概要
近代化から見捨てられ、環状列石や奇妙な夜の地鳴り(ウィップアーウィル鳥の群れ)で知られる孤立した集落。退廃した古い家系が残り、ヨグ=ソトースが人間の女性ラヴィニア・ウェイトリーに産ませた落とし子をめぐる恐怖を描く短編「ダニッチの怪」の主要舞台となった。物語は道中の風景を「道の曲がり角から深い森の上に山々が視界に入ると、奇妙な不安の感覚が強まる」[1]と描写し、訪れる者を落ち着かせない土地であることを繰り返し強調する。
基本プロフィール
- 分類: 地名
- 欧文表記: DUNWICH
- 初出・出典: 「ダニッチの怪」(1928年執筆/1929年『ウィアード・テイルズ』4月号発表)
- 住民の特徴: 近親婚と退廃により「彼らは独自の一つの種族を形成するに至り、退廃と近親交配のはっきりとした精神的・身体的特徴を備えている」[2]と描写される
- 象徴的地物: センチネル・ヒル(祭壇石のある聖地)、ウィップアーウィル(夜鷹)の大群
由来・モデル
舞台のモデルについては、ラヴクラフトの記述からマサチューセッツ州中北部のアソル(Athol)周辺の地域が有力視されている。作中に登場するビショップ、フライ、ソーヤー、ライス、モーガンといった姓は、アソルで実際に有力だった姓、または同地の歴史と縁のある姓とされる。「センチネル・ヒル」という名称自体はアソルにある実在の農場「センチネル・エルム・ファーム」が由来と考えられる一方、丘そのものの物理的モデルとしてはウィルブラハム近郊のウィルブラハム・マウンテンが有力視されており、名称の由来地と地形上のモデルが一致しない点は、複数の実在地の要素を合成して村が構築されたことを示している。また作中の洞窟「ベアーズ・デン」は、ラヴクラフトがアソル南西のノース・ニュー・セイラムで実際に訪れた同名の洞窟に類似しているとされる。
研究者ロバート・M・プライスによれば、「ダニッチの怪」はウェールズのホラー作家アーサー・マッケンへのオマージュであり、目に見えぬ神と人間の女性の間に生まれた子が死の間際に半人半神の正体を現すという構成は、マッケンの「パンの大神」「黒い印の物語」からほぼパスティーシュと言えるほど直接的に引用されている。
歴史・年表
村を見下ろす丘の頂には「センチネル・ヒル(Sentinel Hill)」と呼ばれる祭壇石のある聖地があり、ウェイトリー家の異形の怪物が呼び出した神を降臨させる儀式が最終的にこの丘で行われる。物語終盤、アーミテージ博士ら3人の学者がこの丘で呪文を唱えると、怪物は「イグナイー・イグナイー・スフルスクンガ・ヨグ=ソトース」と虚空へ向かって忌まわしく鳴き叫び[3]、姿を消していく。決着の瞬間、床の上には「ねばついた白っぽい塊」だけが残り、あの怪異な臭気もほぼ消え去ったと描写される[4]。1928年8月のこの事件が、ダニッチの歴史における最大の出来事として記録されている。
性質・特徴
田園地帯の美しい自然の背後にある、崩壊した遺伝的モラルと、不可視の怪物による環境侵食の恐怖を描き出す。街を離れる場面では「その場所を離れるのはいつも安堵であり、丘の裾を回ってその先の平坦な土地へと続く狭い道をたどる」[5]と、訪問者にとって解放的な瞬間として描かれ、村自体が終始「居心地の悪い場所」として一貫して描写される。オーガスト・ダーレスが体系化した「クトゥルフ神話」においては、「クトゥルフの呼び声」「インスマウスの影」と並ぶ決定的な中核作品、「ヨグ=ソトース物語」の代表作とされる(評論家・東雅夫はこの系統の「大いなる原点」と評している)。
関連する人物・存在・出来事
ウィルバー・ウェイトリーとその双子の兄弟(姿を見せない方の怪物)、母ラヴィニア・ウェイトリー、祖父「古老ウェイトリー」といったウェイトリー一族が中心。事件解決に赴くヘンリー・アーミテージ博士はアーカム・ミスカトニック大学から来訪する形で両地を結びつける。父にあたるヨグ=ソトースとの関係が物語全体の核となる。
主要登場作と読みどころ
- 「ダニッチの怪」(1928年執筆/1929年発表): 唯一無二の舞台作品。ウィルバー・ウェイトリーの成長と大学図書館侵入死亡事件、双子の兄弟の解放と暴走、センチネル・ヒルでの最終決戦までを描く
- 後続の派生作品における参照: 公式ライセンスのカードゲーム『アーカム・ホラー:ザ・カードゲーム』の拡張キャンペーン「ザ・ダンウィッチ・レガシー」の舞台となったほか、ゲーム『Fallout 3』の「ダンウィッチ・ビルディング」も本作を明確に参照した施設として知られる
- 翻案作品: 日本では1962年に水木しげるが舞台を島根県に置き換えて『地底の足音』としてコミカライズし、1970年には監督ダニエル・ハラーにより実写映画化された
よくある誤解・設定の食い違い
Q. ダニッチとアーカムの距離は原典で正確に定まっていますか?
A. いいえ。ラヴクラフト自身の記述とオーガスト・ダーレスの後年の記述には食い違いがあり、ダーレスは原作よりも両地を近接させて描いています。単一の確定設定として扱うべきではありません。
Q. 「ダニッチの怪」はラヴクラフトの完全なオリジナル構想ですか?
A. 研究者の指摘によれば、アーサー・マッケンの「パンの大神」「黒い印の物語」の構成(見えざる神と人間の女性の間に生まれた子が死の間際に正体を現す)からの影響が非常に強く、パスティーシュに近いとされています。
出典
- [1] “When a rise in the road brings the mountains in view above the deep woods, the feeling of strange uneasiness is increased.”(訳: 「道の曲がり角から深い森の上に山々が視界に入ると、奇妙な不安の感覚が強まる」) — H. P. Lovecraft, “The Dunwich Horror”(1928年執筆/1929年発表), 公式アーカイブ ↩
- [2] “They have come to form a race by themselves, with the well-defined mental and physical stigmata of degeneracy and inbreeding.”(訳: 「彼らは独自の一つの種族を形成するに至り、退廃と近親交配のはっきりとした精神的・身体的特徴を備えている」) — 同上 ↩
- [3] “‘Ygnaiih . . . ygnaiih . . . thflthkh’ngha . . . Yog-Sothoth . . .’ rang the hideous croaking out of space.”(訳: 「イグナイー・イグナイー・スフルスクンガ・ヨグ=ソトース、と虚空から忌まわしい鳴き声が響いた」) — 同上 ↩
- [4] “there was only a sticky whitish mass on the painted boards, and the monstrous odour had nearly disappeared.”(訳: 「塗装された床板の上にはねばついた白っぽい塊だけが残り、あの怪異な臭気もほぼ消え去っていた」) — 同上 ↩
- [5] “It is always a relief to get clear of the place, and to follow the narrow road around the base of the hills and across the level country beyond.”(訳: 「その場所を離れるのはいつも安堵であり、丘の裾を回ってその先の平坦な土地へと続く狭い道をたどる」) — 同上 ↩




