小説 — The Hound

猟犬

盗掘を趣味とする二人の美学者が、死者の護符を奪ったことで怪物に追われる。ラヴクラフト作品として『ネクロノミコン』が初めて言及された記念碑的な一作。

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猟犬

「私の苛まれた耳には、悪夢のような羽音とはためきが絶え間なく響き、遠くかすかに、巨大な猟犬が吠えるような声が聞こえ続けている」

— H・P・ラヴクラフト「猟犬」(1924年発表)冒頭部

概要

退廃的な美意識に飽いた二人の富豪が盗掘に手を染め、死者の護符を奪ったことで報いを受ける短編。ラヴクラフト作品として初めて『ネクロノミコン』の名が登場する、神話体系形成上の画期的な一作でもある。

作品情報

  • 執筆・発表年: 1922年執筆(9月)/1924年発表(「ウィアード・テイルズ」誌2月号)
  • 主題タグ: 退廃的享楽、盗掘、護符による応報

登場神格・用語

あらすじ

語り手と友人セント・ジョンは、「日常の陳腐さにうんざりし、ロマンスと冒険の喜びさえたちまち色褪せてしまうような、平凡な世界」に飽き果てた末に盗掘という背徳の趣味に手を染めた美学者である[1]。オランダの古い墓地で、五百年前に埋葬された何者かの亡骸から、「東洋の古式にのっとって小さな翡翠の一片から精巧に彫り出された、うずくまる有翼の猟犬、あるいは半ば犬めいた顔を持つスフィンクスを様式化した姿」の護符を盗み出した二人は[2]、イギリスの自邸に戻ってから奇怪な物音や影に悩まされるようになる。護符の正体を突き止めるため二人が繙いたのは、狂えるアラビア人アブドゥル・アルハザードの禁断の書『ネクロノミコン』——そこには「狂えるアラビア人アブドゥル・アルハザードの禁断の『ネクロノミコン』の中でほのめかされていたもの、すなわち、中央アジアの近づき難きレンに巣食う食屍鬼の魂を示す忌まわしい象徴」として、この護符が記されていた[3]。ある夜、正体不明の怪物がセント・ジョンを八つ裂きにし、恐慌に陥った語り手はロンドンへ逃れる。護符をオランダの墓へ返そうとするが、道中で盗賊に奪われた護符のせいで無関係な一家が惨殺される。墓へと舞い戻った語り手が目にしたのは、護符を握り締めたまま忌まわしくも動き出した骸骨だった――彼は完全な狂気の淵に落ちていく。物語は、「今や、あの死せる肉なき怪物の吠え声はますます大きく、あの呪われた膜翼のひそやかな羽ばたきはますます近く迫りくる中、私は自らの拳銃に、名づけえぬ、名づけようもないものからの唯一の逃げ場である忘却を求めよう」という一文で幕を閉じる[4]

読みどころと注目テーマ

退廃した美意識のなれの果てとしての破滅、盗んだ護符がもたらす応報、そして何より、後の神話体系の中核をなす禁断の魔道書『ネクロノミコン』がこの作品で初めて名指しされたという文学史的な画期性——この三点が本作最大の読みどころである。ラヴクラフト自身は後年、本作を「死んだ犬」「くだらない代物」と自嘲気味に評したと伝えられるが[5]、その率直すぎる自己評価とは裏腹に、耽美的で装飾過多な文体を「精気に満ちた(zestful)」魅力として評価する声も根強く、作品としての出来を「模倣的で凡庸」と見る立場と「素朴な魅力を備えた佳品」と見る立場とが今も分かれる、賛否の割れる問題作として読み継がれている。

執筆背景と影響

1922年9月、ラヴクラフトが友人ロード・ダンセイニ風の耽美的恐怖を意識して書いた作品とされる。物語上の重要性は筋書きそのものよりも、後の神話体系の中核をなす禁断の魔道書『ネクロノミコン』が、この作品で初めて言及された点にある(アブドゥル・アルハザードという著者名への言及自体はこれ以前の作品にも見られるが、書名が明記されるのは本作が最初である)。1924年「ウィアード・テイルズ」誌2月号への掲載という経緯を経て世に出た本作は、退廃と収集癖という一見軽い主題から出発しながら、結果的にラヴクラフト神話最大の小道具を生み出したという意味で、分量に見合わない歴史的重みを持つ一編となった。

出典

  • [1] “Wearied with the commonplaces of a prosaic world, where even the joys of romance and adventure soon grow stale…”(訳: 「日常の陳腐さにうんざりし、ロマンスと冒険の喜びさえたちまち色褪せてしまうような、平凡な世界に飽き果てて」) — H. P. Lovecraft, “The Hound”(1922年執筆/1924年発表), 公式アーカイブ
  • [2] “It was the oddly conventionalised figure of a crouching winged hound, or sphinx with a semi-canine face, and was exquisitely carved in antique Oriental fashion from a small piece of green jade.”(訳: 「東洋の古式にのっとって小さな翡翠の一片から精巧に彫り出された、うずくまる有翼の猟犬、あるいは半ば犬めいた顔を持つスフィンクスを様式化した姿だった」) — 同上, 公式アーカイブ
  • [3] “…we recognised it as the thing hinted of in the forbidden Necronomicon of the mad Arab Abdul Alhazred; the ghastly soul-symbol of the corpse-eating cult of inaccessible Leng, in Central Asia.”(訳: 「狂えるアラビア人アブドゥル・アルハザードの禁断の『ネクロノミコン』の中でほのめかされていたもの、すなわち、中央アジアの近づき難きレンに巣食う食屍鬼の魂を示す忌まわしい象徴だと、私たちは気づいた」) — 同上, 公式アーカイブ
  • [4] “Now, as the baying of that dead, fleshless monstrosity grows louder and louder, and the stealthy whirring and flapping of those accursed web-wings circles closer and closer, I shall seek with my revolver the oblivion which is my only refuge from the unnamed and unnamable.”(訳: 「今や、あの死せる肉なき怪物の吠え声はますます大きく、あの呪われた膜翼のひそやかな羽ばたきはますます近く迫りくる中、私は自らの拳銃に、名づけえぬ、名づけようもないものからの唯一の逃げ場である忘却を求めよう」) — 同上, 公式アーカイブ
  • [5] ラヴクラフトは書簡の中で本作を後年”a dead dog”(死んだ犬)、”a piece of junk”(くだらない代物)と自嘲的に評したと伝えられる一方、批評家の間では装飾過多ながら”zestful”(精気に満ちた)文体や素朴な魅力を評価する声もあり、評価が分かれている。— 出典: Wikipedia「The Hound」, 該当ページ
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