※本記事は2026年8月20日配信のPDF版に基づく紹介です。紙版(ソフトカバー)は同年9月発売予定です[1]。
概要
2026年8月20日、H・P・ラヴクラフトの136回目の誕生日に合わせて、Cthulhu Eternal(クトゥルフ・エターナル)がオーストラリア植民地時代を舞台にした自社設定「Convicts & Cthulhu」の初スタンドアロン版シナリオ集を発売した。それが『Dark Days in Sydney Town』である[1]。156ページに5本のシナリオを収め、舞台はイギリス植民地時代初期のニューサウスウェールズ——「入植済み」地域とされるシドニーとパラマタ。ラヴクラフトが生まれるより80年以上前の時代を、そのまま神話ホラーの舞台に据えた一冊だ。
作品情報
出版元はCthulhu Eternal(発行人 Dean Engelhardt)、ページ数は156ページでシナリオ5本を収録。対応ルールはConvicts & Cthulhuフルルールブック、または無料配布のC&C Quickstart版のどちらでもよい。PDF版はDriveThruRPGで既に配信されており、紙版(ソフトカバー)は2026年9月に控えている。「未開拓」地域を舞台にした続編も2027年に予告済みだ——以上はいずれも公式ブログの記載による[1]。
収録シナリオ
書名の通り、収録は次の5本[1]。
- The Demon Drink
- The Devil to Play
- The Doom That Came To Five Dock
- Night of the Convict Dead
- The Orphan School Horror
このうち何本かは、以前 “Tickets of Leave” という名称でステータスなしの読み物として無料公開されていたものを大幅に改訂し、Cthulhu Eternal版Convicts & Cthulhuのルールへ変換した。残りは書き下ろしの新作である。Convicts & Cthulhu自体はCthulhu Eternalが以前から展開してきた設定で、本書はその蓄積の延長線上にある一冊、というのが公式の説明だ[1]。
実在の歴史をどう神話ホラーへ組み込んだか
公式ブログが強調しているのは、「流刑植民地」という舞台でも掘り下げれば掘り下げるほど物語の幅が広がるという点。「convict-y(流刑地らしい)」プロットは数種類しかないと思われがちだが、現実の歴史を少し掘るだけでずっと面白いものが出てくる——発行人自身がそう書いている[1]。
具体的に名指しされている実在の要素は3つ。シドニーの女子孤児院(Female Orphan School)を舞台にした幽霊譚「The Orphan School Horror」、初期入植地の急ごしらえの埋葬地から始まる「ゾンビの行進」を描く「Night of the Convict Dead」、そして史実としての1808年のラム酒反乱(Rum Rebellion、ニューサウスウェールズ軍団によるウィリアム・ブライ総督追放事件で、オーストラリア史上唯一の軍事クーデターとされる)を絡めた一編だ[1]。史実がシナリオ内でどこまで脚色されているかはシナリオ本文を未確認のため判断を保留するが、実在の施設・事件・人物を土台に据えるという方針そのものは公式が明言している。
ラム酒反乱とは何か
ラム酒反乱(Rum Rebellion)は、1808年1月26日にニューサウスウェールズ軍団(ラム酒交易への関与から「ラム酒軍団」の通称で呼ばれる)が総督ウィリアム・ブライを逮捕・追放した事件を指す[4]。軍が2年にわたって植民地を統治する事態となり、オーストラリア史上唯一、軍事クーデターによって政権が転覆した出来事として記録されている[4]。本書がこの事件をどう脚色しているかはシナリオ本文を未確認のため判断を保留するが、入植地の統治そのものが崩れかけた実在の政変を下敷きに使うという選び方自体、「流刑地らしいプロットは数種類しかない」という思い込みへの反証になっている。
なぜ1920年代でなくても成立するのか
「クトゥルフ神話」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは1920年代のニューイングランドだろう。だが本書の舞台は1780年代から1810年代、ラヴクラフトが生まれる80年以上前のオーストラリアである。これは奇をてらった設定ではない。Cthulhu Eternalというシステムそのものが、最初からこの前提で組まれている。
同ブログのFAQ記事で、開発チームは自分たちのシステム名の由来をこう説明している。
“the Mythos created by Lovecraft is timeless, at least in the sense that it can cause havoc to any era of history equally as easily. Our notion of a game that can adapt to any era and setting is what motivated the ‘Eternal’ in the Cthulhu Eternal name.” (訳:「ラヴクラフトが生み出した神話は、少なくとも歴史上のどの時代にも等しく災いをもたらしうるという意味において、時代を選ばない。どんな時代・舞台にも適応できるゲームという発想こそが、Cthulhu Eternalという名前の『Eternal(永遠)』の由来である」)[2]
実際、Cthulhu Eternalは石器時代から近未来の宇宙進出まで13種類の時代別ルールセットを用意しており、1920年代のジャズ・エイジはその中の一選択肢に過ぎない[2]。Convicts & Cthulhuが扱う流刑植民地時代のオーストラリアも、その延長線上に位置づけられる。
この発想は、ラヴクラフト自身が恐怖をどう定義していたかに立ち返ると理解しやすい。評論「文学における超自然の恐怖」の冒頭で、彼はこう書いている。
“The oldest and strongest emotion of mankind is fear, and the oldest and strongest kind of fear is fear of the unknown.” (訳:「人類にとって最も古く、最も強い感情は恐怖であり、最も古く最も強い恐怖は未知のものへの恐怖である」)[3]
ここでラヴクラフトが恐怖の根拠に置いているのは、特定の年代や地域の出来事ではなく、「未知への恐怖」という人間という種に備わった性質そのものである。だとすれば、宇宙的恐怖(コズミックホラー)が成立する条件は「1920年代のニューイングランド」という舞台装置ではなく、「人間が理解の及ばないものに直面する」という構造だけで足りることになる。詳しくは「「宇宙的恐怖」とは何か」を参照してほしい。
同じ「原典にない時代」への拡張、どう違うか
当サイトは、原典・ダーレス系拡張・TRPG設定という三層で神話を整理している(原典/ダーレス系拡張/TRPG設定——三層で読み解くクトゥルフ神話)。TRPGはこれまでも、原典が扱わなかった時代・舞台へ神話を拡張し続けてきた。年代をずらすという操作自体は珍しくないが、何を土台に据えるかは作品ごとに違う。
| 作品 | 時代設定 | 何を土台に据えたか |
|---|---|---|
| Penguin Colony | 1939年(ラヴクラフト没後2年) | 原典『狂気の山脈にて』の続く歴史として、視点だけを反転 |
| Delta Green | 現代 | 冷戦期に発足した架空の対神話組織という設定を軸に据える |
| Dark Days in Sydney Town | 1780〜1810年代 | 実在の孤児院・埋葬地・軍事クーデター(史実)を土台に据える |
『Penguin Colony』が原典の直接の続編として時代を進めたのに対し、本書は原典より遥かに遡り、しかも架空の設定ではなく実在の歴史的事件そのものを土台にする点で異なる。年代を動かすという同じ手法でも、何に依拠するかによって作品の狙いは大きく変わる。
遊ぶには何が要るか
本書は基本的にConvicts & Cthulhuのフルルールブックでの使用を想定しているが、無料配布のC&C Quickstart版でも支障なく遊べるよう設計されているという[1]。Cthulhu EternalはD100ベースのシステムで、Arc DreamのDelta Green RPGの系譜に連なる。基本ルール群はOpen Gaming License(OGL)のもとで無料公開されており、DriveThruRPGから投げ銭形式(Pay-What-You-Want)で入手できる[2]。
Cthulhu Eternalというプラットフォームについて
Convicts & Cthulhuのようなご当地設定がスタンドアロン版を得られるのは、Cthulhu Eternal自体が「誰でも自分の作品を出せる開かれた基盤」を志向しているためだ。開発チームは、収益源を手放すことになってもルールを無料公開する方を選んだと明言しており、実際にTwin Engine Publishing(スウェーデン、Kent-Ove Lindström)によるジャズ・エイジ物、Quills Media(Paul StJohn Mackintosh)、Libraries & Leviathans(John Shimmin)など、複数のインディー発行元がこの基盤の上で作品を出している[2]。
神話クリーチャーのゲーム統計値についても同様の発想が貫かれている。他社のクトゥルフ神話TRPGは著作権の絡む後継作家の設定まで幅広く取り込む場合があるが、Cthulhu Eternalはパブリックドメインが確定しているラヴクラフト自身の創造物に絞り込み、ドイツのファンコミュニティが精査した統計値を翻訳した「Open Cthulhu Mythos System Reference Document」として無料公開している[2]。原典と後継作家の設定を分けて扱うという発想は、当サイトが三層構造として整理してきた区分と根が同じものだ。
関連して読むなら
- 原典/ダーレス系拡張/TRPG設定——三層で読み解くクトゥルフ神話 — TRPGが神話をどう拡張してきたかを整理した記事。原典にない時代設定を読むときの土台になる
- 「宇宙的恐怖」とは何か — 年代を問わずコズミックホラーが成立する条件を扱う
- TRPGから入った人のためのラヴクラフト原典ガイド — TRPGでおなじみの設定が原典のどの短編に由来するかの対応表
出典
- [1] “Happy Birthday, Mr Lovecraft (2026 Edition)”、2026年8月20日、Dean Engelhardt。『Dark Days in Sydney Town』(156ページ、5シナリオ)の発売、収録シナリオ名、舞台(ニューサウスウェールズのシドニー・パラマタ)、実在の女子孤児院・初期入植地の埋葬地・ラム酒反乱を題材にしていること、PDF版配信中・紙版2026年9月予定、Convicts & Cthulhuフルルールおよび無料Quickstart版での使用を想定していることが明記されている — Cthulhu Eternal公式, cthulhueternal.com ↩
- [2] “Cthulhu Eternal: Frequently Asked Questions”、2026年8月15日、Dean Engelhardt。Cthulhu EternalがDelta Green系のD100システムであること、13種の時代別ルールセットを無料(投げ銭形式)でOGLのもとに公開していること、「どんな時代・舞台にも適応できる」という設計思想が名前の由来であること、Twin Engine Publishing・Quills Media・Libraries & Leviathansなど第三者発行元がこの基盤で作品を出していること、パブリックドメインのラヴクラフト作品に基づく神話クリーチャーの統計値を「Open Cthulhu Mythos System Reference Document」として無料公開していることが明記されている — Cthulhu Eternal公式, cthulhueternal.com ↩
- [3] “The oldest and strongest emotion of mankind is fear, and the oldest and strongest kind of fear is fear of the unknown.”(訳: 「人類にとって最も古く、最も強い感情は恐怖であり、最も古く最も強い恐怖は未知のものへの恐怖である」、評論冒頭の一文)が記載されている — H. P. Lovecraft, “Supernatural Horror in Literature”(1927年発表), hplovecraft.com公式データページ, hplovecraft.com ↩
- [4] 1808年1月26日、ニューサウスウェールズ軍団の将兵が総督ウィリアム・ブライを逮捕し、植民地が軍政下に置かれたこと。この軍政は1810年初頭にラクラン・マッコーリー総督が着任するまで約2年間続いたこと、オーストラリア史上唯一、軍事クーデターにより政権が転覆した事例とされていることが記載されている — “The 1808 ‘Rum’ Rebellion”, State Library of New South Wales, sl.nsw.gov.au ↩
