応答はなく、繰り返しても同じだったため、試しに錆びた掛け金を引くと戸は開いていました。狭い玄関には剥がれかけた漆喰の壁と、かすかだが不快な臭気がありました[1]。
蔵書の間で
語り手は自転車を抱えて中へ入り、戸を閉めます。正面には狭い階段、左右には部屋へ続く戸がありました。左の戸を開けると、そこはテーブルと椅子、巨大な暖炉を備えた質素な居間で、暖炉の上では古い置き時計が時を刻んでいました。書物はごくわずかでしたが、部屋にある品々はどれも申し合わせたように古く、革命戦争より後の時代のものが一つも見当たらないほどでした。なかでもテーブルの上に置かれた一冊――革表紙に金具のついた、保存状態の良い古書――が語り手の目を引きます。開いてみると、それは水夫ロペスの記録をラテン語にまとめてピガフェッタが著し、1598年にフランクフルトで印刷された『レグヌム・コンゴ』(コンゴ王国誌)で、デ・ブライ兄弟による挿絵つきの稀覯本でした。ページを繰るうち、本は決まって第12図版――アンジーク族の肉屋を描いた凄惨な場面――で開こうとする癖があることに語り手は気づきます。棚に並ぶ十八世紀の聖書、同時代の『天路歴程』(暦本づくりのアイザイア・トーマスが印刷した版)、朽ちかけたコットン・マザーの『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』などを検分していたとき、頭上の部屋で足音がするのに気づきます[1]。
老人との対話
足音は眠りから覚めたばかりの様子で階段を下り、やがて戸が開いて一人の老人が現れます。白いひげに覆われ、身長は六フィートを下らず、年齢のわりに頑健な体つきをしていましたが、身なりのひどい不潔さが語り手に不快な印象を与えました。老人は語り手を椅子へ招くと、すでに廃れたと思っていたほど古風なヤンキー訛りで話しかけました。「雨に降られなすったか」「若いの、ここらは新しい顔なんぞ滅多に来んでな」と機嫌よく語り、アーカム行きの馬車が通わなくなって久しいこと、’84年に雇っていた学校教師が急に姿を消しそれきり噂も聞かないことなどを、脈絡なく語り続けます。語り手が例の本の来歴を尋ねると、老人は喜んで答えます――エベニーザー・ホルト船長が’68年ごろに譲ってくれたもので、ホルトは戦争で亡くなったとのことでした。語り手はこの名を自身の系譜調査のなかで見た覚えはありましたが、革命戦争より後の記録では見た覚えがないことに引っかかりを覚えます。老人は八角レンズの古い眼鏡をかけて本を取り上げ、自分はラテン語が読めず、かつて学校教師やクラーク師(池で溺れたと噂される牧師)に読んでもらったのだと語ります。語り手が一節を訳して聞かせると、老人は子供のように喜び、挿絵の人物たちについて感想を述べていきました。作品にはこのくだりで人種にかかわる侮蔑的な表現が含まれます[1]。
囁きと崩壊
話が進むうち、本は再び第12図版――アンジーク族の肉屋の場面――で開きます。語り手の不安が戻る一方、老人はその絵をいっそう熱心に見つめ、かつてエベニーザー・ホルトに「これを見りゃ血が騒ぐってもんだ」と語ったことや、聖書のミディアン人殺戮の記述を読んでも絵がなかったのでこうして絵で見られるのが嬉しいのだと打ち明けます。老人の声は次第にひそやかになり、羊を市場に出す前にこの絵を眺めると屠るのがいっそう愉快になったと語り、さらに声を落として、それだけでは満足できなくなったこと、この絵が自分に手に入れられない「糧」への渇望を呼び起こしたこと、そして肉が新しい命と血を作るというなら、もっと同じものを食べれば人はいよいよ長く生きられるのではないかと考えた、と独白します。折しも季節外れの雷鳴が近づき、家を揺るがす閃光と轟音が響きますが、老人はそれに気づく様子もありませんでした。老人が「もっと同じものを」と口にした瞬間、二人のあいだに開かれた本のページへ小さな赤い滴が落ちます。語り手は雨だろうと思いますが、雨は赤くありません。見ると、頭上の古い天井の崩れた漆喰に、濡れた深紅の不定形の染みが広がりつつありました。老人もそれに気づき、囁きを止めて先ほどまで自分がいた二階の方角へ目をやります。語り手は声も上げず、ただ目を閉じました。次の瞬間、これまでで最も凄まじい雷鳴がとどろき、その呪われた家を打ち砕いて、語り手の正気を救う唯一の忘却をもたらしました[1]。
読みどころと注目テーマ
訛りが担う語り
老人の台詞はすべて、語り手いわく「すでに廃れたと思っていたほど古風なヤンキー訛り」で綴られています。「Ketched in the rain, be ye?」に始まる一連の言い回しは、素朴で人懐こい響きを保ったまま、やがて肉屋の図版をめぐる異様な独白へと地続きにつながっていきます。訛りが崩れることも改まることもなく、上機嫌な世間話と身の毛のよだつ告白が同じ口調で語られる構成そのものが、この作品の不気味さを支えています。
実在する書物を通した恐怖
語り手を怯えさせるのは怪物でも幽霊でもなく、ピガフェッタの『レグヌム・コンゴ』という実在の書物に描かれた一枚の図版です。デ・ブライ兄弟の挿絵が「想像と不正確な記述から描かれた」ものであることまで語り手は言い添えており、絵そのものの成り立ちを踏まえたうえで、その絵に執着する老人の視線の異様さを描き出しています。恐怖の源が古書という具体的な媒体に結びついている点は、他の書物――聖書、『天路歴程』、コットン・マザーの著作――が並ぶ棚の描写とあわせて、この家全体の「古さ」を裏づける仕掛けにもなっています。
語られない結末
物語は、老人の独白がどこへ行き着くのかを最後まで明かしません。天井に広がる血の染みと、家を打ち砕く落雷によって、語り手の意識はそこで途絶えます。冒頭で語られた「隠されたものを語らない」古い農家の性質――「もの言わぬ、眠たげな、じっと見つめる家々だけが、初期の時代から隠されてきたすべてを語れるが、彼らは口を開かない」という一節――が、そのまま結末の描き方にも反映されています。読者に手渡されるのは、天井の染みと落雷という二つの事実だけです。物語は説明を加えません。
執筆背景と影響
本作は1920年12月12日に執筆され、『The National Amateur』第41巻第6号(表記は1919年7月号。公式作品情報ページはこの日付に[sic]を付している)246–249ページに発表された。成立の経緯や執筆の動機については、公式アーカイブに記載がなく、当サイトでは確認していません。
出典
[1] H. P. Lovecraft, “The Picture in the House” (本文). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/ph.aspx本記事の引用・要約はすべてこの本文に基づきます。訳文は当サイトによる試訳です。
[2] “Lovecraft’s Fiction” (作品年譜). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/執筆日(1920年12月12日)ほかの出典。
[3] “Data Page for ‘The Picture in the House'” (作品情報・出版履歴). The H. P. Lovecraft Archive.https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/ph.aspx初出『The National Amateur』第41巻第6号 246–249ページの出典。

