概要
本作はキャサンドラ・カウが2017年にTor.com Publishingから発表した中編小説で、前作『Hammers on Bone』に続く〈Persons Non Grata〉シリーズ第二作。主人公はジョージア州出身の若きブルース・ミュージシャン、ディーコン・ジェイムズ(Deacon James)。父親の訃報を受けてアーカムへ向かう列車の中で、彼は説明のつかない悪夢的な幻視に囚われ始める。前作の探偵ジョン・パーソンズも狂言回し的に登場するが、本作の主軸はあくまでディーコンという一人の音楽家が、音と沈黙、正気と狂気の境界を彷徨いながら、自らの内に眠る何かと対峙していく過程にある。批評家の間では前作以上にホラー色が濃く、詩的で濃密な文体が高く評価される一方、内省的に過ぎるとの指摘も見られるなど、評価が分かれた作品でもある。
クトゥルフ神話との関係
物語の目的地がラヴクラフトの創造した架空の町アーカムであることに加え、「音」そのものが人智を超えた力・存在と接続する媒介として扱われる点が、旧支配者や名状しがたきものたちの気配を伝える神話的装置になっている。人間の理性では処理しきれない知覚——ここでは聴覚——を通じてコズミックホラーが浸食してくるという構図は、ラヴクラフトが繰り返し用いた「人間の感覚器官の限界を超えたところに真の恐怖がある」というテーマの延長線上にある。前作の主人公ジョン・パーソンズが橋渡し役として再登場することで、本作は独立した物語でありながら同一世界観・同一神話体系の一部として結びついている。
独自の要素・原典との違い
音楽というモチーフを中心に据えている点が本作最大の独自性で、ラヴクラフトの原典が視覚的・建築的な「見てはいけないもの」の恐怖を描くのに対し、本作は「聴いてはいけないもの」という聴覚のホラーを主軸に組み立て直している。またディーコンという黒人のブルース・ミュージシャンを主人公に据えることで、アメリカ南部の音楽文化・人種的背景を物語に織り込み、ラヴクラフト作品にしばしば指摘される排他性・差別性とは異なる視点から神話世界を再構築している点も特筆される。文体面でも、前作のハードボイルド調から一転し、より抒情的・音楽的なリズムを持つ散文へと舵を切っている。
