年表 — The Life and Works of Clark Ashton Smith

クラーク・アシュトン・スミスの生涯と創作

詩人として出発し、後にラヴクラフトとの文通を通じて怪奇小説へ転じたカリフォルニアの異才。ツァトゥーグアやエイボンを生んだ「オーバーンの吟遊詩人」の生涯と創作の軌跡

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概要

クラーク・アシュトン・スミス(Clark Ashton Smith, 1893-1961)は、ラヴクラフト、ロバート・E・ハワードと並んで「Weird Talesの三大巨匠」と称される作家です。しかしスミスの出発点は小説ではなく詩でした。カリフォルニアの田舎町オーバーンでほぼ独学で言葉を磨き、若くして詩人として認められた後、ラヴクラフトとの文通を機に怪奇・幻想小説へと転じます。豪奢で装飾的な文体と、ツァトゥーグアやエイボンといった神話的存在の創造によって、クトゥルフ神話に独特の色彩を加えました。

生涯と創作の年表

1893年1月13日:誕生

  • カリフォルニア州プレイサー郡ロングバレーに生まれる[1][4]
  • 父ティメウス・スミス、母メアリー・フランシス・スミスの子[1]
  • 生涯の大半を、両親が建てた小さな山小屋のある同州オーバーン(Auburn)で過ごす

少年期:14歳での退学

  • 父はホテルの夜間係を務めており、その薄給もあって、スミスは家計を助けるため14歳で学校を退学したと伝えられる[1]
  • 学校教育をほとんど受けず、驚異的な記憶力を武器に独学で読書に没頭
  • 『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』、アンデルセンの童話、『アラビアン・ナイト』、そしてエドガー・アラン・ポーの詩などを愛読

1912年

  • 詩集『The Star-Treader and Other Poems』を刊行し、19歳の若さで詩人として注目を集める
  • カリフォルニアの詩人ジョージ・スターリング(George Sterling)の後押しを受け、伝統的な韻文の書き手として評価される
  • 「最後の偉大なるロマン派」「オーバーンの吟遊詩人」などと呼ばれた

1918年-1926年:詩集と地元紙

  • この時期に詩集の多くを刊行。『Odes and Sonnets』(1918年)、『Ebony and Crystal』(1922年)、『Sandalwood』(1925年)
  • 『Ebony and Crystal』『Sandalwood』、および後年の短編集『The Double Shadow and Other Fantasies』(1933年)は、いずれも地元紙の印刷所Auburn Journal Pressから自費出版された[1]
  • 1923年から1926年にかけては同紙にコラムを持ち、自作の短詩やエピグラムを寄せた。一時は夜間編集者も務めたという[1]
  • 1920年には長編の無韻詩『The Hashish-Eater(阿片吸引者、あるいは悪の黙示録)』を執筆し、『Ebony and Crystal』(1922年)に収録

1920年代:ラヴクラフトとの往復書簡

  • 二人の書簡は、のちに『Dawnward Spire, Lonely Hill: The Letters of H. P. Lovecraft and Clark Ashton Smith』(Hippocampus Press、2017年)として一冊にまとめられた[3]
  • ダーレスとの往復書簡も『Eccentric, Impractical Devils』(同、2020年)として刊行されている[3]
  • 書簡が一次資料として整備されつつあることは、この作家の研究状況を示している

1922年

  • ラヴクラフトからのファンレターを受け取る。これが、ラヴクラフトの死までおよそ15年間続く文通と友情の始まりとなった
  • 二人は生涯一度も直接会うことはなかったが、書簡を通じて深い文学的交流を育んだ

1920年代後半-1930年代前半:小説家への転身

  • 35歳を過ぎた頃から、収入を得る手段として本格的に短編小説の執筆を開始
  • Weird Tales誌に「The End of the Story」(1930年)を発表し、散文作家として頭角を現す
  • 以後、数年間で膨大な数の怪奇・幻想短編を量産した

創作世界の諸サイクル

  • スミスの作品は、舞台となる架空の土地ごとにいくつかの連作を成す
  • ハイパーボリア(Hyperborea):太古の北方大陸
  • ゾシーク(Zothique):はるか未来、地球最後の大陸
  • アヴェロワーニュ(Averoigne):中世フランスを思わせる地方
  • ポセイドニス(Poseidonis):沈みゆくアトランティスの残滓
  • 火星、シッカルフ(Xiccarph)など
  • ツァトゥーグア(Tsathoggua)、魔道士エイボン(Eibon)、モルディッガン、リム・シャイコースなど、後にクトゥルフ神話へ取り込まれる存在を創造した
  • 1929年9月からの4か月間には、ポセイドニス連作の第一作、アヴェロワーニュ連作の第一作、ハイパーボリア連作の第一作が立て続けに書かれたとされる[2]

当サイトが実地で確認した作品

  • 「土星への扉」(『Strange Tales』1932年1月号、390〜403ページ)— 初出誌のスキャンで本文を照合した。フジウルクォイグムンズハーとイホウンデーが登場する[5]
  • 「白蛆の襲来」(『Stirring Science Stories』1941年4月号、105ページから)— リム・シャイコースの初出。書誌のみ確認[6]
  • この二作は当サイトの三層区分をまたぐ。1932年発表の前者はラヴクラフト生前にあたるため原典(オリジナル正典)、1941年発表の後者は没後なので拡張神話(ダーレス以降)に置いている

1937年前後:創作の減退

  • 父の死などが重なり失意に沈み、およそ3年間は小説をほとんど書かなくなる
  • ラヴクラフトの死(1937年)もこの時期にあたり、以後の25年間で書いた小説は十数編にとどまった[1]
  • 晩年は彫刻や絵画など、造形的な創作にも力を注いだ。生涯で約200点の彫刻を制作したとされる[1]

1954年:結婚と転居

  • キャロライン・ジョーンズ・ドーマンと結婚し、パシフィック・グローブへ移る[1]
  • 生計のため、近隣住民の庭師として働いたという[1]

1953年

  • 心臓発作に見舞われるなど、1950年代に入って健康が衰えはじめる

1961年8月14日:死去

  • 数度の脳卒中を経て、眠るように死去。68歳[1][4]
  • 遺灰は1957年の火災で焼失した生家跡の近くの岩のそばに埋葬され、墓標は設けられなかった[1]
  • 1985年にオーバーンのプレイサー郡立図書館、2003年には同市のBicentennial Parkに顕彰の銘板が設置された[1]

没後:書誌と書簡集の整備

  • 現在もっとも権威ある書誌は、S. T. Joshi、David E. Schultz、Scott Connorsによる『Clark Ashton Smith: A Comprehensive Bibliography』(Hippocampus Press、2020年)である[3]
  • 同社からは書簡集も順次出ている。『Dawnward Spire, Lonely Hill』(ラヴクラフトとの往復書簡、2017年)、『Eccentric, Impractical Devils』(ダーレスとの往復書簡、2020年)ほか[3]
  • 系譜資料「From the Parchments of Pnom」が書誌に現れるのは1997年で、収録の確認できる書物は『The Tsathoggua Cycle』(Chaosium、2005年)である[7]。ズヴィルポググーアの系譜設定はここに由来するとされる

この年表を読むうえでの注意

「詩人から小説家へ」という筋書きは、やや単純である。スミスは1930年代に短編を量産したあとも詩を書き続け、1930年代後半からは彫刻へ重心を移した[1]。詩 → 小説 → 彫刻という直線ではなく、時期によって主たる表現手段が入れ替わったと見るほうが実態に近い。1920年代前半にはすでに自費出版で詩集を重ねており、地元紙のコラムニストでもあった[1]。

当サイトの神格記事との関係。スミス由来の神格は、当サイトでも複数を扱っている。ツァトゥグァ、フジウルクォイグムンズハー、イホウンデー、リム・シャイコース、ズヴィルポググーア——これらは同じ作家の手から出ていながら、三層区分では別の層に分かれる。判定の基準は作者ではなく発表時期(ラヴクラフトの没年1937年より前か後か)であり、その線をスミスはまたいで書き続けた。

出所を示せない設定がある。ズヴィルポググーアのように、作品本文ではなく書簡・遺稿に由来するとされる設定は、当サイトが原文を照合できていない[7]。神格記事ではそれらを「通説では」と断って区別している。年表の側でも、刊行された作品と、私信に由来するとされる設定とを混ぜないようにしている。

影響・意義

クラーク・アシュトン・スミスは、ラヴクラフトの「宇宙恐怖」ともハワードの「剣と魔法」とも異なる、退廃的で装飾過多な美意識をクトゥルフ神話にもたらしました。詩から出発した彼の文章は、恐怖よりもむしろ絢爛たる幻想と皮肉なユーモアに満ちており、神話の色彩を大きく広げました。ツァトゥーグアやエイボンの魔道書といった彼の創造物は、ラヴクラフト自身の作品にも逆輸入され、サークル内での相互借用がいかに神話を豊かにしたかを示す好例となっています。生前は詩人としても小説家としても大衆的な成功に恵まれませんでしたが、今日ではファンタジー・怪奇文学の隠れた巨匠として再評価が進んでいます。

SFの側からの評価も見ておきたい。SF百科事典(SFE)は、スミスの豊かな文体と華麗な着想が、20世紀初頭の惑星間ロマンスを戦後の本格的な惑星冒険譚(Planetary Romance)へ変える働きをしたとする[2]。さらにSFの舞台としての「遥かな未来」を成立させた立役者として挙げ、その「滅びゆく地球(Dying Earth)」ものがジャック・ヴァンスらに受け継がれたと書く[2]。ゾシーク連作は、神話の側では幻想文学の一角だが、SF史の側では別の系譜の起点として扱われている。一人の作家が、二つの歴史に別の名前で記録されている。

出典

  • [1] EBSCO Research Starters「Clark Ashton Smith」(該当ページ)。生没年、出生地、両親、父の職業と14歳での退学、Auburn Journalでのコラムと夜間編集者の職、自費出版の経緯、彫刻およそ200点、1954年の結婚と庭師としての仕事、遺灰と顕彰の銘板、1937年以降の執筆量の減少を確認した(2026年9月15日確認)。 ↩
  • [2] The Encyclopedia of Science Fiction(SFE)「Smith, Clark Ashton」(該当ページ)。惑星冒険譚の成立への寄与、「遥かな未来」および「滅びゆく地球」ものの系譜における位置づけ、ジャック・ヴァンスらへの影響を確認した。連作ごとの編数と1929年秋の集中的な執筆については Black Gate「The Fantasy Cycles of Clark Ashton Smith PART II」(該当ページ)も参照した。 ↩
  • [3] Hippocampus Press「Clark Ashton Smith: A Comprehensive Bibliography」紹介ページ(該当ページ)。2020年刊、S. T. Joshi・David E. Schultz・Scott Connors編。同社刊行の書簡集の一覧もここで確認した。 ↩
  • [4] 書誌データベースISFDB、著者記録「Clark Ashton Smith」Author Record #819(該当ページ)。生年月日1893年1月13日、没年月日1961年8月14日、出生地カリフォルニア州ロングバレー。 ↩
  • [5] Clark Ashton Smith「The Door to Saturn」『Strange Tales of Mystery and Terror』第1巻第3号(1932年1月)、390〜403ページ。初出誌のスキャン(archive.org)の全文テキストで確認した。 ↩
  • [6] 書誌データベースISFDB「The Coming of the White Worm」Title Record #56999(該当ページ)および『Stirring Science Stories, April 1941』Publication Record #253368(該当ページ)。1941年4月、105ページから。 ↩
  • [7] 書誌データベースISFDB「From the Parchments of Pnom」Title Record #963811(該当ページ)。作品の年1997年、収録は『The Tsathoggua Cycle』(Chaosium、2005年)。 ↩
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