概要
マグナリア・クリスティ・アメリカーナ(Magnalia Christi Americana)は、ニューイングランドの牧師コットン・マザー(Cotton Mather)が著した実在の書物です。1702年にロンドンで刊行された全七巻の著作で、archive.orgの書誌記録には正式な書名が “Magnalia Christi Americana : or, The ecclesiastical history of New-England, from its first planting in the year 1620. unto the year of Our Lord, 1698. In seven books …” と記載されています[8]。(訳: マグナリア・クリスティ・アメリカーナ、あるいはニューイングランドの、その最初の植民の年1620年より我らの主の年1698年に至るまでの教会史。全七巻)
架空の魔導書とは違い、これは実際に18世紀初頭のニューイングランドで印刷され、19世紀にも版を重ねた歴史書です。その点は、当サイトで既に扱った「レグヌム・コンゴ」と同じく、実在書がラヴクラフト作品の背景に紛れ込む例の一つに数えられます。ただしレグヌム・コンゴが独りでに開く一冊として物語の核心に据えられたのに対し、マグナリアは書棚の片隅や登場人物の台詞のなかで繰り返し名前だけが挙がる書物です。
H・P・ラヴクラフトはこの書物を「名状しがたきもの」「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」「家のなかの絵」「ピックマンのモデル」の4作すべてで言及しています[5]。もっとも濃密に扱われるのは「名状しがたきもの」で、語り手の小説を酷評する近隣の反応と、語り手自身がマザーの筆致を評する場面の双方に登場します。
基本プロフィール
- 分類: 書物(実在)
- 欧文表記: MAGNALIA CHRISTI AMERICANA
- 著者: コットン・マザー(Cotton Mather)。1702年初版の標題紙は、著者を「尊敬すべき学識深きコットン・マザー、文学修士、ニューイングランド・ボストンの北教会牧師」と記しています[9]
- 初版: 1702年、ロンドン、トマス・パークハースト(Thomas Parkhurst)刊[8]
- 構成: 全七巻[8]
- ラヴクラフト作品での言及: 「名状しがたきもの」(1923年9月執筆・Weird Tales 1925年7月号)[6][7]、「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」(1927年1月〜3月執筆・Weird Tales 1941年5・7月号、死後発表)[6][7]、「家のなかの絵」(1920年12月12日執筆・The National Amateur誌第41巻第6号。号の表記は「1919年7月」だが実際の発行は1921年夏)[6][7]、「ピックマンのモデル」(1926年執筆・Weird Tales 1927年10月号)[6][7]
- 後の版: 1853年、ハートフォード、S. Andrus刊(トマス・ロビンズによる序文・注釈付き)[10]
原典での描写
初出作品は「名状しがたきもの」。
4作のうちマグナリアが最も繰り返し語られるのは「名状しがたきもの」です。語り手は自作の小説「屋根裏の窓」への酷評を振り返るところから語り始めます。ニューイングランドの読者はその題材を生物学的にありえないと切り捨て、しょせんコットン・マザーが雑然とした『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』へ杜撰にも書き込んでしまった田舎の与太話の一つに過ぎず、マザー自身さえその惨劇の起きた場所を明かそうとしなかったほど根拠薄弱だ、と評したと語り手は述べます。原文は “Cotton Mather had been gullible enough to dump into his chaotic Magnalia Christi Americana, and so poorly authenticated that even he had not ventured to name the locality where the horror occurred.” というものです(訳: コットン・マザーは軽率にもそれを雑然とした『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』に書き込んでしまうほど御しやすく、その出来事は根拠薄弱で、マザー自身さえその惨劇の起きた場所を明かそうとしなかった)[1]。
批判はさらに続きます。マザーは「それ」が生まれたことまでは確かに語ったものの、それが成長して夜ごと人家の窓を覗き込み、肉体においても霊においても屋根裏に隠れ棲み、幾世紀ものちに誰かがその窓辺の姿を目にして白髪になるまでの顛末を思いつくのは、安っぽい扇情作家の仕業に違いない、と切り捨てられます。原文は “Mather had indeed told of the thing as being born, but nobody but a cheap sensationalist would think of having it grow up, look into people’s windows at night, and be hidden in the attic of a house, in flesh and in spirit, till someone saw it at the window centuries later and couldn’t describe what it was that turned his hair grey.” と続きます(訳: マザーは確かにその存在が生まれたことは語ったが、それが成長し、夜ごと人家の窓を覗き、肉体においても霊においても屋根裏に隠れ潜み、幾世紀ものちに誰かがその窓辺の姿を目にして、何を見て白髪になったのか語れなくなるまでの顛末を思いつくのは、安っぽい扇情作家だけだろう)[1]。
物語の後半、語り手自身の語りにも同じ書物が現れます。ニューイングランドの魔女裁判の恐怖に触れたあと、語り手はコットン・マザーが「暗くなってから読んではならない悪魔的な第六巻」の中で言葉を惜しまず断罪を下し、獣以上にして人間未満の存在を生んだ獣と、その斑のある目ゆえに絞首刑にされた酔いどれの叫びについて語ったと述べます。原文の冒頭は “Cotton Mather, in that daemoniac sixth book which no one should read after dark, minced no words as he flung forth his anathema. Stern as a Jewish prophet, and laconically unamazed as none since his day could be, he told of the beast that had brought forth what was more than beast but less than man” です(訳: コットン・マザーは、暗くなってから読んではならないあの悪魔的な第六巻の中で、言葉を惜しまず断罪を投げつけた。ユダヤの預言者さながらに厳格に、そして彼の時代以来誰も及ばぬほど素っ気なく驚きも見せずに、獣以上にして人間未満の存在を生み落とした獣について語った)[1]。
ここでいう「第六巻」は、実在する初版の標題紙目次に記された全七巻構成のうちのBook VI「Thaumaturgus」と番号が一致します[8]。ただし、この一致は標題紙目次との対応にとどまり、斑のある目を持つ獣という具体的な逸話そのものがBook VI本文(全八章)に実在するかどうかは、当サイトでは確認できていません。
ラヴクラフト作品での言及
チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件
セイラムの魔道士ジェデダイア・オーン(実体はシモン・オーン)からジョゼフ・カーウェンに宛てた手紙にも、マグナリアが引き合いに出されます。何を呼び出すか注意せよという忠告の根拠として、オーンは「マザー氏がマグナリアの中に書いたこと」を挙げ、その恐るべき出来事がどれほど真実に近く伝えられているか判断できるはずだと書き送ります。作中の原文は “you are Sensible what Mr. Mather writ in y e Magnalia of ——, and can judge how truely that Horrendous thing is reported.” というものです(訳: マザー氏がマグナリアの中で……について書いたことはご承知の通りであり、その恐るべき出来事がどれほど真実に近く伝えられているか、判断できるはずだ)[2]。18世紀の書簡らしい古めかしい綴り(y e = the、writ = wrote)は、ラヴクラフトが意図的に施した擬古文の表記です。
家のなかの絵
「家のなかの絵」では、語り手がミスカトニック渓谷の農家で老人の書棚を眺める場面にマグナリアが登場します。十八世紀のバイブル、同時代の『天路歴程』(暦作りのアイザイア・トマスが印刷した、奇怪な木版画入りの版)と並んで、朽ちかけたコットン・マザーの『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』の分厚い一冊が置かれ、他にも明らかに同じ年代と見える数冊があったと描写されます。原文は “an eighteenth-century Bible, a Pilgrim’s Progress of like period, illustrated with grotesque woodcuts and printed by the almanack-maker Isaiah Thomas, the rotting bulk of Cotton Mather’s Magnalia Christi Americana, and a few other books of evidently equal age” です(訳: 十八世紀のバイブル、同時代の『天路歴程』(奇怪な木版画入りで、暦作りのアイザイア・トマスが印刷したもの)、朽ちかけたコットン・マザーの『マグナリア・クリスティ・アメリカーナ』の分厚い一冊、そして明らかに同じ年代と見える他の数冊)[3]。この場面でマグナリアは、老人が独りでに開いてしまうと語る「レグヌム・コンゴ」とは対照的に、書棚に並ぶ蔵書の一冊として一度だけ触れられるにとどまります。
ピックマンのモデル
画家リチャード・アプトン・ピックマンの台詞にもマグナリアが顔を出します。ピックマンは、コットン・マザーが大言壮語の裏側で、あの愚かなマグナリアにも、あの子供じみた『見えない世界の驚異』にもあえて書き記さなかった事柄を知っていたはずだと語ります。原文は “He knew things he didn’t dare put into that stupid Magnalia or that puerile Wonders of the Invisible World.” です(訳: 彼はあの愚かなマグナリアにも、あの子供じみた『見えない世界の驚異』にも、あえて書き記さなかった事柄を知っていた)[4]。ここで名の挙がる『見えない世界の驚異』(Wonders of the Invisible World)は、マザーの手になる別の実在書とされ、マグナリアとは別の書物です。この書物自体の刊行事情や内容については、当サイトでは確認していません。
hplovecraft.com の魔導書・関連書一覧ページも、マグナリア・クリスティ・アメリカーナを「家のなかの絵」「名状しがたきもの」「ピックマンのモデル」「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」の4作にまたがって言及される書物として一括して記載しています。原文は “Magnalia Christi Americana, Cotton Mather (“The Picture in the House,” “The Unnamable,” “Pickman’s Model,” and The Case of Charles Dexter Ward )” です(訳: マグナリア・クリスティ・アメリカーナ、コットン・マザー(『家のなかの絵』『名状しがたきもの』『ピックマンのモデル』、そして『チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件』))[5]。
性質と影響
マグナリア・クリスティ・アメリカーナは、ラヴクラフトの作中設定ではなく、コットン・マザーが実際に書き上げた歴史書です。1702年にロンドンで刊行された初版の標題紙OCRには、副題として “Its Firft Planting; in the Year 1620. unto the Year of our LORD, 1698.” という年代範囲が記されています(訳: その最初の植民の年1620年より我らの主の年1698年に至るまで。archive.orgのOCRテキストのままの綴り)[9]。刊記は “LONDON: Printed for Thomas Parkhurfl, at the Bible and Crowns in Cheapfide. MDCCII.” というもので(訳: ロンドン、トマス・パークハースト刊、チープサイドの「聖書と三つの王冠」にて。1702年。archive.orgのOCRテキストのままの綴りで、18世紀活字の長いs(ſ)が f と誤認識されています)[9]、著者名の箇所は “By the Reverend and Learned COTTO N M AT HE R, M. A, And Pafcorof the North Church in Brfton, New-England.” と印字されています(訳: 尊敬すべき学識深きコットン・マザー、文学修士、ニューイングランド・ボストンの北教会牧師。同じくOCRのままの綴り)[9]。
初版は全七巻構成で、archive.orgのメタデータには各巻の内題が “Book I. Antiquities.–book II. Ecclesiarum clypei.–book III. Polybius.–book IV. Sal gentium.–book V. Acts and monuments.–book VI. Thaumaturgus.” と記録されています(訳: 第一巻 Antiquities─第二巻 Ecclesiarum clypei─第三巻 Polybius─第四巻 Sal gentium─第五巻 Acts and monuments─第六巻 Thaumaturgus)[8]。第一巻はAntiquities(全七章、付録つき)、第二巻はEcclesiarum clypei(統治者・行政官の伝記、全十三章)、第三巻はPolybius(著名な牧師たちの伝記)、第四巻はSal gentium(ハーバード・カレッジ史)、第五巻はActs and monuments(教会会議の記録)です。第六巻Thaumaturgusは、標題紙の目次で “VI. A Faithful Record of many Illuftrious, Wonderful Providences, both of M.rcies and Judgments, on divers Perfons in New-England: In Eight Chapters.” と説明されています(訳: 第六巻。ニューイングランドの様々な人物に生じた慈悲と裁きという、多くの著名かつ驚異的な神の摂理についての誠実な記録。全八章。OCRのままの綴り)[9]。前述のとおり、「名状しがたきもの」で語り手が「悪魔的な第六巻」と呼ぶのは、標題紙目次と照合するとこの実在するBook VI「Thaumaturgus」に対応すると考えられます。第七巻The Wars of the Lordは、標題紙の目次で “VII. The Wars of the Lord. Being an Hiftory of the Manifold Affii&ions and Difturbances of the Churches in New-England, from their Various Adverfa- ries, and the Wonderful Methods and Mercies of God in their Deliverance” と説明されます(訳: 主の戦争。ニューイングランド諸教会が様々な敵対勢力から受けた苦難と騒乱、および神による救済の驚くべき方法と慈悲についての歴史。OCRのままの綴り)[9]。
archive.orgに所蔵されるこの初版スキャンは、ジョン・アダムズ・ライブラリ(ボストン公共図書館所蔵)・ボストン公共図書館・アメリカーナの各コレクションに分類されています[8]。メタデータのnotesには、第三巻134〜143ページに丁付けの誤りがあり、該当ページが二重に印刷されている旨も記録されています[8]。
初版から151年後の1853年には、ハートフォードのS. Andrus社から新版が刊行されました。archive.orgのメタデータによれば、この版の書名は “Magnalia Christi Americana, or, The ecclesiastical history of New-England : from its first planting in the year 1620, unto the year of Our Lord, 1698, in seven books” で(訳: マグナリア・クリスティ・アメリカーナ、あるいはニューイングランドの教会史。その最初の植民の年1620年より、我らの主の年1698年に至るまで。全七巻)[10]、”With an introduction and occasional notes by the Rev. Thomas Robbins” と記されるとおり、牧師トマス・ロビンズ(Rev. Thomas Robbins)による序文と注釈が付されています(訳: 牧師トマス・ロビンズによる序文と時折の注釈を添えて)[10]。archive.orgにはハーバード大学図書館蔵書をGoogleがデジタル化した第1巻のスキャンが公開されています。
Library of Congressの公式カタログ記録は、検索APIがCloudflareの認証チャレンジによって拒否されたため、当サイトでは確認できていません。1702年版に別刷り・異版が存在するかどうかについても、今回は本文までの調査が及んでおらず未確認のまま残します。
関連する用語
- 名状しがたきもの ── マグナリアが最も濃密に言及される作品
- チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件
- 家のなかの絵
- ピックマンのモデル
- レグヌム・コンゴ ── 同じく実在書がラヴクラフト作品に登場する例
- 西欧の魔女崇拝 ── マーガレット・マレーの実在書。ラヴクラフトが作中で用いた実在の文献として、当サイトが同じ扱いで記事にしているもの
- コットン・マザー(Cotton Mather) ── マグナリアの著者。当サイトに単独の記事はありません
- ジョエル・マントン(Joel Manton) ── 「名状しがたきもの」で語り手と論争する友人。当サイトに単独の記事はありません
- ジェデダイア・オーン/シモン・オーン(Jedediah Orne / Simon Orne) ── 「チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件」の登場人物。当サイトに単独の記事はありません
- 『見えない世界の驚異』(Wonders of the Invisible World) ── マザーの別の実在書。マグナリアとは別物です。当サイトに単独の記事はありません
出典
[1] H. P. Lovecraft, “The Unnamable”, The H. P. Lovecraft Archive (本文). https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/u.aspx (訳文は当サイトの試訳)[2] H. P. Lovecraft, “The Case of Charles Dexter Ward”, The H. P. Lovecraft Archive (本文). https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/cdw.aspx (訳文は当サイトの試訳)[3] H. P. Lovecraft, “The Picture in the House”, The H. P. Lovecraft Archive (本文). https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/ph.aspx (訳文は当サイトの試訳)[4] H. P. Lovecraft, “Pickman’s Model”, The H. P. Lovecraft Archive (本文). https://www.hplovecraft.com/writings/texts/fiction/pm.aspx (訳文は当サイトの試訳)[5] “The Necronomicon and Other Grimoires”, The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/creation/tomes.aspx (訳文は当サイトの試訳)[6] “Lovecraft’s Fiction (Chronological Order)”, The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/chrono.aspx[7] “Lovecraft’s Fiction (Publication Order)”, The H. P. Lovecraft Archive. https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/publish.aspx[8] “Magnalia Christi Americana”(1702年ロンドン初版、識別子 magnaliachristia00math), Internet Archive metadata / John Adams Library, Boston Public Library. https://archive.org/metadata/magnaliachristia00math (訳文は当サイトの試訳)[9] マグナリア・クリスティ・アメリカーナ 1702年ロンドン初版、標題紙本文OCR(識別子 magnaliachristia00math), Internet Archive. https://archive.org/download/magnaliachristia00math/magnaliachristia00math_djvu.txt (訳文は当サイトの試訳。OCRは18世紀活字の長いs(ſ)をfやjなどに誤認識しています)[10] “Magnalia Christi Americana”(1853年ハートフォード版第1巻、識別子 magnaliachristi00robbgoog), Internet Archive metadata / Harvard University Library. https://archive.org/metadata/magnaliachristi00robbgoog (訳文は当サイトの試訳)執筆時期・発表誌号はいずれも “Lovecraft’s Fiction”(作品年譜) https://www.hplovecraft.com/writings/fiction/ による。


