書籍(スペイン語・アンソロジー、2026年6月15日発売) — Necronomicón

Necronomicón(Duomo Ediciones版)

スペインの出版社Duomo Edicionesが2026年6月15日に刊行した648頁のハードカバー『Necronomicón』。表紙は架空の禁書の名を掲げるが、公式ページ自身が「実在したことのない本」と明記する一冊である。編者ジュゼッペ・リッピと挿絵家グレタ・グレンデルの名を手がかりに、この本が実際には何の翻訳なのかを一次資料だけで遡って確認する。

公開更新作成AI支援で作成

誤りの指摘・訂正依頼と編集方針は運営者情報へ。

記事内に商品プロモーションを含む場合があります
入手する
Necronomicón(Duomo Ediciones版) 商品画像

東雅夫『クトゥルー神話大事典』(新紀元社)。作中の魔道書ネクロノミコンと、後世に作られた同名の書物を分けて引ける。

※上記は広告リンク(アフィリエイト)です。価格・在庫・版の詳細は必ずリンク先でご確認ください。

概要

スペインの出版社Duomo Edicionesは、H・P・ラヴクラフト著『Necronomicón』を2026年6月15日に刊行した。公式商品ページの仕様欄によれば、ハードカバー(「reserva brillo」と呼ばれる部分ニス引き・箔押し加工入り)、648頁、価格24.90ユーロ、ISBN 9791387574536。電子書籍版とオーディオブック版も予定されているが、両方とも価格は未掲載である[1]。編者はジュゼッペ・リッピ(Giuseppe Lippi)、挿絵はグレタ・グレンデル(Greta Grendel)、翻訳はマルセロ・E・マッツァンティ、ノエリア・ポウサダ、ビクトル・マヌエル・デ・イスシほか計7名の名が並ぶ[1]。Duomo Edicionesはバルセロナで2009年に設立された出版社で、公式ページ自身が「イタリアのグルッポ・エディトリアーレ・マウリ・スパニョル(GeMS)がイタリア国外に持つ最初の出版社」と説明している[1]。

この本の紹介文が興味深い。太字の宣伝コピーは「EL LIBRO FICTICIO MÁS FAMOSO DE TODOS LOS TIEMPOS(史上最も有名な架空の書物)」であり、続けて「EL LIBRO QUE NUNCA EXISTIÓ Y TODOS CONOCEN(存在したことのない、それでいて誰もが知っている本)」と明記される[1]。本文の紹介文も「el Necronomicón, el libro prohibido imaginado por H. P. Lovecraft(ネクロノミコン、H・P・ラヴクラフトが想像した禁書)」という言い回しを使う[1]。つまり出版社自身が、これはラヴクラフトの創作である架空の禁書そのものの実物ではないと、宣伝文の時点で明言している。当サイトのネクロノミコン記事やネクロノミコンは実在するのか記事で確認した通り、ラヴクラフトが「ネクロノミコンの歴史」(1927年執筆)で書いた著者アブドゥル・アルハザードも、730年頃のダマスカスでの執筆という設定も、現実に対応する古写本を持たない。今回の書籍はその名を借りた、実在の出版物である。

どんな本なのか

公式ページには目次や収録作の一覧が掲載されていない。書名だけを見ると「禁書ネクロノミコンそのものを再現した本」という誤解を招きかねないが、これは新規に書き下ろされた魔導書でも、ラヴクラフトの伝記でもなく、ラヴクラフト自身が実際に書いた小説群を、編者ジュゼッペ・リッピが「ネクロノミコン」という主題のもとに編纂したアンソロジーである可能性が高い。この点を裏付ける手がかりが、版元とは別の一次資料に残っていた。

イタリアの出版社モンダドーリ(Arnoldo Mondadori Editore)の公式ニュース記事「Lovecraft, il mito」(2017年10月11日付、署名は「testo di Giuseppe Lippi」——リッピ本人の執筆)は、次のように説明している。モンダドーリは2016年に『Cthulhu』(Oscar Draghiシリーズ)というラヴクラフト作品集を刊行し、これはクトゥルフを筆頭とする〈旧支配者〉をめぐる物語を収めたものだった。その続編として2017年に刊行されたのが『Il Necronomicon』(同じくOscar Draghiシリーズ)で、記事はこう書いている。

Le sorprendenti storie del Lovecraft mitografo proseguono in un secondo volume intitolato Il Necronomicon, pure negli Oscar Draghi, che completa il quadro della sua narrativa maggiore. Qui sono contenuti i racconti (non già apparsi in Cthulhu) che fanno capo a un’altra mitologia, quella dell’eponimo libro di magia siderale.(訳: 神話作者ラヴクラフトの驚くべき物語群は、同じOscar Draghiシリーズの第2巻『Il Necronomicon』へと続き、これで彼の主要な物語群の全体像が完成する。ここには、『Cthulhu』に未収録の物語——もう一つの神話体系、すなわち表題にもなっている星辰の魔導書にまつわる物語——が収められている)[2]

さらに記事は「Sia Cthulhu che Il Necronomicon sono a cura di Giuseppe Lippi e riprendono i testi della fortunata edizione completa Tutti i racconti, uscita, sempre per Mondadori, in volume unico nel 2015(訳: 『Cthulhu』と『Il Necronomicon』はいずれもジュゼッペ・リッピの編纂であり、同じくモンダドーリから2015年に一冊本で刊行された好評の全集版『Tutti i racconti』の本文を引き継いでいる)」と明記する[2]。モンダドーリの商品ページによれば、この単独版『Necronomicon』(Oscar Draghi、ISBN 9788804682561)は2017年10月10日発売、648頁、価格26.00ユーロのハードカバー(cartonato)である[3]。

この648頁という数字が、Duomo版の648頁と完全に一致する。さらに、モンダドーリの同じ記事には「Guarda i mostri di Lovecraft illustrati da Greta Grendel(グレタ・グレンデルが挿絵を手がけたラヴクラフトの怪物たちを見る)」という一節があり、”Elder Thing”、”Cthulhu”、”Nyarlathotep”、”Magro Notturno”(ナイトゴーント)、”Abitatore degli abissi”の5点がいずれも「”Necronomicon”」という注記付きで並んでいる[2]。編者ジュゼッペ・リッピ、挿絵家グレタ・グレンデル、648頁という頁数の3点が、2017年のイタリア語版『Il Necronomicon』とDuomo版『Necronomicón』の間で一致する。Duomo公式ページ自体はこの2017年版との関係を一言も説明していないため、Duomo版がこの2017年イタリア語版の翻訳であるとは断定できないが、当サイトが確認できた範囲では、これだけの一致が偶然である可能性は低いと考えられる。

亡くなった編者の名前で出た本

もう一つ確認すべき事実がある。イタリアの新聞Il Messaggeroの記事(2018年12月15日付)によれば、ジュゼッペ・リッピは同月14日金曜深夜、イタリア・パヴィアの病院で65歳で死去した[4]。同記事は彼を「モンダドーリの叢書『Urania』の編集を28年間務めた」人物と紹介し、「ごく最近のラヴクラフトとクラーク・アシュトン・スミスに捧げた貴重な巻」に至るまで、イタリアの出版界に消えない足跡を残したと書いている[4]。2017年の『Il Necronomicon』は、まさにこの「ごく最近の……貴重な巻」に含まれる。

つまり2026年にDuomo Edicionesが刊行した『Necronomicón』は、公式ページで編者としてリッピの名を掲げているものの、リッピ本人はその8年前にすでに死去している。これは新たな編纂作業が行われたことを意味しない。既存の編纂(おそらく2017年のイタリア語版)を、没後にスペイン語圏へ移す作業だったと考えるのが自然である。出版の世界では、翻訳権のライセンスに基づいて既存のアンソロジー構成をそのまま別の言語へ移すことは珍しくない。ただし、Duomo版が具体的にどの版権契約に基づいているかは、当サイトが確認した公式資料の範囲では明記されていない。

Sirius版とは何が違うか

当サイトの既存記事The Necronomicon: Tales of Eldritch Horror from the Masters of the Genreで確認した通り、同じく「ネクロノミコン」を書名に掲げる英語版アンソロジーが2026年8月18日に発売されている(Sirius/Arcturus Publishing刊、928頁)。あちらはラヴクラフトに加えて、ロバート・E・ハワード、アーサー・マッケン、ラフカディオ・ハーン、ロバート・W・チェンバースという、ラヴクラフト以外の4人の作家を含む5人組のアンソロジーだった。

対してDuomo版は、公式ページの著者欄が「H. P. Lovecraft」一人だけである[1]。モンダドーリ版の記事の説明を信じるなら、収録作はすべてラヴクラフト自身が書いた小説であり、他の作家の作品は混じっていない[2]。同じ「ネクロノミコン」という書名、同じ数百頁規模のハードカバーという体裁でありながら、Sirius版は「ラヴクラフトに影響を与えた・与えられた作家たちの短編集」、Duomo版は「ラヴクラフト一人の作品を、編者が神話体系ごとに再編集した作品集」という、根本的に異なる企画である。書名だけを見て両者を同一視すると、収録作家の構成をまるごと取り違えることになる。

三層のどこに立つか

収録作の中身に限って言えば、これはラヴクラフト自身が1917年から1937年にかけて書いた小説群であり、当サイトの区分でいう第1層(原典)そのものである。モンダドーリの記事が挙げる「クトゥルフやヨグ=ソトース、アザトース、ニャルラトホテプと接触するための魔導書」という説明も[2]、当サイトのネクロノミコン記事で確認した「ネクロノミコンの歴史」の記述と矛盾しない。

ただし、この本を成り立たせている枠組みそのものは、ラヴクラフト自身が生前に選んだものではない。「クトゥルフを軸にした物語」と「ネクロノミコンという魔導書を軸にした物語」という二分法は、2015年から2017年にかけてジュゼッペ・リッピがモンダドーリの全集を編み直す過程で採用した分類であり[2]、ラヴクラフト本人が採用した目次構成ではない。新しい神話や設定を付け加えているわけではないので、サイモン・ネクロノミコンのような偽書とは性格が異なる。それでも、原典の小説群をどう束ね、どう名付けるかという一段上の編集判断は、原典の書かれた時代よりずっと後、それも一人の編者の解釈によって行われている。中身は第1層、束ね方は後世の解釈という、二重構造を持つ本だと言える。

関連して読むなら

出典

  • [1] Duomo Ediciones公式商品ページ「Necronomicón」(2026年9月12日、ページのHTMLを直接取得して確認)。著者H. P. Lovecraft、編者「a cura de Giuseppe Lippi」、挿絵Greta Grendel、装丁「Tapa dura con reserva brillo」、頁数648、発売日15/06/2026、ISBN 9791387574536、価格24,90€(紙版)、電子書籍・オーディオブック版は価格未掲載、翻訳者7名(Marcelo E. Mazzanti、Noelia Pousada、Víctor Manuel de Isusi、Consuelo Gallego、Mario Cornejo、Lucía Urbano、Eva Martínez)、宣伝コピー「EL LIBRO FICTICIO MÁS FAMOSO DE TODOS LOS TIEMPOS」「EL LIBRO QUE NUNCA EXISTIÓ Y TODOS CONOCEN」、紹介文中の「el Necronomicón, el libro prohibido imaginado por H. P. Lovecraft」、および「Duomo ediciones, fundada en Barcelona en 2009, es la primera editorial del grupo editorial Mauri Spagnol fuera de Italia」の記載を確認。https://www.duomoediciones.com/libro/necronomicon/ ↩
  • [2] Arnoldo Mondadori Editore公式サイト、ニュース記事「Lovecraft, il mito」(2017年10月11日付、署名「testo di Giuseppe Lippi」、2026年9月12日にページのHTMLを直接取得して確認)。2016年刊『Cthulhu』(Oscar Draghi)と2017年刊『Il Necronomicon』(Oscar Draghi)がいずれもジュゼッペ・リッピの編纂であり、2015年刊の全集版『Tutti i racconti』(Oscar moderni)の本文を引き継いでいること、『Il Necronomicon』が『Cthulhu』未収録の物語(ネクロノミコンという魔導書を軸にした物語群)を収めること、ネクロノミコンがクトゥルフ・ヨグ=ソトース・アザトース・ニャルラトホテプと接触するための魔導書であり著者アブドゥル・アルハザードであるという説明、および挿絵家グレタ・グレンデルによる”Necronomicon”注記付きの怪物挿絵(Elder Thing、Cthulhu、Nyarlathotep、Magro Notturno、Abitatore degli abissi)を確認。https://www.mondadori.it/news/lovecraft-il-mito ↩
  • [3] Arnoldo Mondadori Editore公式商品ページ「Necronomicon」(Howard Phillips Lovecraft著、2026年9月12日にページのHTMLを直接取得して確認)。Oscar Draghiシリーズ、ISBN 9788804682561、648頁、価格26,00€、判型17.0×24.0cm・cartonato(ハードカバー)、発売日2017年10月10日を確認。https://www.mondadori.it/libri/necronomicon-howard-phillips-lovecraft ↩
  • [4] Il Messaggero紙「Morto Giuseppe Lippi, re della fantascienza italiana: fu direttore di Urania」(2018年12月15日付、2026年9月12日にページのHTMLを直接取得して確認)。ジュゼッペ・リッピが同月14日金曜深夜、パヴィアの病院で65歳で死去したこと、モンダドーリの叢書「Urania」の編集を28年間務めたこと、「ごく最近のラヴクラフトとクラーク・アシュトン・スミスに捧げた貴重な巻」に至るまで足跡を残したという追悼文を確認。https://www.ilmessaggero.it/persone/morto_urania_giuseppe_lippi-4174731.html ↩

続きを辿る

隣の棚

記事URLをコピーしました